プロフェッショナル・ゼミ

知らないことは、楽しいことだ《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:永井聖司(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
知らないことは、恥ずかしいことだ。
小さい頃からずっと、そう思っていた。
 
「それじゃー、先生に聞いてこようー」
学生時代の放課後、そう言って職員室に向かう同級生の姿を、僕はいつも不思議なものだと思って見ていた。
同級生たちは、授業や宿題でわからない所が出てきたら、それが当然の権利だと言わんばかりに、すぐに先生の元に質問に行っていた。僕にはそれが、不思議でならなかった。
『先生に聞きに行くなんて、恥ずかしくないんだろうか?』
口に出して言ったことはないけれど、いつも僕は、そう思っていた。
質問に行くなんて、『自分はバカです』と言ってるようなものじゃないか。僕は絶対にイヤだ。
そんな考えに頭の中を支配されていた僕は学生時代、ただの一度だって、先生の元に質問に行くことはなかった。教科書と参考書と、そこに載っている解説だけで乗り切っていた。
それで成績は、『そこそこ』だった。そこまで悪くも無いけれどすこぶる良いわけでもない、中途半端な状態。
そして『そこそこ』の僕の上にはいつも、決まったメンツがいた。それは、先生の元に質問に行く同級生ばかりだった。そう言えば、「先生に聞いたらここ、すんげぇよくわかった!」なんて、興奮気味に同級生が話していたこともあったっけ。
そんな姿を見ていた僕は、薄々勘付いてはいた。
質問しないままではいけない。わからないことがあったら素直に、先生の元に質問に行かなければ、知ろうとしなければいけない。そうしないと、今とずっと同じままだ。
いくらそうは思っても、僕の足が職員室に向かうことはなかった。
恥ずかしかった。
僕の、今思えばちっぽけなプライドが、質問に行こうとする僕の勇気を、いつでも踏み潰していた。
「こんなこともわからないの?」なんて言われたり、声には出さないまでも、出来ないことについて呆れるような表情を先生が浮かべたらどうしよう。
そんな恐怖と思考回路が、物心ついた時からずっと、まるで病気のように僕の頭の中には棲みつき、刻み込まれていった。
それは、社会人になっても長いこと治らなかった。
わからないことだらけで、先輩に質問しなければいけないことは十分すぎるほどにわかっている。それでも質問しようとすれば何かの呪文に掛かったように声が出なくなる。無理に話そうとすれば唇が震える、そして諦める。その繰り返しで結局質問が出来ずに結果、怒鳴られる。
「なんで聞かなかったの!?」
怒鳴られる理由は、いつも同じ。そして帰りの電車の中で、一人ぼっちの家の中で、落ち込む。
どうして、『質問する』なんて、簡単なことが出来ないんだろう。
何回何十回何百回と考えてみても出る結論はいつも同じ。質問をしよう。でも、何回何十回何百回と決意してみても、出来ない。
知らないことは、恥ずかしいことだ。そしてそれ以上に、知ろうとしないことは、もっと恥ずかしいことだ。
何度も枕を涙で濡らしながら、僕自身について、また不思議に思う。
 
