彼女のふつうは何色だろう?《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:ほしの(プロフェッショナル・ゼミ)
「殺されちゃったら、このスマホ、海に投げ捨ててくださいね」
「やめてよ! 殺されないでよ!」
わたしがそう言うと、Yちゃんはニヤニヤしながらビールを飲み干した
「考えてみてよ。殺されちゃったら、ふつうスマホには犯人の手がかりとか残ってるもんでしょ。捨てちゃだめじゃん。犯人つかまんなくなっちゃうじゃん」
「まぁそうですけど、この中にある情報を親に知られずに葬り去るのが、わたしのできる最後の親孝行だと思うんですよ」
なんちゅー親孝行だと思ったが、たしかにそれはその通りかもしれないとも思った。
Yちゃんは一言で言えば自由なオンナだ。
彼女は前の職場の後輩だった。数年前、お互い派遣社員として働いていた。出会った当時、彼女は20代後半。仕事をしながら大学に通い、学業との両立を果たしていた。見た目は派手すぎず、かといって地味すぎず、仕事覚えもよく、適度にテキパキと、でもこっそり迷惑がかからないところは手を抜いたりする。そんなところも含めて、彼女の振る舞いは好感が持てた。すべてがほどよくバランスが取れていた。優等生すぎないところがまたいい感じなのだ。出会ってすぐにこの子とは友達になれるだろうなぁと思った。
思った通り、少しずつ私たちは仲良くなっていった。そのうちお互いの本音や私生活の話がではじめたあたりから、Yちゃんの真の姿を知ることとなる。
自由なオンナ。その自由さはすべて好奇心と結びついている。
特に、セクシャルなことについて、彼女はとことん自由だった。
そんな風には全然見えないのにだ。
「彼氏さんと何年付き合ってるんですか? わたし同じ人と毎日セックスできないんですよねぇ。飽きるんです」
おいおいおい。
わたしが同じ人と毎日セックスしているかどうかは別として、このご意見はなかなかドキッとする。
「毎日違う人なら、いけます」
この「いけます」がどういう「いける」なのかは、生々しいのであえて突っ込まなかったが、彼女はそれをほぼ実践していた。
同棲している彼氏のようなものはいたのだけれど、週に2、3人の他の男子とデートをしている。
仕事も勉強も忙しいので、毎日お相手を取り替えることはなかったけれど、それでもなかなかのペースである。
「彼はそのこと知ってるの?」
「知らないですよ。全員知らない。別に伝えることでもないし。でも、最近一緒に住んでる彼はなんか詮索してくるんですよね。もう別れようかなー」
これだけ聞くと、彼氏がかわいそうな気もしてくるけれど、彼女と話をしていると、もともと常識だと思っている、いわゆる「ふつう」が果たしてそうなのかなという気持ちになってくる。
Yちゃん曰く「同棲している彼とは同棲はしているけれど、他の人とセックスはしないという約束は特にしてないです」とのこと。
ふつう、好きだという気持ちを確認しあって同棲したふたりは、他の人とセックスをしたりしないし、しちゃいけないものではないか。
でも、たしかに彼女が言うように、そんな約束はしていない。
結婚式で誓いの言葉を述べたわけでもなければ、一夫一婦制の法律を守る婚姻届を出したわけでもない。
いつ誰とどこで何をしようか、自由だというのはわかる。
そしてお相手がそれに対して、不快だというのなら、じゃあお別れしましょうということでそれを解消するのだから、考えようによっては、なんだかいさぎよい。
そもそも「毎日おなじ人とセックスをして飽きないか?」という質問は、ふつう、タブーなのではないか。
愛し合って一緒にいるふたりがそういう行為をする場合、そこに飽きる飽きないというモノサシがあってはいけないような気がしてしまうのだ。
行きずりの関係ならそれはありかもしれない。刺激の強さ、楽しさならもちろん「飽きる」という感覚はぴったりとはまる。でもステディな関係においては、行為としてはおなじことをしていて、そこには刺激もあるにもかかわらず「飽きる」という一言で済ますことができないモヤモヤした感じがある。
