天狼院通信(Web READING LIFE)

聖域としての「圏外」と文豪のフルスロットル仕事術《天狼院通信》


 

記事:三浦崇典(天狼院書店店主)
バナー写真撮影:納多章央
 

今、初島から帰りの船の中で書いている。
初島・熱海といえば、バブル時代のリゾートとして有名だが、そのはるか昔に、熱海という街を、“有効利用”していた人たちがいる。
文豪たちである。
おおよそ、温泉は娯楽目的で、あるいは湯治目的で昔から使われることが多かったはずだが、彼らはこれを真剣勝負の職場として利用した。
熱海の起雲閣という旅館には、谷崎潤一郎、志賀直哉などの文豪たちが訪れ、ここで筆を執り、密談などもしていたことだろう。この起雲閣の別館では、かの太宰治が『人間失格』を執筆している。
『人間失格』のイメージからすれば、みちのくの田舎で、陰鬱とした雰囲気のなかで書かれたものとの印象があったが、実際に作品が執筆されたのは、温泉が湧き、風光明媚であり、海運王や鉄道王やホテル王などが別荘を構える熱海の地だった。
それでは、なぜ、彼ら文豪は、“熱海”を愛したのか?
ここを職場として、原稿を執筆したのか?
そもそも、熱海に限らず、なぜ文豪たちは、温泉地で仕事に精を出すのだろうか。

 

 

 

 

その理由は、明白である。
彼らは集中して仕事をする際に、「圏外」に身を置くことを必要とするからだ。

たとえば、東京で仕事をすれば、編集者が次の原稿を書いてくれないかと訪れる。また、まるで借金取りのように締め切りを過ぎた原稿を取りにやってくる。大小にかかわらず、家族の問題もほとんどダイレクトに煩わしく周りを取り囲み、とにかく、集中することができない。
そういった、“しがらみ”を「オフライン」にすることなしに、彼らは彼らの尊い内面に、深く潜り込めないものと思われる。
それはちょうど、現在の我々がネット環境の圏外に行くことによって、過多な情報から断絶されるようなもので、このしがらみが「オフライン」になった圏外において、ようやく、彼らは超集中の時間を手に入れることができる。

そこで、一度、名作を創り上げてしまえば、もはや、再びこの尊い「圏外」に来ない理由はなくなる。むしろ、しがらみの中の「圏内」で書くことが、比較するととても困難に感じるに違いない。

編集者は、多くの作家を担当することが多いので、たとえば、太宰治が「圏外」で『人間失格』を描き、これがヒットしたとなると、この方法論を他の作家に適応したくなるに違いない。
こうして、文豪たちの間で、「圏外」で超集中して仕事をすることが当たり前になったことは、想像に難くない。

つまり、文豪たちにとっての熱海の魅力は、単に温泉や海ではなく、彼らにとっては東京という“しがらみ”から脱することができる「圏外」だったことが大きいように思う。
様々な温泉地があるが、「圏外」のアクセスのしやすさという点において、熱海や箱根は、有力だったに違いない。
たとえば、有馬温泉や黒川温泉は、東京からは遠すぎて、到達するだけで「旅」の範疇になってしまう。東京の切れない糸として、編集者なども同行することがあっただろうが、有馬温泉くらいになれば、その糸も切れてしまう。
となれば、いかに文豪といえども、そこは仕事場にはなりえない。保養地か娯楽地になってしまう。

戦後、熱海は多くの企業の保養地となった。
文豪というハイパーな仕事人たちが消えてからというもの、小さな作家たちや出版社は、この熱海というハイパー仕事が捗る「圏外」を、単に、無駄とみなすようになった。真っ先に経費が削除される対象となった。
そして、小さな作家たちは、窮屈な東京の、窮屈な喫茶店で物を書くようになった。どうして、それでいい作品などできようか。

バブル崩壊後、熱海は急速に賑わいを失ったという。
昨今ではそれが回復傾向にあるというが、それは決して文豪たちが使ったような仕事場としてではない。
新幹線も停まる、この有望な「圏外」を、今こそ、資源として蘇らせるべきではないか。
たとえば、僕が出版社を経営するのなら、まず、保養所を復活するところから始める。そして、作家だけではなく、編集者も定期的に送り込んで、フルスロットルの仕事場として、フル活用すると思う。

少なくとも、先行して、僕一人は定期的にここに職場を構えようと思う。
熱海だけでなく、九州では由布院に、関西では有馬温泉などに、フルスロットル圏外を創ることによって、効率よく仕事ができると確信するところだ。

今、初島からの船は熱海に着くようだ。
まもなく、新幹線で、また「圏内」に戻る。

 

 

■ライタープロフィール
三浦崇典(Takanori Miura)
1977年宮城県生まれ。株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。天狼院書店店主。小説家・ライター・編集者。雑誌「READING LIFE」編集長。劇団天狼院主宰。2016年4月より大正大学表現学部非常勤講師。2017年11月、『殺し屋のマーケティング』(ポプラ社)を出版。ソニー・イメージング・プロサポート会員。プロカメラマン。秘めフォト専任フォトグラファー。
NHK「おはよう日本」「あさイチ」、日本テレビ「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず2」、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、日経雑誌『商業界』、雑誌『THE21』、雑誌『散歩の達人』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。雑誌『週刊ダイヤモンド』『日経ビジネス』にて書評コーナーを連載。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」講師、三浦が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2018-10-15 | Posted in 天狼院通信(Web READING LIFE)

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