清水の舞台からダイブ! 夫のスーツを新調したら家族が見つめ合ってグルーヴした《週刊READING LIFE Vol,320「この夏一番の〇〇」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/8/21/公開
記事:志村幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
今年の夏、我が家で一番高いお買い物。
それは、旅行でも家電でもなく、夫のスーツだった。
きっかけは、職場の後輩の結婚式。久々の“ちゃんとした場”に招かれた夫が、クローゼットの奥に眠る若かりし頃のスーツを引っ張り出そうとしたのが始まりだった。夫は仕事でスーツを着ない。だからアップデートもせず、おそらく20年以上は経っていただろう。
「ボタン閉まらへんやんな?」
「何キロ増量したとおもてんねん」
「……引っ張り出すまでもないな」
「せや、着んでも明らかや」
お腹が出て、背中は丸みを帯び、なんなら首の後ろにまでこんもり肉が載っている。ひとことで言うと「おじさん」になった。貫禄がついたといえば聞こえは良いが、そういう言葉で片付けて欲しくない。妻としてはシュッとしていた頃を知っているだけに。
かといって、若い頃の体型を維持していたとしたら。いや、それでもアウトだ。古いスーツをそのまま着るのはおかしい。昭和のおじさんが平成のコスプレをしたって、令和にその需要はない。
私は、すぐさま「オーダーしよう」と提案した。珍しく夫もあっさり同意。今思えば、彼自身も「今の自分に合うものが欲しい」とうっすら感じていたのかもしれない。
子育てがひと段落して、夫と二人で出かける機会が増えてきた。そのとき、はっきり気づいてしまった。夫はお出かけ着がゼロだということを。休日の服は色あせたポロシャツ、ヨレヨレのTシャツ。
まあ、理由はわかっている。
仕事と子育ての嵐の中、私の気配り配分は完全に子ども>仕事>家事>>(超えられない壁)>夫。夫は今日も無事に生きている。服は毎日洗濯している。「汚れてなければセーフ」で長年やってきてしまったのだ。
もちろん、何度かは「服買いなよ、新しいの」と言った。
でも夫はもう、自分をよく見せようという野心とか研究心とか、そういう“男の見栄”みたいなものをどこかに落っことして、ろくに探しもせず帰ってきた男だ。
服屋に行っても「どれがいいかわからない」と立ち尽くし、試着室に入る前に「もういいや」と帰りたがる。私が代わりに買おうとしたこともあったが、サイズがよくわからなかった。そして極めつきは、ヨレヨレのTシャツを「着心地がいいから」と手放さない謎のこだわり。「夫をどうにかしたい」という気持ちを、私は自然消滅させてしまった。
そんなところに舞い込んだ結婚式のおよばれ。
私の中で燻っていた、「夫イケおじ化計画」を始めるときが来たと思った。スーツを新調すれば、この先の長い人生でまた夫に惚れ直す瞬間が、ちょっとだけ増えるかもしれない.
