「この人の多さは何だ?今日は祭りなの?」 27年前の4月、自分が下宿する最寄りの新宿駅で降りた時、こんなことを僕は呟いた。
野球中継を見ていると実況のアナウンサーや解説者が「スラッガー」という言葉をよく使う。この言葉は「打球を遠くへ飛ばす能力がある長距離打者・強打者のこと」を表す。
会ったことも、話したこともない卒業生の笑顔の写真。 それを見ただけで、たったそれだけで、さっきまでのイライラは吹き飛び、目の前で笑っている彼を応援したい気持ちになった。
外出するとき、その目的地に行く手段を調べることが本当に便利になった。 携帯でマップや、交通手段の検索アプリを使えば、手元で簡単に目的地への経路や、交通手段の内容、それにかかる時間といった詳しい情報を、瞬時に確認することができる。
10年と10ヶ月。これは、私が愛車ミラココアと過ごした月日だ。 4回目の車検を前に、私は新車を買うことにした。とある中古車販売店さんで。自分史上最高金額の買い物だったけれど、こんなに気持ちよくお金を使えたことは今までになかった。
昨年思い立って車の運転をはじめたが、昨秋にちょっとしたハプニングがあった。 買い物をしようと近くのスーパーに行き、駐車場に入ろうとしてちょっとよそ見をした時に、「ガーン」という衝撃音がした。
「あ、いいこと思いついた!!」 ふとした時に、突然良いアイデアを思いつくことがある。
「これ、知ってる?」 夫から見せられたのは、新聞の地方ニュースの欄だった。 そこにいたのは、私がよく知っている人物だった。「よく知っている」と言うと語弊がある。私が一方的に慕っているだけなのだから。
「え~、ズルい! それって、整形やん」 今から9年前、私は眼瞼下垂の手術を受けた。 人間、誰しも顔の作り、パーツは左右対称ではない。 それにしても、その少し前から気になることがあった。
「尺」と「メートル」の違いをご存知だろうか。 いま私は、伝統的な建築物にまつわる技術、建物の保存方法やつくられるときの伝統的な技術、修復するための技術……などを広く学ぶための学校に通っている。
あなたは、「BEASTARS(ビースターズ)」というアニメをご存知だろうか。 アニメ好きや、マンガ好きは「名前だけ聞いたことがある!」と思う方も多いだろう。
「最近『ウマ娘』関係のフォロワーさんが増えたんだよね」 妹はそう呟いた。
私は「転勤族」ならぬ、「転職族」である。 社会人になってからはや20年が過ぎて、今までの職歴を見直してみると両手で数えきれないほどあり、我ながら驚いてしまう。
これから数十年の間で、水道の蛇口から今のような水を手に入れるのが難しくなるかもしれない。 それは、アフリカやアジアなどのことではない、日本のことだ。
転勤の時に貰った寄せ書きに上司が書いてくださった言葉を、何年経っても噛み砕くことが出来ないまま、もう20年近くが過ぎてしまっていた。
「アジャイル開発を導入すれば、開発スピードがもっと早くなるんじゃないの? 」
もっとよくなりたい。 その思いだけで生きてきたと言っていい。 よくなりたいから、父に怒られないように気を配った。
2階の窓から外をみていた。 遠くに見えるマンションの窓の灯はもういくつもが消えて数少なくなっていた。
自分軸を持とう。自己啓発本や心理学の読み物に書いていそうな言葉だ。そうすれば、他人に流されることもなく自分の人生を生きていける。たしかにそうだと思う。 私がはじめて軸のようなものがほしいと思ったのは、中学か高校の時だった。
僕は2年前の春、会社に入社して21年が経っていた。
「中田に話があるんだ」 そう言って朝日先輩に表参道のカフェに呼び出されたとき、私は向かう東京メトロの中で脳内シミュレーションを繰り返していた。
意外なところで、承認欲求というか、人の顔色を伺うとか、人になんてみられるのだろうか、といったことを自覚なく意識にしていたりすることがあるように思う。
もう、ドイツに移住して、ドイツ人と結婚しようか。 20代後半の一時期、私は、そう、本気で考えたことがある。
もし、マイクを向けられてインタビューされたとしたら、きっと世の中の全ての人がそう答えるのだと思う。
「ふんだ、みんなひどい。みんな私の話を聞いてくれない」 子供のころ、ずっとそう思っていた。
私は、彼の作品を前に、激しく嫉妬していた。
古いカセットテープを見つけた。 実家の大掃除をしていたら箪笥の引き出しからひょっこりと出てきた。 テープの表面に貼ったシールには、「1977年冬 5歳と3歳」とかかれている。
わたしは、「承認欲求」をもっと持ちたい。 なぜなら、 自分が、自分になるために。 そして、そのことに、 他人が、「嫉妬」するぐらい、他人が、「怒り」を持つぐらいに。
4月3日。 ふとカレンダーを見て、今日があの日だということを思い出した。 今から9年前、2012年4月3日、夫は家を出て行った。 正確に言うと、出て行ってもらったのだ。
その頃の僕はどうしょうもないほど疲れていた。何をやっても手ごたえを感じてなかったし、結果も出なった。周りの同僚や後輩がどんどん成果を上げて結果を出している姿をただ見ていることしかできなかった。
人生で、この人に出会えてよかったと心から思える出会いは一体何回あるのだろう。私はそれほど社交的なわけでもないので、自分の人生においてはそう多くはないのだろうなと思うと、同期のタグチさんとの出会いは本当にかけがえのないものだとつくづく思う。
「出版、決まりました」 シェアオフィスの先輩がSNSに書いていた。 よかった! この1年間、企画から構成、執筆と進めてきてやっと夢が叶うのだ。 嬉しさをストレートに出せる笑顔の素敵な先輩。
「どうしたら、成功するのだろう」 その答えを探している人は多い。 もちろん、成功のかたちは一つではない。 起業して一部上場する、大会社の社長になる、小説家やライター、タレントや芸人、芸術家として名を成す、あるいは田舎で農業をして暮らす、人気カフェのオーナーになる、理想のエコライフを送る……
離婚は全然考えていなかった。 子どもがほしかったからだ。 一人になるのがこわかったのもある。 離婚のメリットが見えなかった。
「お前、なんでここにいるんだよ」 ―――静まり返る体育館。低い声でそう言い、私を睨む顧問がそこにいた。
出ない。 そのことを思うとずっと気になってしまい、他のことにも集中できない。 じっとしていてもこの状況は変わりそうにない。
「御無沙汰しています」 昼日中の電話に、私は驚いた。 「いえいえ、こちらこそ不義理を続けて申し訳ない」 咄嗟のことだったので、私は、通り一遍の返答しか出来なかった。
「蒸し暑い!」 約15年前、私が30代半の時に、初めてフィリピンに降り立った時の感想だ。
皆さんは「働く細胞」というアニメを見たことはあるだろうか。 タイトルだけは、聞いたことはある人も多いと思う。
20代後半の頃、仕事関係の方から2年ほど、セクハラを受けていたことがある。
妻は私より一歳年上の姉さん女房。 私は姉さん女房の尻に敷かれるのは全然苦にならない。 どちらかというと、私自ら女房の尻に突進していき、妻の尻に敷かれにいって結婚したようなものだ。
「こんな手紙1つで終わらせようとするんかっ!」 受話器の向こうから怒鳴り声が響いた。それは、小学校の先生からの怒りの電話だった。 私は普段、小学校で使われる教材を編集しているのだが、担当した教材にミスがあったのだ。
その会社に入社して3ヶ月が経とうとしていた。 私は、オフィスの隅っこの席で、みんなに背中を向けて座っていた。 机の上には空白のスケジュール手帳。転職先も決まっていなかった。
数年前、とある大型商業施設の中。日曜日とあって、多くの人で賑わっている。楽しそうにはしゃぐ家族、ゆったりウィンドウショッピングをする老夫婦、腕を組んで仲睦まじげに歩いているカップル。老若男女、それぞれが休日の買い物を楽しんでいる。
仕事から帰って一息着いた頃に来た、オタクグループLINEに目を見張った。 「原駅ステージAは、2021年3月19日をもって、活動を終了します」 なんで、今日いきなりなの……。 Twitterを開いて、メンバーからのメッセージを読み、ようやく現実なんだと思う。
「買うの、やめたほうがいいよ」 師匠が言った。 母も同じことを言った。 まわりの誰もが反対した。 ……だけど、買ってしまった。
「象」は、わたしのビジネスパートナーだ。 わたしは、パーソナルコーチングや会社のチームビルディングなど、人間関係を豊かにするための仕事をしているのだが、その大切さを教えてくれるのが「象」だ。
「先の戦争? それは、応仁の乱のことどすか?」 今でも伝わる、京都の都市伝説だ。 京都の街は歴史が長く、太平洋戦争の戦災に巻き込まれなかったことで、こんなたとえ話が話題となる。多分、こんな都市伝説を実(まこと)しやかに言っているのは、京都に劣等感を抱いている周辺の人々だろう。
自己肯定感の高め方 どんな小さな本屋にでもだいたい置いてある、そんな本のタイトル。タイトルに書いていなくても、それらをテーマにした本は、この世に山のようにある。それは、国内のベストセラーだけでなく、海外で人気を博して翻訳されたものもある。
週末、鳴らない電話を待ちわびる。 リリリリーン とうとう電話が鳴った。 目の前がパッと開けて心が弾む。そして数秒深呼吸して受話器を取った。 「もしもし」
ここのところネット上で “働かないおじさん” 問題が議論されているのをよく見かける。 この単語、はじめ目にしたときは「よくこんな言葉思いついたものだ」と感じた。
「不治の病になったとしたら、生きるのを諦める?」 と問われたら、わたしはこう答える。 「口から食べれなくなったときに、諦める」
この記事を読む前にあなたに1つ思い出していただきたいことがある。この『READING LIFE』の記事を読んでいるのだから、きっとあなたは読書家のはずだ。そんな読書家のあなたに1つ質問をしたい。 「あなたは最近、詩を読みましたか?」 私は詩が嫌いだった。大嫌いだった。
「内をついてカラテだ! カラテが来た! カラテです! カラテが勝ちました」 いったいこの実況は何を言っているのだろう。 一瞬そんなことが頭をよぎった。 もちろんこの実況は空手や格闘技の実況ではない。
今春、娘が高校を卒業し、親元から巣立っていく。 振り返れば、あっという間の18年間だった。 共に笑って、怒って、涙して、駆け抜けてきた日々だった。
アンデルセンの「みにくいアヒルの子」の話を覚えているだろうか。 卵からかえると、ほかとは似ても似つかないほど大きな灰色のヒナがいた。 黄色いヒナたちは、「みっともない」「なんかヘん」と、みにくいアヒルの子を笑った。
「私、捨てられないんです」 私の元にやってくるお客様は、口を揃えてそう言われる。 人間の三大悩みは、お金、健康、人間関係と言われているが、主婦の三大悩みは、夫、子ども、片づけではないかと思う。
「ダメ、不倫なんてダメ」 友だちの不倫話って聴くの疲れませんか? 「先週の土日は、仕事だって嘘ついて泊まりに来てくれたの」 そんなんどーでもいいわ! と思いませんか。
もしあなたが「幸せ」になりたいのであれば、まず試してほしいことがある。 それは「笑顔」を見せることだ。 「笑顔!?」 「何だ、精神論か……」 そう思われた方もいるかもしれない。 ただ、ちょっと待ってほしい。
「本日は弊社30周年記念パーティーにお越しいただき誠にありがとうございます」 来週は本番だ。 一世一代の晴れ舞台。決して失敗してはならない。万が一失敗したら私の人生はおしまいだ。夜9:00 私は誰もいない職場の会議室で人知れず練習を繰り返した。
上司の目を見ながら仕事をして自分の力が最大限発揮できるだろうか? 特に、プロスポーツだと対戦相手を見ていないと試合にならない。でも、同じチームの監督を見ながら試合をする選手はどんな気持ちなのだろうか?
