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週刊READING LIFE vol.84

上司から“くノ一作戦”を命じられた結果、根性のある社会人が出来上がった話《週刊READING LIFE Vol.84 楽しい仕事》


記事:いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「はあ……」
 
忙しなく働く印刷機に手を添えながら、私は人知れず深い溜め息をついた。それは、陰鬱を理由にしたものではなく、安堵を理由にしたため息だった。
ウィーン、ウィーン、ウィーン………ピピピ
「印刷用紙を補充してください」
かれこれ何度目になるかわからないフレーズを耳に、私はシステムの一部になったみたく、素早く用紙を補充した。
印刷した紙をページの順番を確認しながら並び替える。印刷内容はとあるサーバーシステムのテスト証跡だ。システムが正常に稼働するか、テストコマンドを打ち、“OK”の文字が出力されることや“Error”がないことを証明したものである。正直に言えば、1枚1枚の内容を確認しながらの印刷は大変で、とてつもなく地味な作業である。
そして何より、印刷物の量が半端ではない。
かれこれ1週間。私は始業から終業まで休むことなく印刷作業をしていた。
推定10キログラムにもなるダンボール詰めされた紙の束を4階から1階まで運ぶのもとっくに慣れた。プリンターの真横の壁で「ペーパーレスにご協力を」と呼びかけている張り紙に後ろめたさを感じることもなくなった。
途方も無い印刷作業だ。しかし、私はこの作業が嫌いではなかった。
軽く10,000枚を超えつつある印刷物を目の前に、私は「ほう」とひと息つく。
こんなにも、害もなければ悩みもない仕事は他にはないな、と。
IT企業に就職し、半年間の新人教育を経て、私はシステムエンジニアとしての日々を過ごしているはずだった。
企業のシステムを構築するために、サーバー機器と対峙し、プログラムを打ち込み、システム稼働テストをする。そして完成したシステムをお客様に納品して問題がないことを確認してもらう。それが通常の流れであるはずだった。
それなのに、当時の私はシステムエンジニアらしい仕事をほとんどしていなかった。
新人だから雑用をこなすのは当たり前。そうは思いつつも、何かが可笑しいのだ。
この途方も無い印刷作業が、至極まともな仕事に思えてくるほどに、他の仕事が変なのだ。
私、本当にシステムエンジニアだよね……?
自問自答して思わず首を傾げる私の耳に、再び「ピピピ」と印刷用紙の補充を催促する音が入ってきた。そして、滞りなく用紙を補充する私は再び思う。
なんて、平穏でやり甲斐のある仕事なのだろう、と。

 

 

 

