週刊READING LIFE vol.25

1年間書き続けられたのは、わたしのなかに「にんにく」が植わっていたからです。《週刊READING LIFE Vol.25「私が書く理由」》


記事:笹川 真莉菜(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

わたしが自分のなかに「にんにく」が植わっていることに気づいたのは、小学6年生の頃でした。
小学6年生というと、「子ども」から「女の子」へ変わりつつある頃。男子の目線が気になったり身だしなみを気にしたりする頃です。
当時わたしは自分の顔にコンプレックスを抱えていました。顔。特に目。
テレビで見る芸能人やアイドルはきれいなアーモンド形の大きな目をしているのに、わたしは左右非対称でいびつな目をしていて、それがすごく嫌でした。

 

なんでわたしはこんなに可愛くないんだろう。
親に言っても「そんなことないよ〜」とかわされるだけで、相手にしてもらえません。
今思えば親はそりゃそう言うだろう、とわかるのですが、わたしはなぜ可愛く産んでくれなかったのか、と親を少し恨み、自分の顔を鏡でまじまじと見ては落ち込んでいました。

 

目のコンプレックスをきっかけにわたしは周りの視線を過剰に気にするようになり、常に劣等感を抱くようになりました。
劣等感は派生し、人間関係にも及びました。可愛くないから、誰もわたしの話を聞いてくれないんじゃないか。わたしのことを下に見ているんじゃないか。誰に確かめたわけでもないのに、自分の容姿に自信が持てないがためにこんなひねくれた思いを抱くようになりました。

 

コンプレックス、劣等感、嫉妬、憧れ、ちょっとした絶望。これらが合わさったものがわたしのなかの「にんにく」です。
一度気になってしまったものを「気にしなくする」ことはもう出来ません。その後も容姿のコンプレックスはなくならずにむしろどんどん大きくなり、「にんにく」はすくすくと育っていきました。

 

わたしは自分のなかに植わっている「にんにく」を持て余していました。
だって、「にんにく」なのですから。そのまま飲み込むわけにもいかないし、だからといって放置すると匂いがキツい。
自分のなかの「にんにく」を自覚すればするほど周りの可愛い女子を強く意識してしまい、「あの子はきっとこんなことを思ったことすらないだろうな……」と勝手に決めつけては落ち込み、「にんにく」を育て続けてしまっていたのでした。

 

去年の2月に天狼院書店のライティング・ゼミの門を叩いたのは、そろそろこの「にんにく」をどうにかしなきゃ、という思いがあったからでした。
厄介なことに「にんにく」は社会人になってからもすくすくと育ちました。やはり劣等感が強いために、周りに迷惑をかけていないだろうかとか怒られないだろうかとかそんなことを考えてしまい、思い切った行動をすることができずに悶々とした日々を過ごしていました。
このゼミに入ってライティングスキルを身につければ、自分に自信がついて周りのことを過剰に気にしたり劣等感を抱いたりすることがなくなるのではないか。自分のなかの「にんにく」がなくなるのではないか。そういう期待もあり、ライティング・ゼミを受講したのでした。

 

ライティング・ゼミでは毎週課題を出さなければならないのですが、ライティング課題を出すたびにわたしは「こんなこと書いてよかったんだろうか……」と不安でいっぱいになりました。
書いたのは主に自分のことについてですが、「自分のことなんか誰も興味ない」という思いが強く、うまく自分のことを書き表すことができませんでした。

 

それでもなんとか工夫を凝らし、料理が苦手なこと、自分の目のコンプレックス、買い物のしすぎでクレジットカードの請求金額がとんでもないことになってしまったこと、10年前の黒歴史的なSNSを発掘してしまったことなどを書きました。
書くことがどうしても自虐的になってしまうのはやはり「にんにく」のせいでした。しかしこの「にんにく」に向き合い処理できるようにならないと意味がないと思い、軽いものから重たいものまでいろんなテーマで自分のことを書き続けました。

 

自分のことを書くことは「にんにく」の皮をむく作業と同じでした。わたしのなかの「にんにく」は、見栄、世間体、常識などが合わさった皮が幾重にも重なっていて、自分の本音が見えにくくなっていました。
本音が分からないと自分の気持ちをうまく言葉に乗せられず、相手にもうまく伝わりません。匂いのキツい「にんにく」と向き合うのはすごくエネルギーのいる作業でしたが、一つの文章が完成したときはこの上ない達成感に満たされました。この達成感が原動力になり、また書こう、また書こう、と自分のなかの「にんにく」の皮を夢中でむき続けました。

 

そうしているうちに、天狼院書店のゼミに入ってから1年が経ちました。
ライティング・ゼミから「ライターズ倶楽部」へ場所は移っているものの、やっていることはずっと変わっていません。
ライティング・ゼミのおかげで書くことがすごく楽しくなりました。ご縁があって「公認ライター」というたいそうな肩書きをつけていただきましたが、いまだに自分のなかにはたくさんの「にんにく」が植わっています。

 

もしかしたらこの「にんにく」はなくならないのではないか。1年かけて「にんにく」と向き合った結果、わたしはそう思うようになりました。
コンプレックス、劣等感、嫉妬、憧れ、ちょっとした絶望。これらを抱くということは、現状に満足せず「もっと成長した自分でありたい」という向上心があるからに他なりません。
それにライティングによって「にんにく」を処理することができるなら、別に「にんにく」を撲滅させる必要などないのです。「にんにく」はいわば個性なのですから。「にんにく」をうまく処理できたときの達成感と喜びは、未だに忘れられません。

 

わたしはきっとこの「にんにく」が枯れるまで書き続けるのだと思います。「にんにく」はまだまだ枯れそうにありません。

 
 

❏ライタープロフィール
笹川 真莉菜(READING LIFE公認ライター)

1990年北海道生まれ。國學院大學文学部日本文学科卒業。高校時代に山田詠美に心酔し「知らない世界を知る」ことの楽しさを学ぶ。近現代文学を専攻し卒業論文で2万字の手書き論文を提出。在学中に住み込みで新聞配達をしながら学費を稼いだ経験から「自立して生きる」を信条とする。卒業後は文芸編集者を目指すも挫折し大手マスコミの営業職を経て秘書業務に従事。
現在、仕事のかたわら文学作品を読み直す「コンプレックス読書会」を主催し、ドストエフスキー、夏目漱石などを読み込む日々を送る。趣味は芥川賞・直木賞予想とランニング。READING LIFE公認ライター。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

http://tenro-in.com/zemi/70172




2019-03-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.25

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