「こんにちは! 絶不調」 そうか! 私、今、絶不調なんだ……! ふと目に入った雑誌の特集のタイトル。 真っ黄色の表紙にスヌーピーのイラストの薄い冊子を手に取った。
高校1年の1学期。 音楽の授業で赤点をとった。 この出来事は、当時通っていた高校では相当に珍しかったらしい。 担任の先生に「音楽で赤点取った生徒なんて、十数年ぶりだ」とまで言わしめた。
言って後悔するのと、言わなくて後悔するのと、どちらかを選択しないといけないなら、 絶対、言わなくて後悔するほうがましだと思っていた。 なので、いつも言わない選択をする。
今まで一度だけ救急車で病院に運ばれたことがある。 忘れもしない数年前のゴールデンウィーク直前の日曜日、私は家に帰ろうといつものようにバスに乗った。15人乗りぐらいの白い小型のバス。その日はちょっと混んでいて、空いていたのが一番後ろの座席たけだった。
「おいしそうなイチゴのショートケーキね。買って帰ってみんなで私の部屋でたべましょうよ」 と、私に支えられながら歩く義母がケーキ屋の前で言った。 「お母さん、食べすぎよ! 我慢して! これ以上体重が増えたら歩けなくなるじゃない。そうしたら私達、本当にお母さんの事、見きれないからね!」
「そんなのおかしいよ!!」 2008年5月19日(現地時間)、世界最古のボールパークとして知られるボストン・フェンウェイパークの観客席で、私は、知り合ったばかりの地元小学生からそう言われた。
その日のことを、私は生涯忘れることはないだろう。 寒い冬のある日、麻酔で眠る直前まで諦められなかったことがあった。 眠ってしまうギリギリまで、私は、何度もあり得ない質問を看護師さんへ繰り返した。
「みなさんは、幸運中の幸運なんですよ!」 免許センターの教官さんってなんでこうも声が大きくて朗らかなんだろうか。 そんなこと言われても、幸運だ、なんて思えるわけがない。
ありがたいことに長生きする家系に生まれている。 最低年齢でも85歳、最高年齢で97歳という典型的なご長寿揃いである。 ほんの10年前までは、祖父母が4人とも生きているということは、私の中ではごくごく当たり前のことだった。
心を病んだことが2度ある。 小学校の頃からずっと武道をやっているので、自分では精神面は鍛えられていてちょっとやそっとのことで心が折れることなんてない、困難にも前向きに立ち向かっていけると思っていた。
ピシッ。 つむじ風が右の頬を鋭く切ったような痛みが走ったのは、 こんな一言を聞いた瞬間だった。 「で、今日は何か新しい情報ありますか」 クライアントの課長さんに言われたのだ。
2019年の年末、僕はふと思い立って体重計に乗った。表示された数字は、 体重 76.5キロ BMI 28.1 ……完全に「肥満」の仲間入りだった。
実家に帰った日、母が嬉しそうに私に話しかけた。 「いいもの、買ったのよ」 母がこういう風に話しかけてきた時、たいていの場合は買ったことを認めてもらいたいという気持ちが見えている。
日本人が、最も身につけたい能力のひとつが、英語力ではないだろうか。 「これからの時代は、英語くらい話せなくては困る」
福岡県某所のとある店先。そこで、私は長考していた。かれこれ、20分以上はこの店でうろうろしている。本当の所、ここで眉間にしわ寄せ悩むのははじめてではない。何度も、足繁く通って、そして同じことを考えている。
「こちらに記帳お願いします」 知り合いにすすめられて、向かった茶会の受付でのことだ。 古いけれど、きちんと手入れされている様子の日本家屋だった。
私にはここ数年、密かに応援しているおじさんがいる。 相手の名前も年齢も知らない。ただ、勤めている会社だけは知っている。
母がまた、癌と診断された。ステージ3という診断だった。
翌朝、筋肉痛で思うように体が動かなかった。ベッドから降りるのも一苦労だった。 それだけではなく、朝からつわりのような吐き気が続き気分が悪く食欲もなくなってしまった。
「おかあさん、みて」 4歳の息子が、嬉しそうに、折り紙で作った新幹線を持ってきた。 黄色い折り紙と、金色の折り紙で作られた新幹線を見せながら、 「こっちは普通のドクターイエローで、こっちは洗いすぎちゃったドクターイエロー。」
子供の頃、何かを夢中で集めた経験がある人はきっと多いのではないだろうか? お菓子のおまけ、ミニカー、お人形、セミの抜け殻なんて人もいるかもしれない。
取材開始の時間が迫ってきた。 zoomや動画の接続を確認する。 スマートフォンを近くに置いて、iPadでスクリーンショットの準備をする。ICレコーダー2台のテストも完了した。
比喩でも何でもなく、無地のノートを探すのは意外と難しい。 文房具屋さんにある、いわゆる「ノート」には、必ずといっていいほど罫線、あるいはマス目が書かれている。 本当にまっさらな紙は、これまた比喩でもなく「チラシの裏」か、ただのメモ帳くらいであろう。
ちょっとだけ、窮屈なのが好きだった。 息が詰まるほどに、がんじがらめでもなく、完全に自由でもない。ちょうど、中間くらいがいい。 学生時代は、それがとても安心だった。
まさにこの瞬間。 近所のファミレスの1人席に座り、アイスコーヒーを口に含み、お気に入りの曲を聴きながら、ノートPCを開き、キーボードに手を置いた、まさにこの瞬間。
「人生は何度でもやり直せる」って言えない時もある。 息子が中学受験を失敗した時もそうだった と読めた。
スマホを持つ手に湯気が湧いた。 「働かないおじさん問題をみんなで語り合おう」 と読めた。
私にとって、一番手離せないツール。 それは、手書きのノート。 携帯が主流というご時世だが、この手書きのノートは欠かせない。 外出するときでも、いつも最低でも3冊のノートは持ち歩く。
私は恐怖に怯えていた。 突然、2カ月後に開催されるマラソン大会への選考通知が届いたのである。 その大会は、私にとって特別なものであり、普通のマラソンとは違う超ウルトラマラソンであった。
私は高校を卒業したとき、偏差値が24しかなかった。 よくその学力で大学に行こうと思ったなと自分でも思うが、しかしその時の自分にはどうしても大学に行かなければいけない理由があった。
2003年の秋、プロ野球球団の中日ドラゴンズが新たに監督を迎えた。 その男の名前は落合博満。
カシャ。カシャ。 不思議だった。 静かな部屋の中で、カメラのシャッターの音が響くたび、私の鎧が剥がれていくような気がした。 ありのままでいい。飾ることなく、恥じることなく。 いつしか、そんな気持ちになっていた。
きっかけは大学の友人が持って来たアルバイト誌だった。 「葵、バイト探してるって言ってたでしょう? はい、駅にあったフリーペーパー持ってきてあげたわよ」 私はその時、大学の講堂の一番後ろの席に座って、授業が始まるのを待っていた。隣に座っていた友人の茜が、フリーペーパーを差し出した。
家が消えた。 消えた、と言っても、火事にあったとか、ローンが払えなくなって手放さざるを得なかったとか、そんな深刻な話ではない。正確に言えば、家を建てる設計をしてもらっていた話が立ち消えになった、たったそれだけの話だ。
“あなたの端末は危険にさらされている可能性があります” 「そろそろ寝るか」と画面を閉じようとしたその手が止まった。 赤い背景に「CAUTION」と黒文字で大きく書かれた画像のポップアップが目に入る。
「お母さんはやめてください。おねえさんか、せめて、おばさんでお願いします」 ハッとした。なんてことを言っているのだろう……。 その一言は打ち合わせの中で、私の口から自然と出た。
「スーパーボウルに招待します。指定の日時に取りに来て下さい」 これは、最近とみにみられる詐欺ではない。これは“おとり”だった。 何故なら、正式な差出人は、アメリカのFBI (連邦捜査局)だったからだ。
初春の夜、私はポツンと一人、バスの停留所にいた。そこには、屋根付きの小さなバスの待合所がある。屋根と側面にしか囲いはなく、強い風と雨が横に吹けば、濡れてしまう。私が腰掛けている椅子も、自然にさらされ、もともと白かったはずのボディが灰色にくすんでいる。
「あなたは1日何時間働くことが出来ますか?」 今では本当に考えられないが、私は新卒で入社した会社で1日16時間、1か月で320時間働くことを約3年間続けたことがある。
「椎名さん もう一件いきましょう」 もうすでに、午前3時を回っていた。 しかし同僚の白井に誘われては断れない。俺達2人は歌舞伎町の区役所通りを歩きながら、入れそうな店を探し始めた。
「え~、またお母さんの勝ち?」 お正月早々、私は実家で母と娘、女三人の勝負に没頭していた。 私の実家は、家から歩いて5分のところにある。 なので、このようなコロナ渦にあっても、里帰り、帰省が高いハードルとならない状況にある。
「あなたは100%でないと満足しないのかな? せめて7割できていれば大丈夫という風には思えないかな?」 体調が悪くなって病院に行ったとき、医師にそう言われた。
頼んでいた家電品が運び込まれた後、玄関の扉を閉めると、急に部屋の中がしんとなった。まだ荷物の少ない部屋は、ガランとしていて少し寂しい。けれども、人生初めての独り暮らしのスタートにちょっとばかりワクワクしていた。
タケシ(仮名)は先制ゴールを取られた悔しさを吹っ切るべく、サッカーボールを必死で蹴る。そして猛烈な勢いでドリブルを続け、相手陣地にボールを運ぶ。
あれは何回目の鑑賞だったのだろうか。 お気に入りの大スクリーンのいつもの座席で、腹の底から響く大音量に身を任せながら映画『ボヘミアン・ラプソディ』のクライマックスシーンを見ていた。
去年の秋に生まれて初めて“兄”ができた。 わたしや妹が結婚したわけではない。ただ“兄”と呼ぶ存在ができた。それは任侠物の映画のように義兄弟の盃を交わしたわけではない。それでもたまたま、わたしのことを“弟”呼んだことがきっかけで“兄弟”となった。
初春のある日。私は、寝不足でふらふらになりながら、写真集を手に大事に持って立っていた。だが、半開きの目の奥は、興奮でギラギラとしていて、約束された時が来るのを、今か今かと待ちわびている。まだ、30分以上時間があるのに、せっかちな心臓は、早く早くと、私を急かしていた。
「この人にはどうやっても勝てない」 私はこれまでの人生で完敗を経験したことが何度かある。 もうこの人には何をやっても勝てないんだろうなと自分の負けを認めざるを得ない人が存在した。
離婚経験のある女性に対して「強い」という尊敬の念を抱いている。というのも私が幼少期の頃に、父にうんざりしていた母から「あんたたちがまだ小さいうちはまだ離婚しないからね」という脅し文句を聞かされていたからだ。
「採用活動は、営業である」 モノを売ることとの違いはあるものの、自分の顔を売り、認めてもらう点は同じである。
「あれ? どこに行ったんだろう?」 2月の朝はまだ薄暗い。 スマホの時計を見ると、6時を回ったところだった。
その時計はずっと父の書斎の棚に置いてあった。埃をかぶって、少なくとも私が物心ついてからは、動いているところを一度も見たことがない。
「この家って、いくらしたの?」 その家の造りを驚嘆の思いで見ながら私は尋ねる。 「うーん、160〜170万円ぐらいかな。200万は行ってないと思う」 彼はそう答えた。
僕の人生に大きく影響を与えた人って誰だろうか? 先日、人生を振り返って記事を書いたときにそんなことをふと思った。
「自分の進むべき道はどこにある?」 会社勤めを辞めてから半年以上が経った。
今話題のClubhouseの画面。聞こえてくるのは乙武さんの肉声。 もともとざっくばらんな人だけれど、テレビカメラのないところはこんな話し方をするんだ。一緒に話しているのは同じくテレビのアナウンサー。これまたテレビカメラに向けた声とは違う、まるで友達と話すような気楽さで話している。
気が付くとソファーの上だった。 またソファーの上でスーツの着たままに寝てしまったらしい。腕時計を見ると6:00過ぎ。もう妻が起きてくる時刻だ。
「走ったら治る」 私の細い足は肥満体を支えきれずに悲鳴を上げていた。 足が痛くて走れない。しかし、練習を止めさせてもらえない。 仲間たちについていけず遅れた。悔しくて、泣きながら走った。
1995年1月17日。 この日は、私の人生の中で忘れられない日の一つになっている。 26年前のあの日、私は夫の実家で大きな揺れを感じた。
人生は選択の連続だ。 その時その時で最善の選択をしたつもりでも、「あの時、別の選択をしていたら今頃はどうなっていただろう?」と思うこともある。
折しも、受験シーズン真っただ中だ。 我が家にも、大学受験を目指す高校三年生の娘がいる。 この一年間は、コロナ禍もあって、いろいろと思うようにいかないことの多い年だった。
変なコンプレックスを一つ抱えている。 普通に生きてきたことである。いや、むしろ幸せに生きてこられたと言ってもいい。 大いに結構ではないか、と人は言うだろう。もちろん私も、幸せに生きてきたと安心感と充足感にほっとさせられる。
昔から母は心配性だった。 家族の帰宅がちょっと遅れただけで、誘拐されたのではないか、事故にあったのではないかと、よくない妄想が広がるらしい。私が高校生の時、模試で帰宅がいつもより遅くなったら、家の前に母が立っていて驚いた。心配のあまり家の中で待っていられなかったという。
「佐藤くん。12月から、内部監査室に異動ね」 確か、新卒で入社した会社の二年目の秋だったと思う。
フランスの旅行ガイドブックや旅行サイトを眺めていると、どこかしらに「急なストライキに注意!」ということが書かれている。これは主に旅行客が大きくダメージを受ける公共交通機関のストライキに関する警告だ。
あっという間の2021年。 つい先日、2,000年問題とか、ノストラダムスの予言とか、騒いでいた気がするのに。あれから、21年もたったなんてゾッとする。
「人間万事塞翁が馬」 この言葉を母に言われたのは、大学1年生の秋のことだった。
「は? なんで俺だけこうなるん?」 幼心に、僕は心の中で叫んだ。 自分だけ不幸な運命に苛まれたような、そんな感覚がしばらく消えることはなかった。
今から約16ほど前、私たち家族は今のマンションに引っ越してきた。 会社員だった夫の会社規約によって、借り上げ社宅のシステムが10年をもって終了することになっていた。
私が幼い頃からずっと、母と祖母の折り合いは決して良いものではなかった。我が家は父方の祖父母と同居する3世代が暮らす家庭だった。
こわくて手が震えていた。 電話の向こうで、お坊さんが激しく怒鳴っていて、その罵声にからだ全身で恐怖を感じていた。
今思えば、その男との出会い方は最悪だった。俺はその日行きつけの居酒屋に入り、カウンターでビールを飲みながら遅めの夕食をとっていた。奴も一人で、隣の席でビールを飲んでいたんだが、あの野郎、手をひっかけて自分のビールをぶちまけやがった。
ひざまずくクラスメイトを見ながら、全身を言いようのない快感が駆け巡るのを感じた。足元から沸き上がったそれは、ビリビリと私を這い上がり、天に大きく広げた10本の指の隅々にまで行き渡った。体温が上がり、自然と口元が緩む。魔女のような高笑いが出そうな自分を必死でなだめながら、私は厳かなセリフを吐き出した。
私は、無性に腹が立っていた。 これは怒りなのか、哀しみなのか? どちらとも言えない感情が、体の中を暴れまわって自分でコントロールできないのだ。
午後からミーティングをするから来て欲しいと、Vivianに言われていたことを思い出した。 ランチもそこそこに急いで会議室の扉を開ける。 待っていたのは、上坂さん、Vivian、チーフの門脇さんだった。
忘れもしない、大学四年の夏休み。 就活が終わり、卒論はまだ本腰を入れておらず、彼氏とは付き合い始めたばかりで浮かれていた私に、ある日こんなメールが届いた。
ピンポーン。 とある休日の夕方、「そろそろ食事の準備をしようかな」と思っていたその時に、インターホンが鳴った。
「お前、また俺のお客さんから受注したっていうじゃねえか。相変わらず汚いやつだな」 と先輩の奥山はいつものようにネチネチと俺につっかかってきた。そのネチネチした言い方、虫唾が走るんだよ。誰だよ、奥山にチクったのは?
