フリーランスとしての生き方は、野草が教えてくれた。《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:大国 沙織(プロフェッショナル・ゼミ)
どうやって食べていくか考えるとき、もう「就職」という形に捉われなくてもいい。
「フリーランス」という生き方が、以前ほど特殊なものではなくなってきている。
自分の好きなこと、得意なことから仕事を生み出せる。
これは世界の歴史から見ても、恵まれた時代だといえるかもしれない。
働いている会社を辞めて独立する人も少なくないし、大学卒業後、どこかに勤めることなくフリーランスになる「新卒フリーランス」という働き方も耳にする。
「大学を出たら就職する」というレールの上に、必ずしも乗る必要はない。
それでも、なかなか内定がもらえない大学生の「就活自殺者」が増えているというニュースは、毎年のように聞く。
私は「就活→大学卒業→就職」というテンプレ的な流れに違和感を感じてしまい、就活には身が入らなかったのだけれど、不採用の烙印を押され続けることは、きっと想像以上に堪え難いことに違いない。
実際、なかなか内定が取れず苦しむ友人を横目に見ながら、果たしてそんなに辛い思いをしてまで就活をする意味があるのだろうか、と思わずにはいられなかった。
しかし、真面目に就活の波に乗り切れなかった自分にどこか欠陥があるような気もして、後ろめたい気持ちを残したまま大学院に進んだのも事実である。
大学院では、私の所属する研究科は院生の半数以上が社会人で、実にさまざまな働き方をしている人達と出会うことができた。
「フリーランス」という可能性が、自分の中でリアルに浮かび上がってきたのも、このときである。
どこかに勤めなくても自分の力で食べていけるんだ、という何人分もの生きた証拠に触れたことで選択肢が広がり、目の前が一気に明るくなった気がした。
けれど、実際に就職するかフリーランスになるかは、かなり悩んだ。
大学生の頃は、「普通に就職した方がいいよ」と言われることがほとんどだったのに対し、大学院では「やりたいことがあるならフリーランスになったら?」とか、「あなたは会社員向いてないと思うよ」とアドバイスされることの方が多かった。
当時、大学院の研究と平行して料理家やライターの仕事をしていたこともあり、そのように言ってもらえたのだと思う。
でも、「なんの経験もない若者が独立しても、社会的信用がないのではないか」「もし、全然仕事が来なかったらどうしよう……」など、もちろん不安はいくつもあった。
会社で働くならば、新卒の方が圧倒的に採用されやすいのも事実だ。
フリーランスでうまくいかなくて、じゃあ会社で働こう、と思っても難しいかもしれない。でも、もし会社でダメだったら、そのときはフリーランスになろう。
今思うと単純だが、結局はそんな結論に達し、都内の出版社に就職した。
結論から言ってしまうと、私は予想よりはるかに早く、たった半年で退職することになる。
希望していた憧れの職種だっただけに、仕事自体はとても充実していて楽しかった。
料理雑誌の編集業が主だったが、書籍の校正や取材をさせてもらえるようになったりと、新しい仕事をどんどん任されるのが喜びだった。
雑誌の担当ページも順調に増えていった。
けれどまもなく、自分が性格的に会社員向きではないと痛感するようになった。
何の問題もなく会社に勤めている人からしたら、「そんなことぐらいで」と思われてしまうかもしれない。
でも、毎日決まった時間に、決まった場所へ通勤することがとても窮屈で、苦痛で仕方なかった。
人間関係の悩みも絶えず、「肌荒れひどいけど大丈夫?」と心配されるぐらい、外側もボロボロだった。
肩懲り、腰痛、眼精疲労、そして、ひたすら締め切りに追われる日々。
当初は頑張るためのスパイスとさえ感じていた締め切りも、ストレスの多い環境下ではさらにプレッシャーになるだけだった。残業しても仕事が終わらなくて、こっそり家に持って帰って取り組むことも多々あった。
あの頃は、まともに寝たり、食べたりしていなかった気がする。
そのうち、食べ物の味がわからなくなった。
何を食べても、紙を食べているようにしか感じない。これは致命的だった。
担当ページに載せるレシピを考案したり、クライアントの商品を試食して、それについての記事を書いたりする必要があったからである。
味が分からないことをどうやってごまかそう、そして仕事をどのようにして乗り切ろう。
もし味覚障害になったことが周りにバレたらどうしよう、クビになるのかな……。などと考えては、いつもビクビクしていた。
