プロフェッショナル・ゼミ

僕に必要なのは、ただ「狂う」ことだった。《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:岡尾 哲兵(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 「あれさえあれば、これさえあれば」思い返せばいつもそんなことばかり考えていた気がする
例えば、英語。
日本にいても実際使わないから、上達は難しい。海外の仕事があれば……。
例えばプログラミング。
自己流は効率が悪いから、時間ができたらスクールに……。
例えば、筋トレ。
自己流は効率が……(以下略)。
 多くの人が挫折したことがあるであろうトピックではこの調子である。では、自分が好きだったり、得意だったりすることはどうだろう?
例えば、広告の仕事
コンシューマ向けの、誰もが知るような商品の仕事であれば、遊びの領域があって、もっと良いものが作れるのに……。
 例えば、小説。
あのブックガイドに書いてある古典を読んだら、書いてみようかな(書かない)……。
 例えば、音楽。
あの機材があれば、レコーディングに関するノウハウがあれば……。
あまり変わらないようである。
 
 小説以外の文章を書くことも、僕にとっては興味のあることで、自分としてはそんなに不得意ではないと思っている分野である。が、同じような発想で「どこがで学んだ方が効率が良いだろう」と考えて天狼院の門を叩くことになった。「天狼院の門を叩くことになった」というと、なんだか道場にでも入門するような趣があるが、そういうことではもちろんない。かなりユニークであはるが、本を売っているところ=書店で名物スタッフの方や、名物店主の三浦氏よりライティングの極意を教わるのである。
 具体的なノウハウは入ってからのお楽しみとして、全体的な印象としては「作法」や「姿勢」のようなものを中心に教わったように思う。ふむふむ、なるほどと非常に興味深く聴いていた。書く文章も、天狼院のメディアグランプリというWEBサイト上のコーナーで掲載されたり、近しい人からの評判も良かったりして、すこし有頂天になりつつ、楽しく書いていた。日常から観察眼を養い、多くの人が見過ごすものに違う意味を見出す。そしてそれを読者の気持ちになって書く。
 なんとなく「書く」ということがわかったような気がしてきていた。
 そう、普通のライティング・ゼミのときまでは。
僕は今、一歩進んでプロフェッシュナル・ゼミ向けにこの文章を書いている。
何が変わるかというと、大きくは文章量である。そしてフィードバックも三浦店主になり、より厳しいものになる。
 普通のライティング・ゼミのときには、2,000字程度の文章量であり、この分量であればわりとかけるようになってきていたと思う。それが今で倍増以上の「5,000字程度か、5,000時程度の感動量」を目指すことになった。
 感動量というのがミソで、ようは水増ししたり、余談を増やしてもだめで、ひとつのテーマでいままでの倍以上の量をつかって、読ませ、面白がっていただかなければいけないのである。
 2,000字というのは、自然にワントピックを書けば達成できる量で、アイデアさえあればなんとかなる量であると思う。思い返すと、通常のライティング・ゼミのときには大喜利でもやるような感覚で文章を書いていた気がする。
 「この発想なかったでしょ?」
 「こんなありふれた題材でこんなこと書くのええでしょ?」
的なスタンスが感じられる気がする。鼻につく。腹たつ。
 なにに腹が立っているかというと、5,000字の感動量という課題を前にしている自分からすると、2,000字に取り組む姿勢がなっていないからである。圧倒的になっていない。
 ノウハウを探そうとするところが非常に強い、自分の悪い癖がここでも出ているな、という気がする。「お前にたりないのは、そういうとこやぞ!」と過去の自分に言いたい。あれさえあれば、これさえあればと思っている自分の考える「あれ・これ」というのだけではたどりつけない地平があるのだと。
 今ではわかる。
僕に足りないのは「狂」である。
 
 ライティング・ゼミ受講生の方にはおなじみのワードだと思う。一般的な言い換えるとするならば、思いの強さ、意気込み、魂のようなものだろうか。なんだか急に陳腐な話になってしまったと思う向きもあるかもしれないが、本当にそうなのだ。
 このことに気づいたのは、長い文章に取り組んでいるということが大きな理由であるが、もうひとつ大きなきっかけがあった。
 
 僕は普段、広告制作の仕事をしている。パンフレットやポスターなどのグラフィックや、WEBサイトの方向性を決定し、デザイナーやライターへとつなぐ、いわゆるディレクション業務を主にしている。仕事によってはコピーを書いたり、取材原稿を書いたりすることもある。
 冒頭にも書いたが、一般の顧客向けの販売促進の仕事はしていない。だから余白があまりないというか、遊びごころのあるコピーはなかなか求められていないと思っていた。しっかりと「売り」を表現し、表現はあくまで堅く。文章はクリスプに。
そう、心がけて作っていたし、他のライターにも求めることは同じだった。僕は言いすぎている部分はないか、事実と違うところはないかをチェックし、クライアントの言いたいことを把握し、咀嚼し、落とし込むことに注力した。
 スタンスとしては間違っていないと思う。広告はサービス業であり、自分のやりたいことをやるところではない。
 