日曜日の夕方、ふと携帯電話の画面を見た。着信の履歴が写っていた。 会社の上司から…… 「見なかったことにしょう」
「あなたはクビです」 私は勤めていた会社の社長から突然「クビ」を宣告され会社を辞めたことがある。ドラマや映画などでは見たことがあったが、まさか自分が「クビ」を言い渡されるとは思ってもみなかった。
いきなりで恐縮だが、僕はモテる。 正確に言えば、ある種の女性にとてもモテる。
ゾンビというのは、大学時代のアパート近くによく出没した野良猫の名前だった。誰が最初にそんな名前を付けたのかはわからないが、みんながその猫のことをゾンビと呼んでいた。
友人二人と一緒にパリを旅行したときのこと。旅の最終日、アルバイト先の同僚に持っていくお土産を探していた。小さくてたくさん入っているものがいい。
「チェッカーズの藤井フミヤさんの息子さん?」 これが、昨年夏に藤井風(かぜ)さんを知ったときの私の一言だった。
私には読まないで置いてある本がある。なぜ、読まないのか……。 理由は簡単だ。まだ読む準備ができていないから。
音楽は呻きから、踊りは雨乞いから始まった、という話を聞いたことがある。 抜け出しがたい苦しみの中にあり、やり場のない感情が呻きとなって発せられ、それがやがて歌になったという。
「うまいっ!」 テーレッテレー♪ 電飾の花火を背に背負い、ニカッと笑う魔女を記憶している人も多いだろう。現社名クラシエの大ヒットロングラン商品「ねるねるねるね」のCMだ。
朝起きて、窓を開けると、外は雨が降っていた。 冬の日の雨は冷たい。ひんやりとした空気が、白い息を作り出す。 このような、しとしとと降る雨の日に、いつも思い出す記憶がある。
今でも忘れない、あれは2015年の年末差し迫る頃だった。 私は、勤めて6年ほど経った会社を辞めようか考え始めていた。
「なんだよまたか……」 街の人達から、そんな声が聞こえてくるような気がした。 先日、二度目となる緊急事態宣言が発令されたからだ。
私が大井町線沿線に引っ越してきたのは3年前。ここに引っ越す前まで私は港区白金に25年住んでいた。
皆さんは、文章を書くことが好きだろうか? 文章といえば、読書感想文などの作文を、夏休みの宿題ということで書かされることも多かったと思う。
『ピーナッツ』というコミックをご存じだろうか? 少なくとも、ほとんどの方がそこに出てくるキャラクターを知っているはず。世界で一番有名な犬、スヌーピーが出てくるコミックだ。
年末年始の冬休み、ご飯を食べながらテレビでも見ようかと思い、リモコンを手に取った。幾つかのチャンネルを見てみるけれど、あまり興味をそそられるものがない。
親友のサキと待ち合わせをしたある日、現れた彼女を思わず二度見した。 サキは美人で、オシャレのセンスもあると仲間内で評判だった。ファッション誌に出てくるような可愛らしいコーディネートが好きで、旬をよく捉えた着こなしを見るのは、サキに会う時の密かな楽しみの一つだった。
30代に入ると、素敵だなと思う男性にはすでに家庭があったり、近々彼女と結婚する予定があったりする人ばかりになってくる。
結婚してからパートナーの癖や習慣に気がつくということは、結婚した人なら少なからず経験するだろう。
「やめてよ、バカ」 ふとした瞬間だった。 そう言い放った後、僕は慌てて口をふさぎたくなった。
「危ない、なんだよ!!」 私は突然飛び出してきた人を見て思わず怒り交じりに呟いた。
私がこの記事で言いたいことはただ一つ。 そこの1Kやワンルームに一人暮らしをしている若者よ、STAUBの鍋は絶対に買うな。 買ったら最後、沼に落ちて這いあがれなくなるぞーーー。
あなたの毎朝の言動で気になることがあります。それは、決められた時間に起きられないあなたを起こそうとする私に対して「やめてよ、バカ」と叫ぶことです。
それはいつもぽっかりと時間が空いた時にやってしまうことだった。 検索窓にキーワードを打ち込んで数秒待つ。 待ちながらなんとなく、今日も調べたらヤバいような予感がしていた。
子育てのときって、正常な自分でいられなくなる。 心に余裕がないと、子どもに優しくできない。 お母さんという仕事には、休みがない。
家から徒歩三十秒ほどのところに、まるで遺跡のようなたたずまいの、自転車屋さんがある。 古びた工場を使いまわしたのであろう。裏路地でシャッターを開けただけのところに、自転車が所狭しと並び、工具などが重なっていて雑然としているような店。
初めて生物の教科書を真剣に読んだのは、教育実習生の時だった。 自分が高校生だったときは、教科書より参考書の方がお友達だった。教科書は、お高くとまった貴族のようで、庶民の自分には近寄りがたい存在だった。
いくつもの考えが頭に浮かんでは消える、そんな毎日を何処かで止めたかった。 そんな想いが僕の何処かにあったのかもしれない。 もし、毎日がつまらない、自分は何がしたいのだろう? と悩んでいるのなら、騙されたと思って、思いっきり、浮かんだことをすべて書いてもらいたい。
「みんなと同じのがいい」 私は半べそをかきながら訴えた。 「みんなと同じものなんて、ダメだ」、父は言う。
「やり直したい過去はありますか?」 あなたはこう聞かれたら何と答えるだろう?
深い眠りの中にいるような代わり映えしない日常の中、一筋の光が私を目覚めさせた。 無彩色の壁に囲まれた私を揺り起こす眩しい光。 追いかけたいけれど、それは遥か彼方にあるようで。
ドキドキしていました。 もうすぐ、私の番が回ってくる、ちゃんと言えるだろうか。
「いや、それってどうかと思うんですよね」 えっ、と僕は思った。 「A D H Dだからって配慮して欲しいってのは違うと思うんですよね」 思いがけない言葉に僕は声も出なかった。
ジャズというものを聴いた。 わたしは全くの入門者だ。 ジャズについて何も知らない。 そんな私にもわかりやすく、後藤雅洋さんはお話してくださった。
どうして彼女と出会ったんだっけ? と、思い出をたぐり寄せてみた。 真っ先に浮かんだのは、ただただうらやましいという感情だった。
身分証として免許証を提出するたびに思うことがある。 「何か自分の顔、犯罪者の顔写真っぽくない?」
「自分のことが大嫌い」 こんなふうに思っている人が、この世の中にはたくさんいる。
SNSを始めて14年目になるが、結構な数の人と決別してきた気がする。 もちろん取っ組み合いのケンカではない。オンライン上のゴタゴタである。
「私、Aちゃんが嫌いなんだよね」 子供のころ、学校からの帰り道、仲の良い友達とそんな話をしながら帰ってきたことはないだろうか。
「雄大って嫌いな人いなそうだよね?」 ある日親しい友達から、そう言われた。
知らないうちに、わたしは彼女の「世界で一番嫌いな人」になっていた。
ママ友グループでのいじめって、実際にあると思いますか?
一枚のスナップ写真がある。 この写真を見たり、思い出したりすると、激しい怒りと悲しみがこみ上げてくる。
2020年も、残りわずかとなったある日。私は、ぼんやりとテレビを見ていた。持ち帰りの仕事もなんとか終えることができ、残る仕事は家の大掃除。通年は、我が家に集まる親族たちのため、重箱からあふれるほどのお節を作る母の、サポートをしていた。
「何でも食べられるようになりなさい!」 子どもの頃、母親から言われてきた言葉である。 食べ物を好き嫌いして、残してはいけない。
大人になると、あぁ、私って世間知らずだったのだなぁ、と気づく場面に遭遇する。 「あなた、こんなことも知らないの!?」 と、いう風に他人に責められたことは幸いない。
2011年3月11日。 あの日あなたは何をしていましたか? 僕は、当時派遣社員をしていたコールセンターの仕事がお休みの日だった。
「身体だけでなく、気持ちも崩れてしまいそう……」 長女がそう呟いた。 2017年夏ごろのことだ。
転職は「してはいけない」ではなく、「した方がいい」と今の僕は思う。 転職する前に悩んでいた自分に伝えたい「大丈夫だ、自分を信じて、自分が信じる道を進め」と。
友人が転職する。次の職場は彼のスキルや経験が活きる場所のようだ。 「待遇は今よりも良いし、上司との相性も良さそうなんです。以前から、仕事の相談にのってもらっていて、尊敬してる先輩なんです」と彼から電話で話を聞いた。
転職が「悪」だとか「逃げ」だとかいう時代はもう終わったと思っている。珍しい事でもなんでもない。30も過ぎれば会社を辞めて行った後輩も転職を決めた同僚もたくさん見てきた。
叔父が心理カウンセラーに転職したのは、かれこれ15年ほど前だろうか。 当時私は大学生で、そろそろ自分の就職活動を始めなければ、という時期だったと思う。
「御社を志望した理由は」 この決まり文句から始まる文章を定期的に書くと決めてから3年がすぎた。
社員証を返却して正門を出ると、私はもう一度振り返り、大きな白い建物を見上げながら、13年前に初めてこの工場を見た時のことを思い出していた。
私の心はボロボロだった。 ひとりでいると気付かぬうちに涙が頬を流れることもあった。 今の会社に入社してから8ヶ月ほどのことである。
「お前は就職しても3年以内に仕事を辞める」 「絶対立派に勤め上げることは出来ない」 「そのあとは就職なんてできない」
「40歳ですと高齢者扱いになりますので、2階にお周り下さい」 今から20年程前、求人をしに出掛けたハローワーク(職業安定所)でのこと。
「このままこの会社にいていいのかな……?」 僕はこの疑問をずっと抱いたまま、新卒入社した会社で働いている。
「転職したい」 社会人になってまだ半年の息子がそう言ってきた。
昨年の夏、主婦に転職しました。 ちょっと昔風に言えば “永久就職” したのです。
「今日、少しお時間をいただくことはできますか?」 接点が少ない社員から声をかけられた時に、嫌な予感がする言葉である。
目の前に座っている男は、かれこれ15分ほど顔に貼りついたような微笑みを崩さない。 その感情の読めない微笑みは見ているこちらを居心地悪い気分にさせているし、こめかみをつたってぽたり、ぽたりと垂れる汗は心配になってしまうほどの量だ。
「止めてください」 顔を近づけてキスを迫る、その老人を払いのけて私は、密室を飛び出した。 階段を降りるときに、首にぐるぐる巻き付いたマフラーがほどけて、足下に引っかかりって転んだ。
人はそれぞれある物事に対して紐付けられている感覚や記憶があったりする。わかりやすい例えで言えば、金木犀の香りがすると秋だなあとか。そんなものだ。
ちょっと健気で、くすぐったい思い出。 マフラーと言えば、懐かしい想いがよぎる。
クローゼットの中はまるで朝の通勤電車だった。 服と服が押し合って潰れ、それでも無理やり押し込めたものだから、袖やフードが変な方向に曲がっている。
今日も寒い。 ドアが開くと同時に、冷たい空気が一気に電車内になだれ込んでくる。
人生の初体験は、突然に。
「どうしても離してくれないのよ、あの汚いマフラー」 先輩ヘルパーのスズキさんは顔をしかめながらそう言った。
「そんな一本調子のスピーチでは場の雰囲気がぶち壊しです!」 そういって元アナウンサーの美人講師は私にダメ出しをした。
「いままでは、こちらからどんどん企業をご紹介できたのですが……。この時節です。求人する企業は減ってきています。むしろ、求職者のほうがどんどん増えてきています」 先日、訪れた再就職支援団体で、職員がそう言った。
本日は12月11日。ライターズ倶楽部の課題締め切り日である。この締め切りという日が来ると憂鬱になる。
庭の木と電線を結んで、蜘蛛が大きな巣をかけている。
呪われた2020年がようやく終わる。 今年はコロナ一色だった。 何しろ1月にはコロナの話を聞きはじめ、2月には世界を丸ごと覆ってしまった。
ビッグニュースが飛び込んできた。 私が生まれ育った町が、2021年NHK朝の連続ドラマ小説の舞台になるという。
「ねえ、最近、何か面白いことあった?」 夕方、少し早めに仕事から帰ってくると弟は私の事務所にやってきて、尋ねる。 まるで、面白いことがあったら、「おすそ分けして欲しい」と言っているかのように聞こえた。
今年は在宅での仕事を始めたことや、ご時世的なものもあって家で過ごす時間が格段に多かった。そうすると今や便利なもので、サブスクでアニメも映画もドラマもたくさん観ることができたし、夜が白むまで読書したりと、自宅でコンテンツに溺れることのできた1年だった。
2020年12月4日、待ちに待った鬼滅の刃の最終巻が発売された、私はしっかり書店予約して手に入れた。今から鬼滅の刃全体のネタばらしを思う存分書くので、ネタバレが嫌な方は残念だがこれ以上読まないことをオススメする。
「何て不愛想で、攻撃的なんだ」 私が彼に持った第一印象は決して良いものではありませんでした。
このコロナ禍の中、「鬼滅の刃」が大ブームとなっている。 最近刊行された単行本の最終巻は200万部を超えるベストセラーとなり、 映画「鬼滅の刃 無限列車編」も史上最高級の興行成績を見せているということは皆さんもご存知だろう。
温かく燃える暖炉と、たくさんのご馳走。 家族みんなで過ごす聖なる夜。 その日、サンタクロースは、一年で一番大忙しだ。 です。
十年間ほど教職を続けていると、生徒から無茶ぶりを強いられることが、何度かあります。 いろいろありますが、最も困るのが、 「先生、おもしろいこと言って!」 です。
「こんな機会を与えてくれて、ありがとう。どうしても言わずにはいられなくて……。 あれは忘れもしない、OL時代のこと。 同期に入社した、ある男性のことがずっと気になっていたのだ。
みなさんは、子どもの時怖かったものを覚えておられるだろうか?
