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週刊READING LIFE vol,109

マフラーさんに閉じ込められた「想い」とは《週刊READING LIFE vol.109 マフラー》


2020/12/28/公開
記事:松本さおり(READIBGLIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「どうしても離してくれないのよ、あの汚いマフラー」
 
先輩ヘルパーのスズキさんは顔をしかめながらそう言った。
 
これは、私が訪問介護の仕事をしていたときの話だ。
 
アイコさんは、訪問介護の仕事をしていたとき、出会った利用者様だ。
アイコさんのお宅には、毎日1回、ヘルパーが家事のサポートのために訪問していた。
 
介護というと高齢者をイメージするかもしれないが、訪問するところは高齢者ばかりではなく、20代や30代の方の家に訪問することもある。
 
多くは、障がいを持つ方や、精神疾患を抱えている方たちだ。
 
精神疾患のある30代のアイコさんの家に行き始めてまだ数回だ。
毎日ヘルパーが入る家の場合は、担当のヘルパーが数人いることが多い。
 
私がアイコさんの家に行き始めたばかりのとき、まだかってが分からないので、先輩のヘルパーであるスズキさんに注意事項を教わっていたときに、アイコさんが肌身離さず持っている薄汚れたベージュのマフラーのことを聞いた。
 
アイコさんは、いつも首にマフラーを巻いていた。春の少し汗ばむような陽気のときも、
そのベージュのマフラーを首に巻いていた。
 
「アイコさん、暑くはないですか?」と声をかけてみたが、目も合わさずに「大丈夫」と言うだけで、それを外そうとはしなかった。
 
よっぽどお気に入りなのだな、と思ってはいたが、春先ならまだしも、夏になってもアイコさんはこのマフラーを手放さなかった。
 
さすがに、真夏に分厚いマフラーをしているのは、熱中症になる恐れがある。
 
部屋の中でも、冷房をかけていなければ熱中症になる可能性がある。
困ったことに、アイコさんは冷房がお好きではないようだった。
 
「夏だし、暑いですよね~。首を出すと身体に熱がこもりにくくなりますよ~」
「一回、お洗濯しましょうか~?」
 
いろいろな言い方で、それを放そうと試みてはみたが、アイコさんの答えはいつも
私とは目も合わさずに「大丈夫」と言うだけだった。

 

 

 

「自分の常識って、他のうちの常識ではないのだな」
 
私が、たくさんのうちを訪問するようになって思ったことはこれだ。
 
その家の、独特のルールみたいなものがある。
 
例えば、家に入るときのルール。
 
玄関を開ける。靴を脱ぐ。脱いだ靴を手で揃えてはダメ。そのまま洗面所に直行。
そのときに廊下の壁を手で触ってはならない。洗面所に行ったら手を洗う。
洗い方は薬用せっけんを2プッシュし、手のひらを10回、手の甲を10回、指の間を
10往復、手首を10回。そして水で流す。そのあと、手で水をすくってうがいをする。
ガラガラ、ぺッ、ガラガラ、ぺッ、ガラガラ、ぺッ、と3回。そしてキッチンペーパーで
手の水分をふき取る。
 
こんなルールを経て、やっと部屋に入ることを許されるうちもある。
 
掃除のやり方も、その家の独特のルールが存在する場合がある。
掃除は上から。というルールの家では、上の方からはたきがけをやり、それから掃除機をかけるが、先に掃除機をかけてから、はたきをかける家もある。そもそも、はたきをかける習慣のない家もある。
 
掃除機のあと床を水拭きするのが習慣の家もあるし、水拭きはしない家もある。
掃除機は使わずに、ほうきで床を掃く家もある。いろいろだ。
 
料理はそのうちのこだわりがいろいろある。
 
味噌汁に入れる大根の切り方も、家それぞれのルールがあるのだ。
 
太い千切りの家、細い千切りの家、いちょう切りの家、いろいろだ。
そこに長年の家の習慣を垣間見ることができる。
 
以前、別の家で、大根の味噌汁を作ったら「大根を千切りにするの?普通はいちょう切りが常識よ」と言われたことがある。
 
私は、大根の味噌汁だったら細い千切りにするので「いちょう切りが常識」と言われた時には、少しびっくりした。
 
でも、それも良く考えたら、私の母が味噌汁に入れる大根を、いちょう切りにしたことがなかったからでしかない。
 
私は、子どもの頃から千切りの大根の味噌汁しか食べたことがないから、自動的に「味噌汁の大根は千切り」と思っているだけで、それに合わせて、いつも千切り大根の味噌汁を作るだけなのだ。
 