 僕が広告業界を志したのは、「これならできそうだ」と思ったからであった。学生時代には演劇専攻に所属し、音楽に夢中になっていた。匿名のブログを運営し、書くことも好きだった。結局、学生時代には何ものになれず、普通に就職することになったが、そんな自称「クリエイティブ」な人間が、実力に見合わない自尊心を傷つけずに済むような気がしたもの理由だった。
 もちろんネガティブな理由なだけではない。
 僕の幼少期には父が大きな会社にいたので、テレビのCMでその化粧品会社のCMを見ることがよくあった。その当時、広告の部署にいたらしく、そのCMに関わっていると聞くと、素直カッコイイ仕事をしているのだなあと思った。こうなると自然とCMに関心がでてくる。
 僕がまだ小学校に上がる前だったと思う。たしかマルイのクリスマス・正月商戦のCMで、サザンオールスターズがイメージキャラクターを務めていた。緞帳が上がると、サザンのメンバーが出てきてクリスマスソングを歌うシンプルなCMだったが、スポットライトとによる赤と影のコントラスト。クリスマスなのに、どこか悲しげな楽曲。それらが相まってなんともいえない雰囲気を醸し出していた。素敵だなと思った。
 もう少し年月が経つと、広告コピーに注目するようになった。実家にあったコピー年間のようなものをみて、糸井重里、仲畑貴志のような大御所の作品に心が惹かれた。定番のコースだろう。なかでも糸井さんの「欲しいものが欲しい」「おいしい生活」はすごく良いな、かっこいいなと思った。こんな仕事もあるのかあと思ったのを覚えている。
 ずいぶん立ち位置は違うが、今では同じ業界にはいる。ただ、糸井さんのようなコピーは書けていない。もちろん能力的な差は天と地どころじゃなくあるが、そういう問題ではなく、余白のある、遊びのあるコピー自体が求められていないのだと思っていた。ジャンルが違うのだと。
次第にコピーを書くことに飽いてきていた。もうコピーの時代ではないなんて嘯いたりもした。
 自分でコピーを書くことが次第に減っていっていた。
 
そんな折に出会ったのが、S君である。
僕の大学時代の友人がやっているビストロで同席したのだが、彼も同じ大学の出身であることがわかり、意気投合した。なんと昼には別の仕事をやりながら、コピーを書いているのだという。賞レースにも参加しているらしい。その友人の経営する店のコピーを書いたということで、見せてもらった。
結論から言うと、そのコピーはイマイチだった。多分、あまり店主の思いを知らなかったのだろう。ただ、手書きでいくついくつも書いていたのが不思議と印象に残った。
こんな時代にこんなにコピーが好きなんだなあと、少しいぶかしく思ったかもしれない。
コピーの時代ではないと思っていた時だったから、当然といえば当然だろう。
 
それからぽつぽつと彼にコピーをお願いすることになった。
 友人の店のコピーとは打って変って、とてもキレのあるコピーが送られてきた。キャッチだけ30近く書いてきていたので面食らったが、どれも方向性が違ってとても良いコピーだった。いくつか気になる点を言うと、次の日には新しいコピーが出来上がっていた。どれも「熱さ」や「想い」が感じられるコピーだった。
これならいけると思った。
広告の仕事はサービスなので、クライアントの意向によって、S君のコピーの良さが減衰したり、方向自体が違ってしまったりということはままある。それでもS君はめげないし、僕のディレクションに対しても、必ず自分なりの解釈や遊びごころを加えてくる。
 僕が環境や仕事のせいにして諦めていたことを、やってしまっているのである。
 僕はそのとき彼が飲みの席で言っていたことを思い出していた。
 S君はこう言っていた。
 「僕は本当にコピーが好きなんです」
  
これこそが「狂」の正体なのではないか。
 
もちろん、ノウハウは大事だ。とくに仕事においては顧客の意向が最優先なのは言うまでもない。しかし、言われた通りにやっていただけでは、要所を抑えるだけでは、おもしろい仕事はできないのだろう。正しい作り方、取り組み方を学び、顧客の意向を汲んだあとは、ありったけの想いを込めて作る。「これこそがプロフェッショナルのスタンス」なのではないかと、彼の働きぶりを見ていて思い知らされたのである。
 僕が偉そうに言うことでもないが、まだまだS君のコピーや文章には改善の余地はあると思う。粗い部分もある。それでも一つの対象を「好き」だと言い切り、案件のために全力でぶつかる力を持っているというのは、もう、卓越した力を持つための入り口に立っていると言って良いと思う。あとは時間をかけて磨きあげていけば良いだけである。
 翻って自分はどうだろう?
冒頭に書いたような「あれがあれば、これがあれば」と考えているようでは覚束ないのは間違いない。
 僕もありったけの想いを込めて、自分の好きなことや、やるべきことを追求してみようと思う。そのために、やめようと思うことがある。
 ひとつはもうお分かりかもしれないが、「あれがあれば、これがあれば」と考えるのをやめること。代わりに「狂」を込めることで、想いをこめることで、足りないものは埋めていけるはずだと自分に言い聞かせることにしたいと思う。
 もうひとつは「照れ」を排除することである。
S君はコピーが好きで、そのことを公言していた。ついには飲食店のコピーを書かせて欲しいと申し出て、実際に書いていた。初対面の僕にも臆面もなくコピーを見せて、アドバイスを求めた。少なくとも僕はその姿勢に胸を打たれた。手前味噌であるがそれが実際に仕事につながったのである。
なんの実績もないのに、「コピーとは」を語り、勝手に諦めていた自分とは大きな違いである。「狂」や自分の想いを込めることに対する「照れ」がそうさせた部分も大いにあると思う。恥をかきたくないという思いもあっただろう。情けない男である。
このふたつを「しない」ことによって、僕もプロフェッショナルの入り口に立ちたいと思う。この文章もそろそろ5,000字近くなってきたようである。「狂」が少しは込められたからここまですんなりこれたのだと思う。
最後にS君にお礼を言って、この文章を閉じたいと思う。大事なことに気づかせてくれてありがとう。
僕も君に負けないくらいに想いを込めて、狂っていこうと思います。
負けないよ。
 
***

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