『ア・ナ・タ』 これは、世界一短いラブレターとして有名な電報だ。
小さい頃、私の相棒はふかふかの黄色いタオルだった。 いつもそのタオルを抱きしめて眠っていた。 バスタオルにしては少し小さく、フェイスタオルにしては少し大きい、中途半端なサイズ感。 どこかの会社のロゴが入っているようなありきたりなタオル。
ドン、ドン、ドン、ドン、……。 7:30AM。 2階から降りてくる、少し重い感じの足跡が近くなってくる。そしてリビングのドアが開く。
「愛している」 この言葉を直接口にした男は日本でどれくらいいるのだろう? こと日本の男は愛情表現が苦手である。特に40代である僕よりも上の世代は奥さんや恋人に一度も言ったことはない人も多いだろう。 僕もその中の一人であるのは間違いない。 でも、ふと、言いたくなることはある。
天狼院書店の新講座、「1シート・コンテンツ」の課題を今しがた提出したところだ。 この講座、ライティング・ゼミやライターズ倶楽部のように課題を添削してくれるわけではない。なので課題という言い方は適切ではないかもしれない。
質素倹約。 人によっては、褒め言葉と捉えるだろうし、悪口とも捉えられる。
この世に生を受けてかれこれ30数年、今のところ私はお金で苦労したことがない。 こんなことを書くと「自慢ですか?」という言葉が飛んできそうでちょっと怖いけれど、自分の実感として素直にそう思っている。
クレジットカードの明細書の金額を見て、驚いた。 今までよりも圧倒的に、引き落とし予定金額が少ないのだ。
新しい生活様式と言われて早くも半年ほど。 変わったのは生活様式だけではない。プロレス観戦も変わった。
「有難うございます!助かりました」 私は、満面の笑みでTさんにお礼を言った。 Tさんの眼鏡の奥の瞳が、ニコちゃんマークのようにカーブを描いた線になる。
「ありがとうございます」 私は他人と比べてこのコトバを使うことが多い気がする。
『自助・公助・共助』 東日本大震災以降、災害球の台風が来たり大き目の地震(熊本地震等)が来るたびに、よく聞かれる様になった言葉だ。
「え~、なんで譲るのよ……」 人間が出来ていない私は、心の中で思わずそう叫んでしまった。 ホント、いつも思うが小さいヤツである。
昼寝の最中にスマホのバイブレーションで目が覚めた。なんだろうと思って通知をみるとLINEの通知画面が表示されていた。差出人の名前を見てギョッとなった。
あなたは、「お茶くみ」って、好きですか? そもそも、お茶くみなどという言葉は、今使われているのかな。 やったことある人、どのくらいいるんだろうか。
「お願いします~、ゆるしてください~、なんでも言うこときくからぁ~!」 日曜日の夕方、そんな叫び声が近所中に響いていた。
「――あのさ、実はお兄ちゃんが」 「……えっ」 黒い雲に覆われた空が、明るくなり、身構えたとたんにガラガラという音が響いた。
「キンドルの中身の本は、本屋さんで買えるのですか?」 その問いに驚いて、声を発した中年の校長の目を思わず覗き込むが、冗談を言っているわけではなさそうなことに、美恵子は深い絶望を覚えた。
「お母さん、行ってきます」 外で遊ぶことを覚えた小学4年の夏から実家を出る一昨年まで、母にこの言葉を何回口にしたのだろうか。
職場にKちゃんという女の子がいた。Kちゃんは26歳。私よりも8つぐらい年下で、一見すると憂いなど抱くことのない若者だと思っていた。
『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』 このフレーズに出遭ったのは、私が高校生時代の1975年のことだった。
「青年たち、できることからやれ!」 僕の師であり保守派を代表する評論家・思想家の西部邁(にしべすすむ)からこの言葉を聞いたのは、まだ先生がご存命のときだ。
「就職先どうするの? やりたいことはあるの? そろそろ決めないとまずいんじゃない?」 大学3年生の夏休みが終わる頃、有紀に就職先について質問された。
「今でもママは一線級で働いていると思います。私は大人になっても働くつもりです。その素晴らしさはママを見ていれば分かります」 部屋の片づけをしようとして開けた箱の中から見つけた手紙。ちょっとほこり臭い色褪せた便せんに書かれていたのは、40年前の自分が母に宛てて書いた手紙の一節だ
「なんでそんなこと、話さなきゃいかんのや!」 いきなり怒鳴られた。 人から怒鳴られることには慣れていなかった。大学3年生のゼミ。初めてフィールドワークに出たときのことだ。
「えっ? 旦那?」 違うっ! 違うってば! こんな時に旦那なんて言うわけないじゃん!! 私は、心のなかで激しくツッコんだ。
「あなたは、橋の下で拾った子だから」 幼い頃に、母から発せられた言葉を今でも覚えている。
「大きくなったら何になりたいの?」 あれは確か、小学校低学年の時。幼少期からお世話になっていた小児科医院でのことだった。顔なじみの看護師さんがにこにこと、健康診断で母とやって来た私に問いかけたのだ。
「まだ終わらないぞー、まだまだ!」 「ここでくたばっていたら泳げないぞ! 頑張れ!」 コーチたちの怒号が響く。
言葉を仕事にしている。 広告コピーを書くことでお金をもらっている。 「コピーライターですよね」 と言われることが多い。
人生の節目に、何度も唱えてきた言葉がある。 「何かをすることは、つねに、何かをしないことなんだよ」 20歳のころ、大学で教育学の講義中に聞いたものだ。
私には子供がいません。結婚は40代ギリギリ手前でした。子供は好きだけど、それから出産しても高齢だし、健康体に産んであげられないかもしれない、そう思ったら子供は諦めようと思いました。
「Yちゃんっていいな、色が白くてかわいいな」 「Kちゃんっていいな、いつもかわいいお洋服着ていて」 小学生の頃、思い出してみると、私はいつも周りの友だちをじっと見てばかりいた。
「いやだ。濡れちゃったじゃない」 急に振り出した雨に、近くの店の軒下に急いだものの間に合わなかった。 その日おろしたばかりの青いブラウスに、雨粒が濃い染みをいくつも付けていた。
「帯状疱疹ですね」 遡ること約4年。 皮膚科を訪れた私は、その病名を告げられた。 以来これまで、私はこの後遺症と共存している。
「いくぞー、せーのっ」 物心がついてきた幼少時代のことだ。小さな溝をまたいだ格好で、同じ方向に並んだ5人の子ども達は順番にきれいな放物線を描いた。その時、一番後ろにいた私だって気持ちの上では同じように放物線を描いていた。
父親は涙を流しながら、僕を叩いていた。 それを遠くから見ていた母親も涙を流しているようだった……。
「パシッ」 よろける身体を転ぶまいと立て直した。すぐに2回目に同じ音がした。頬が一瞬熱くなって、気持ちがこわばるように冷たくなった。
「何か知っていることあるかな、ゆみちゃんについて」 あれはたしか、小学校の高学年のことだった。
「大人しくしないと、刺すぞ」 突然、低いしゃがれ声が背後から響いた。
私は、結婚して既に35年も経つが、一度たりとも‘血縁者’たる子供が居たことが無い。多分。 これは、結婚する時の約束の一つに“生涯、子供をも設けることは無い”と在ったので、間違いない。
ドーーーン!!! まるで巨人が家を揺らしたかのような衝撃。 僕は思わず起きる。いや、思わずというよりは、体に備わった防御本能、スイッチが自動に押された。
それは、近所のファミレスで昼食をとった帰りのことだった。 「ん、ん、ん!」 一人称が「ゆーたん」から「ぼく」に変わって幼児の雰囲気を醸してきた三歳の息子が、ファミレスの駐車場で夫の手を必死に引っ張った。
あと少し、あと少し……。 パン! と音が鳴った……。
コーヒーをここ1年ぐらいでよく飲むようになった。 元々大好きだったわけではない。むしろそんなに好きではなかったと思う。
長い人生の中で、1分という時間をどのように使ってきただろうか。 今や平均80年以上生きる私たちのスパンから見ると、それはあっという間なのかもしれない。
自分で言うのもなんだが、私はかなりのダメ妻、ダメ母である。 なにかに集中すると、他のことなど片っ端から忘れてしまう。特にこうして文章なんぞ書いていると、ゴハンが出てくるまでかなり時間がかかるし、もの忘れに至っては、あり過ぎて枚挙にいとまがない。
「早くしないと、遅れるわよ!」 いつもの妻の声が響いている。 妻が玄関の扉の外で、チラチラと中を窺いながら落ち着かない様子で立っている。
そろそろお腹周りがヤバくなってきた。 そう思って鏡で自分の腹を見る。見事にRIZAPの使用前みたいな腹だ。僕がトレーナーなら真っ先に「三ヶ月であなたの人生変えてみせますよ!」と全力で口説きにかかるだろう。それくらいの太鼓腹。
「1000日しか営業しないラーメン店がオープンしたらしい。行列ができているらしいよ」 私はアメリカのボストン近郊に住んでいる。そんな話を知人から聞いたのは、2018年のことだった。
「何でできないの?」 私は、娘を問い詰めた。 「どうして分からないの?」 次第に、語気が荒くなっていく。
「俺、変態だから」 まただ。この男もそれ言うんだ。 陽子は、驚いたふりをして、大きな声で言ってみる。
彼氏のいない生活を数年送っている。何年かというのはもう数えたくないので数えない。一応片手で収まるぐらいである。指3本分ぐらいだ。
「そんな恰好でこの席に来るなんて、反省しているのか?」 しまった! これは私の落ち度だ。
「フェイスブックのアカウントは閉じることにした」 そんなメッセージと共に夫が私に送ってきたのは、『Social Dilemma 』(ソーシャル・ジレンマ)というNetflix制作のドキュメンタリーの予告版のリンクだった。
「やばいやばい。もう1時じゃん。いそがなきゃ」 「どうしたの?」 二人の男がトイレに入ってきたようだ。
オタクはね、仮面を脱いじゃいけないんだよ。 誰から聞いたのか思い出せないけど、耳に残る言葉。私は、今日も、他所行きの仮面を被って出勤する。絶対にずれないように気をつけながら。
僕の家にはパンツの番人がいる。そいつは決まって夜現れる。僕がお風呂に入る時、シャワーを浴びる時。決まってそいつは現れる。そいつは僕の行く手を阻む。着替えを用意する僕の前に立ちはだかる。そいつはいつも違う形で僕を翻弄し邪魔をする。面白いけどさ。さっとお風呂に入りたい僕の邪魔をする。
オフィスの玄関をくぐったとき、いや車を降りた瞬間かもしれません。そのとき、気の抜けたありのままの私から、仕事モードへと切り替わるのです。
―どんな奥さんを目指しますか? ―ぐうたらな妻 友人の結婚式で配られた新郎新婦プロフィールの一文を見て、私は衝撃を受けた。
それは金曜の夜だった。友人と表参道で食事をし、終電近くにほろ酔い気分で帰宅すると、珍しく家の留守電が赤く点滅していた。
「怒ったことあるんですか?」 たまに聞かれることがある。 どうやら他人から見ると、ぼくは怒ったことがないように見えるらしい。
2020年、新型コロナウイルスの流行でそれまでの世界が一変した。 国内の大都市で広まりを見せ始めた2月ごろ、当時私が住んでいた鹿児島県では、まだ感染者が出ていなかった。
「省エネ大賞の経済産業大臣賞を受賞しました!」 それまで所属していた部門を異動してから2年になろうとする頃のこと、おめでたいニュースが飛び込んできた。
もうすぐだ。 WindowsのPCのモニターの、右下のデジタル時計を食い入るように見つめている。 17:00に代わると同時に、シャットダウンをクリックする。 さ、今週も良く働きました! 帰るぞ帰るぞ!
「どうしよう」 私は真剣に悩んでいた。 もうかれこれ2日間、この状態だった。 何度も書いてみては、確認する。
あれは10年近く前のことだった。 「ちょっとこれから話があるので喫茶店に行きましょう」 当時僕はある特許事務所で働いていた
「あの番組見た?」 「見ました、今回もかなりおもしろかったですよね!」 「え、なになに、何の話?」 「見たほうがいいですよ!」
思いがけず人から褒められることが苦手だった。 昔のバイト先の音楽事務所で 「資料を探してコピーしておいて」 「チケットを売って、お金を集計して」 と仕事を頼まれることがあった。
「琴乃さん、ズボン汚れてますよ」 初めて働き始めた20代初めのことだ。仕事が終わり、同じ職場の人達数人で食事に行くことになり目的の店に歩いていたときのことだ。
「また、手術しなきゃいけないかも知れない」 8月下旬、夜遅く帰宅した息子の言葉にお皿を洗う手が止まった。
「今日は遅くなるよ」 そう言って夫はでていった。
シュラシュラシュラ 「かわいいな」 シュラシュラシュラ 「欲しいな。あ~でもなぁ!」
もし、「時給30万円の仕事がある」と言われたらあなたは引き受けるだろうか?
今から十年くらい前だったと思う。確か、あの時はお正月の三が日明けで当時勤務していたコールセンターの初出勤の後だったのを覚えている。 「篁(たかむら)さん、今日仕事終わったらヒマ?」
“BLACK LIVES MATTER” (ブラックライブズマター) 「黒人の命も大切だ」(1) 私の住むアメリカで、今年の5月25日、ミネソタ州、ミネアポリスに住むジョージ・フロイドさんが警察に暴力的に拘束され、死亡させられるというニュースがテレビやインターネットを通じて報道された。
「えーっと、何だったけなあ」 「あー思い出せない……」 とにかく毎日を過ごしていると、いろいろなことをよく「忘れる」。 「ああ、この前読んだ本。なるほど! と納得したけど、何に納得したんだっけ。なるほど! だけは覚えているんだけど……」
「今回はアイツの逃げ道、絶対潰してやらないと」 壁の向こうから、先生の声が聞こえる。 もしかしたら、私のことかもしれないな…… そう考えるとキリリと胃が痛む。
「いいですか、ちゃんと聞いてくださいね?」 「……はい」 友人の白い細やかな手が握ったボールペンが、手帳の白い紙の上をなめらかに滑っていく。そこに、規則正しく複数の線が引かれた。マニュキュアを塗っていないけれど、整えられた、桜貝のような爪先が、線を指差す。
みんなにも理想があるように、僕、榎田にも理想がある。 「欲しいなをみんなの手に」 僕はこの理念に惹かれて、新卒でマーケティングのベンチャー企業である、プリズムコーポレーションに入ることに決めた。
2011年8月。 ガタガタ道を一関からレンタカーでひた走った。震災後まだ数ヶ月。車は陸前高田の街を目指していた。2時間ほど走っただろうか。最後の峠道を抜けると、視界がひらけた。
2019年9月、プロレス界の盟主新日本プロレスの年商が約54億円に達したと親会社であるブシロードが発表した。この数字は1972年に団体を興して以来、過去最高でありプロレスがコンテンツになりえるというのを証明したことになる。
一瞬、目を疑った。 (……この人か?) 似ているのか、それとも似ていないのか。確信はない。 ないんだけど、そうかも。 40年もの歳月が、判別をできにくくしている。
「いつでも、逃げれる準備はできているだろうか」 何を言っているんだ、「そんなの簡単だよ」って、言われているのが聞こえて来そうだが……、本当だろうか!?