私はそうしたいと思った。正直に言おう。これは自分のためだ。隣を歩く夫が少し格好よく見えたら、私の気分が上がる。私の精神衛生が向上する。それはもう投資であり、自分へのご褒美である。そういう単純で自分勝手な理由だ。動機が不純でごめんなさい。
そうとなれば、すぐ行動。
でも、一体どこへ行ったら良いのかもわからなかった。ネットでアレコレ調べてみても、全くイメージがわかない。そこに転がっているのはシュッとしたモデルさんがパリッとスーツを着こなす姿。ちんちくりんな私たち夫婦には、響かない。現実味が無い。「どうせ似合うものがない」と思ってしまう。でも結婚式まであと1ヶ月。もう行動しないと間に合わないことだけはわかっている。ひとまず実店舗に行かねば話は始まらないと、出かけることにした。
何軒かまわってみると、実店舗ではスーツを五感で感じることが出来た。足を運んで良かったと感じた。布の手触り、スーツの形、裏地やポケット、ボタンの種類。一つひとつ選んでいく時間は、家の内装を決めるときに似ていて、ワクワクするものだった。もちろん、たくさんの選択肢を前にするのはそれなりに疲れることでもあったが、担当の方がとても丁寧に、私たち(いや、着るのは夫なのだけれど、ここぞとばかりに口を挟みたいワタクシ)の好みや雰囲気を上手に引き出してくれて、気づけばイメージがふんわりと、でも確かに形になっていった。今回の結婚式だけでなく、その先のちょっといい日常にも活躍してくれるスーツ。「イケおじになってくれますように」と願いを込めて、オーダーを完了した。
結婚式当日、夫と私はリビングで超ネクタイと格闘し、ポケットチーフの入れ方バリエーションを検索していた。総仕上げに、と思ったのか、夫がポツリ。
「なんかええ匂い付けた方がええんんかな」というので、
「せやな、せっかくビシッとスーツを着ても、加齢臭があったら台無しや」と返した。
それをそばで聞いていた娘がおもむろに
「……じゃあ、これ使いなよ」
差し出したのは、小さなガラス瓶。彼女が大事にしている、お気に入りの香水だった。
「え、いいの? お父さん臭くならない?」
「ならないよ。むしろ、ちゃんとした格好でこれつけてたら、“いい人”感出るから」
夫はどこにスプレーしていいかわからないので娘に尋ねる。娘が答える。それをうけて、私が恐る恐る、一吹きしてみる。部屋にふわりと、いい香りが広がる。え? なに? この一体感。期せずして、親子3人の共同作業になった。
私は、その光景を見て、思わず胸がいっぱいになった。
あんなにお父さんっ子だった娘が、数年前は反抗期で夫と目も合わせなかったのに。
「うざい」「近寄らないで」と言い放ち、口をきかない日が何日も続いた時期もあった。
夫は少し傷ついて、それでも「まあそういう時期やん」と言い訳のように笑っていた。
そんな娘が今、自分の大切な香りを、父に纏わせようとしている。
香りは、身体に直接触れる。「これがいいよ」と渡すことは、たぶん、信頼の証だ。それを夫も感じ取ったのか、ガラス瓶を大事そうに手に取って、嬉しそうに「ありがとう」と言った。
新しいスーツと香水で武装した夫は、確かに見違えた。けれど、本当に価値があったのは、そこではない。私が夫に惚れ直し、娘が父に寄り添ったこと。そして、「オレってまだまだイケるやん」と夫自身の自己肯定感が上がったこと。スーツでいきなりこんな「三方よし」ができあがるとは思ってもみなかった。
人生は長い。
どうせなら、となりに立つ人とは楽しく過ごしたい。そして、楽しくするには「余地」が必要だ。最初から完璧に仕上がっている相手と暮らすのは、案外退屈だと思う。改善ポイントが山ほどある方が、手を入れたときの変化が面白い。
夫の場合、その「余地」の宝庫である。
「髪が薄くなる」「お腹が出てくる」我が家の場合、すでにスタート地点がそこだった。改良の余地しかない。やりがいありすぎて、もはや趣味の領域である。
たとえば家の庭。
最初は雑草まみれだったのを、花を植え、石を置き、少しずつ形を整えていくと、ある日ふと見違える。その達成感と同じで、手のかかるものほど愛着が湧くし、変化を楽しめる。家電でもペットでも、メンテナンスが必要なものほど愛おしくなるのと同じだ。
だから私は、これからも夫の「イケおじ化」をじわじわと進めていくつもりだ。髪型、服、香り、姿勢など。ちょっとずつチューニングして、たまに自分が惚れ直す機会を作る。そうすれば、夫婦生活の退屈さを先延ばしにできるのでは、とさえ思う。
みなさんにも、ぜひおすすめしたい。
パートナーを「完成品」にする必要はない。むしろ“まだまだ改良の余地がある”と思って眺めるほうが、人生はずっと楽しい。
高かったけど、買って良かったなー。
≪終わり≫
❏ライタープロフィール
志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
京都在住の道産子。27年勤めた漢方相談店を退職し、2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品が天狼院メディアグランプリに掲載され、66th Season総合優勝を果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。
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