プロフェッショナル・ゼミ

もう一度、富士山に登りたい《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:松尾英理子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「今日は富士山、見えるかな」
毎日、電車の中から富士山を一瞬見ることのできるチャンスがある。毎朝乗っている通勤電車が多摩川を越える7時半頃、わずか1駅の間だけ、河川敷のはるか向こうに見えるかもしれない富士山。今日は見えそう、と思った日はドア横をキープする。こんなことをもう何十年も続けている。
 
富士山が大好きだ。理由は特にない。でも、見ることができると、なんだか幸せな気持ちになる。それだけだ。
 
一年中、富士山チェックをしていると、夏は本当に富士山が見えづらいことがわかる。特に、これから8月までの暑い夏の間は「全く見えない」確率が80%以上だろうか。週5日通勤していて、1日でも見えたらラッキーなのだ。夏に比べると、冬はとてもよく見える。2日に1回くらい、それも雪がキレイにかかった、見た目完璧な富士山が見える。
 
夏の富士山には当然雪がない。赤黒い山肌一色、ノーメイク状態の富士山だ。夏のすっぴん富士山が見ることができた朝は「ラッキー!」と心の中で1人ガッツポーズをしてしまう。今日はいい1日になるかもしれない、なんて思うのが私の最近の日常の幸せだ。
 
そんな貴重な夏の富士山を見ると、毎年思い出すことがある。今から20年近く遡る。
30歳を前にした私たちは「やっぱり年には逆らえないよね」なんて歳のせいにばっかりしていた。見た目の衰え、体力の衰えを最初に実感することになるのが30代手前。正直、今の年齢からすれば、その当時感じていた変化はかなり些細なもので、まだまだ全然体力も見た目もイケてたはずだが、20代前半のピークから最初の落差を味わい、その変化を心も身体も、もろに感じ取ってしまっていたのかもしれない。
 
「30歳記念に富士山登らない? もう体力どんどん落ちてるしさ、今のうちに登っておいたほうがいい気がするんだよね」
 
高校卒業後も頻繁に会っていた仲のよい友人を誘うと、友人は私の誘いに乗ってくれた。何を持っていけばよいか確認しあったり、買物に出かけたり。中高時代の遠足を思い出して気持ちがはしゃいだ。
 
登山初心者なので、ガイド付きの富士山ツアーに参加することにした。当日バスに乗り込むと、参加者は私達くらいの女子だけでなく、親子、中年夫婦など10代から60代まで老若男女40人くらいが集まっていた。バスの中で簡単な自己紹介が始まると、ハイキング気分で気軽に参加を決めた人がほとんどで、楽しくツアーは始まった。5合目まではバスで行き、実際に自分の足で歩くのは、そこから先の山道のみ。8合目で山小屋に一泊して、明け方に出発し頂上を目指すというものだった。
 
昼過ぎに5合目の富士吉田口に到着。いよいよ出発だ。7合目の手前までは、ひたすらダラダラした登り坂。全員が笑顔で楽しく会話しながら登り、私と友人も話に花咲かせた。でも、7合目を過ぎたあたりから、急に険しい岩場の登りになった。かなりゴツゴツした岩で、ところどころロープが張られていて、それをつたって登る。大股で足をかけて、片方の足をあげる。その繰り返しはかなりきつく、1人がてこずると行列になってしまう。このあたりから、ツアー客の顔には笑顔がなくなっていった。
 
8合目の山小屋に着いた頃には、もう辺りかなり暗くなりかけていた。登りはじめてから約6時間。夜6時くらいだっただろうか。山小屋は眠るところというよりも、酸素が薄い常態に慣れるために一時滞在をするところ、という感じの簡素な大部屋宿だった。大きな柱を境に男女分けられ、自分のスペースは畳一畳もない。薄いマットと固い毛布を受け取り、リュックから寝袋を取り出して置いてみると、隣の人とのスペースはほぼなく、重なりあうようにして寝る感じだ。
 
簡単な夕食を取りながら、ガイドは私達に伝えた。
「慣れない場所でなかなか寝付けないかもしれないですが、出発は深夜2時。あと7時間後です。とにかくたくさん寝れば寝るほど、頂上まで有利です」
 
こういう時、私は有利だ。どんなところでもすぐ寝られるからだ。林間学校や修学旅行、いつも一番乗りで寝ていた。この日もあっという間に眠りにつく。こんな鈍感力抜群の私に対し、友人はほとんど眠れなかったらしい。いびき、歯ぎしり、寝言など、安眠妨害のフルラインナップだったみたいで、眠るどころか、音が気になって頭が痛くなってきたと言う。
 
目覚ましをかけた深夜1時半よりも少し前に雨音で目が覚めて、外を見ると激しい雨。風も強いし寒そうだ。他のツアー客もごぞごそと起きだして、出発の準備を始めていたら、ガイドが私達に説明を始めた。
 
「思った以上の悪天候です。このまま登っても、恐らくご来光は拝めないし、頂上から景色を見ることもできないでしょう。ここからの登りは、ひたすら急でこれまでで一番ハードです。頂上までだいたい2時間くらいですが、この悪天候だと3時間かかる可能性もあります。長年ガイドをやってきましたが、今回はオススメできません。でも、どうしても登りたい方がいらっしゃれば、万全を尽くしてお供します。体調に少しでも不安のある方はやめてください。勇気ある決断をお願いします。富士山は逃げてなくなりません。また必ずチャンスはあります」
 