大学を卒業してすぐ教員になった。 生徒指導に悩み、20代後半の夏休みは東京都が用意したスクールカウンセラー研修に通った。3年目に受けた上級コースでは数日間、同じような悩みをもつ小、中、高の先生20名と一緒に、専門家の講義を受けたり、実践演習を行った。このときのメンバーとは、その後も数年間、月に一度の自主研修会を続けたほど親密になった。
私は毎週1回、幼稚園に入園する前の2,3歳児を預かって野外保育を主催しています。 今年で7年目になるこの活動では「やりたいことを極力止めない」というのと同じくらい「やりたくない気持ちを認める」ということを大事にしています。
「つらければ逃げてもいい」 世の中はそんな風潮のように思います。
「仕事行かなくて良いの?」 朝8時半。シングルベッドの隣でゴロゴロしている男に尋ねられた。 「いいの。今日は休むの。会社にメールした」 「………………」
僕は久しぶりに怒っている。本当に怒り狂っている。 こんなに他人の文章を読んで憤慨するのはいつ以来だろうか。 読み終わった後に、心拍数が上がり、 呼吸が荒くなり、微かにめまいがしてきたくらいだ。
「どうして別れちゃったのかなあ」 いつだったか何かの飲み会で、先輩がグラスを空けながらぽつりとそうこぼした。
コミュケーションでの悩み。これは人類普遍のテーマではないだろうか。アドラー心理学で有名なアルフレッド・アドラーは、 「悩みの90%以上は人間関係にある」 と言っている。私もその通りだと思う。
「あのぁ……、いえ、すみません」 なかなかうまく会話に入れない。そんな経験をずいぶんとしてきた。 特に大勢で話しているような場面では、うまくタイミングを見て会話に入るということが苦手。特にお酒が入る場では、お酒が飲めないこともあって、その場のノリについていけない。
「怪しい人だったらどうしよう……何か売りつけられたりしないかなぁ?」 どうしても不安が拭えず、母に顛末を話して聞かせることにした。
教員をしていると、生徒から学ぶことが多い。 コミュニケーションで大切なことは何かを、私は新採で勤めた定時制高校で学んだ。 私に生涯忘れられない後悔と、深い気づきを与えてくれたUさんの話をしたい。
「ジャンボ!」 そう言いながら頭にロングスカートと同じ柄の布を巻き、赤いジャケットを来て、現れるのが定番のママ・ミリアムを思い出した。
闇の文書を解読せし同胞よ! 紅蓮の業火に身を焼かれながらも、女神の息吹に癒され、現世の営みに祝福あらんことを! (訳:読者の皆さん、毎日暑いですが、しっかりと涼を取り、日々を健康にお過ごしください)
タコの化け物、だろうか? 緑だけで描かれたそれは、あまりの異形さに、背筋がブルリ、と震える。 うねる触手を携えた顔、なのだろうか? 三対の目が、こちらをじっと見据えている。
「ポリープがありますね……」 それは5年前。2015年の1月だった。 毎年受ける健康診断。検査に引っかかり再検査。大腸内視鏡検査を受けることになった。
「もう、こんな季節なんやねぇ」 「そうやな」 実家で、兄と居間を掃除しながら、世間話をする。私は、仏具を拭き、兄は仏壇の中のほこりを落としていた。兄がぼんやりと呟く。
空が光り出した。音も鳴り出した。1度なら気のせいと思うけど、2度3度光って鳴り出すとこれはもう気のせいではない。雷だ。
「あのね、お母さん、用事があって今日保護者会に行けないから、先生に連絡帳出しておいてくれる?」 「うん、いいよ」 あれは中学生の頃だった。
セブンイレブンで私は泣いていた。 お弁当の陳列棚の前だった。 月曜の夜23時、やっと仕事を終えて、疲弊した体を引きずって夕飯を買いに来た。 なのに、食べたいものが見つからない。
嗚呼、ドラマチックな人生よ! たった1回の人生を、思いっきり楽しむために必要なのは、「ドラマチック」という名のスパイスなので、あ~ります!
怒り狂うのだろうか。 それとも意気消沈して沈んでいくのか。はたまた奮起して一からやり直すのか。それは人それぞれだろう。 どんな人であれ大きなショックを受けるのは間違いない。どんな形であれ自分が積み重ねてきたものが価値がなかったということは、自分自身に価値がないということ。大きな傷になる。
「沖に出よう」 そう切り出したのは、確かに私の方だった。
「このあと、空いてない? どうしても誰かとご飯が食べたくて」 誘ったのは、私からだった。 基本的に仕事終わりはぱっぱと帰りたいタイプの私は(そもそも仕事が終わらないので帰るのが遅くなることが多い)、たとえ金曜の夜でもあまり自分から人を誘わない。
「可愛がる子ほど、遠ざかる」 そんな言葉を誰かが言っていたような気がする。
2020年7月31日、厚生労働省が発表した2019年の日本人の平均寿命は、男性81.41歳、女性87.45歳だった。30年前と比べて女性は5.68歳、男性は5.5歳延びたそうだ。 これが介護などを必要とせず、元気で自立した生活が送れる健康寿命になると男性72歳、女性75歳に下がる。
母校で教育実習をした時、私を慕ってくれた女子生徒がいた。 当時、彼女は高校三年生、私は大学四年生だった。 女子トークで盛り上がり、それから20年以上、年賀状のやり取りが続いている。
「週間ランキング5位に福岡のAさんがランクインいたしました、おめでとうございます!」 「おめでとうございます!」 約一年前の福岡天狼院書店。文章の書き方を学ぶ「ライティング・ゼミ」の授業の為、受講生が集まっていた。
音楽は国境を越える 昔から良く聞く言葉だ。 例えば、、ビートルズやローリングストーンズ、ボン・ジョヴィ、エアロスミス、マイケル・ジャクソンなどなど日本を席巻した海外のアーティストは多い。
登り始めて、40分。 猛烈に後悔している。 私は登山が好きで、天気のいい週末はどこかの山に登ることが多い。 今回は大分県の由布岳・標高1830mに挑戦していた。
「あれ?」 ある朝、バルコニーで洗濯物を干していた時のこと。 専用庭の向こうを横切ったものがあった。
「はは、そうですね……」 そんな言葉とうつろな視線で、それが愛想笑いだとすぐに分かった。 どうしても人の愛想笑いには敏感になってしまう。
「Aさんって大人しいよね」 「あはは……」 高校2年生の春、教室で昼ごはんを食べている時のこと。進級し、友人になったばかりの同級生に声を掛けられ、私の隣に座っていたAは曖昧に笑った。肯定でもなく否定でもなく、ただその言葉を受け入れる。
幼い頃から、人と争うことを極度に嫌う性格だった。 だからといって、自分自身、仏のように穏やかな性格であったわけではない。好き嫌いは激しいし、納得できないことがあればすぐに不機嫌になり、友達ともよくケンカをした。
「そりゃ孫やけん、2人とも可愛いけどね。 あの子の方が、真心が感じられるけん可愛いたい。 あんたも優しいっちゃ優しいけど、あんたの優しさは“気を遣って優しい”けんね」
「それじゃあ、社員証の写真撮りますからそこの壁の前に 立ってもらえますか?」 え? 今撮るの? こういうのって証明写真撮ってくるものじゃないの?
「京、お昼ごはんをご馳走するから、私のオモニ(お母さん)に、日本語を教えてくれない?」 韓国の語学学校で日本語を教えていた時、英語のキム先生にそんな提案をされた。 そうして、私は、初めて韓国人の同僚の家にお邪魔することになった。
「楽しくもないのに笑えないよ」 思春期の頃、何度この台詞を口にしただろうか。穴があったら入りたい。面白おかしいことがあって笑い転げてばかりなのに、はい笑って、とカメラを向けられて微笑むのが苦手だった。
日本人の若者が、比較的自由に海外旅行へ行くことが出来る様になったのは、40年ほど前からだったと記憶している。即ち、還暦前後の私の世代が、第一世代となる訳だ。
雄介は息をのんだ。まるで人間のようだ。 しなやかな顔の皮膚。まぶたをわずかにつり上げてみせる表情には驚きが読み取れたし、口角が下がってうつむくそぶりには悲しみが伝わってくる。 大学の表情研究のためのAIロボット。上半身のみのロボットに様々な表情をつくる。
「横浜は、快晴だった。 空はこんなにも明るく青いのに、わたしの気分はとても鬱々としていた。
「担任の先生から呼ばれて、友達はいるのかと聞かれた」 3年前の出来事だ。5年生になる息子が夕食時にポツリと言った。 「それで、どう答えたの?」 「うん、いると答えたよ。『友達は誰?』って聞かれたから、ジェイムス(仮名)って答えた」
「いや〜。めちゃくちゃキャリアウーマンでこわそうに見えました! A面とB面のギャップが大き過ぎますよ〜」 遡ることかれこれ20年以上も前。新卒で入ってきた女子から言われたのが最初だった。
私は立川、48歳のICT企業に務める、サラリーマンである。こんな年ではあるが、もう出世コースからは外れており、プロジェクトリーダーはやるが、役職は主任どまり。この歳になってもプレーヤー業務に埋没している。
「……もうダメだ」 今年の初春のこと。外ははやくも春の陽気で、少し汗ばむくらい。外出日和のいいお天気。なのに、私は、産婦人科の待合室で、紙のように白い顔をうつむかせて震えていた。
それは今から48年前だ。この作家と出会ったのは。 もうかれこれ半世紀になる。 その作家の処女作は『20歳の微熱』 彼が20歳の時の作品だ。
実は、短歌を作ることが好きだ。 文を書くことも好きだけど、短歌をじっくり詠むことも好きだったりする。 俳句だと字数が足りなくて表しきれない。文章だと時に散漫になる。
怪談話には耳をふさぐ。 家族の誰かが、ホラー映画を観始めたら、いそいそとリビングから撤退し、ひとり、部屋で明るいポップミュージックを聴きまくる。 怖い話、映像、音だって、私は大の苦手である。
私の部屋には、一応、神棚がある。 そこには、様々な神社やお寺から頂いてきたお札や御守り、おみくじが並べられている。 部屋に招き入れた友人たちから『節操がない』と言われている私の聖域。 その中に、二つ、小さな箱に入った日本人形がある。
もう20年以上、理系の職場で働いているが、理系の人が書く文章って0か100だと思っている。 どういうことかと言うと、必要がある人は100%読むと思うし、必要がない人は絶対に読まないと思う。なぜなら理系の文章の一番の目的は、情報伝達だからだ。
「私は死神か!」 冷蔵庫を開け、思わず呟きました。 野菜室には、黒くてドロっとした球がひとつ。 確か、1週間ほど前に買い求めたレタスだったと記憶しています。
「あっ、なんかコレ、いいな」 人との出会いと同じように、本との出会いもまた不思議なご縁を感じる。 ふと、立ち寄った書店で、思わず手を伸ばした本から人生を変えるような影響を受けることはしばしばあるものだ。
「 おやすみ、日本 とんとんとん」 これは作家、辻仁成さんのツイッターで、最後によく書かれている言葉だ。 これを初めて見た時、涙が溢れた。
「出所祝いおめでとうございます!」 「いや、出所じゃないです。ボク刑務所入ってないですから」 都内の高級焼肉店、大柄な男二人が笑いながら語り合っている。
鬼滅の刃ブームが留まるところを知らない。 先に断るが、私は紙単行本派なので、既刊21巻までしか読んでいない。週刊少年ジャンプ本誌ではとっくに最終回を迎えているが、私の中ではまだ終わっていない物語だ。
読み終わって、後悔した。 面白くなかったのではない。 むしろ、最高に面白かった。 悔いているのは、この漫画を買う時に心の中で少しだけ高を括っていたことに対してである。 私は漫画より、本が好きだ。
「ねぇ、おばちゃん」 私はその言葉に振り返った。声を投げかけてきた人物をロックオンし、瞬時に眉を吊り上げる。
「おばさん」という言葉はどうしてこうも響きが悪いのだろう。
「おじいちゃんがおばあちゃんを殺したの?」 「琴ちゃん、違うよ。絶対に今言ったことを二度と口にしたらだめよ。 違うんだからね」
「きょうからは“オバ活”だ!」 そう呟いて、シャネルの口紅をゴミ箱に捨てた。 本音を言うと、色は可愛いけど、唇の皮がカピカピになるのが嫌だったんだ。
皆さんのこれまでの人生で「○○のおじさん(おっちゃん)、○○のおばさん(おばちゃん)」と呼ぶことができる人物と出会ったことがあるだろうか。
「いやー、良かったですよ。女性が一人入って。 『おじさんズ』になるところだったよ」 クライアント先を訪問するメンバーを見て、ふと上司が呟いた。
「え? こんなに白いんだ……」 「そうですね、ちょうど半々くらいかな」 床に落ちている自分の髪を見て驚いていると、美容師さんがそう教えてくれた。
若者の街・原宿はいつでも流行の発信源だ。今ではすっかりブームが終わったタピオカ店が何十店も軒を連ねてお互いに若者に向かって存在をアピールしていたのが今ではほとんどが閉店をしているらしい。
今、母が闇に飲み込まれている。 いや、20年ぐらい前には飲み込まれはじめていたと思う。
いま共感しているアニメがある。『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』である。なんとも長いこのタイトルに全てが集約されている。このタイトルにもある乙女ゲームをやったことがあるだろうか。
東京で過ごす夜。 煌々と輝くビルの明かりを、わたしは淡々と眺めていた。 赤坂のホステルで、ぼーっと本を読んでいると時刻は11時。 明日も早い。 LINEの通知は1件もない。 泣きたいな、と思ったけど、とくに泣く意味もなかった。 そのまま眠りについて、夜の闇に包まれた。
突然眠りから覚め、目を開ける。真っ暗で何も見えない。 窓を打つ大きな雨音と激しい風音が、部屋を揺らしていた。 手を伸ばし、隣に寝ているはずの母の姿を探すが、みつからない。
「あなたってイクメンだよね」 私はこの言葉が大嫌いだ。理由として2つある。
「いやあ、医学博士の方がいらっしゃるんですね。びっくりしました」 いやいや。 「クワハタさんはこの業界ベテランだから、いろいろ教わってくださいね」 いやいやいや。
「世界には満足に食べられない人もいるんだから、お腹いっぱい食べれられるだけでも幸せよ」 子供の頃、母親によくそんな風に言われた。
「アメリカ等、海外では子供が親に『クソババア』って言わないんですよ」 海外で活躍されている日本人の教育関係者の方が、日本で行われたとある会合で参加者に言った。その言葉を聞いて私の顔は引きつった。
もう30年ほど昔の話ですが、高校時代の私の金曜夕方のお楽しみは、「光戦隊マスクマン」をテレビで見ることでした。 いやー、自分で書いててなんですが、 せっかくの高校時代、青春まっさかりの若者の金曜夕方のお楽しみがテレビ、しかも、特撮戦隊物で良かったんだろうか?
