2025に伝えたい1970

【第一回目】日本は櫻の国《2025に伝えたい1970》


*この記事は、天狼院書店のライティング・ゼミを卒業され、現在「READING LIFE編集部」の公認ライターであるお客様に書いていただいた記事です。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/3/24/公開
記事:山田将治(天狼院ライターズ倶楽部・READING LIFE公認ライター)
 
 
『こんにちは』
 
この日本語にメロディを付ける時、1970年の記憶を持つ50代後半以上の日本人の答えは、総じて或る曲と決まっている。
それは、数多くのヒットを飛ばした作曲家いずみたく氏の、『世界の国からこんにちは』だ。
1970年に開催された大阪万国博覧会のテーマ曲であった同曲は、文字通り大ヒットした。テレビやラジオで連日連夜流され、日本人の殆どが、メロディが耳から離れなく為っていたのだ。
 
だから、同曲のイントロが流れた途端に、
 
「こぉんにっちはぁ~♪」
 
と、条件反射の様に皆が、『世界の国からこんにちは』のメロディで唄い出してしまうのだ。しかも、フリ付きで。
 
 
半世紀以上経った現在、『世界の国からこんにちは』とは、浪曲師出身の国民的歌手・三波春夫氏が唄ったバージョンが有名だ。
しかし当時、『世界の国からこんにちは』は、他にも数多く歌手がカバーしたレコードが録音され発売された。有名どころでは、女優の吉永小百合さんや、元祖『御三家』の一角である西郷輝彦さん(故人・辺見えみりさんの父)のものが在った。
 
現代で例えなら、2025年開催の関西万博のテーマ曲を、NHK紅白歌合戦の常連MISIAさんが唄い、ヒットさせる様なものだ。そして、後追いで上白石萌音さんと、福山雅治氏が配信する様な感じだ。
そのムーブメントを、想像して頂けるだろう。
1970年当時はまさに、日本中を挙げて大阪万博を盛り上げようとしていた訳だ。
 
この背景には、万博の僅か6年前(1964年)に、東京で東洋初のオリンピックが開催されたことが有る。
数多くの選手・関係者・記者、そして若干だが旅行者が日本に押し寄せ、大いに盛り上がったからだ。その上、未だ戦後を引き摺っていた1964年の日本人は、外国人を見ただけでも感激してしまう時代だったのだ。
 
 
それが万博は、オリンピックとは比べ様の無い約半年もの開催期間と、選手やコーチ、関係者に限定されない訪日外国人旅行者数が想像されていた。
何しろ、当時の為替相場は、$1=¥360の固定相場制だった。
昨今の日本は、50円程度の円安で外国から、
 
『日本の物価は安い!』
 
と、驚かれ、海外から観光客が押し寄せている状況だ。
1970年当時、諸外国から日本を見ると、もしかして発展途上国(当時の表記は後進国)と思われていたのかも知れない。
 
一方、日本で暮らす私達は、連続して開催される国際的イベントに、とても誇らしい気持ちになっていた。戦後の荒廃から抜け出し、社会の混乱が収まり、高度成長期を経て先進国(一流国)の仲間入りを果たせた嬉しさだ。
日本人は誰もが皆、
 
『明日は今日より良くなる』
 
と、信じていた時代だった。
 
当時、11歳の小学生だった私から見ると、日本をここ迄発展させ、僕等に何不足無い自由な社会をもたらせてくれた大人達に、尊敬の念を持っていた。
それより何より、ただ単に“日本という国は凄い!”と信じ切っていた。
 
 
東京オリンピックから大阪万博の間で、大きく変わったことが有る。
それは、こんなことでも解かる。
 
昨今のレトロブームで、年配者のことを、
 
「子供の頃の写真がモノクロ!」
 
と、批判というか‘オチョクリ’が、よく見受けられる。
これは、事実だ。
私だって幼少時の写真は、全てモノクロだ。当時からカラーフイルムは、有るには有ったが、とても高価だった。フイルム代と現像費を合計すると、約二倍だった記憶が有る。
昭和中期には、多くの家庭にカメラが行渡っていた。昭和の御父さんは、家族旅行時に首からカメラを下げているのが定番だった。しかし、カメラの中には、モノクロフィルムしか入っていなかった。正確には、入れることが出来なかった。コストの問題で。
それと同時に、各家庭に行き渡り始めていたテレビも、その大半が‘白黒テレビ’だった。
 
これは、私達の記憶を“白黒”で残る原因と為ったのだ。
その証拠に、経済発展によって庶民もカラーテレビに手が届く時代となった1970年頃から、記憶に色が付く様に為ったのだ。
 
 
昭和中期は未だ、多くのコンテンツに色が付いていなかった。
勿論、実際に生で観る舞台やスポーツは、色が付いていた。当たり前の話だが。
しかし、多くの映画やテレビ番組はモノクロの儘だった。
生観戦とモノクロコンテンツの混在で、私達の記憶はゴッチャに為り、その結果、記憶の殆どが、グレーを主流としたモノクロと為った訳だ。
 
現代で見ると、モノクロ写真は色が無いことも手伝って、どこか暗い感じがするものだ。
それは、多くが震災や戦災の記録写真だったりするからだろう。また、凛々しい面持ちの旧・日本兵の写真も、その後の悲しさを私達は知っているので、気持ちが高揚しはしない。
例え戦後の物であっても、モノクロ写真は全快とは言い切れない。現代と比べると、どことなく時代的な‘貧しさ’が漂ってしまうからだ。
 
やはり、華やかな感覚と為るのは、映画や写真そしてテレビの主流がカラーに為ってからのことだ。
それにより記憶は勿論、僕等の発想も色付いたからだ。
 
 
そしてその一助が、大阪万博のテーマソングである『世界の国からこんにちは』なのだ。
同曲の作詞を手掛けたのは、当時大阪在住の詩人・島田陽子さんだ。
島田さんは『世界の国からこんにちは』の歌詞中で日本のことを、“ニホン”でも“ニッポン”でも無く、ましてや“日乃本(ひのもと)”でも無く、勿論“JAPN”でも無く表現した。
彼女は、日本のことを代表的な花を使い、
『櫻の国』
と、色付けで表現したのだ。(歌詞の二番)
世界に向けて、華やかに色付いた日本を宣言したと感じたものだ。
 
そうして、『世界の国からこんにちは』を唄い続けた僕等の記憶も、一遍で色が付いた。
 
 
櫻の開花が待ち遠しかった1970年3月15日、大阪万博は華々しく開幕した。
 
僕等の記憶はそこから、一気に天然色に為った。
 
 
 
 

❏ライタープロフィール
山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
前回(1964年)の東京オリンピックの想い出を綴った企画『2020に伝えたい1964』
で好評を博す。この連載は、大会延期を経て51回もの長期連載と為った。
1970年の大阪万博には、東京在住の受験生だったにも拘らず6回訪問。
当時、11歳の少年は、来るべき明るい未来を夢見ていた。

***
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2025-03-17 | Posted in 2025に伝えたい1970

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