2025に伝えたい1970

【第二回目】太陽の塔とアイジャック男《2025に伝えたい1970》


*この記事は、天狼院書店のライティング・ゼミを卒業され、現在「READING LIFE編集部」の公認ライターであるお客様に書いていただいた記事です。

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2025/6/23/公開
記事:山田将治(天狼院ライターズ倶楽部・READING LIFE公認ライター)
 
 
華々しく開幕した『関西万博2025』。
連日、予想を上回る観客が来場しているらしく、開催前の批判等、何処へやらの感が有るのも事実だ。
 
尤も、開幕前のネガティブな論調は、2021年に延期された東京オリンピックでも見られたものだ。御存知の通り、開幕後の国内の話題は、オリンピック一色と為り、盛り上がりを見せた。
色々と批判を受けても、始まって仕舞えば一気に話題が集中する。
これも、日本の御家芸と謂って仕舞えばそれ迄だが。
 
 
1970年に開催された『大阪万博1970』に於いても、開催前には多くの懸念がニュースで伝えられていた。
何しろ当時は、過激派学生や労働組合を中心に、体制批判が幅を利かせていた。
暴力的なデモも頻発していて、白昼堂々と東京中心部の道路を蛇行し、隊列行進して居たものだ。当然、交通はマヒし、多くの一般市民は大迷惑を被って居た。
 
彼等の扮装は、ヘルメットにタオルでマスク、手には“ゲバ棒(闘争を意味するゲバルトから)”と攻撃用の石か火炎瓶と決まって居た。
これには訳が有り、ヘルメットを被るのは、デモ行進後方からの投石から頭部を守る為と、タオルのマスクは制圧しに来た警察機動隊の催涙弾(ガス)から、眼や呼吸器を守る為だった。
 
当時11歳の私には、異様に恰好悪く感じたものだった。
一応、理には適っていたが。
 
 
大阪万博が開幕して一か月程が経った1970年4月26日、過激派学生の扮装をした男が、突然万博会場に現れた。
それも、万博のシンボルである『太陽の塔』の右目の部分に。
当然、盛り上がりを見せ始めていた、大阪万博反対を叫んで。
男は、万博直前に起こった“全日空機ハイジャック事件(よど号事件)”に準え、『アイジャック男』と呼ばれる様に為った。
 
当時、小学6年生だった私は、事の重大性より如何にして一人で『太陽の塔』へ上ることが出来たのだろうと不思議で為らなかった。
犯人は結局、ゴールデンウィーク中の5月3日に投降した。
その間、多くの来場客は『アイジャック男』見たさに、『太陽の塔』を見上げていたものだ。
 
犯行が起こった翌日、偶々来場していた『太陽の塔』の設計者である岡本太郎氏は、
 
「イカスね。ダンスでも踊ったらよかろうに」
 
と、楽しむ様子を見せていた。
『芸術は爆発だ!』の言葉で有名(当時から)な岡本太郎氏は、とても破天荒な方だった。
こうした目立つ過激な行動を、むしろ歓迎していた向きが有った。
 
 
ところでこの、岡本太郎氏が設計した『太陽の塔』だが、現代の方々が認識している姿を、1970年当時の来場者は観ていなかった。正確には、観ることが出来ずにいた。
何故なら『太陽の塔』は、現在の万博公園(万博跡地)の真ん中に建っていた訳では無かったからだ。
『大阪万博』開催中の『太陽の塔』は、万博会場の中心には居たが、大きな屋根にその姿を遮られていたからだ。
 
その屋根とは、万博会場全体の総合プロデューサーであった建築家・丹下健三氏が胆入りで造った、会場中央部の通称‘シンボルゾーン’に架けられた建造物の事だ。
シンボルゾーンと謂うだけに、そこにはEXPO’70を象徴する場所だった。
岡本太郎氏にしてみたら、『太陽の塔』は万博をシンボライズする作品だったので、如何してもそこに設置したかった。しかし、シンボルゾーンには丹下氏の大屋根が架かることに為って居たのだ。
 
そう。
岡本太郎氏渾身の『太陽の塔』は、丹下健三氏胆入りの『大屋根』と完全にバッティングする結果と為ったのだ。
謂わば、“爆発する芸術”と代々木競技場に代表される“世界が認めた大空間”が、凌ぎ合うことと為ったのだ。
一歩も譲らない‘世界的芸術家’と‘世界的建築家’。この儘では、万博のメインが膠着状態に為って仕舞いそうだった。
 
結局のこところ、大阪万博の会長が間に立つことと為った。
そして、出た結論と謂うのが、『太陽の塔』の位置をずらさず、『大屋根』を架けるといった、実に日本人好みの中庸なものだった。
その為に、『大屋根』の中央部に直径54mもの穴を開けるとことと為った。
 
 
そうして出た、中庸判断によって何とも中途半端なシンボルゾーンと象徴作品が、出来上がることと為った。
実際現地で観た、当時11歳の私の感想は、
 
『全身を遠目から観ることが出来ない“太陽の塔”と、降雨時に濡れて仕舞い、青天時には真ん中が日向に為る“大屋根”』
 
と、謂うものだった。
そして、
 
『ちゃんと“太陽の塔”の全身を観たかったし、夏場の日差しを“大屋根”に遮って貰いたかった』
 
と、追加で思った記憶がある。
 
会場に初めて訪れた際には、『太陽の塔』の高さと、『大屋根』の大きさ(広場の広さ)に圧倒されたものだ。
 
 
そう謂えば、大阪万博の情報が開示された始めた当時、『太陽の塔』は、
 
「何だか、気持ち悪い」
 
と、悪評が立った。
『大屋根』も、
 
「屋根だけ在っても仕方が無い」
 
と、言われ続けていた記憶がある。
 
しかし、万博が開幕してみると、『太陽の塔』は来場者が押し掛ける評判と為った。『大屋根』も風が通り抜け涼しく、昼間は絶好の休憩場所と為った。
 
丁度、2025関西万博で、開幕前は‘キモい’だの‘木材の無駄’だの悪評が立っていたものの、開幕してみたら人気が爆発した『ミャクミャク』と『大屋根リング』と同様に。
 
 
これも、時代が廻ったと謂うものだろうか。
 
 
 
 

❏ライタープロフィール
山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
前回(1964年)の東京オリンピックの想い出を綴った企画『2020に伝えたい1964』
で好評を博す。この連載は、大会延期を経て51回もの長期連載と為った。
1970年の大阪万博には、東京在住の受験生だったにも拘らず6回訪問。
当時、11歳の少年は、来るべき明るい未来を夢見ていた。

***
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2025-06-16 | Posted in 2025に伝えたい1970

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