2020年7月1日、三歳になった息子の断乳を決行した。 母乳はミルクや離乳食、幼児食が食べられるようになるにつれて赤ちゃんの命綱としての役割が薄れていく。
強盗に遭ったことがあるだろうか。 私は、ある。包丁で脅された。 だけど、日本ではない。南米のエクアドルだ。 エクアドルは、バナナとガラパゴス諸島で有名な国だ。
「オネエサン、イクラ? 」 立ち並ぶ雑居ビルの隙間に立つと、室外機からはねっとりとした温風が流れてきて、そこで暖をとっていた繭子は、目の前の男を見た。
2年前の1月、僕はカンボジアにいた。 カンボジアでの雷体験が僕のことを大きく変えてくれるきっかけとなった。 40度の炎天下で流したものは額から流れる汗と、心の中で流した嬉し涙だった。
20数年ぶりに登る急な坂道。 梅雨の蒸し暑さもあって、額には汗がにじみ、息が上がってくる。
「嫌だ! 絶対に行かない!」 娘が泣き叫んでいる。 今日は地域の小学校区のお祭りが開催される日であったが、娘は頑なに参加することを拒んでいた。
プロレス復興。 最近ファンとして嬉しい言葉をよく聞く。確かに1000人の会場に100人しかいなくてソーシャルディスタンスどころか詰め詰めにしてお客さんが入っているかのように演出していた時代と違ってチケットは取りにくくなっている。
現在絶賛入院中だ。 7月1日に良性の卵巣腫瘍を摘出するため、腹腔鏡手術を受けた。
メタファーは、ロールプレイングゲームの宝箱のようなものだ。 コンテンツを読み進めながら、ふとした1行に込められた意味をみつけていく。
「なんかこの曲、よくわかんないや。何がいいの?」 大好きな曲に対してこういう指摘をされたとき、わたしは何と答えればよいかわからなかった。
「お前って、いつも自分で話して、自分で笑ってるよな」と友人から何気なく、 言われた。
「ねぇ、あの映画見た?」 「見た! マジでヤバくない!」 「ね、めっちゃヤバかった!!」
“バトン”と聞いてブログの“バトン”が思い浮かぶ私は、大概おじさんである。実際この記事を書いている7月4日は私の誕生日であり、また一歩おじさんとなる日であった。失礼、正直どうでもいい情報だ。
会社での改善活動発表会でのことだ。 「インバータ機なのに、吐出側のバルブを絞っていたので、絞り損失が発生していました。そこで、バルブを全開にすることで、○○%の省エネを実現することができました」
「こんにちは〜」 「こちらでは初めまして。夏に池袋であった舞台を観に行ったんです。すごくよかったんで、伝えたいなって思って今日は来ました!」 「そうなんですか? ありがとうございます!」
「勇気の翼を両手に、ディープインパクトがはばたいた!」 実況アナウンサーは思わず叫んだ。 2006年11月27日、東京競馬場。 その日はジャパンカップという大レースが行われていた。
「裸祭り」って、ご存知ですか? 私は岡山に住んでいるのですが、岡山の西大寺という地区には、2月の真冬に行われる「裸祭り」という、男たちの祭りがあります。
バスに43時間、乗り続けたことがあるだろうか。 日本だとしたら、北海道の最北端宗谷岬から鹿児島県鹿児島市まで車で移動しても、37時間。
「話をしたい人の名前は?」 死者と話が出来るという老婆は、彼女自身が本当に生身の人間なのか分からないほど浮世離れしていた。
「鬼滅の刃」という漫画が、超絶な勢いで人気が爆発している。 週刊少年ジャンプ掲載、吾峠 呼世晴(ごとうげ こよはる)による連載で、2016年に連載開始、先日最終回を迎えた。コミックスの売れ行きも絶好調、アニメも絶賛、10月には映画の公開も決定している。
小学1年生の娘は、我が家でいちばんの読書家だ。 朝、布団から抜け出すと、本棚から読みかけの本を取り出し、パジャマ姿のままページを開く。顔を洗って着替えなさいと促しても、なかなか本から顔を上げようとしない。
「いやいや、どうしてこうなった?」 水浸しになったトイレを見て、唖然とする私。
教養とは無駄な知識であり、不要なものである。 そして、教養がある人は自分が持った知識をひけらかすことがほとんどで、話も長い。
なんで、ここに僕はいるんだろう。 なにひとつ、話が噛み合わない。みんなは、盛り上がっているのに。 うなずくことしかできないなんて。
「人生は時に諦めの悪い人にだけ、微笑みかけてくれるものかもしれない」 どこかで、学生として学びを終えた瞬間に、仲間と学ぶ事はここで終わりだろうって、感じる事はなかっただろうか。
高校生の時、カナダに語学留学をしていたことがある。 大学までの一貫校に通っていたわたしは、高校卒業直前の1月から3月の期間に時間があり、そのタイミングで3ヶ月ほどの語学留学をすることにしたのだ。
そもそも自分で「私って、教養がとてもあるんです」などと言い出す人なんているのだろうか。 人がどのくらい教養があるかないかの判定なんて、正直よくわからない。しかしながら人は教養を身につけたがる。
まもなく還暦を迎えようとする父と、食卓を囲んでいた時のことだった。 「知ってるか?年を重ねると、“教育”と“教養”が必要なんだぞ」
まもなく還暦を迎えようとする父と、食卓を囲んでいた時のことだった。 「知ってるか?年を重ねると、“教育”と“教養”が必要なんだぞ」
『血液型による性格分類に科学的根拠はない』 高校時代、生物の教科書でこの一文を見て驚いた。
「人間観察バラエティ モニタリング」というテレビ番組がある。ざっくり言ってしまうと「もし芸能人が変装して潜入していたら、気付く?気付かない?」みたいなドッキリ検証の番組だ。
涙が出た。 「残念ながら、閉店することになったんですよ」 今、一番読みたくない言葉だ。 今、一番悲しい言葉だ。 今、一番頭に入ってこない言葉だ。
血が騒ぎ肉躍る、まさに私にとっては「祭り」だ。 1日のほとんどの時間を仕事に費やしてきた私には、そんな瞬間がある。 多くの人にとっては苦痛に感じる瞬間だろう。私も、一瞬は「あちゃー……」と顔をしかめてしまう。しかし次の瞬間、「やるぞ!」「どれどれ、解決してみせようじゃないの」と気合が入る。
小学四年の先生は、毎日「書写を五分する」という宿題を出した。 生徒に書写専用のノートを持たせ、一日五分、国語の教科書の本文を写させる。同じように、毎日作文を書く、という宿題もあった。
山積みになった本を1冊ずつ手に取り、付箋が貼られた箇所を開く。 付箋を剥がすための作業なのに、いちいちそのページの文を目で追ってしまう。
小さい子どもを抱えるママほど、本を読まない人種はいないと言われている。 本が大好きなのに、なかなかじっくり読書ができないでいる自分に、実はコンプレックスを感じている。
「面白い本だと、すぐに読み終わっちゃう」 「月に10冊以上は本を読むかな」 そう語る人は少なくない。 本好きならば、よくある話だ。それでも時折、違和感を覚えることがある。
突然ですが、「医学博士」ってどう思います? 「えっ! お医者さんなんですか?」 「すごく頭いいんですよね」 「なるの大変なんでしょ?」
六畳敷の畳の私室には、勉強机と本棚。 2つとも私が小学校入学の時に買ったものなので、かなりの年代物だ。 そして、窓側の端には、就寝用の布団が一式。 その布団の山に上半身を預けながら本を読むことが、私の読書の作法であった。
「この本をそれぞれが読んで、その後、感想を話し合おうよ」 S君は2冊の本を両手に取って表紙を私に見せた。
「次はどんなテキストがいいですか?」 「うーん、そうですねー。何か中国の歴史に関するようなものが読みたいです」 「おぉ、そうですか。どの時代に興味がありますか?」 「春秋戦国時代です!」
「明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう」 「神の臨在の中にこそ私たちが必要とする安全があるのです」
まいった。本当に、まいってしまった。 眼の前にある看板は、どうみても『close』と書かれている。 いつもなら開いているはずなのに。
私は決して読書が好きなタイプではない。 「本は読んだほうがいい」そう一般的に言われているから、読んだ方がいいから読む。読みたいから読むのでなく、なんとなく世間一般的に沢山本を読んでいた方が、えらい人っぽいし、人間的に成長できそうだし、だから読む。
それは、一本の電話から始まった。 「ヨボセヨ! ヨボセヨ! ケイ、サン、イマス、カ?」
その凛とした横顔に見覚えがあって、思わず目をそらしてしまった。 彼女に気づかれたくなくて、私はマスクを鼻の上あたりまでしっかり押し上げた。
「最後に何か質問ありませんか?」 また来た。この時間。 一瞬会場がしんと静まる。 気まずい。 この気まずさが本当に嫌だ。
「金澤さん、クラウドファンディングやってくれへん?」 そういきなり社長に言われたのが2020年2月4日のこと。忘れもしない、終業後の暗くなった食堂で唐突に降りかかった指令。
段ボールにうず高く詰め込まれたティッシュの山。 「こちらのティッシュを配っていただけますか」
「明日もまた仕事か……」 このセリフを心の中で何回も思った人は、1人や2人ではないだろう、アルバイトを含め、仕事を経験したことがある人は、皆、一度は使ったことがあるセリフだろう。
目の前には途切れないお客さん。後ろには怖い上司。 大学3年生のときに始めた初めてのアルバイトは、ターミナル駅にある大型書店だった。
同世代の人よりも、いろんな仕事を経験してきた。 おかげで「自分の好きな仕事はなにか?」という問いに対する答えが見えてきた。
「そして、こんなものまで生ゴミから出てくるんですよ」 とその人は言いながら、私が驚きの顔をするのを(来るぞ来るぞ)と待ち構えている子供のように、私を横目でちらちら見ていた。
夜中にこっそりパソコンを開く。
「はあ……」 忙しなく働く印刷機に手を添えながら、私は人知れず深い溜め息をついた。それは、陰鬱を理由にしたものではなく、安堵を理由にしたため息だった。
今、農業に従事したいという人が増えているそうです。 特に都心で暮らしている人にとって、自分で畑を耕し、自分で世話をした野菜を食べるという、いわゆる「スローライフ」は、憧れの生活様式かもしれません。
「君はここでどんな仕事がしたいの?」 上司との人事評価の面談で毎年必ず問われる質問だ。
小学生の時、偉人の伝記を読むのにハマったことがある。 野口英世、マザー・テレサ、手塚治虫、ナイチンゲール……。 世界にはこんなに多くの人々に貢献して、その名前を歴史に刻み付けてきた人がいるのかと、いろいろな偉人の伝記を読むたびに感動していた。
始末書なるものを人生で初めて書いたのは、大学2年の春のことだ。 横浜は、みなとみらい。ヨットの帆をイメージして作られたホテルの従業員控室で、私は俯いていた。
「うわー! こんなに調子良くしかも綺麗にしてくれて、ありがとう」 総てが自分の功績でなくとも、こう言われると悪い気はしないものだ。 そう、『ありがとう』は魔法の言葉だ。
「文章」には魔力とも言えるような大きな力がある、というようなことは何と無く分かるが、同時に、私たちはそれが万能の魔法具ではないことも知っている。
「おい、お前の名前が載ってるぞ!」 男子が思いっきり大声で、私のところに言いに来た。 「え……? なに、それ」 「お前の名前が、学年通信に書いてあるって!」
小学生だった頃、よく詩を書いていた。 正確に言えば、宿題や授業中に先生に書かされていた。 当時30歳前後だった先生は、とにかく血気盛んで怖く、そんな先生に書けと言われれば、クラスメートの誰も逆らうことはできなかった。
本を読むのが嫌いだった。 小学6年生からのことだ。 突然に嫌いになったのではない。段々と、着実に「文章」というものに嫌気が差し、読む気力を失ったのだ。
私は昔から語学ができるようになりたかった。ペラペラと流暢に話せたらカッコイイのに。それなりに色々な勉強に手を出したものの、どれも実にならない。 「やっぱり留学とか、現地に駐在とかした経験が無いと、無理なんだろうな」 そんな風に思っていた。
「だって、俺、作文きらいやもん」 お母さんに連れてこられたAくん。席に座ってふくれっ面をしている。横ではお母さんが困った顔で無理矢理笑顔をつくっている。
助けてください。今、僕はとても困っています。 中毒なのか、禁断症状なのか、自分でもわかりません。みなさんに 読んでいただいて、どうしたら、この苦しみから解放されるのか、 教えて欲しいと思って書きました。思い当たる症状はありませんか。
あるところに悪い魔女が居ました。 その魔女は、ある男の子の文章の力を恐れていました。
「ずっとブログを読んでいます」 ここのところ、対面ではなくて、zoomというツールを使ってオンラインでの仕事が増えている。 私はもっぱら、お茶会を開催している。
1日1日、気が付いたら終わってしまっている。 そんなことないだろうか。 僕はそんな日々をずっと過ごしきた。
「30年以上かかったけど、ようやく義務教育卒業ですね」 そう言ってもらえているような気がします。書くことを始めて約半年がたった今、僕はやっと義務教育を終えることができた、そんな気がしているのです。
いきなりだが、あなたはラブレターを書いたことはあるだろうか? LINEなどで告白する場合もあると聞くこのご時世、自分で書いておいて、「ラブレター」という言葉が昭和チックな古臭いもののように思えて恥ずかしくなる。
一人は気楽だな。自由でいいな。 婚活をしながらも、どこかでそう思っていた。
「これからの人生でやりたいことがないなら、今死んでも寿命が来て死んでも一緒な気がする」
シナリオとはどんな意味だろう?と思って調べてみた。
「敵と戦うか、逃げるか」 「宝箱を開けるか、やめておくか」
「あんたも、変わってるわね」 「何が?」 「いつも1人で、もがいてるだけじゃないの」
ありきたりな事実であるが、人生思い通りにはならないものである。子どもの頃の夢を叶える人や、期待した展開通りの人生シナリオを送る人は、大変まれである。
もうすぐ三歳になる息子を産んだ時、どこかほっとしている自分がいた。
「性能の良い物、速い物は、先ず、格好良くなければならない」
料理なんて嫌いだ。料理なんて大嫌いだ。料理なんてもうしたくない。
瞳を閉じて、小さく深呼吸する。 神経が研ぎ澄まされ、空間が自分のものになっていくような感覚。
魏の斉王の正始九年一月、重臣司馬懿一族が起こしたクーデターにより、実質国の頂点にあった曹爽一族は、三族皆殺しの刑の憂き目にあった。これ以降、かの曹操を祖とする魏国の皇族は衰退の一途を辿り、司馬一族が権勢を握る晋が興るのである。
「結婚しようと思うんだ」 ケッコンシヨウトオモウンダ。 交際期間半年。恋人が放った言葉の意味がすぐには理解できなかった。
蠅に憧れる。 そう言うと、ただでさえ少ない友人がさらに減ってしまいそうなので、今まで誰にも告げたことがなかった。
何かを得るためにはリスクを伴うのが常である。そして「かっこわるい大人」になることも、そのリスクの一つである。 兼行法師の『徒然草』に、このような記述がある。
大人になる機会を逃してしまったと思っている。
「流石(さすが)に、流石に今回は禁煙しようと思います」 本格的に外出衣自粛要請が出される直前の3月30日、私が行ったFacebookの書き込みだ。普段から、私の書き込み等には、殆ど反応が無いものだが、今回ばかりは、100を超える“イイね!”と同数に近いコメントが書き込まれた。
なんてかっこ悪いんだろう。自分が情けなくなった。 ズキズキズキズキ。 朝起きると、痛みははっきりとしたものになっていた。
「あなた、途中入社だけど、短大卒でキャリアなしね。 うちの会社はキャリア採用というのがあるんだけど、 あなたの場合はそれと違うわね」
大人になんてなりたくない。 大学3年生になり就職活動が本格化していく中、私はそんな風に感じていた。今から20年以上前の話だ。
感染者数なのか、実効再生産数なのか。それによって意味合いや受け取り方は全く異なる。報道は、世間を不安に陥れ、煽っているようにも見受けられる。情報の海の中。本当に欲しい情報は、自分で取りにいかないとないのか、とさえ思わされる日々である。
あ、やばいかもしれない。 そう思った次の瞬間、目の前は、真っ白とも真っ黒とも判断しがたい色に染まった。
小学4年生の娘は黙ってキッチンに入ってくると、目に涙を浮かべながら、緊張した面持ちで言葉を一言ずつ絞り出すように私に話した。
確かに若かったことが大きい。 少なくとも今よりは体力があっただろう。 時間もあった。
「今度色々話を聞かせてくれない?」 4月に入って間もない頃、オランダに住む友人から久しぶりにメッセージが来た。彼女は元医者で、今はセラピストをしながら、SNSで日々様々なメッセージを配信している。
「建築」は人類最大の娯楽である。 なんて、書いたらどうお感じになるでしょうか?