新入社員の私にとって、初めての現場はお客様先にあるプロジェクトルームだった。常駐というかたちで会社から10人ほどの人が出向している現場は、新人の目から見ても過酷な環境だった。
セキュリティも厳しく、プロジェクトの内容も実にシビア。何かひとつ間違えれば大きすぎる問題になり、最悪「Yahoo!ニュースに載るから気をつけてくれ」と上司であり私の教育担当でもあった松山さんは口酸っぱく言っていた。
プロジェクトマネージャーとして忙しくする松山さんはもちろんのこと、その他の先輩社員も脇目もふらずに忙しくする。新入社員にかまっている暇はない、と無言の圧力がそこにはあったが、何もしないわけにはいかない。
右も左もわからないなりに何か役に立たなければ、と隣の席の先輩、江藤さんに「何かやることはありませんか?」と聞く。そうすれば、「あー、そうだなあ」と数秒悩んだ素振りを見せた江藤さんは
「池袋にある美味しいお菓子が売っているお店を探して」
と、ITとは全く関係のない仕事を言い渡してくれた。
お客様に菓子折りでも送るのだろうか。そう思いながら検索を繰り返し、今流行のお菓子を紹介する。
「あ、美味しそうじゃん」
「本当ですか。なら、よかったです」
満足そうに頷く江藤に、とりあえずの達成感を抱いたのも束の間。
「それじゃあ、今日の帰りにこれ買って食べてね。明日、味の感想聞かせて」
と、新たな任務が言い渡された。
「え、私が食べるんですか?」
「俺、今ダイエット中で甘いもの食べられないんだ。だから代わりに食べて」
「これって仕事ですか?」
「仕事仕事」
もはや、ワケがわからない。どうして、江藤さんのダイエットに協力するために実費でお菓子を買うことが仕事になるんだ。
思わず顔を引きつらせた私は、周囲を見渡した。私と江藤さんの会話を聞いている人は何人もいるはずなのに、誰も助ける素振りを見せてはくれなかった。
これは、もしかして何をやらせても役に立たないから仕事とは関係のないことを頼んで時間稼ぎをした、ということなのだろうか。
邪険に扱われている気さえした。だからといって、今この瞬間から役に立つことをできるきもしなかった私は、素直にお菓子を買うことにしたのだった。
しかし、時間が経つにつれて、その予想が間違っていることを理解する。
江藤さんの奇妙な指示は、お菓子を買いに行くことに限ったことではなかったのだ。
「何かすることはありませんか?」
質問する私に、江藤さんは変な仕事ばかりを言い渡してきた。
「もうすぐ昼休憩だから、いい感じのお店探しておいて」
「ずっと気になってたんだけどさ、女の人って男から花束もらったら嬉しいもの?」
などなど。時には、江藤さんの仕事での武勇伝を永遠と聞かされることもあった。
楽と言えば、楽ではある。プログラムを打ち込む必要もなければ、小難しい調べ物を頼まれているわけでもない。それでも、これは流石にシステムエンジニアの仕事ではないだろう、と辟易せずにはいられなかった。
私は江藤さんが帰宅したのを見計らい、松山さんに声をかけた。
「江藤さんから、変な仕事ばかりを頼まれるんですけど」
日々の仕事内容を伝えれば、松山さんは「ああ、あいつ、変なやつやねん」となんてことなさそうに言った。
「あいつ普段から仕事が遅くてな。でも、若い女子がいればカッコつけようと仕事してくれるから、お前、役に立っとるよ」
役に立っている、と言われても全く嬉しくはなかった。
「そろそろ、愛想笑いが崩れそうです」
「そこはもうちょい頑張って。あいつがちゃんと仕事するように見張っておいてくれ。それが、お前の使命や」
ここは本当に職場なのだろうか。
想像とは全く異なる現実に思わずため息をつく私に、松山さんは続けた。
不条理への耐性をつけなあかんねん、と。
 
可笑しな仕事は、江藤さん絡みに限ったことではなかった。
プロジェクトルームには度々、お客様である葉山さんが顔を出してきた。40歳前後のおじさんだ。
「調子はどうですか」から始まる葉山さんの話は、「最近、腰が痛くて」や「松山さん、ちょっと老けたんじゃないですか?」などといった感じに推移する。とにかく雑談が好きな人で、他社の新入社員である私にもよく話しかけてきた
「イチゴ飴は好き?」
「はい、好きです」
「じゃあ、これあげるよ」
「ありがとうございます」
愛想良くイチゴ飴を受け取れば、葉山さんは満足そうに頷いた。
「甘いのが好きなら、鯛焼きでも食べに行かない?」
「鯛焼き、ですか?」
「そう。駅前に美味しいお店があるんだよ。今から行こうよ」
業務中にも関わらず、葉山さんはおやつを買いに行こうと誘ってくる。新人の立場でサボり同然の買い物に行くのはどうかと思い、近くにいた先輩に視線を送るが「あ、どうぞどうぞ。遠慮なく楽しんできてください」と、何故か気持ちよく送り出してくれた。
結果、何の滞りもなく私は葉山さんと鯛焼きを買いに行くことになった。
さっさと買って、さっさと戻ろう。
そう思案する私だったが、葉山さんの考えはまるで真逆だった。
「あっちにいい散歩コースがあるから、そっちを通ろう」
と、笑顔で遠回りを提案してくれる。
この人、仕事中におやつを買いに行くついでに散歩もするなんて、暇なのかな?
疑問に思いながらも、私は「散歩コースですか、ステキですね」と答えていた。お客様の機嫌を損ねるわけにはいかないからだ。
葉山さんとの買い物は、遠回りをしたこともあり1時間以上もかかった。流石に時間がかかりすぎているだろう、と不安になる私を裏切るように、先輩は送り出したときと同様「楽しんでこれましたか?」と、爽やかに迎えてくれた。プロジェクトリーダーである松山さんも「でかした。流石やな」と、怒るどころか褒め言葉を投げてくる。
「何で、私は褒められているんでしょうか」
「葉山さん、話し始めると長いから仕事にならんねん。だから、お前がプロジェクトルームから遠ざけてくれて助かったわけや」
「ああ、なるほど」
「つまりこれが、“くノ一作戦”やねん」
「くノ一作戦って、何ですか?」
「若さと女を武器に相手のご機嫌をとることやな」
つまり私は、面倒なお客様の厄介払いを任されていたのだ。プロジェクトを円滑に進めるためには必要な役回りだ、と力説する松山さんに私は悟った。このプロジェクトに置いて私は、面倒なやつの相手をさせるのに絶好な駒なのだと。
若さと女を武器にして相手のご機嫌を取れなんて、セクハラで訴えられても知らないぞ。
内心で毒づくも、これが松山さんの言うところの“不条理への耐性”をつけるための試練なのだな、と私は渋々働き続けた。
「今度、手料理作って写真に撮ってきてよ」
料理本を渡してきた葉山さんの希望通りに、手料理の写真を撮ったこともあった。
「今度、美味しいご飯でも食べに行こう」
仕事終わりに葉山さんと2人きりで夕飯を食べに行くこともあった。
全てはプロジェクトを成功させるためだ、と無理矢理に自分を納得させ、愛想を振り撒く日々を送っていた。
 