えー、そんな……。せっかくここまで来たのに。頂上まで行かないなんて選択肢は私にはなかった。でも、友人は言った。「私は、やめておくよ。少し頭痛もあるし。でも、行ってきていいからね。下で待ってるから」
 
この時、少しでも「一緒じゃないと行く意味ないから」という気持ちが芽生えたらよかったのに、と思う。でも、残念ながら「ここまで来たのだから、絶対に登ってやる」という気持ちしか沸かなかった。
 
「ごめんね、ありがとう。それじゃ、私は行ってくるね」と即決した。結局、ツアー客40名近くのうち、頂上に登ることを決めたのは、8人だけ。しかも、連れを置いて単独で登るのは私だけ。一緒に登るか、一緒に登らないか。普通はこの二択。修行ではなくレジャーで参加しているのだから、普通の感覚なら、それが当然だ。
 
雨風がさらに激しくなり、ガイドはちょっと様子を見ましょう、と言って午前3時まで待機した。少しだけ弱くなったところで山小屋を出ると、風が強い以上に強烈な寒さを感じた。真夏なのに、8合目から頂上付近は、恐らく2-3度くらい。岩場を登るために軍手をしてスタートしたが、すぐに雨に濡れ凍りつき、手が冷たく痛い。空気もどんどん薄くなってきた。もう、辛い以外の気持ちはなかった。でも、ガイドの「あとちょっと」という掛け声で頂上まで登りきった。
 
「ああ、やっぱり何にも見えない」
ガイドの言ったとおりだった。10メートル先でさえ見えにくい濃霧で、頂上の平地でも手探りで前に進む感じだった。頂上にある売店を見つけ、温められたカップ酒を買う。売店内のベンチに座り、山小屋から持ってきたお弁当を食べながら、1人飲んだ。普段よりアルコールを強く感じる日本酒が心と身体に染み渡っていく。
 
登ったはいいけど、達成感どころか晴れがましい気持ちが沸かない。
「友人を残してまで登るべきだったのかな」
 
日本酒を飲みながら、急に後悔の念が私を襲った。八合目で決断を迫られた時は「せっかく来たのにもったいない」と思って即決してしまった。でも、私は登山家じゃないし、「富士山に登る」という事実以上に、「登山を友人と一緒に楽しむ」ことが大事だったんじゃないか。であれば、一緒に下山して女子トークを楽しみ、来年リベンジしようね! って話して、一緒に温泉でゆっくりすればよかったのかもしれない。そう思ったら、友人に申し訳なくなってきた。下山にかかった時間はだいたい3-4時間だったろうか。景色も何も楽しめない天候の中、無心で歩き続けた。
 
5合目で友人と再会した。
「ごめんね」
 
「なんで謝るの? 謝ることなんて全然ないじゃない。逆にすごいよ、こんな天気の中で登ったなんて。ホント、お疲れ様。私は勇気出なかったから。1人だけでも登ってもらえてよかったよ」
そう言ってもらえて、ちょっとだけ安心して、ツアー最後の温泉では仲良くお湯に浸かって疲れを癒した。
 
帰りのバスの中、もうすぐ新宿駅到着という時に、ガイドが私達に向かって、心に響くメッセージをくれた。
「登ることのできた8人の皆さん、本当にがんばりました。お疲れ様でした。でも、登らなかった皆さん。皆さんの決断も素晴らしいものでした。その決断に、僕は拍手したいです。山の天気は読めません。富士山に何十回も登っている私でも、先が読めないこと、予想できないことがたくさん起こります。だから、勇気ある決断がどれほど大事か身にしみて感じています。今回の天候の中で登った富士山は本来見て欲しかった富士山ではありません。だから、今回登った人も登れなかった人も、必ずまたチャレンジして欲しいと思います。その時は、本来の富士山のご来光の素晴らしさ、頂上からの景色を見てもらえることを願っています」
 
 
あれからもう20年。すごく昔の思い出だ。なのに、どうしてそんな昔のことを、最近のことのように克明に覚えているのだろう。きっとそれは、やり直せるのならやり直したい思い出だからなのだと思う。
 
極上のワインを、その美味しさを誰とも分かち合うことなく、自分1人で1本空けてしまったら、美味しさを感じることができなかった。飲み直せるなら飲み直したい……。そんな感覚と似ているかもしれない。
 
年に100本近くワインを飲んでいるけれど、高価なワインを空ける機会は年に数回。でも、その機会がどんな昔のことだったとしても、誰とどんな愉しい気持ちで飲んでいたかの記憶が鮮明に残るワインがある。でも、残念ながらそのタイミングで飲まなきゃよかったなあ、と思えるワインもある。その違いは、ワインの中味以上に、そのワインを一緒に飲んだ「人」なのだ。飲んで感じたことや幸せな気持ちをとことん伝え合って愉しむからこそ、そのワイン1本の記憶がずっと心の中に残り続ける。だから私は、極上のワインを空ける時は、一緒にその喜びを分かち合える人達と飲みたい。ワインはその銘柄自体を飲むものではなくて、一緒に飲んだ時間や気持ちを味わうものだからだ。
 
確かに私は20年前に日本一の山、富士山に登った。でも、登れたね! と頂上で喜びを分かち合う仲間もいなかったし、いい景色だね! と一緒に感動することもできなかった。これ、登っていないに等しいと思う。富士山に登りたかったのは、富士山に登った事実を作ることじゃなかったはずだ。ワインと同じ、一緒に登った人と共に、その楽しさと喜びをシェアすることだった。
 
来年はもう50だし、ムリかな。いやいや、ムリじゃない。来年、友人を誘ってみよう。本当の富士登山に。
 
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