場所がもつ記憶《週刊READING LIFE Vol.69 「とにかく私を泣かせてくれ」》
記事:オノミチコ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
うろ覚えの地名をたよりに、電車を降りた。
電車と言っても、市内を走る路面電車だ。
小さいころは「チンチン電車」と呼んでいた。
富山県富山市。
私がふたつめの幼稚園とはじめての小学校に入学した場所だ。
父の転勤で各地を転々としていた私には、出身地と呼べる場所がない。
幼稚園は2つ、小学校は3つ、中学校は2つ。
高校も大学も就職も東京だが、幼馴染みと呼べる友人はいない。
富山に住んでいた期間は2年ほど。
特別な何かがあったわけではないけれど、なぜか印象に残っている場所で、いつか機会があれば行ってみたいと思っていた。
しかし、わざわざ旅行を計画するほどの情熱はなく、それは不確定な未来の願望としてぼんやりと存在する程度だった。
あるとき、仕事で富山に出張することになった。
頭の片隅に眠っていた小さな願望が、目を覚ました。
住んでいた場所に行きたい。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただ「行ってみたい」という気持ちが、誰かに叩き起こされたかのように跳ね起きた。
30年以上ぶりに見る路面電車は、想像以上に最新式。
海外のおしゃれな街で走っているトラムのようで、面食らう。
大通りを少し行くと、私の記憶に近い路面電車がのんびりと走っている。
案内板によれば、そのレトロな1両編成こそが、私がかつて利用していた路線のようだった。
平日の昼間。
車内はほどよく空いていて、運転手の鳴らすベルの音が小気味よく響く。
その瞬間、時間の流れが変わった。
車窓を流れる景色はどこか色あせていて、私の記憶を呼び覚ます。
かつての住所。
最寄りの停留所と、そこから家までの道のり。
降りる停留所も所要時間も、検索すればすぐにわかるのだが、それをするのはなんとなくルール違反のような気がした。
まるで、6歳の私に試されているような。
普段であれば迷わずGoogleマップに頼ってしまうような、おぼろげな記憶。
それなのに、なぜか迷わない自信があった。
停留所を降りて、すぐの角を左。
しばらく進むと右手にジャングルジムのある小さな公園。
道の左右には、雪国特有のシャッターつきの駐車場。
さらにまっすぐ進むと左側に大きな公園。
それまで30年以上、思い出したことなどなかったにもかかわらず、イメージしたとおりの公園や駐車場が次々と目の前に現れた。
もちろん、かつて私が住んでいた家は今はもうない。
敷地をぐるりと囲んでいた木製の塀はブロック塀になっていたし、平屋だった建物は2階建てになり、玄関があった場所は新しく建てられた家の裏口になっていた。
家の目の前にあった市民プールもなくなっていた。
水泳教室に通った屋内プールも、夏には大会でにぎわった競泳用の屋外プールも飛び込み台も、影も形もない。
目の前に広がるのは、草野球が余裕でできるくらい大きな芝生の広場。
知っていたものは何もない。
何もないのだけれど、すべてがある。
目の前に見えている景色と、記憶のなかの景色が重なる。
まるで、プロジェクションマッピングのように。
頭の中のモニターが次々と切り替わっていろいろな映像を見せてくる。
まるで、マルチディスプレイのように。
五感すべてが行ったり来たり。
まるで、パラレルワールドに迷い込んでしまったみたいだ。
飛び込み台のある屋外プールの目の前の部屋は、唯一の洋室だった。
ほかの部屋よりもじめっとしていたが、そこにピアノを置いていた。
開け放った窓からは、屋外プールで行われている飛び込みの大会の声援とホイッスル、そして飛び込んだ瞬間の飛沫の音が大きく響いていた。
いちばん大きな和室では、母が仲間と籐かごを編んでいた。
畳の上にブルーシートを拡げて、大きなたらいに水をはって、かごの材料となる籐(とう)を浸していた。
枯れた植物が水を含んだときの独特のにおいを含みながら、丸く束ねられた籐がかごに編まれていく様子を見守っていた。
雨が降ると、家のまわりを囲う木の塀から独特のにおいがした。
雪が降ると、庭でかまくらや雪だるまを作った。
いま、目の前には何もない。
けれどたしかに、そこにある。
家での記憶のほとんどには母の姿がちらつくが、父の姿はほとんどない。
当時、働き盛りの父は仕事で家を空けることが多かった。
そのかわり、休日は私をいろいろな場所に連れて行ってくれた。
海でハゼを釣ったり、山で草木と戯れたり、遊園地に行ったり。
けれど、思い出すのはそういう特別な場所ではない。
家の記憶に父の姿はない。
姿はないけれど、確実にそこに存在することがしっかりと刻み込まれている。
かつて住んでいた場所が教えてくれたのは、まぎれもなく「家族の記憶」だった。
家族の記憶を味わいながら、近所を歩いた。
母が買い物によく行っていたスーパーはコンビニになっていた。
風邪をひくたびに連れていかれた小児科には、閉院のお知らせが貼ってあった。
通っていた幼稚園も小学校も、私の記憶よりもはるかに近い距離だった。
ふと、自分の年齢が当時の母の年齢とほぼ同じであることに気がついた。
父の転勤で訪れた知らない土地。
親戚も友達も誰もいない場所で、小さい子供を育てるってどんな気持ちだったのだろう。
気がつけば、私は道の真ん中で涙を流していた。
初めての子育てで、どんなに不安だっただろう。
慣れない風習に、どれだけ戸惑っただろう。
どれだけのことをひとりで抱えて必死で生きてきたのだろう。
私は同じことができるのだろうか。
そのときまで母の気持ちを想像したことがなかった。
親の心子知らず、とはよく言うが、子育てどころか結婚もしたことがない私は、母に感謝こそすれ、ここまで具体的に母の気持ちを思ったことがなかったのだ。
お母さん、ごめん。
お母さん、ありがとう。
母への想いがあふれて止まらなかった。
そういえば母は、「富山にはいい思い出がない」とよく言っている。
冬の雪かきが大変だった、庭が広かったから手入れが大変だった、とにかく住みにくかった、といろいろ聞いてはいたが、やっとわかった。
いい思い出がないのは、生活に必死すぎたからだ。
富山に行って、はじめて見えた。
母が私の年で歩いた道をひとりで歩いて、はじめて知った。
母の年を追い越して、はじめて気づいた。
教えてくれたのは、「場所」だ。
その「場所」が、当時の記憶を持っていた。
「お母さん、私いま富山にいるんだけどさ」
思わず母に電話をかける。
「ねえ、今度旅行しようよ」
行先はもちろん、かつて住んだ場所めぐりだ。
◽︎オノミチコ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
東京のイーストサイドに暮らす独身アラフォー会社員。
新卒で大手損保に入社するもドロップアウトし、大学医学部秘書を経て製薬会社へ。
働き方を模索すべく、副業で地方活性化のプロジェクトに参画。
学ぶことが好きで「マナビスト」を名乗る。
好きなことは学ぶことと寝ること、苦手なことは部屋の片づけ。
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