目が半分しか開かなくなって、心の眼が開いた。
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記事:とくもち(ライティング・ゼミ 平日コース)
「目が開かない、痛い」
今日何回繰り返した言葉だろうか。昨日からものもらいになって、左目の瞼が異常に腫れた。
朝目が覚めた時から開かないのである。寝起きなんて特に眠いから、普通に開くはずの右目すらうっすらしか開かないのに、ものもらいになった左目は開くことを拒んでいるかのようだった。
そのまま睡魔に襲われて、私は二度寝をした。
何とか起きて、鏡を確認すると目が半分しか開いていないブッサイクな自分がいた。
「うっわぁ……この顔面で学校に行きたくないなぁ」
そう思った私は、昨夜買ったものもらい用の目薬をさして、ガーゼをあててテープで固定する眼帯スタイルで学校に行くことにした。
目がぱっちり開かないというだけで、他には特に支障はなかったので(多少見えにくくはなっていたが)左右ちゃんと見えている状態の方がやはり日常生活を送りやすくはあるのだが、こればかりは仕方ない。
多少の不便さより自分の顔面を隠したい気持ちの方が勝った。
幸いというか、もしかしたらこれがものもらいの原因かもしれないが、私は左目にかかるように前髪を流す髪型で普段過ごしているので、前髪が重い時は眼帯が隠れ気味だったから別に良かった。どこかの鬼太郎スタイルである。
学校で生活しているときも、学校に行くまでに歩いているときも、今日は四六時中この左目のことを考えていた。
先生に「目どうしたの?」と聞かれ、会う人話す人に今日はたくさんその質問をされた。
毎回同じ返答をするのが面倒だとも思ったが、眼帯をつけている特別感に自分自身ちょっと酔っていたし(特別カッコいいわけでもなんでもない)心配されていることに少しだけ嬉しくもあった。
目が見えないとこんなに違和感あるのか、とか
眼帯をしている自分を周りの人はどう思っているのだろうか、とか
光しか感じられない左目がもどかしかったり、何回もガーゼの上から目をうっかり触ろうとしてたり。
常に左目のことを考えていた。
午後に一回帰り、家に着いた瞬間に目のガーゼを取った。そうしたら、やはり物がよく見える気がして生活もしやすく、このまま誰にも会わず家で誰にも見られない顔で生活したくはあったが、用事があったので身支度を済ませた。
そこで、悩む。この快適生活をまたガーゼにより左目を使えなくして、違和感のまま夜まで過ごすのか、ブサイクを世間に晒しながら生活するのか。
昨夜は目が半分も開いていなかったのに、睡眠と目薬の効果で元の4分の3程度開いていたので、生活のしやすさを優先して夕方からは何も付けずに外を出歩いていた。
それはそれで、気になる。
左目の腫れでブサイクに見えるよなぁ……
会う人、すれ違う人がみんな自分の左目を見ている気がして、出歩きたくなくなってきた。
いっそのこと用事もすっぽかして家でまったりしていた方が精神衛生上よろしいような気がしてきた。また悩む。行こうか、行くまいか。
その用事というのも、少人数で学校も所属も違う色々な学生が集まってお話をするだけという、取り立てて行かなくてはいけないものでもなかったのだが、以前から気になっていたこともあり、衝動に任せて行ってみた。
そこの趣旨は、居場所の提供をして、参加者同士が各々好きなテーマを決めながら話し、聴くということだったが、思いのほか面白く途中から私は熱心に話を聴いていた。
ある人は「人ともっと仲良くなりたいけど、どう仲良くなっていいか分からない。話をしていても自分が魅力のない人間に思えてくる」と言い、
ある人は「就活でエントリーシートなどに趣味を書く欄があるけど、趣味がなくて困っていて、趣味をどう見つけたらいいのか分からない」と言い、
ある人は「上手く自分の思っていることが言語化できずに困っている」と言った。
私は最後に「あなたたちが学校で何を勉強していて、どうしてその勉強をすることになったのか」ということを参加者一人ずつに聞いた。
「高学歴な学校に入って、褒められたいから」「とりあえず大学に行けと言われたから」「消去法でやりたくないことを消していったら今のところになった」など、理由や経緯はさまざまで、それぞれに何かしらのきっかけや理由がたくさんあった。そういう「その人のそれまでの人生や経験」を聴くことが好きな私は開かない左目を考えることはせず、ただ目を見開いて真剣にその人たちの話を聴いていた。
帰っているときに、あの時間と空間では私は一切左目のことを考えていなかったな……とふと気付いた。さらに午後家を出る前よりも、左目の瞼が重くなくなっていることを感じて嬉しくなった。
心を開いて誰かの言葉に真剣に向き合おうとしたときに、それにつられて左目もきっと見開いていったのだ。
誰にどう見られてどう思われようと、自分にはその姿を見ることはできない。
大切なのは、自分がどうありたいのかという姿なのかもしれないなぁ、なんてぼんやりと思って夜空を見つめた。
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