そしてそれを子どもの頃から食べ続けているうちの子どもたちも自動的に
「味噌の大根は千切り」と思っているだけだ。
 
「味噌汁に入れる大根は千切りルール」になんとなく従っているだけなのだ。
 
そう考えると、常識って霞みたいに実態のないものだなと思う。
 
ただ、ずっとそうだったから、みたいな過去からの習慣のようなものなのだ。
 
でも、その家の過去からの習慣は、その家の中では「正しいやり方」だ。それが正義だ。
 
その家に携わるのなら、その家の常識に従わなければならない。
 
でも、その家の常識を見せていただくとき、
その方も、その方のお母さんも、そのお母さんのお母さんも、きっとこのいちょう切りの大根の味噌汁を飲んでいたのだな~ と思うと、その家の脈々と続く歴史の一部をちょっとだけ知ることが出来たような気がして、ちょっと嬉しい気持ちにもなる。
 
その家の常識に従う、とは、その方が「いつもの日常」を過ごすことができるように
お手伝いをすることであり、それがヘルパーの大事な仕事なのである。

 

 

 

さて、アイコさんの話に戻ろう。
 
アイコさんは、とにかくどんなときでも、そのマフラーを首から外すことはなかった。
 
一度「お風呂に入るときはどうされているのですか?」
とアイコさんに聞いてみたら、そのときは外して入っているらしい。
 
人がいるときは、どうやらこのマフラーをしないといけないみたいだ。
 
ということは……。
 
そうか! 人がいるときは不安なのだ。
 
マフラーはアイコさんにとって、不安を隠すための鎧みたいなものなのだ。
 
そういえば、子どもたちがまだ小さかったとき、近所のママ友が「うちの子はこの毛布の
はじっこを持っていないと寝てくれないのよ」と言っていたことがあった。
 
ずっと同じタオルを持ちたがる子もいるし、おしゃぶりを手放せない子もいる。
きっとそのアイテムはその子にとっての精神安定剤だったのだと思う。
 
アイコさんにとっても、このマフラーはアイコさんの精神安定剤なのだな。
 
「暑いからそれ外しましょう」「汚れているから洗いましょう」と、私が良かれと思って
した声かけは、アイコさんにとっては、いらぬ親切でしかなかったのだろう。
 
不安を軽くするために必要なアイテムだったのに、それを理解しようとしなかった自分を少し反省した。
 
人のサポートをする、ということは、表面的なことだけでは成り立たない。
なぜ、そのかたがその行動をしているのか、には、その方なりの理由がある。
 
そこを理解しようと心がけなければ、その方を知ることなどできない。
その方を知ることができなければ、一番必要なサポートもできないということになる。
 
私が、そのことに気づいてから、アイコさんへの寄り添い方に、少し変化が現れなのかもしれない。私は何も変えた気はしていないのだけど、アイコさんの私に対する態度は、明らかに変化していった。
 
数か月たったある日のこと、アイコさんのお宅に訪問に訪問したら、いつも首に巻いている
マフラーをしていなかった。
 
「あれ? 今日はいつものマフラーはどうしましたか?」
 
そう聞くと、アイコさんは自分の足を指さして、ふふふ、と笑った。
 
マフラーをひざ掛けにし、座っている両足にかけていた。
 
「首の後ろがかゆくてね、薬を塗りました」
 
そう言って、髪の毛をかき上げて、かき崩して赤くなったうなじを見せてくれた。
 
「虫刺されですかね~、かゆそうですね」そう言ってアイコさんのそばに寄った。
 
これは洗濯できるチャンスかもしれない! そう思ってアイコさんに話しかけた。
 
「今日はいい天気ですよ~。そうだ、大切なマフラーさんを風に当ててあげませんか?
たまには外の空気を吸わせてあげたら元気になるかも~」
 
マフラーさん。
 
マフラーに人格を持たせてみた。
 
「……そうね」
 
お! 了承してくれた!
 