しかし、そんな可笑しな仕事ばかりをする中で、唯一、任されたまともな仕事があった。
「お客さんに提出するテスト証跡、全部印刷してほしいんやけど」
プロジェクトで構築しているシステムは大規模なものであり、システム構築までにいたるテスト項目は軽く3,000を超えていた。その証跡となると、3,000の倍、いや、それ以上の枚数を印刷することになる。しかも、各メンバーが個々で管理している証跡をすべて集め、整理し、印刷しなければならない、とてつもなく地味で面倒な作業だ。
けれども、私は「やります、全部印刷します!」とプロジェクトに参画してから一番と言っても過言ではないやる気を表明した。
ようやくまともな仕事をもらえた、と歓喜せずにはいられなかった。
そして、大量の紙束と戯れる日々が始まった。バラバラだった証跡を集め、印刷をし、テスト項目ごとにファイルに纏める。印刷用紙がなくなれば用紙が置いてある4階にまで上がり、10キログラムにもなるダンボールを抱えて1階へと戻る。その繰り返しだった。
システムエンジニアとして就職した私ではあったが、この印刷作業こそが自分の天職なのではないかと錯覚に陥るくらいに、それは平和でやり甲斐のある作業だった。

結果的に、2週間かけ推定25,000枚以上にもなる印刷をこなした私は、社内で「根性のある新人がいるぞ」と囁かれるようになった。
その後、他のプロジェクトでも松山さんから“くノ一作戦”を命じられることはあったが、それ以上に、誰もやりたがらないような途方もなく地味で面倒な仕事を命じられることの方が多くなった。そのほとんどがシステムエンジニアらしくない仕事内容(大量の印刷作業はもちろん、3ヶ月間ひたすらに資料の文言チェックや、一日中、出張費の計算をするなど)であったが、苦を感じることはほとんどなかった。寧ろ、「いやー、やっぱこういう作業は落ち着くな」と、深い安心感を抱きながら仕事に取り組んだ。
どれほど地味であろうが面倒であろうが、“くノ一作戦”よりは遥かにマシな仕事だと、心の底から思っていたのだ。昔どこかで、最初に嫌な仕事を経験しておくと、後々、大体の仕事を楽に感じると聞いたことがあるが、まさにその感覚であった。これこそが松山さんの新人教育の狙いであったのならば、脱帽せずにはいられない。
「不条理への耐性をつけなあかんねん」
松山さんの指示に従い続けた結果、私は意図せず“根性のある社会人”へと成長したのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち。
元システムエンジニア。現在、クリエイターとして革小物を中心に制作活動をする日々を送る。

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2020-06-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.84

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