週刊READING LIFE vol.72

ちょっとしたきっかけと、ちょっとした勇気で《週刊READING LIFE Vol.72 「人間観察」》


記事:菅恒弘(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

毎朝、通勤途中で出会う、犬の散歩をしているおじちゃん。
そのおじちゃんは自転車に乗ったまま、片手にリードを握って犬の散歩をしている。一緒にいるのは毛足の長いミックス犬。柴犬よりもちょっと大きく、茶色のフサフサの毛だけど、足先だけが白くなっていて、まるで靴下をはいている感じ。名前を知らないその犬のことを、勝手に「ソックス」と呼んでいる。
 
おじちゃんとソックスは、散歩の途中、バス停に近くにあるファストフード店の駐車場で一休みしている。おじちゃんはいつもそこで知り合いと落ち合って、立ち話をするのが日課だ。散歩途中のはずなのにソックスのことはほったらかし。すっかりご近所さんのことや犬の話で盛り上がっていて、横を通る私の耳まで話の内容が聞こえてくるほど。
そんな様子を、いつもソックスはちょっと離れたところで座ったり、伏せをしながら聞いている。おじちゃんを急かすこともなく、他の誰にも迷惑をかけないように、おとなしく待っている。そしてたまに、そばを通り過ぎる人の顔を、人懐っこい大きくまん丸な目で覗き込んだりしている。
 
そんなおじちゃんたちの会話の様子や大人しく待っているソックスを見ていると、なんだか朝から心がちょっと温かくなる。
 
通勤バスの中でいつも見かける男の子。
どうやら私立の小学校にバスで通っているようだ。制服も帽子もランドセルもちょっと大きめ。まだ低学年なのかな、とそんなことを思いながら見ている。
 
その子はいつも同じ席に座って本を読んでいる。
ひらがなが中心で挿絵も多め。体と比べるとかなり大きめの本を抱えるようにして読んでいる。ついついどんな本を読んでいるか気になって見てみると、その内容は宇宙や架空の国が舞台になっているような物語だったり、動物や植物の図鑑だったりと幅広い。覗き込んでいるこちらも興味をそそられることも。
 
周りにいる同じ制服を着た子どもたちは、友達同士で話をしたり、ふざけあったりと元気いっぱい。そんな様子をたまにチラリと見ることはあっても、すぐに本に視線を戻して一生懸命に本を読んでいる。
 
その読書好きなことに感心しながらも、
「学校での生活はどうなんだろう」
「ちゃんと友達とも遊んでいるのかな」
と、勝手に心配してみたり。
そして、その男の子がバスを降りていくときには、心の中で「いってらっしゃい」と声をかけている。
 
その子がバスを降りると、その次のバス停から、いつも1組の男女が乗ってくる。見た感じは30代前半、どうやら一緒に出勤しているようだ。
小学生たちが降りた車内は座席も空いていて、一番後ろの席に座っている私の横一人分を空けた座席が彼らの指定席。
 
二人はいつも楽しそうに話をしている。
普段は周りを気にしてヒソヒソと小声で話している。ついつい話が盛り上がった時には声が少し大きくなることも。どうやら、仕事や職場の人間関係の話で盛り上がっているようだ。
別にイチャつくといった感じではなく、お互い顔を見合わせて笑ったりと、いつも爽やかな仲の良い雰囲気が漂っている。
 
そんな彼らとは、降りるバス停も、職場の方向も一緒。
まずはバス停近くのコンビニに寄ってから、徒歩で職場へ向かっていく。バスを降りてからも10分ほど、同じ行程を辿ることになる。そんな会社までの歩いている時間も、二人は楽しそうに話している。
先に私が職場に着くので、彼らがどこで働いているのか、同じ職場なのか、正確なことは分からない。
 
彼らのいつも楽しげな様子についつい目がいってしまい、なんだかこちらも楽しい気分になってくる。疲れているとき、仕事のことを考えて気が重くなっているとき、そんな様子に少し元気をもらったりもしている。
そして心の中で「今日もありがとう」とお礼を言っていることを、彼らは知らない。
 