このモヤモヤの正体はたぶん「愛」というものなのだろう。セックスは刺激を求めるだけではなく、お互いの愛情を確認するための行為でもあったりするはずだ。
だから、わたし自身、彼氏に「飽きた」と言われたらひどく傷つくだろうし、彼もまたわたしに「飽きた」と言われたらひどく傷つくだろう。
「あなたのことは好きだけど、セックスは飽きた」とはなかなか言いにくいし、愛があれば「飽きる」という感覚で語ってはいけないものなのだとどこかで思っている。
ふつう、セックスは飽きるという言葉で語る種類のものではないのだ。
しかしながら、このふつうは、たぶん建前だ。
実際セックスレスの夫婦が多いのがその証拠ではないか。わたしの友達にもそういう夫婦がいるけれど、或る日突然レスになるのではなく、
「気がつけば随分していないなぁ、今更もうなぁ」という感覚らしいのだ。
「あなたのことは好きだけど、セックスは飽きた」とは言えない、お互いを傷つけたくない優しさみたいなものが、この自然消滅的現象を生んでいるように思える。
悲しいかな、肉体的、物理的な行為はやっぱり飽きるということがあるというのが真実のように思える。
Yちゃんはその事実から目をそらさない。
セックスは楽しみたい。けれど、おなじ人とだと飽きる。なので相手を変える。結婚も含め、ずっとあなたとだけ一緒にいるという約束はしない。
ある日Yちゃんに
「本当に好きな人ができたら、そういうのも変わるんじゃないかなぁ」
と言った職場の先輩がいた。
「そうですねー」とYちゃんはニコニコと聞いていた。それをみながら、たぶんYちゃんは全然「そうですね」なんて思ってないだろうと思っていた。その正しい忠告をくれた先輩が休憩室から出て行くと、
「本当に好きってなんですかね。わたし本当に好きですよ。男の子たちのこと」と言った。
ふつう、ほんとうに好きな人ができたら、他の人を好きになんかならないのだ。ふつうは。ひとりだけに夢中になるものなのだ。ふつうは。
この「ふつう」は本当なのだろうか?
この「ふつう」は誰が考えたものなのか?
「おっパブの体験入店してきました」
ある日のYちゃんの報告だ。
おっパブとは、おっぱいパブと呼ばれるエッチなお店のことである。
派遣先は副業オッケーだったのだが、たぶんこれはしっかり会社に知られるとアウトだよなぁと思いながら、Yちゃんの話を聞いた。
「なんでまた、おっパブなのよ?」
「楽しそうじゃないですか? キャバクラより。しかもおっパブのほうが時給高いですからね。その店はおっぱい触らせるところまでですし」
楽しそうかとの問いに対しては、楽しそうねとは答えなかったけれど、彼女のおっパブの説明は面白かった。聞けば、おっパブにも様々な営業方法があるらしい。わたしはおっパブというのは、おっぱいを出したお姉さんが接客をするキャバクラで、時々おっぱいを触られたりするところだと思っていたのだが、それ以上のサービスを求められるお店もあるらしい。お客さんとのディープキスとか、下半身まで触られてしまうだとか、なかなか激しい内容だ。
「どんな店かはちゃんと調べましたよ。求人サイトの説明書きには本当のこと書かれてないですから。ちゃんとお客さん用のサイトをみないとダメです。これは鉄則です」
たぶんこのアドバイスは今後も使わせていただくことはないだろうけど、なるほどなぁと思った。
「Yちゃんおっぱい大きいしね。わたしの貧乳では書類面接で落とされるわ」
「そんな大きくないですよ。実際面接でもそんなでもないって言われちゃいましたしね。でもまぁ店には出させてもらいましたけど」
「で、どうだった?」
「お客さんも特に可もなく不可もなく。お行儀よかったですけど、話していて面白いひともいなかったし、もういいかなぁって感じです」
Yちゃんのおっパブへの好奇心は1日で満たされてしまったらしい。そこに集まってくるお客さんたちが楽しければ、それはさらに続いたのかもしれないけれど、今回はおっパブのシステムだけを堪能して、それ以上は自分にはいらないと判断したようだった。彼女はお金が目的ではないので、この判断も実に合理的でスパッとしている。
