電車で動物の写真を撮る彼女の世界《週刊READING LIFE Vol.72 「人間観察」》
記事:黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
電車の中ではほとんどの人がスマートフォンを見ている。
通勤ラッシュ時はともかく、普通の時間、特に一人で乗る人は確実とも言える。
スマホを見ていない人を見つける方が、今では困難である。
私が座った席の正面に座った女性も、例外にもれずスマホを片手に見ていた。
時代だなぁ、と思って何の気なしに見ていたが、ん? とつい前かがみになってしまった。
何かがおかしい。何かが違う。
確かに彼女は右手に持ったスマホを見ている。
しかしよく見ると、左手にも何かを持っているのだ。いや、持っているというより、手のひらを上に向け、そこに何かが置いてある。
少し厚めの布、おそらくタオルハンカチのようなものだろう。そしてさらにその上にも何かが乗っている。
私の視力では詳しいことはわからない。だがそれは、明らかに四足の動物デアあった。色からしてライオンとか虎とか、そういったあたりだと思う。そのミニチュアである。
どうやら、彼女はその動物のミニチュアを、スマホを通して見ているようなのだ。
となれば、やはりその写真を撮っていると考えるのが自然だろう。
自然だろうが、その行為自体は不自然である。
スマホでネットを見ている人は大勢いる。ゲームをしている人も大勢いる。スマホの中の写真を眺めている人も見たことがある。
しかし、撮影を、しかも手のひらの上のものを電車内で撮影する人を、私は他に見たことがなかった。
自分でも、額にシワが寄るのが分かった。その時の私の顔はさながら不審者であっただろう。実際若い女性を凝視していたのだから、一歩間違えれば事案である。
私はこの女性の行動に大いに興味を持った。
そして考える。
彼女はどんな目的でそのようなことをしていたのか。
そこでかの名探偵シャーロック・ホームズの名言を思い出す。
同じものを見ているはずなのに、ホームズほどの推理ができないことを嘆くワトソンに、ホームズは言う。
「君は見ているだけで、観察していないのだよ」
なるほど、私に足りないのはこの観察眼である。ここはミスター・ホームズに倣い、この女性の行動を推理してみよう。
年齢は20代後半から30代くらい。冬ということもあり、コートを身につけている。スマホのカバーは本のように開くタイプである。そのためか過度な装飾はしていない。色も茶色だった。シールの一つくらいは貼ってあったかもしれないが、いわゆるデコったものではない。
本人の外見的にも派手なところはなく、かといって地味とも思われない。
時折左手を動かし、角度を変えている。
シャッターを押す音はしていないが、昨今は無音カメラアプリもあるので、撮影の有無はわからない。ただ、被写体のベストな角度を探しているだけかもしれないし。
うん、なるほど、分かりません、ミスター・ホームズ。子供の頃は本気で名探偵を目指していたのに口惜しい。
仕方がない。推理ができないならば想像するしかあるまい。
例えばこんなのはどうだろう。
彼女は実はプロのカメラマンだ。ある動物園から依頼され、パンフレットの写真をとることになった。
だが自分が普段専門としているのは人物の写真。これは入念に研究をしなければならない。
思うや否や、早速100円ショップで動物のミニチュアを買ってくる。その帰り、移動時間も惜しむ勉強熱心な彼女は、スマホを取り出し、静音カメラアプリを立ち上げる。どの角度で撮れば動物が一番魅力的に写るのか、研究中なのであった。
……無理がありますか。
ではこんなのはどうだろう。
今日、彼女は動物園に行った。別に誰と、ということはない。
実はこの日は、彼女の祖父の命日。それをなぜか思い出した。
祖父との思い出で、一番心に残っているのが動物園に行ったことだった。
それを思い出し、とにかく行ってみたい衝動にかられたのだ。
祖父と歩いた道を、巡礼のように歩いていく。動物たちも、心なしか歓迎してくれているようだ。
帰り際、売店で動物のぬいぐるみを始め様々なグッズが売られていた。
そういえば、おじいちゃんに買ってもらったな。
かつての幼き日を思い出す彼女。結局この日は絵葉書一枚を買って帰ることにした。
動物園を後にしようとする彼女。その時、小さなものが彼女の足先に当たった。夕日に光るそれは、動物のミニチュアだった。
瞬間、あの日の思い出が洪水のように溢れ出す。
そうだ、私は買ってもらった小さなぬいぐるみを落としてしまった。大声で泣きながら探すも、結局は見つからなかった。
もし、この小さな動物も誰かにとって大切なものだったら……きっとその人、いやその子どもは、今頃ひどく悲しんでいるに違いない。
彼女はどうにかしたい一心で、それをポケットに入れ、とりあえず帰路につくことにした。
電車に乗り込み、大勢のスマホを見る乗客を見て、ひらめいた。
そうだ。世は情報社会。SNSで情報を拡散すれば、もしかしたら持ち主の親御さんが見つけてくれるかもしれない。
善は急げ。早速彼女は、電車の中でミニチュアの写真を取り、この持ち主へ向けて情報を発信するのであった。
数えきれないほどの情報が錯綜する今日であっても。彼女の思いを乗せた情報は、無事に届いて欲しいものである。
完。
ダメですか……
それではこれはどうだろう。
何も、彼女は写真を撮っているとは限らない。
実はこの動物のミニチュア、ARの機能が付いている。
ARとは、拡張現実感(Augmented Reality)の略で、単純に「拡張現実」などと訳される。
実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することで、目の前にある世界を“仮想的に拡張する”というものだ。
方法はいくつかあるが、ARアプリをスマホなどにインストールし、その機体のカメラ機能で、ARコードや画像、あるいは実物の物体や景色を写す、というやり方が一般的である。
このアプリで動物を見ると、なんと、その動物が現実空間を走り回っている様子が見られるのである。
少しカメラを上げた時があったが、あれはきっと私の頭の上を走らせたかったに違いない。
ただ、この機能の欠点は、角度によって認識されるかどうか、少々あやふやな点があるところである。
彼女も、途中で動物が消えてしまったりしたのだろう。角度を変えて、再びARを捕らえようとしていたのである。
……なわけないですよねぇ。
結局、ことの真相は彼女のみぞ知る、というやつである。
何をしていたのだろう。
私たちは、日々多くの人とすれ違う。
それはすなわち、多くの人々の人生とすれ違うことである。人生とはその人のストーリーであり、であれば私たちはその膨大な数のストーリーの脇役である。
人間観察とは、ある意味その人のストーリーを読み解き、共有する行為でもある。
ところがこの読み解き、ミスター・ホームズならまだしも、一般人には正確な推理が難しい。難読書の極みとも言える。
だから、私の人間観察は、彼ら彼女らのストーリーを読み解くのではなく、創造することになる。
今日も窓辺を誰かが通る、誰かが信号待ちをしている、踏切が開くのを待っている。
そんな人々を、私は観察してしまう。その人のストーリーを創造してしまう。
彼や彼女のストーリーをなぞり、創造し、時には自分自身と重ねる。
それは、誰かと繋がりたいことの裏返しかもしれないし、自分の立ち位置を確認する行為かもしれない。
今日も彼女は、ミニチュアの写真を撮っているのだろうか。
あの日の光景は、未だに鮮烈な色を持って、私の前に現れる。
今日もまた、誰かのストーリーを読み解くとしよう。
◽︎黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校で、国語科と情報科を教えている。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。
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