週末のカフェ。
休日に資料を作ったり、文章を書いたりする時は、いつもカフェに向かう。
どうしても家にいると、
「あれ?洗濯ものがたまってなかったっけ?」
「あ、床にホコリが落ちているなぁ」
と、そんなことが気になり始めて、洗濯を始めてみたり、掃除機をかけ始めてみたり。そうこうしていると、テレビをつけてしまい、ダラダラと見てしまったり、家事に疲れてソファで横になってみたり。
そんなことだから、家にいると作業が遅々として進まない。
 
そこで、今日は絶対に作業をしないといけないという日は、近所のカフェに行くようにしている。
外で作業をするようになった頃には、図書館に行ってみたり、ネットカフェに行ってみたりしてみたが、図書館のような静かな場所ではなぜか落ち着かないし、ネットカフェは誘惑が多すぎる。
そして行き着いたのカフェ。少しザワついていたり、人が行き来していたり、そんな人の存在が感じられるくらいがちょうどいい。どうも職場と同じように、他人の存在を感じられる方が緊張感をもって作業に取り組めるようだ。
 
行きつけのカフェは、長時間作業が許される雰囲気と電源を使えるという好条件のお店。さらに座る席にもこだわりがある。お店全体が見渡せて、なおかつ外の景色も見ることができる席が指定席。
そんな指定席に座り作業を進めていて作業に煮詰まってきたり、疲れてきたりすると、休憩がてら始めるのが店内やカフェの外を通り過ぎる人たちの人間観察。
 
近くの席座っている若い男女の様子を見ては、
「あの二人は恋人同士だな。敬語を使っているので、まだ付き合い始めて間もないんだろうなぁ。話も盛り上がって、デートはうまくいきそうだな」
と喜んでみたり。
 
男女数人のグループの様子を見ては、
「あのグループは学生時代の同級生グループだな。彼がリーダー的な存在だな。どうやら、周りの人たちは調子を合わせているな。きっとつき学生時代もそうだったんだろうな」
と想像してみたり。
 
2人で向かい合って、資料を見せながら真剣に説明している様子を見ながら、
「保険の勧誘かな?うーん、見るからに怪しいんだけどなぁ。言われるがままに、書類に印鑑とか押さなければいいけど……」
と心配してみたり。
 
中高年のご夫婦らしき二人の様子を見ては、
「会話はほとんどないにも関わらず、二人の間に流れる雰囲気は素敵だなぁ。さすがベテランの夫婦の貫禄」
と勝手に納得してみたり。
 
そんな風に、店内やお店の前を通り過ぎる人たちをぼんやりと眺めながら、勝手に物語を想像して楽しんでいる。
 
カフェには次々に色々な人たちが訪れるので、新たな登場人物、新たな物語に事欠かない。作業の手を休めて視線をあげると、新たな物語のネタは溢れている。
 
物語を想像する時には、まずは設定から。
グループであれば、それがカップルや夫婦、親子、そして職場や友達グループといった設定をしていく。一人であれば、仕事中なのか、休日なのか、そして、誰かを待っているのかといった風に。
次にその人たちの表情や服装、身振り手振り、その人やグループが醸し出す雰囲気から、会話の内容やどんな気持ちでいるのかを考えていく。
そんな風にしながら、勝手に設定を考え、そして勝手に物語を想像していく。
 
とは言え、あまりジロジロと見ていると怪しまれるので、観察はほどほどにして作業に戻り、また休憩がてら観察するといった具合。ちょっと目を離している間に、すっかり物語が進行してしまっていたり、想定していた物語とまったく違う雰囲気になっていたり。そんな予想外も物語のアクセントになって面白い。
 
実際にはドラマを見ることはほとんどないのに、店内で繰り広げられる人間ドラマはなかなか見応えがあって、ついつい作業の手を止めている時間が長くなってしまう。
 
こんな風にして、気がつけば通勤途中や休日に過ごすカフェで、何となく人間観察をしてしまっている。
その人たちの様子を見たり、想像したりしながら、ほっとしたり、元気をもらったり、喜んだり、心配したり。そんなことを勝手にしている。
 
