「父親らしく」を止めようと決めた日。
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記事:山田裕嗣(ライティング・ゼミ平日コース)
「8番レフトで先発、途中交代」
「ベンチスタート、終盤に代打で出場」
午前2時。
家族の寝静まった後の食卓で、浩介は、明朝の先発メンバーを決められずにいた。
酒の勢いを借りて「えいや」と決めようとしたが、冷蔵庫から出した缶ビールは、いつの間にかぬるくなってしまった。
浩介は、昨年から少年野球チームの監督を務めている。
父親の知人でもある自治会長の熱心なオファーに、つい根負けして引き受けてしまった。
よほど他に引き受けてくれる人がいなくて、困っていたのだろう。
ただ、いざ始めてみると、期待していたよりも面白かった。
監督として少年たちと一喜一憂をともにすることは、普段の生活にはない、充実した時間だった。
しかし、一つだけ、いつも気にかかることがあった。
息子のヒロキが、このチームのメンバーであることだ。
彼は、チームの中で、決して上手な方ではない。
「ヒロキは、小さい頃の浩介に良く似ている」
親戚が集まるたびに、叔父や叔母から口々にそう言われた。浩介自身もそう思った。
父親が転勤族だったことも手伝ったのか、浩介は、誰かと競争するよりも、一人で没頭できる遊びが好きだった。
読書や詰将棋など、好きになったことは何時間でも一人で取り組んでいられた。
中学・高校ではなぜか野球部に入ることになったのだが、それも、親友に熱心に誘われたからだった。
このあたりの押しに弱い性格は、20年以上経っても、全く進歩していない。
息子のヒロキも、浩介と似たような性格をしていた。
彼が誰かとムキになって競争するような姿は、浩介も、妻の陽子も、ほとんど見たことがない。
それどころか、ヒロキは「何かに熱中する」ということ自体が、滅多になかった。
ヒロキには、2歳年上の姉がいる。
彼女は母親に似ていて、明るく闊達、何事にも要領がよい。リレーのクラス代表に選ばれたこともある。
「何をやっても姉には敵わない」
そう思っていることも、ヒロキが熱くなるものがないことに拍車を掛けているようだった。
ところが、2ヶ月前の練習試合で、ヒロキに転機が訪れた。
ずっと劣勢だった試合の最終回、逆転サヨナラのチャンスで打席が回ってきた。
結果は、あっけなく、見逃し三振。
1回もバットを振ることすらできなかった。
チームメイトからは、残酷なほど大きなため息が漏れた。
ヒロキにとって、この経験がよほど悔しかったらしい。
この日を境に、かつてないほど熱心に練習するようになった。
土日になると、浩介は必ず早朝から練習に付き合わされた。
こんなにも夢中になるヒロキを見るのは初めてのことだった。
浩介は、その変化を目の当たりにできて、素直に嬉しかった。
そして、だからこそ、怖かった。
監督として、ヒロキが結果を出せるかどうかではなく、父として、どうすればせっかくのヒロキの「熱量」を消さないでおけるか。
そのことばかりが気になり、先発メンバーを最後まで決めきれずに居た。
試合当日。快晴。
風も穏やかな「野球日和」だった。
散々悩んだ結果、浩介は、ヒロキを「代打出場」に決めた。
2ヶ月の練習の甲斐があって、ヒロキは随分うまくなった。
ただ残念ながら、レギュラーにはまだ及ばない。
彼らに「外された」と思わせることは、監督として本意ではなかった。
試合開始。
この日は、緊迫した展開が続き、なかなか代打を送る機会がない。
終盤に差し掛かった6回表。
先頭バッターのレフトに代わり、ヒロキを打席に送り出した。
「思い切ってやってこい!」
浩介は、そうやってヒロキを激励しながらも、打席が終わったあとのことを心配せずにはいられなかった。
「結果が出なかったら、せっかくの野球への”熱意”が消えてしまわないだろうか?」
「そのときに、ヒロキになんて声を掛ければいいのだろう?」
努力してきたことを褒めるべきか。
結果が出なかったことを一緒に悔しがるべきか。
答えが出ないまま、ヒロキの打席は始まった。
初球。ブン。空振り。
ピッチャーも終盤になって疲れが見えてきた。
それでも、ヒロキのバットはタイミングも高さもイマイチ合っていなかった。
2球目。カン。
力のない打球音が鳴り、ボールはショートの正面に転がって行く。
ショートが無難にさばき、ショートゴロ、アウト。
終わってみれば、呆気ない結末だった。
時間にして1〜2分。
ヒロキのこの2ヶ月の努力は、報われなかった。
少なくとも、この打席の結果としては。
ヒロキがベンチに戻ってきた。
その表情を見て、浩介は、何も言うことができなかった。
ヒロキは泣いていた。
懸命にごまかそうとしていたが、誰が見てもわかるくらい、ボロボロと。
今、自分が何を言ったところで、ヒロキには何も届かない。
そう察した浩介は、ただただ、見守ることしかできなかった。
先発なのか代打なのか、夜を徹して悩んだこと。
打席が終わったあとにどうやって声を掛けるか心配したこと。
どうすればヒロキのためになれるのか?
父親として、昨夜から一生懸命に考え続けてきた。
しかし、結局、どれほどヒロキに影響したんだろうか。
この打席では、結果が出なかった。
しかし、いま泣いて悔しがる姿を見ている限り、その熱意は消えていない。
それはヒロキ自身の問題であり、ヒロキが自ら選んだことだった。
父親として役に立てることは、結局は、初めからなかったのかもしれない。
一体、自分は何をそんなに悩んでいたのか?
何をそんなに恐れていたのか?
「貴之、行けー!!」
隣から聞こえた声援に、浩介は我に帰った。
次のバッターの打球が左中間に抜けて行った。
「ようし貴之、三塁も狙え!」
口先だけ監督の役割に戻りながら、浩介はまだ考えていた。
自分自身が、父親から聞きたかった言葉。
こうであってほしい、と思っていた父親の姿。
結局、昔の自分が抱いていた「理想の父親」を追い求めていただけなのかもしれない。
ヒロキのためにというより、過去の自分のために。
「父親らしく」なんてことは、もう止めよう。
浩介は、自然とそう思った。
失恋した親友、失敗した同僚、落ち込んだ妻。
彼ら・彼女らに声をかけるように、今のヒロキにも声をかければいい。
そう思うと、浩介は、早くヒロキと話をしたくなった。
「セーフ!」
ようやくレフトからボールが戻ってきた。
バッターは無事に三塁にたどり着いた。
「貴之、ナイスバッティング!」
ベンチがまた盛り上がったタイミングで、ヒロキも、ようやく少し顔を上げた。
彼が見上げた空は、変わらずによく晴れていた。
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