私と彼女との間にある距離感《週刊READING LIFE Vol.72 「人間観察」》
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
彼女はとにかく表情の豊かな人だった。喜怒哀楽がすぐに顔に出る。「出る」というより「出す」と言った方が正しい。かといって、普段いつも「にこにこ」しているわけでもない。どちらかと言えば仏頂面だ。シュッとしていて、何だか近寄りがたい。
彼女と初めて会ったのは10年ほど前だ。でもその時の彼女の姿がどんな感じだったのか、記憶はほとんど無い。ただ印象に残っているのは、私と同じ職種の女性に出会ったということ、なおかつ彼女が部長職であることへの驚きだった。
私は工場の動力部門という所で仕事をしていた。工場の生産で使う水や電気を供給し、工場から出てくる排水や排気を処理する仕事だ。典型的な「男仕事」の世界で、その時勤めていた会社でも、それ以前に勤めていた会社でも、その仕事をしている女性は私一人しかいなかった。日本全国見渡しても、数えるほどしかいなかったと思う。
それほど女性が珍しい職種で、しかもその部署を束ねる部長だなんて! 「やっぱり世界は広いんだな。中国にはこんな女性が居るんだ」と思った。そう、彼女は中国人で、中国の国有企業の人だったのだ。
それから3年後、私はその中国の国有企業が新しく進めるプロジェクトに参加することになった。彼女と一緒に仕事ができることが嬉しかった。「いつか彼女と顔をつきあわせながら仕事やプライベートの話ができるようになりたいな」と密かに思っていた。
2013年の夏、私は初めて中国に出張し、彼女と再会した。
「以前に日本でお会いしましたね」と言うと、にっこり笑って「私も覚えています」と言ってくれた。年齢も近いし、仲良くなれそうな気がしていた。
しかし、彼女の言動は時々私を混乱させた。
そのひとつが「しかめっ面」だ。
私が、彼女の意に沿わない内容の提案をした時、「私はその方法はメリットを感じないのだけど」と思いっきりしかめっ面をして反論された。そして、自分の考えを機関銃のごとくまくし立てる。反論されるのは構わないのだけれど、そこまで顔をしかめられると、そんなに嫌なことなの? とへこんでしまう。
私が覚えたての怪しげな中国語で、ちょっとした質問をした時にも、しかめっ面で「あ゛?」と返され、「やっぱり通じなかったか……」と心が折れた。優しい笑顔で「なに?」ではないのだ。
そして、怒った時の彼女はものすごく怖い。仕事の進み具合が芳しくない部下には、烈火のごとく怒り散らす。今どき日本で、これほど怒る上司って見たことないなぁ、下手すればパワハラって言われるんじゃ……と思えるほどの怒りようだ。
私自身も、彼女の「地雷」を踏んで怒られたことがある。彼女の「地雷」とは、中国人にとって大事な「メンツ」だ。これにも私はかなり苦労した。
彼女の上司にあたる人に、たまたま事務所で出くわした時、ある案件について私の意見を求められたのだ。それで、私は自分の考えを彼に話した。後になって私が話した内容を、彼が彼女に伝えたらしい。
彼女は私を呼びつけるとこう言った。
「なぜ、私に教えてくれないの? 私はそんな話、知らなかったわ」
「いえ、聞かれたのでただ答えただけなんです。別に他意はないんですけど」
「次からは、事後でもいいから、そういうことがあったら私に教えて」
「わかりました、すみませんでした」と謝りながら、私は内心、何か面倒くさいなと思っていた。その後、このやりとりを通訳してくれた通訳さんから、「これは中国人のメンツの問題なんです」と教わった。
まぁ確かに、よくよく考えると、確かに自分に一番に知らせて欲しいことを、他の人、特に自分より上の立場の人から聞かされたら、面白くないかもな……と思うのだが、この「メンツ問題」は、かなりの曲者でなかなか理解ができなかった。
その後も何度か地雷を踏んで怒られたが、とりあえず彼女の耳に入れておくこと、何かあれば自分の考えで動く前に事前に相談するようにすることを心がけ、回避できるようになった。
もっと仲良くなりたいと思っていたのに、このメンツ問題が何となく気になって、私は自分の中で勝手に彼女との間に距離を置いていた。
一方の彼女はと言えば、仕事を離れれば、一緒に食事に行ったり、洋服を買いに連れて行ってくれたり、私のことを気にかけてくれていた。
「これが似合うんじゃない?」と次々と洋服をあてがっては、「試着してみて」と勧めてくる。そんなに買えないし……と遠慮していると、「え? 試着するのはタダだから、どんどん試してみればいいのよ」と言って、私を試着室へ連れて行き、彼女自身もあれこれ試着しながらお互いに見せ合う。「いいじゃん、似合う似合う」とほめ合う所は、日本と同じだ。
買い物が終わると、「あ~、買い物するとスッキリするね~。でも今日はちょっと買いすぎたかも」と陽気に笑いかけながら、腕を組んでくる。「え? あの、ちょっと距離近すぎるんですけど」と戸惑うが、お構いなしだ。
ちなみに、中国人は男性同士もよく肩を組んで歩いているし、女性同士では腕を組んだり手を繋いで歩いているのをよく見かける。
私はこの彼女の「振れ幅」に戸惑った。日本ではそんな経験をすることが無かったからだ。
そんな風に自分の感情をむき出しにすることはないし、できるだけ衝突は避けようとしてきた。強く言われることもなければ、自分から強く言うこともなかった。それが「仲良し」というものだとも思っていた。
でも、中国ではそうではなかった。彼女が決して特別なわけではない。他の中国人も同じだった。すごい剣幕で私の仕事の進め方にクレームをつけてきて、私は良かれと思ってしたことなのに、「それはあなたの仕事ではないでしょう?」と言われ、涙が出た。もうこの人とは上手くやれそうにないと思った。向こうだって、そう思っているだろうと思った。それなのに、次の日会うと、何事もなかったかのように明るい笑顔で「おはよう!」と言ってくる。
何なのだろう、この落差は?