実際には直接の知り合いではないので、別に観察したことで、一喜一憂するようなことでもないはず。さらに、勝手に物語を想像しているので、その想像が正しいかも分からない。
それでも人間観察をしている間に、気がつくと感情移入してしまっているようだ。観察しているだけなのに、なんだか赤の他人ではないような心境になってしまっている。
人間観察をすることで、擬似的なものではあるものの、人と人との繋がりのようなものを感じているのかもしれない。そんな心境になっているというのは、自分自身でもちょっと面白い現象だ。
 
そこで思い出したことがある。
それは日本は先進諸国の中で、最も「社会的孤立度」が高いと言われている。社会的孤立とは、家族や職場といった近しい集団以外でのつながりや交流がどのくらいあるかという度合いのこと。日本ある残念ながら、そういった繋がりが少ない、孤独な国になってしまっているそうだ。高齢者の孤独死といったことも耳にするようになり、孤独は社会的な課題となっている。
日本と外国を比較して、日本の特徴として挙げられていたのは、見知らぬもの同士が、ちょっとしたことで声をかけあったり、挨拶をしたり会話を交わしたりすることがほとんど見られないというもの。
自分の普段の生活で考えてみても確かにその通りで、なかなか見知らぬ同士で会話を交わすようなことはほとんどない。
 
そして、実際に数少ない海外旅行経験では、気軽に見知らぬもの同士が声をかけあったり、会話をかわしたりということを目の当たりにして驚いた経験をした。
 
それは海外生活の経験のある妻と海外旅行にいった時。
海外の空港に降り立って間もなく、空港内でエレベーターを待っていたところ、一緒に待っていた外国人に妻は突然話しかけたのだ。話しかけられた外国人も気さくに答えて、そこでちょっとした会話が生まれて、笑顔が生まれる。話している内容は、エレベーターがなかなか来ないね、みたいな内容らしいのだが、日本ではなかなか考えられない光景だ。もちろん、妻は普段から日本でそんなことはしていない。どうやら、外国に来ると外国人スイッチが入るようだ。
 
他にもカフェや電車内で目が合うと、微笑みあったり、軽く挨拶してみたり。そんな様子を見ながら、こんな光景が当たり前なのは、とても羨ましく感じたことを覚えている。
 
そんな経験から考えると、日本の高い「社会的孤立度」の原因は、見知らぬ人への関心の低さではないだろうか。
見知らぬ人であっても、その場に一緒にいる人への関心を持つこと。それが、ちょっとした声がけだったり、挨拶だったり、会話だったり、そんなものに繋がるはず。
 
では、そんな失ってしまっている見知らぬ人への関心をどうやって戻したらいいのだろうか。
そう、そのきっかけになるのが、人間観察ではないかと考えている。
それはマジマジと観察しなくてもいい、ボンヤリと見ているだけでもいいので、ちょっと周りの人たちに関心を持って見てみる。そんなことから始めてみるのがいいような気がする。
そして、もし気になることや、ちょっとしたきっかけがあれば、勇気を出して声をかけてみる。話しかけられた方も、驚きはするだろうけど、きっと嫌な気分はしないはず。
 
日本でもまれに、カフェで隣の席になった赤ちゃんと目があって笑顔がこぼれたことをきっかけの、赤ちゃんのお母さんとちょっとした会話が生まれたりする。そうすると、やっぱり嬉しくなる。そう、見知らぬ人同士でも、やっぱり会話が生まれると嬉しく感じるのだ。
 
そんなちょっとしたきっかけでも会話を交わすことはできるのだ。
そんな風にして、ちょっと言葉を交わす人が増えることは、きっと誰にとっても嬉しいはずで、誰かの孤独感を和らげるはず。
そんな風景が当たり前になると、これまでよりもちょっといい社会になりそうで、なんだか楽しみだ。
 
そんな妄想を膨らませながら、これからは人間観察をしてみようかなと考えている。

 
 
 
 

◽︎菅恒弘(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県北九州市出身。
地方自治体の職員とNPOや社会起業家を応援する社会人集団の代表という2足のわらじを履く。ライティングに出会い、その奥深さを実感し、3足目のわらじを目指して悪戦苦闘中。そんなわらじ好きを許してくれる妻に感謝しながら日々を送る。
趣味はマラソンとトレイルランニング。

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2020-03-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.72

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