「どうやったら、こんな過酷なことに耐えられるんだろう」 そんな単純な疑問がきっかけだった。
カレーが好きだ。 世の中にはいろんなタイプのカレーがあるけど、特にどのジャンルが好きと言うこともなく、満遍なくカレーそのものが好きなのだ。
自宅でできないことなんて、もうない気がする。 新型コロナウィルスの影響で外出自粛がつづき、もう1ヶ月ほど家からほとんど出ない生活が続いている。
「今、時間ありますか。レンタルできますか」 おっさんレンタルのお客さまからLINEが来た。 何度かリアルでお話を聞いた30代前半の女性からだった。
「……うわっ、これ、なんだ?」 画面に映し出されたエコーを見ながら、医師は言った。 「これ、ちょっと、この黒いの、なんか嫌な感じするなあ」
よくツイてるとかツイてないとか、幸運、不運とかいうけど、どういうことなんだろう。運というのは、多分皆にある程度同じようにあるものだという気がする。運と言うのは、実は自分のすぐそばにいつもあって、それに気づけるかどうか、なのではないかと思う。
ブータン王国と聞いて、あなたは何を想像するだろうか。 私にとってブータン王国は、小学校の時の地図帳で見たインドと中国の間にある小さな国だった。
一度だけ、「運」を物理的に掴んだことがある。
「同じこと、何度言ったらいいの?」 ついつい詰問口調になった。
「Facebookでメッセージしてみたら」 ある人との出会いは、知人のこの一言がきっかけだった。
結婚生活が円満な夫婦と、うまくいかない夫婦、その違いはなんだろう。 新型コロナウイルス対策による政府の緊急事態宣言からはや3週間がたち、日本のみならず、世界のあちこちで文字通り世界が変わった。
ううう、ハワイに行きたい。 ハワイ島に行って、シャンカリのリトリートに出たい。 でも、有給休暇全部使ってしまった。
「今朝、おばあちゃんが亡くなりました」 母からメールを受け取った時、私はストックホルムの小さな安宿にいた。
チラリと見た時計の針は15時47分。 「落ち着け、落ち着け」心の中で必死に自分に言い聞かせる。周りではほかの受験生が鉛筆を机におく音がする。ラスト3分で投げ出すわけにはいかない。
じゃんけん。 その歴史は意外と浅い。 唐の時代に、原型となる拳遊びが日本に伝わり、様々な形を辿りながら人々に受け継がれてきた。
自分のことを、運が悪い人間だとずっと信じていた。 小学校の授業中に、私はよく友人から話しかけられた。けれども先生に「おしゃべりしないで」と注意されるのは決まって私の方だった。
強運の持ち主である、ひとりの男の話をしよう。 彼には生まれたときから使命が課せられていた。この世のどこかで待っている運命の女性を見つけ出し、結ばれなければならないという使命が。
「運命は(自分で)作るものだ」 “砂漠の英雄”の異名を持つ、トーマス・エドワード・ロレンスの言葉だ。一般的には、巨匠デビット・リーン監督作品『アラビアのロレンス』の主人公と言った方がお分かり頂けるだろう。
約7年付き合った人と別れた。何となく感じてはいた。あまり会話しなくなったし、話しても何となく噛み合ってないし。喧嘩も増えた。だから感じてはいた。
「これって……何?」 そのコメント欄を数時間ぶりに開けた途端、全身に冷水をぶっかけられたかと思った。 どの言葉も、みんな、私に敵意を向けていたからだ。
「女は子供が生まれても働いたほうが良いよ」 20年前、30歳になったばかりのことだ。イギリスで女性学をかじった私は、中学からの親友との食事の帰りにそう言った。
長崎県に「端島(はしま)」という島がある。 かなり有名な島なのだが、この名前ではあまり知られておらず、通称の方がよく知られている。 その名も「軍艦島」という。
ガシャガシャと音がする。 フェンスを握りしめる手が痛い。靴先をフェンスの穴にねじ込んでなんとか足場をつくる。もう少し登ろうかそれともやめようか。とはいうものの、ここからの降り方がもうわからない。
2019年10月12日19時30分。 その時、私は避難所にいた。
「だめだ、もう苦しい……」 船を作って1年経った。小さな船。資本金100万円の広告制作会社だ。
「だめだ、もう苦しい……」 息はすっかり上がりきり、心臓の鼓動は最大級で、その振動が指先にまで伝わってくる。 並木の桜は、すっかり葉を茂らせていた。 程よい木陰をみつけ、足を止める。
「はい、このインボイス、よろしくね」 毎日、担当の営業マンから、輸出用の書類を受け取ることから私の仕事は始まっていた。 1984年、大阪の短大を卒業後、私は同じく大阪の中堅商社に就職した。 そもそも、商社を選んだ理由は短大時代の親友のススメだった。
「いっそのこと、壊してしまおうか」 そう思ったことは、一度や二度ではなかった。 IT企業に勤めて3年目になる私は、毎日のように、「壊してやりたい」と思っていた。
「ねぇねぇ、理沙ちゃんって、会計士なんだよね。なんで働いてないの」 せっかく勉強して、立派な資格持ってるのに、もったいないじゃん。 その質問だけは…… 今まで避けてきた話題。気のきいた返事ができない自分がもどかしい。
「今日は家庭教師、土日は居酒屋、あと単発のバイトもやってる」 大学時代、多くの友人たちはバイトをしていた。中には自分で学費を稼がなければならないといって、いくつものバイトを掛け持ちしている友人も少なくなかった。 本気でそう思っている。
本当のことを言うと、働きたくない。 そう書いてしまうと、身も蓋もないので、言い方を変える。 「ローマ時代の貴族のように、労働を奴隷に任せて、詩歌を作って生きてゆきたい」 本気でそう思っている。
「死ぬ気で働いたことある?」と相手は僕の顔を見て言った。 この言葉が僕の頭から消えてくれない、一人に言われた訳ではない、社会人になって何人にも言われた。
「ピッピピピッピピ♪」 午前2時頃、携帯の着メロが鳴り出した。「ハァ……、また何か有ったのかな」。眠い目をこすりながら電話に出ると、夜勤中の部下がすまなそうな声で話し出す。 「遅い時間にすみません。あの、さっき冷却水の圧力が低下して、生産ラインが停止しました」
この記事は2020年4月11日に執筆している。 新型コロナウィルス対策のために緊急事態宣言がされたのは4月8日のことだ。不要不急の外出を避けるためにテレワークに取り組む企業も多いことだろう。かくいう私は、かれこれもう5年以上はほぼテレワーク状態である。
「 Je ne veux jamais travailler au japon」 ブラジル人の女の子にそう言われた。 それはパリの語学学校で、フランス人の先生から、日本人には何日のバカンスがあるの? という質問をされたときだった。
物語を書く人には空想力があり、度が過ぎると妄想癖となる。 妄想癖が激しいと、理解に苦しむ友人は去り、社会に出て困ることがある。 私も妄想癖がひどいので、友人は少なく、勤めている会社でも出世とは無縁だ。しかも私の場合、書いている小説が、誰からも評価されないときているから、余計にかなしい。
「熱っ!」 20年程前の話だ。結婚して間もない頃、私は眠気眼で朝食を準備していた。
あれはいつだったかな? 思い出したくもないけど、お腹が痛くなると思い出してしまう。
女も30過ぎるといろいろある。 お金の問題やらパートナーとの問題、体の問題……。 悩みなく生きている人の方が少ない。
ちょっと、というかすこぶる恥ずかしい話だが、私は仕事ができない人間である。 いや、私だってできる人間じゃないよぉ〜、とご謙遜されるあなた。申し訳ないがそんな生ぬるいものではない。
「痛ーーーーい!」 その瞬間、私は文字通り飛び上がり、履いていた短パンを一気に引き下ろしたのだった。
子どもらしさ。 そう聞いて、あなたはどんなイメージを抱くだろうか?
あぁ、また揺れてる、怖い……。 昨日の大きな地震以来、余震はずっと続いていた。
足元から目が離せない。 ゴツゴツとした石が露わになった山道。 段差が一定でないため、腿を上げて足を着地させる場所に神経を使う。
昔から、過去の記憶を忘れることが苦手だった。 記憶力がいい、というわけではない。
2020年3月12日、とあるプロレスラーのツイートが話題になった。
あれは、風だった。
予定通り各駅に停車し、ゆっくりと走っていたはずの電車が、突然新幹線並みの加速を始める。大きく揺れる車体が乗客を右へ左へと揺り動かす。つり革につかまって、なんとかバランスを保とうとした次の瞬間、目の前に崖が現れた。
「何の為に生きている? 生きている価値ある?」と自分の心が叫んでいた。 小さい頃、何をやっても、上手く行かなかった。
川沿いの桜のつぼみは膨らんでいた。しかしまだ咲いていなかった。1本だけなぜか満開の桜の木があった。
「今帰還した」 ごく短い文の葉書が私の祖母・玉子(たまこ)の元に届いた。昭和21年の5月初旬、玉子が26才の時のことだ。
「意気地なし」 彼女は、僕をなじった。
2019年6月。夫と結婚してから13年、ひとり娘が生まれてから5年の歳月が流れていた。平凡だけどおだやかな親子3人の暮らしに私は満足していた……はずだった。
20年以上前の出来事だった。 夜10時に差し掛かろうとしていたとき、誰かがドアをノックした。
おきさん。 突然、こんなメッセージを見つけて驚いているかもしれませんね。 まさか、私がこんなことをするとは、思わなかったでしょう。
ピピピピピ…… 携帯電話のアラームで目が覚める。 僕はそれを手際よく止め、布団の中で伸びをする。 朝日がカーテンの隙間から入り込み、カノジョの顔を照らした。
浮気をしたことは、一度もない。 だけど浮気相手になったことなら、ある。
本当に好きな人は夢に出てきてくれない。 そういう決まりが私にはある。 高校生の頃から思い続けているその人も、やはり夢の中で私に逢いに来てはくれない。その人とは二次元世界のキャラクターではない。実在の人物だ。
私って、本当におめでたい女だな。こんな場所で平然としていられるなんて。 「それでは、お二人共通の友人代表の牧野響子さんより、お二人の馴れ初めに ついてご紹介いただきます。みなさま拍手をお願いします」
「どうやったら、そんな風に書けるようになりますか?」 後輩が何気なく口にした質問から、色々なことに気がつくことができた。 20年ほど前、私はプログラミングに恋をした。
人間観察で、鏡の中の自分に出会った。 それはまだ、自分がアニメオタクであることを世に公言する前の出来事だ。(と、ここでさらりとアニオタであることを事前にカミングアウトしておく) 東京の秋葉原に引っ越してきて、休日は秋葉原界隈のカフェやファミレスに行くことが増えた。
「隣座って良い?」 そのような声が聞こえたので私はふと隣を見たが、誰の姿もなかった。 どうやら私に声をかけたわけではなさそうだ。
広い体育館だった。一番後ろの壁に向かって立っている相手の背中が見えた。 「こんにちはーーーー!」 私は思い切って言葉を投げた。
毎朝、通勤途中で出会う、犬の散歩をしているおじちゃん。 そのおじちゃんは自転車に乗ったまま、片手にリードを握って犬の散歩をしている。一緒にいるのは毛足の長いミックス犬。柴犬よりもちょっと大きく、茶色のフサフサの毛だけど、足先だけが白くなっていて、まるで靴下をはいている感じ。名前を知らないその犬のことを、勝手に「ソックス」と呼んでいる。
プロレス界で「世界一性格の悪い男」と異名を取った鈴木みのるには意外な顔がある。 リング上で厳しい顔をして鋭い目つきで相手を威嚇しながら入場してくるにもかかわらず、情にもろく優しい一面を持っているのだ。
彼女はとにかく表情の豊かな人だった。喜怒哀楽がすぐに顔に出る。「出る」というより「出す」と言った方が正しい。かといって、普段いつも「にこにこ」しているわけでもない。どちらかと言えば仏頂面だ。シュッとしていて、何だか近寄りがたい。
電車の中ではほとんどの人がスマートフォンを見ている。 通勤ラッシュ時はともかく、普通の時間、特に一人で乗る人は確実とも言える。 スマホを見ていない人を見つける方が、今では困難である。 私が座った席の正面に座った女性も、例外にもれずスマホを片手に見ていた。
自分は人間観察が得意なのだと、ずっと思っていた。相手の行動や表情を観察して、その人の望んでいる反応を示し、求めている対応をとる。「空気を読む」なんて朝飯前だとずっと信じていた。 ところが、私は完全に間違っていた。人間観察が得意だなんて大きな勘違いだった。空気なんて読めていないどころか、感じとれてさえいなかった。
「後悔」の理由には大きく分けて二つあると思う。「選択」と「過程」である。 このうち「選択」からくる後悔、すなわち選択を間違ったがためにする後悔というものは、比較的諦めがつきやすい。
「なりたい大人には、なれましたか?」 嘘だって、思ってもらってもかまわない。 でもその時は、確かにそう聴こえた。 まるで墓石が、喋ったかのように。
「なおざりになってしまった関係に効く妙薬あります」 そんな不思議なのぼりを立てていた不思議な行商の男に出会った。
男と別れた。 半年ほどデートした。印象が薄い人だったけど、優しかったから、結婚相手には良いかもと思った。でも、結婚についてどう考えているか、面と向かって質問すると、のらくらとはぐらかされてしまうのが気になった。
何かに吸い寄せられるように、同じ方向に向かって進んでいる。 その足取りはどれも重く、足を引きずりながら進む姿も。 言葉を発することもなく、ただユラユラとなんとか前に進んでいるといった状態だ。
こういう書き方をすると若い人に絶対に「このオッサンは…… 」と言われるのはわかっている。だが、あえて言わせて欲しい。”モーレツ社員”ってすっかり死語になったなと。
あなたは、新しい時代の情報をどうやって手に入れていますか?