知ることは、楽しいことだ。
そのことを知っているはずなのに、どうして僕は、知ろうとすることが出来ないのだろう。
 
大学時代、僕は日本美術史を学ぶゼミに所属した。
全く興味のないゼミだったし、ゼミ紹介をされた時に一番最初に候補から外したゼミだった。それなのに本当にひょんなことから、所属をすることになった。美術の名のつくゼミではあるけれど、日本美術『史』ゼミなので、実技はない、文献などを使った、美術に関する歴史の研究が中心だ。
それでも、僕にとっては苦痛でしかなかった。
そもそも絵はド下手で、名古屋城のシャチホコを描いたつもりが、『この、刺さってる物体は何?』と言われるレベルだ、魚とすら認識してもらえない。加えてゼミに所属するまで、まともに美術館に行った記憶すらない。そんな男の前でいきなり先輩たちが、平安時代の絵巻がどうだの浮世絵がどうだのと、しかも嬉々とした様子で話すのだ。ドン引きだった。何度もゼミを変わることも考えた。それでも一度入ってしまった手前、後から変わるとなればその分だけ研究期間が短くなるリスクなど考えていたら結局ズルズルズルズル日本美術史ゼミに所属し続けていた。
そんな風にまさしく惰性のゼミ生活だったけれど、1年2年と所属し続けてみればいつからか、自分でも気づかぬ内に風向きが変わってきていた。
ゼミの時間が面白い、と思える瞬間が、ポツリポツリと増えてきたのだ。
1年に数えるほどしかなかったそんな瞬間が、1ヶ月に1度に、そして毎回のゼミの度にと増えてきて、いつもいつでもつまらなそうにしていた自分の表情が喜びに変わっていることを、自分自身で確かに感じていた。
その要因は、知識が増えたこと、だった。
完全なる受け身だったゼミ生活だったけれど、それでも、その間にコツコツコツコツ蓄えられた知識のおかげで、絵の見方や作品の背景について理解することが出来るようになった。そしてその段階を超えると、一見無関係だった知識が、繋がり始める時がやってくる。
江戸時代のとある作品のルーツは鎌倉時代の絵巻にあるとか、浮世絵のとあるポーズは歌舞伎と関係があるだとか、知識がなければ気づけない『見えない糸』が、美術作品それぞれに、しかも無数に潜んでいる。その糸は時に作品同士を繋いだり作者同士を繋いだり、時には時代を超え、国境を超えてつながっている。しかしその糸の存在に気づけるかどうかは知識次第。だから、同じ作品を見るにしても、見る人の持っている知識量によって、作品を通して『見える』ものは違う。そのことに気づけてからは、今までと変わらないはずのゼミの時間の中で、得られる知識の量が格段に上がった。1つの作品を見てみても、その作品の背後や周囲に、関係のある別の作品が浮かび上がり、様々な想像が膨らみ、自分の中でまた新たな知識として蓄えられる。そのサイクルが回り始めると得られる知識の量は回を追うごとに増大し、そして同時に、楽しいと思える充実した時間も増えてくる。
すると自然と、僕が美術館に通う回数も増えてくる。まるで『新しい知識』というニンジンを目の前にぶら下げられた馬のように、新たな知識を欲して美術館に通いつめ、果ては美術検定なる資格をとってみたりする所まで至った。
知ることは、楽しい! もっともっと、もっともっと知りたい。そうして、知ろうとすることのサイクルが最高潮まで高まり、周りの景色すらちゃんと認識できないほどのスピードまで上がってきたと思った矢先、冷水が浴びせられる。
 