これは仕事に支障が出るだけでなく、精神的にもかなりこたえた。
食べることが大好きな私にとって、美味しいものを味わえないことは、貴重なリフレッシュの時間を奪われたも同然だった。
味覚を失ったのに、胃は常にキリキリと痛んでいた。舌にあった神経細胞が、一つ残らずすべて胃に移動したんじゃないだろうか、と思うぐらいに。
ある朝目覚めたら、金縛りにあったように身体が動かなくなっていた。
這うようにしてどうにか身支度をするも、玄関で座り込んでしまい、涙が止まらない。
「もう限界だ……」と思い、そのまま逃げるようにして会社を辞めた。
いま振り返ると、あのときこうしたらよかったなぁと思うことは、いろいろある。
入社した当時、ここで一年は頑張ろう、と決めていた。
どうして一年かというと、なんとなくキリがいいし、とりあえず一年経験すれば、一通りの社会常識や仕事のノウハウも身に付くのでは、となんとなく思ったからに過ぎない。
私はこの「一年」という数字に無性にこだわっていて、それまではどんな辛いことがあっても、決して辞めない、辞めてはならない、と思っていた。
どこへ行ったって、どんなに好きなことを仕事をしたって、多かれ少なかれ、辛いことはあるだろう。
自分の選んだ環境で、一年さえも耐えられないなんて、きっとどこへ行っても何をしてもうまくいかない。
こんなに早く退職するなんて、大学院まで出ておきながら情けないし、みっともないし、社会人失格な感じだ。
そう思い込んでいたので、心身に不調の兆候があらわれても、無視し続けていた。
多少体調が優れなくても、仕事を優先して頑張るのが大人だし、社会人としての最低限の務めだと思っていた。
こんなに視野が狭くなってしまった原因としては、一人で抱え込み過ぎていたせいもあるだろう。
当時の私は、「自分のトラブルは自力で解決しないと」と思っていたけれど、もっと早く誰かに相談したらよかった。
大丈夫なフリをせず、周りの人に正直に打ち明ければよかった。
大人だって、もっと人に頼ったり甘えたりしていいのだ。
私も、大切な人が悩んでいたら力になりたいし、そうやって助け合って人は生きていくのだろう。
割と早い段階でそのことに気付けたのは、怪我の功名というか、財産だなと思う。
そんな訳で、今の私はフリーランスとして仕事をしている。
といってもすぐには働かず、しばらくは実家でひたすらゴロゴロして過ごしていた。
何もせず、何も考えずにとにかく休みたかったのだ。
ずっとこのまま一生やる気が出なかったらどうしよう……と思ったけれど、そのうち元気も出てきて(もちろんごはんも美味しく食べられるようになって)、何もしないでいることに飽きてくる。
趣味で書いていたブログを再開したら、そこからwebメディアの記事の執筆を頼まれるようになった。
たまたま昔通っていた料理教室に、レシピ提供をさせてもらえることになった。
もう働きたくないとさえ思っていた私は、気付けば、少しずつ活動するようになっていた。
やっぱり、自分のしたことで人の役に立つのは嬉しいし、喜んでもらえるとこちらも幸せな気持ちになる。
この癖になるような達成感は、おそらく仕事でしか得られないものだ。
かくして私はフリーランスとしての道を歩みはじめたのだが、フリーランスになろうと思ってなったというよりも、結果的にそうなるしかなかった、というのが正直なところだ。
とあるフリーランスの先輩は、「会社で働けない人はバイトで働き、バイトでも働けない人がフリーランスになる」と言っていたが、本当にそんな感じである。
組織の中で働くのがしんどい、といういわば消極的な理由でこの働き方を選んだので、「なぜフリーランスになったの?」と聞かれるたびに、なんとなく堂々と答えられない自分がいた。
けれど、会社員の頃には接点がなかったような人達と出会ううちに、私と同じように「組織で働くのが向いていない」人は、案外少なくないことがわかってきた。
「会社を辞めたいけど、どうしたらいいかわからない」と悩んでいる人も、意外と結構いる。
そんな人には、月並みだけれど、「両方やってみてから選んだらいいんじゃない?」とアドバイスしたい。
おそらくこれは、単純に向き・不向きの問題だから。
人間はおそらく、野草と同じだ。
田舎の実家に帰ってきて、こんなにも四季折々の野草が、何もしなくても自然に生えてくることに驚いた。
家の横にある畑仕事を手伝っていると、彼らの生命力にはつくづく脱帽する。
抜いても抜いても、めげることなくどんどん生えてくる。
当初は、育てている野菜を守るためにひたすら抜いていただけの野草(このときは雑草としか捉えていなかった)だが、あるとき「これも食べられるのでは?」とふと思った。