「せっかくだから、マフラーさんを綺麗に洗ってあげませんか?
私、手洗いで丁寧に洗いますよ~! 毛糸洗い、得意なんです」
 
そう言って、毛糸洗い専用の洗剤を手に持って、アイコさんの目の前で振って見せた。
 
うんうん、と2回頷いて、少し笑顔を見せてくれた。
そして、私の目をまっすぐに見てくれたのだ。
 
初めて目を合わせてくれた。
OKしてくださったみたいだ。
 
アイコさんに少し近づけたような気がして、嬉しかった。
 
「マフラーさんお風呂に入れてあげますね~」
 
そう言って、さっそくマフラーの洗濯に取り掛かった。
 
大きめの洗面器にぬるま湯を注ぎ、毛糸洗いようの洗剤を入れてお湯と混ぜ合わせる。
私はビニール手袋をして、そこにマフラーさんをそっと入れ、洗剤液になじませていく。
 
ゆっくりと、毛糸にぬるま湯が染み込んでいく。そっと押し洗いをしていると、アイコさんがその様子を見に来た。
 
「亡くなった母が編んでくれたマフラーなの」
 
しばらくマフラーの様子を眺めたあと、少し遠くを見ながらアイコさんはそうつぶやいた。
 
「お母様との大切な思い出があるのですね」
 
アイコさんが高校生のとき、冬の寒い日にするマフラーが欲しいと言ったら、お母さんが、家に残っていた毛糸を使って編んでくれたマフラーなのだそう。
 
「あのときは、もっとかわいいマフラーが欲しくてね。母がせっかく編んでくれたマフラーなのに、部屋の隅にずっと置きっぱなしにしてしまったわ……」
 
そのあと、数か月も立たないうちに、アイコさんのお母さんはご病気になってしまい、入院することになってしまった。そして、そのまま帰らぬ人となってしまったのだそう。
 
アイコさんの言葉の中に、お母さんが編んでくれたマフラーを喜んであげられなかった後悔を感じた。

 

 

 

あのとき、もっとこうしていたら……。
 
過去を振り返って、このように思うことが誰にでも一つや二つ、あると思う。
 
どうしてあのとき、優しい言葉をかけてあげられなかったのだろう。
どうしてあのとき、一言「ありがとう」と言えなかったのだろう。
 
後悔しても、もうあの時に時間を戻すことはできない。
ましてや、その言葉を伝えたかった相手がもうこの世にいないのだとしたら……。
 
アイコさんにとって、このマフラーは「お母さんとの大切な思い出」であり
自分がお母さんに伝えられなかった後悔の想いを、ずっと忘れないでいるためのスイッチなのだ。
 
「お母さん、ごめんなさい」「お母さん、ありがとう」をいつか言いたくて
それを忘れないでいるために、そのスイッチを持ち続ける。
 
そのスイッチは、Aさんを過去の記憶の中にある「罪悪感」の中に閉じ込める。
 
この「罪悪感」を手放すことは、「お母さんへの愛」を忘れてしまうような気持ちになるのかもしれない。
 
ずっと、そのマフラーを身に着け続けることで、アイコさんは長いこと、罪悪感の中で
一人で苦しんでいたのかもしれないな……。

 

 

 

マフラーから、じんわりと汚れが浮き上がってくる。
 
長年、抱え込んできた「想い」が少しだけ緩んだような気がした。
 
押し洗いしたマフラーを、流水で流し、軽く脱水をして、ベランダの風通しの良い場所に
陰干しした。
 
その様子を眺めながら、アイコさんはこうつぶやいた。
 
「このマフラー、白かったのね」
 
「本当ですね~~。色白さんでしたね」
 
二人で目を合わせてクスクスと笑った。
 
それ以来、アイコさんは、マフラーさんを首に巻いていない日が増えてきた。
 
首に巻いていないときは、ひざ掛けになったり、テーブルに置いてあったりしながら
いつもアイコさんのそばにいて、アイコさんを見守ってくれている。
 
少しだけ「いつもの日常」に変化が起きた。
そこから、アイコさんの病状は大きく悪化することはなくなってきた。
 
前向きな言葉も増えてきて、少しずつ、周りともコミュニケーションをとってくれるようになってきたように思う。

 

 

 

「想い」は時間を超える。
 
罪悪感、後悔の想いは、心を過去の記憶の中に閉じ込める。
 
自分を閉じ込めてきたその後悔の記憶をずっと抱えているということは、巻き戻すことのできない時間の狭間にさまよい続けるということになる。
 
その「想い」を誰かと分かち合えたとき、止まったままになっていた時間の針は動き出すのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松本さおり(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

介護福祉士 心理セラピスト
心理学、タロットセラピー、占いを通して自分を知り自分と仲良くなる方法を伝えている。
言葉の使い方、言葉の持つ可能性を広げるためにライターズ俱楽部に入部。言葉の持つ力をもっと活用できる人を増やしていくのが目標。

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2020-12-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol,109

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