好奇心を満たすという楽しみで動いているので、何かを我慢したりして自分を傷つけるようなこともしないのだ。
おっパブの説明を興味津々に聞いていたわたしの好奇心も満たされた。たぶんわたしも彼女に似ているのだと思う。面白いことがあったら覗いてみたい、体験してみたい。それが自分を突き動かしている。
じゃあなぜ彼女はおっパブに体験入店できて、わたしはできないのか。もしわたしが貧乳でなかったら、おっパブの扉を叩いているのか。答えは否だ。
わたしは子供のころからひとの目がひどく気になる子だった。
幼稚園児くらいのころ、電車の中で母親から話しかけられて「静かにしてほしい」と言ったことがある。電車の中でうるさい子供だと他の乗客から思われたら恥ずかしいと思っていたのだ。母親は何を言っているんだという顔をしていたが、わたしは真剣そのものだった。ちゃんとした子供にみられたい。自意識過剰にもほどがあるのだが、すべてはそういうところからはじまっていた。
それは赤の他人はもちろんのこと、家族に対しても常に意識していた。なので悩み事を親に相談するなんてもってのほかだった。悩みを抱えている娘だと思われたくない。
親の前では、いつまでもある程度ちゃんとした娘でいたいという気持ちがあるのだ。とはいえ、結婚して子供も生んで、離婚も経験した。こうなるとカマトトぶるにも限界があるので、その足かせは少しは楽になったのだけど、やっぱりおっパブのハードルは高い。
わたしがおっパブの面接を受けたりしたら? そのことを親が知ってしまったら? 考えただけでもうお正月に実家に帰れる気がしない。
Yちゃんにそのことを言うと、
「うちの実家、鹿児島だからですかね」と言った。
距離の問題かよ。
でも少しだけ距離の問題かもしれない。それは物理的なことより、精神的な距離の問題。わたしは親ばなれできていないのかもしれないなぁと思った。
彼女は自分の人生に、自分の楽しみに、とことん向き合って、とことん楽しんでいる。誰の目も気にしない。誰の意見も気にしない。誰に迷惑をかけることもない。自分で自分のケツは拭くと言う。
正直、彼女の生き方を非難する人は多いと思う。自分をもっと大切にしなさいと忠告する人も多いだろうと思う。それがいわゆる「ふつう」だ。
けれど彼女はその「ふつう」を知っていてなお、それでも好きに暮らしている。誰かの「ふつう」に彼女は左右されない。
人の目ばかりを気にしているわたしにとって、Yちゃんは憧れの存在だ。
飛べないペンギンが、大空を自由に飛び回る鷲やカモメを見ている、そんな気分だ。でもそれは悔しかったり、羨ましかったりするばかりではない。
そもそもペンギンは飛べないという「ふつう」は、本当に「ふつう」なのか? もしかしたら飛べたりして? ってゆうか、わたしペンギンじゃなくて、ペリカンかも? そんな風に思うとちょっと愉快な気持ちになる。
「職場で友達なんか作る気なかったんすけどね」
ビアジョッキ片手に、Yちゃんが笑う。今は互いに出会った職場を離れ、先輩後輩でもなく単なる友達になったのだけれど、わたしが好感を抱いていた出会いの時期に、君はそんな風に思っていたのか。
それもまたYちゃんらしいのだけれど。
そして同時に、それでも友達になってくれたことがちょっぴり嬉しくもある。
これからも、空を飛び回ってばかりではなく、時々地上に降りてきてペンギンに知らない話を聞かせておくれ。そして時々はペンギンの話も聞いておくれ。
「まぁどこで何しててもいいんだけどさ。やっぱり殺されるのだけはやめてよね」
「そうですねぇ。まだやりたいことたくさんあるし」
Yちゃんは、どこまで飛んで行く気なんだろう。
その未来に幸多かれと祈りながら、自分の翼を見つめる。わたしもどこかに飛んで行ってみようかなと思ったりする。「ふつう」にとらわれているだけの人生なんてつまらないから。もちろん、そこは、おっパブじゃないところだけれど。
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