そういえば祖母も、食べ物のない戦時中はよく摘んで食べていたと言っていた。
戦後豊かな生活ができるようになってからも、特別な日には野の草を摘んで、草もちをこしらえたそうだ。
今では「野草料理」というジャンルもあるぐらいだし、なんなら高級料亭でも、季節の野草が美しくあしらわれていたりする。
とはいえ、食べられる野草と毒草の見分け方は、素人にはちょっと難しい。
料理教室や本などで学んでいくうちに、野草の世界の奥深さに驚き、あっという間に夢中になった。
一口に野草といっても、種類によって姿形や性格が全然違うのだ。
葉の丸い子、ギザギザな子、香りの強い子、胞子を飛ばしまくる子。
日向が好きな子、日陰を好んで生える子、綺麗な水辺じゃないと生えない子、コンクリートの割れ目でもたくましく生えてくる子。
そのうち、「今の時期なら、三つ葉があの当たりにたくさん生えているかも……」など、大体の見当が付けられるようになってきた。
ちなみに三つ葉は、日陰を好んで生える野草である。
家のちょうど日陰になるところにたくさん群生して生えているのだが、野草を学ぶまでは、そのことにさえ気付かなかった。
むしろ、じめじめしていてあまり気持ちがよくなかったので、あえて近寄らなかったような場所だ。
実は、宝の山だったとは……。灯台もと暗し、である。
三つ葉は、買うとなかなかの値段がする。
それにお腹にたまるようなものでもないので、買うのはお正月やひなまつりなど、特別なときだけ。
年に数えるほどしか食卓に上らない、ごちそうだったのだ。
それが、家の横に山ほど生えていると気付いてからは、「三つ葉のおひたし」なんて贅沢な食べ方ができるようになった。
もちろん、汁物に入れると、この上なく香り高い。
三つ葉だけではない。よもぎ、ふき、せり、はこべ、つくし、ゆきのした……。
名も知らなかったような数々の野草と出会えたおかげで、食生活が一気に豊かになった。
彼らは、私達人間のために生えている訳ではないだろう。
「いやぁ、どうしても人間に食べられたくて!」といって生えてくる野草はきっといない。
私が、勝手に食べられる草を見つけて、勝手に摘んで食べて、喜んでいるのである。
けれど野草のおかげで、私は人生が何倍も楽しくなった。
日本の四季の豊かさ、それを享受する喜びを感じられるようになった。
だって、面白いじゃない、その辺に生えている草を、料理という少しの工夫で美味しく食べられるなんて。
草は、もともと小さな種が地中にあって、ただ生えたくて、そこに生えてきただけだ。
でも、ただそこに存在しているだけで、立派に役に立っている。
私が摘んで食べなくても、地中の微生物を育んだり、土の極端な乾燥を防いだりと、自然界全体のバランスをとってくれている。
人間も、それと同じだ。
会社というチームの一員としての方が活躍できる人もいれば、一人で活動した方が力を発揮できる人もいる。
どっちがいい悪いではなく、それぞれの個性だ。
フリーランスとして成功するのは、何か抜きん出た才能に恵まれている、いわば一握りの天才だけなんじゃないかとどこかで思っていた。
でも、それはたぶん違う。
一人一人が、それぞれの能力や発想を、伸び伸びと活かせる環境を見つけることができればいい。
そうしたらきっと、結果は後から自然とついてくる。
野草たちが教えてくれることは、本当に計り知れない。
一見ひょろひょろした草に見えても、根を引っこ抜いてみると、びっくりするような太くて立派な根が出てきたりする。
基礎や場数という根をしっかり張っていけば、それが枝葉となり、花を咲かせ、種をつけるだろう。
種は、風に運ばれて、次の年にまた新しい土地で根を張れる。
働き方に悩んだらぜひ、下を見ながら歩いてみてほしい。
いつもの散歩道や公園、川の土手……。至るところで彼らは、私達を応援してくれている。
フリーランスとしてバリバリ食べていくには、都会で頑張らないと、と思っていた。
実家に帰ってきたのは、一時的な休養のためでしかなかったし、元気になったらまた地元を離れるつもりでいた。
でも私は、さまざまな野草の咲き乱れる、じゃなかった生え乱れるこの場所が、すっかり好きになってしまったのだ。
人生って、本当にわからない。
これまでずっと素通りしてきた、田舎の大地にしっかり根を張る野草たちが、フリーランスとしての生き方のヒントを教えてくれたのだ。
彼らには、感謝してもしきれない。
愛しの草たち、本当にありがとう。
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