2019年12月某日。私はパソコンの画面をにらんで頭を抱えた。仕事で管理しているwebサイトに新しいページを追加しようとしているのだが、うまくいかない。検索と実行を何度も繰り返したが解決策が見つからない。
突然だが、皆さんはブラインドタッチができるだろうか? ブラインドタッチとは、コンピュータ(やワープロ、タイプライター)で文章入力を行う際に、主な入力デバイスとなるキーボードのキー配列を見なくても、ある程度のスピードでキーを打つことができる技術だ。
「なんだ……これは……」 2019年冬。私は衝撃的な光景を見てしまった。 コミックマーケット。通称コミケは年2回行われるサブカルチャーの祭典であり、 日本各地から、いや、世界各国からサブカルに愛を注ぐ者たちが集まる。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」 これは生物学者、チャールズ・ダーウィンの言葉である。
あなたは今、「わぁ、これ欲しい!」と思う家電は有りますか? 私は正直言って、どうしても欲しくなってしまうような家電に久しく出会っていません。「うーん、有れば便利かもしれないけど、別にそんな機能無くてもいいし……」というような物が実に多いのです。
私は、映画を観ることが好きだ。他人(ひと)から見れば、気が振れたと思える程だろう。昨年も、353本の映画を観た。勿論、映画館で。本当は、365本観たかったのだが、まあ、自分に合格点をあげられる量だろう。
私は、映画を観ることが好きだ。他人(ひと)から見れば、気が振れたと思える程だろう。昨年も、353本の映画を観た。勿論、映画館で。本当は、365本観たかったのだが、まあ、自分に合格点をあげられる量だろう。
「私は来年何をしているだろう?」 半年前、私はまだ迷っていた。
あるコンサートでの開幕の瞬間、私は涙が止まらなかった。 2019年のゴールデンウィーク、令和という元号が発表された直後のことだ。
死因が「出血性ショック死」あるいは「失血死」と聞いて、何を想像するだろうか。 誰かに刺された、あるいは事故か? 世間知らずの私は不慮の事故しか連想できなかった。けれど、父はその時総合病院に入院していた。輸血はすぐできたはずだ。
「ここなんです」 指さされた先にあるのは、小さな一軒家だった。玄関先の小さなスペースには壊れかけの自転車、割れた植木鉢。その上に積み上げられているのは粗大ゴミ置き場から拾ってきたようなガラクタ。なぜか子供ようの三輪車、おもちゃの風車。あとでわかったことには、それらは実際に粗大ゴミから拾ってきたものがほとんどだった。
手元にカタチある物として残ったのは、青い帽子と本だけだった。 僕の中にあるいくつかの時計の中で、1つの時計がある日を境に、動かなくなってしまった。 時計が止まったのは、いつだったのか、覚えていない。 覚えているのは12月20日という事だけ。
うろ覚えの地名をたよりに、電車を降りた。 電車と言っても、市内を走る路面電車だ。 小さいころは「チンチン電車」と呼んでいた。
「歳を取ると涙もろくなっていけねぇ」 と、強がりというか言い訳というか、涙を見せるときにはそんなことを言っている。 しかし実際には、涙もろいのは今に始まったことではない。
「おばあちゃんが亡くなった」 電話を取ると、母親が言った。 別に驚くことではなかった。おばあちゃんは、もう95歳だったのだから。
「宿題、やりたくない!」 うちには6歳の息子がいる。宿題しろと言っても遊びたいと言い、テレビ見たいと言って全くやろうとしない。「(遊びの)邪魔しないで!」と強い口調で言い返してくるだけでなく、おもちゃを投げられたこともあった。
うわーずぶぬれだ。横殴りの雨に履いてるズボンもぐっしょりだ。ズボンびったり張り付いて気持ち悪い。そんな時に限って満員電車だわ、電車止まって缶詰になるわ、ついてない……。 そんな時ないだろうか。私はある。結構ズボンを履く頻度の高い私はある。
去年の今頃の私はルー大柴だった。誰かを笑わそうとしているのではなくて天然でそうだったのだ。 「ピクチャー(写真)見せて」 「ショートカット(近道)しよう」 「ウォーターボトル(水筒)持った?」 「またレイト(遅れた)だったの?」
嗜好品でありながら毎日の食生活に欠かせない、と勝手に思っている飲料がある。 「茶」である。頷いていただける方々も多いのではないだろうか。 私なぞは365日毎日飲んでいるクチであるが、だからこそ、できるだけ美味しく飲みたいという願望が大いにある。
大人は毎日忙しい。 そんな忙しい大人が、仕事と趣味を兼ね、自由研究と称してドローンについて研究した話を読んで欲しい。 その自由研究の結果、日本は大変な危機的状況にあることがわかってきた。
「あ! 亀仙人……」 天狼院書店、店主三浦さんの一言であった。 その日、自分の着ていた洋服には、鼻血を垂らした亀仙人のワンポイントがほどこされていた。
私はその存在を知らなかった。でも知ってしまった。それでも私は持とうと思わなかった。頑なに持つことを良しとしなかった。それを持ったら、自分が弱い人間なのではないか、周りからそう見えるのではないかと思った。
「人生は短い。死ぬときに後悔したくなかったら、世間体なんか気にせず、やりたいようにやって生きろ」
筆者は大学を新卒で就職して、何を思ってか、大手総合電機メーカーに就職した。
「おめでとうござます! 安産でしたね。元気な女の子ですよ」 7年前、分娩台の上で助産師に告げられた時、私はなんと返事したのだろう。
なくすと困る三種の神器といえば、財布、携帯、鍵。 親も夫も友達も認めるモノなくしエキスパートの私は、これらの三つはしょっちゅうなくしまくっていた。
「本当に、これでいいのか?」 私は使い慣れたパソコンを覗き込んだまま固まっていた。 これまで、あちこちで情報を集め、何度もシミュレーションを重ねてきた。 にもかかわらず、いざその場面になると、指を動かすのがためらわれた。
2019年元旦、私は心に穴が空いた状態から始まった。 ペットロスに陥ったのだ。
営業マンにとって、勝負着はスーツである。 小さい頃、朝早くから父親がスーツ姿で、出かけているのを、子供心に見ていた記憶が、 蘇ってきた。
夫婦間最大の問題は鼻毛にある。
「iPad Pro、買った方がいいですよ」 忘れもしない。 あれは、僕がまだ天狼院を知って間もない頃のこと。
最初に断っておきたい。 私がこれからおすすめするツールは、地味でアナログだ。
あなたはパソコンを買い換える際、何に注目するだろうか?
「いや~、朝から食べすぎちゃったんですよね」 昨年の春、講演の仕事先で、主催者の人と昼食をとっているときのことだった。
「好きなことが見つからないなら、探しつづけてください。決して立ち止まってはいけない」 パソコンを探していたのに、気がついたらなぜかスティーブ・ジョブズの伝記を読んでいた……
「本当にここで集中できているのだろうか?」 文章を書いたり、本を読んだり、勉強したりするとき、どこで作業されているだろうか。
わたしは「あなたのために」と人に与えている人ほど、受け取り下手だと思っている。 受け取るのが下手なのに、どうして相手が与えて欲しいものがわかるのだろう?
「あなたのためを思って言っているのよ」 何度この言葉を言ってきたことだろう。
「あなたのためにずっと我慢してたんだよ!」 私は新卒でシステム開発をする会社に入った。銀行やクレジットカード会社のようにお客さんの大切なお金を管理するシステムを作る会社である。
君がため 惜しからざりし命さえ 長くもがなと思いけるかな
朝、目覚めるちょっと前から、何かが聴こえる。 最初は、耳をすませば聴こえるほどの大きさ。 だけどその声は、気づけば大きくなっていって、すぐに頭を支配する。
「わぁ、おっきなお月様」「君のために、置いておいたよ」 15年以上さかのぼる。 恋愛が人生の全てだった頃。私の中で一つの恋が始まったばかりであった。
「これはあなたのために、わざわざ選んだ物です」 そんな言葉とともにプレゼントを受け取ったら、あなたはどう思いますか?
「ねぇ、神様っていると思う?」 自分の声じゃないみたいに低い声が出て、私はびっくりする。答えを聞くのがこわい質問をするときって、どうしてこんなにもぎこちなくなってしまうのだろう。
「今年こそ、今年こそ」 僕は今まで、ずっと、今年こそと言い続けてきた。
「あなたのために」という言葉は巧妙だ。 そのことに気がついたのはあの高校時代のある日のことだった。もっと正確にいうなら気がつきかけたのに蓋をしたのだ。あのときもっとちゃんと気がついていれば。
「私って、重い女ですか」 今日の相談者もこんな風に問いかけてきました。 このセリフ、月に2,3回は聞きます。まったく見知らぬ女性からの恋愛相談です。
今日も定位置に置く。白物家電を作るための鉄、家具を作るための木、服を縫うための綿、これらを必ず同じ場所に置く。場所が足りなくなっても置く。これらは毎日売れる。需要があるのだ。毎日誰かが覗いては買っていく。
『男の子の「自己肯定感」を高める育て方』の著者、開成中学校・高等学校の校長柳沢幸雄さんの書かれた東洋経済ONLINEの記事を読んだ。
このままでは、殺される。新宿区民税の納付書を見て思った。 2019年春のことだ。確定申告で利益が多くなったため、金額が倍になっていた。 区民税が倍になるということは、ほかのものも倍になる。
私は、歴史の勉強が苦手だった。過去の元号を覚えたり人名を覚えたりしても、何も新しいものは作り出せないではないか……と、記憶力抜群の、歴史大好きクラスメイトを見ながら毒づいたものだ。
「その仏像は、厳重に施錠された八角堂の中で、500ヤードもある布でぐるぐる巻きにされ、長い間誰の目にも触れることなく隠されてきた」
「ふ~、暑いな……」 いったい何段あるんだろうか、ここの階段は。 いや、段数ではなく、問題は傾斜のようだ。 後ろを振り返ってはダメだな、足がすくみそうだ。
昔から不思議なことがあります。週に3回は「お花摘み」の夢を見るのです。 「花を摘む」とは女性の登山用語です。男性は「キジ撃ち」と言うそうです。 そう、「トイレに行くこと」です。
「そうねぇ……」 その人はすこし遠くをみた。何かを思い出しているようだった。
あなたはアンガーマネジメントできていますか、と聞かれて、はい、と答えられるだろうか。 そしてそれは、いつ頃からできるようになったのだろうか。
「あ、この人テレビから干されてYouTubeに逃げた人でしょ」 書店で、とある本を手に取った私へ友人はそのようなことを呟いた。 衝撃だった。
「間違い探し」は好きですか? 時々、サイゼリアに行くのですが、その時の楽しみが「間違い探し」です。
「連立方程式」「平方根」「三平方の定理」…… 中学校の数学で習う単元。 「いったい何の役に立つの?」「必要ないし、使わないし」一度は口にしたことがある人もいるのではないだろうか。そして結局の所、やっぱり何の役に立つのか、必要なのか、いつ使うのか……? 30歳に数学の免許を取り、そこから現役の中学生教師である筆者が、日々中学生と接し、授業をしながら数学について感じたことを徒然と書く。教材研究や、授業を通して、数学が世の中でどう役に立っているのか、はたまた役に立っていないのか? 難しい数式や考え方はなし。 みんなが経験した中学数学の各単元はいったい何だったのか? を考えていく数学エッセイ!
「ママであろうと、関係ない!」 アラフォーの子持ち主婦だったライター・ギール 里映。「私、このままでいいのかな」という不安に襲われ、一念発起して起業。 なぜ、「起業」という選択をしたのか? どうやって事業を伸ばしてきたの? 「ママ起業」のリアルって? 自分がやりたいことをやるのに、性別も、肩書も関係ない! ライター自身の経験をもとに、「ママ起業」のエッセンスをお届けします!
子どもが1歳のときに、定期検診で言葉の発達に遅れあるかもと医者に言われた。検査とは発達障害の傾向があるかをみるものである。 検査の結果「発達障害グレー」と診断をうけた。 発達障害の子どもにもつ親に会ったり、 成人を迎えた発達障害の当事者に会ったり、 療育サービスを提供している人たちに会ったりして、 これから我々のような親子が落ちうる穴を聞いていって、先人たちの失敗談から反省点を抜き出して、うちの家庭に当てはめ実践していったところ、家庭も子どももとても落ちていった。 その経緯を書いていきたい。
コミケ=コミックマーケットがその存在を知られるようになってから久しい。だがその実態は、時たま驚嘆する一場面だけがニュースなどで取り上げられ、実情は把握しにくい状態にある。そう言った状態だが、コミケに興味が湧き、自らも行ってみたいと思う人々は増えてきているはずだ。
スマホがあればいつでもどこでも映画が観られる時代。 そんな中私たちは一体どうして、劇場まで足を運び、2000円近いお金を払い、暗闇に2時間も拘束されてまで映画を観るのだろう?
時代は令和である。 都内をラッピング電車が走り、コンビニでキャラクターファイルが配られ、人々はアニメーション映画に夢中になる。そんな時代である。
インターネットが普及してスマホなどのガジェットを使う人が増えてきた。筆者の若い頃はパソコンが家に一台あれば進歩的だったが、今はひとり一本あるいはそれ以上スマホを持ち歩いているのが当たり前。
さあさあさあ、どうぞ一席お付き合いください。こな落語の開演でございます。
京都は先斗町の路地裏に、食べるだけで人生が変わる割烹があるらしい──
まっすぐな恋愛って何ですか?
天狼院書店店主・三浦による、公式の「天狼院通信」です。
天狼院書店スタッフ川代が綴る「川代ノート」は、女子の本音を綴ります。
「宇宙一わかりやすい科学の教科書」は、増田明氏による寄稿記事です。 どこよりもわかりやすく丁寧に、科学のひみつをお伝えします。
大人なら知っておきたい「お酒」についてのお勉強、はじめてみませんか?
「死にたてのゾンビ」というワードをきいたとき、何を思い浮かべますか?
店主三浦が「ワークトリップ」として利用した宿と、仕事の記録。
人は狂に酔いしれ、狂に踊る。
東京から日帰りで、非日常な景色と体験、食を愉しむ旅ガイド
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下関在住ライター・安光伸江が、両親から相続した資産で株や国債、外貨預金などに挑戦していくさまを現在進行形で描く投資レポート!
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