メディアグランプリ

亡き母の誕生日に父が植えた桜を愛でる


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記事:安光伸江(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
4月1日は、この新年早々亡くなった母の誕生日だ。
春に生まれたから「春子」。安易なネーミングだと嘆いていたっけ。
 
母は腰椎の圧迫骨折が原因で3年あまりほぼ寝たきりの生活だった。トイレは自力で行っていたし食事も用意しておけば普通食を食堂に食べに来ていたのだが、昨年11月頃だったか、食べるには食べるが吐くようになった。私が対応しきれなくて12月にケアマネージャーさんに相談し、ショートステイに入れたら、医療の方に回した方がいいということになって入院。そこで多発性肝腫瘍が見つかり、大病院で検査したら末期がんと判明し、それからひとつきたたずに転院先の緩和ケア病棟で亡くなった。
 
大病院は私の乳がんの治療をしていただいているところでもあり、私の主治医が「お母さんの画像、見てもいい?」とおっしゃるので私も見たら、素人目にも腫瘍とわかるものがくっきり見えた。母はその大病院に3ヶ月に一度通っていたので、1年前に撮った画像もあったのだが、それはきれいだった。1年の間にこんなに悪くなったのか。
 
検査時の担当医の見立てでは余命3~4ヶ月ということだった。乳がんの主治医曰く、緩和ケア病棟に転院するには間に合うだろうけれど、「長い目で見れば、春は迎えられないだろうね」とのことだった。
 
大病院からもとの病院に戻り、積極的な治療はしないということで痛み止めと点滴(胃の出口にがんがあって食べても吐くので絶食だった)で生きていた母。「春は迎えられない」という先生のことばを打ち消したくて、「春になったら、車いすを借りて、一緒にお花見行こうや~」と話しかけていた。うちの近所に、伊倉川という小さな川があって、その川沿いと向かいの小学校のグラウンド沿いに桜並木があるのだ。このへんではちょっとした桜の名所で、毎年私はそこでの花見を楽しみにしているのだ。川とグラウンドの間の小道は自動車が通れず歩行者と二輪車だけなので、のんびり花見をするにはもってこいだ。
 
実はその桜並木を作ったのは、この近辺の自治会の代表者だった。たまたまその年にうちの父が町内会長だったらしく、そのうちの1本は父が植えたものだ。端から3本目。父のひそかな自慢だった。一昨年父が亡くなってからは、父が見守ってくれているような気がして、通りかかるたびに、その桜に「じぃちゃ~ん」といって手を振ったりもしていた。
 
ちなみにうちでは父のことはじぃちゃん、母のことは本人の希望でママと呼んでいた。じぃちゃんとママ。変だけど、それが我が家らしいのだ。
 
そのじぃちゃんの植えた桜を、ママと一緒に見に行くのが夢だった。叶わなかったけど。先生の見立てより早く、ひとつき持たずに亡くなったけど。緩和ケア病棟に転院してから、約一週間しか生きなかったけど。
 
もともと母はほとんど外に出歩かなかった。家の周りの掃除をしたり、花の世話をしたりするのが精一杯で、20年くらい前に心筋梗塞を患って以来、買い出しは父の仕事だった。私が実家に帰って父が車をやめてからは私が買い出し部隊になったが、母は近所のショッピングセンター(ゆめシティ)にも行かず、結果として途中の伊倉川の桜も一度も見たことがなかった。
 
そして圧迫骨折でほとんど寝て過ごすようになってからは、家の周りにすら出なくなり、ご近所の人と話すこともなくなった。いろんな人に「会いたいねぇ」と言われていたが、人を家に呼ぶのもいやがっていた。介護関係者はいろいろ出入りしていたが、本音では「おねぇちゃん(私のこと)がええ、おねぇちゃんだけがええ」と言っていた。
3ヶ月に一度の通院は、父が生きていた頃は父の車、やめてからは父がタクシーで、そして父が亡くなってからは叔父(父の弟)に無理をいって車で連れて行ってもらっていた。そんなこんなで、車いすででも外に出ようという気概は母にはなかった。
 
でも
 
母を連れて、花見に行きたかったな。そしてゆめシティまで行って、スタバで一緒にお茶をしたかったな。
 
母は亡くなる前、病院のベッドの上で「動き回りたい」と言っていたっけ。もう3年以上もほぼ寝たきりの生活で、家ではトイレに行くのと食事などで一生懸命起きていたけど、ショートステイから病院に入って以来おむつ対応になり、ほんとに寝たきりだったから。
「みんなに会いたい」とも言っていたっけ。それなら家に近所の人を呼んだのに。
 
でも
 
そんなことを言うようになったのは、入院してからだから、自分が死ぬ予感はもうあったのだろうと思った。「死ぬる前ってこんなんなんかねぇ」とも言っていたっけ。
 
さて伊倉川である。
今年はここ数年より桜が咲くのが早く、ここ数日満開が続いている。
父が植えた3本目の桜は他の木より少し咲き始めるのが遅かった。母の誕生日に満開になろうとしていたのだろうか。今は負けじと一生懸命咲いている。
 
亡くなってから初めての、母の誕生日。
父が植えた桜を、母は空から見ているだろうか。
 
亡くなった人も魂はあるのだという。肉体が亡くなった分、どこでも好きなところに行けるのだという。私のすぐそばにいてくれて、愛を送ってくれているのだという。
 
肉体は滅びても魂は永遠だということを、信じたい。
母がそばにいてくれることを、信じたい。
 
そしてこれから毎年、母の誕生日には父の植えた桜を愛でたい。
花が散っても、父が植えた桜がしっかり見守ってくれていると信じたい。
 
父も母も相次いで亡くなり、私は今ひとりで伊倉川の近くに暮らしているけれども、両親の無限の愛を感じ、両親に感謝しながら生きていきたいと思う。
 
じぃちゃん、ママ、おねぇちゃんをずっと見守っていてね。

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2018-04-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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