非常に戸惑った。戸惑ったけれど、ストレートに自分の言いたいことを言ってくるから、分かりやすかった。考えてみれば、表面ではニコニコして、心の中では何を考えているのか分からない方が怖い。彼女達からすれば、いつもニコニコしているだけで、あまり自己主張をしないし、感情も表に出さない私は、不気味だったかもしれない。やっぱり中国で仕事するのって難しいなと思っている時、通訳さんがひとつの諺を教えてくれた。
その諺とは、「不打不成交」。「けんかをしなければ友達になれない」という意味だ。
日本人は「和」を大切にするために衝突をさけ、言いにくいことを角が立たないように面と向かっては言わないが、中国人は「言わなければ分からない」と考えているから、ストレートに言ってくる。ただそれだけのことなのだ。
「なんだ、そうだったのか」と思ったが、何十年も染みついた行動様式はなかなか変えられない。私は相変わらず喜怒哀楽をストレートに表情に出すこともなかったし、言葉の問題もあって自分の意見をストレートに主張することもできなかった。
そんな感じで、彼女と一緒に仕事をし始めてから6年が経った。
彼女は相変わらず喜怒哀楽が豊かだった。ミーティングで激しく部下を叱責したかと思えば、ケラケラと笑いながら昔の失敗談を話したりした。ストレートな言い方もそのままだ。
私は「地雷」を回避する術を身につけていたので、昔のように怒られることはなく、関係は良好だった。けれども、どこかで私はまだ鎧をまとって身構えているようなところがあった。
その年の秋、彼女が一緒に旅行に行こうと誘ってきた。
「だって、あなたはあと2ヶ月で会社を辞めて日本に帰っちゃうでしょう? だから、有名な観光地に連れて行ってあげたいの」と言ってきた。
そして、旅行に行く当日、仕事を終えて彼女の車に乗り、彼女の家に一旦寄ることになった。
「散らかっているけど、気にしないで。最近忙しくて片付けてないの」と言って部屋に通された。
確かに散らかっていた。室内に干した洗濯物はそのままぶらさがっているし、服はソファに積み重なっているし、机の上には化粧品が出しっぱなしになっていた。
「私の部屋と同じだ」、そう思うと何だか急に彼女の存在が近く思えた。
私は彼女に対してまだ鎧を身につけている感じがあるけれど、彼女は違う。かっこ悪いところもひっくるめて、自分の全部を私にさらけ出してくる。それが、彼女なりの友人に対する真心なのだ。私は、彼女が私を「友人」として受入れてくれていることを感じ、嬉しかった。と同時に、彼女と同じようには心をオープンにしきれていない自分が残念だった。
そして旅行から帰ってきて数日経ったある日、「これは私からのプレゼント。日本に帰ったら使ってね」と彼女から紙包みを渡された。
中には手書きのメッセージカードと香水と口紅が入っていた。
手書きのメッセージというのが、私の中にあった中国人のイメージと違っていて、少し驚いた。
そこには、こう書かれていた。
「今までは仕事柄、きれいな服も着ず、化粧っ気もなかったけれど、日本に帰ったら目一杯おしゃれをしてね。その時、この香水と口紅が役に立ちますように」
私は彼女のような友人ができて、心底幸せだと思う。けれども、結局最後まで彼女ほど自分をさらけ出すことができなかった。ひょっとすると、「それが日本人というものだ」と彼女は思っているかもしれない。
◽︎深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
愛知県出身。
6年前から中国で工場建設の仕事に携わる。中国での仕事を終えたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。
もともと発信することは好きではなかったが、ライティング・ゼミ受講をきっかけに、記事を書いて発信することにハマる。今までは自分の書きたいことを書いてきたが、今後は、テーマに沿って自分の切り口で書くことで、ライターズ・アイを養いたいと考えている。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
http://tenro-in.com/zemi/103447