この作品は、何だ?
美術の世界は海のように、あまりにも広く、そして深い。
いくら勉強した気になっても、知識が増えたと自分では感じたとしても、自身が今持っている知識では全く太刀打ちできない作品がどんどん目の前に現われ、そして僕の横を通り過ぎていく。全てについて知りたいと思う気持ちはあっても、そこまで時間も労力も掛けていたら人生なんてあっという間に終わってしまう。そんな風に思えば、僕が通ってきた道の後ろに、見捨てるしかなかった作品がうず高く積まれていくのを感じ、悔しいような後ろめたいような感情が湧き上がってくる。その感情は、素晴らしい展覧会や作品を見た後には一瞬消えてなくなるのだけれど、その興奮が冷めればまた、姿を現す。
知識のある喜びと、ない悲しさ。
その両方を行ったり来たりしながら美術館に通い続けて数年が過ぎた昨年、そうした考えは間違いなのだと、とある作品群を見て確信した。
場所は、京都国立博物館、『国宝』展の、第一会場だった。その名の通り、『国宝』ばかりが集まった展覧会の冒頭で、僕は思いがけず、足止めを食らってしまった。
「おもしろーい……」
作品を見た瞬間、僕は思わず、小さく呟いてしまう。そして、目が離れなくなった。目玉ばかりの展示内容なので、一つ一つじっくり見始めたらキリがない。しかも事前に展示内容を確認した時は、もっと先にある別の作品をしっかり見ようと思っていたはずなのに、僕はその土器を、まじまじと見つめてしまっていた。ショーケースの周りを何度も回って全体をつぶさに眺め、時に近づいて細かい部分に目を凝らし、また一歩引いて全体の形を確認してみたりと、そんな動きを、何度も繰り返した。
それほどまでに、縄文時代の土器は、面白かった。
わからないことが、面白かった。
それまでにも、縄文や弥生時代の土器を美術館で見ることはあった。それでも、『自分には知識ないから』と心の中で言い訳をして、一瞥して過ぎ去っていた。でも改めてしっかりと見てみると、不思議で、面白い。
僕がその時見たのは、歴史の教科書にもよく載っている縄文土器、火焔型土器、と呼ばれるものだった。その名の通り、燃え上がる炎のような形をしていて、これが土器として、つまり僕たちが普段コンロで鍋を使うように煮炊きに使われていたのかと想像すると、激しすぎるデザインに笑ってしまいそうになるほどだ。
ただし、火焔型土器を見た時に僕にわかったことは、それだけだった。横に書かれていた解説も、年代がどうこうとか出土場所がどうこうとか書いてあるだけで、どうしてこんな形になったのかなどの背景についてはほとんど書かれていなかった。
普段なら、知識のある作品を見た時に見える、『見えない糸』が、それを頼りにして作品を見ている『糸』が、一本も見えなかった。それでも、どうやって見れば良いのだろう? と困惑した時間は、ほんのわずかだった。
何も知識がないからこそ、何もない、だだっ広い空間の中に、一気に僕の妄想が広がった。好き勝手に、根拠のない妄想が、次々と湧き上がってきた。その妄想の中では、過去に見たテレビや本や教科書に描かれていた縄文の人々が、イメージ通りの姿で、火焔型土器の周りを囲んでいる。獣の皮で作られた衣服を着ていたり、男性は上半身裸だったり、みんながみんな仙人のようなヒゲを生やしていたり。そんな人々が笑い合いながら、穏やかに食事をとっている。一方では、熱心に火焔型土器を作っている人の姿なんかも浮かび上がってくる。複雑で不可思議な文様を、悩みながら考えて作ったのか、それとも一種の職人技のように慣れた手つきで作ったのか。いくら考えても答えの出ない問題を勝手に作り上げ、自分勝手に答えを作り上げる。
その過程が、知らなかったからこそ出来た、今までと違う美術鑑賞が、楽しくてたまらなかった。
 
知ることは、確かに楽しいことだ。
でもだからと言って、知らないことを、バカにしてはいけない。知らないからこそ見える世界が、楽しめる世界が、この世にはある。しかもそれは、一度知ってしまったら二度と取り戻せない、短くて、とても貴重な世界だ。
自ら知ろうとしなかった頃の僕は、確かに馬鹿野郎だ。もっと早く、知ろうとすることの楽しさを知っていれば、知らないことの楽しさに気づけるのも、もっと早かったかもしれない。
でも、悔やんでも仕方がない。この速度で、この順序で、『知らないことは、楽しいことだ』と思えるようになった僕が見ている世界は、他の誰とも違う、僕だけの、楽しい世界だ。
 
この夏僕は、もう一度、火焔型土器に、会いに行く。
東京国立博物館で開催中の、『縄文ー1万年の美の鼓動』展。
1度知ってしまったから、前と同じようには、見られない。だからこそ、楽しみだ。
次に会う時、火焔型土器は僕に、どんな世界を見せてくれるのだろうか。
 
***

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