ガラパゴス。世界自然遺産第1号を旅して

【ガラパゴス。世界自然遺産第1号を旅して】第1回 アシカがベンチで大あくび《天狼院書店 関東ローカル企画》



2021/05/12/公開
記事:岡 幸子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
飛行機を出ると、空が遠くまで青かった。
空港の建物へ歩く途中に敷いてある消毒用マットがベタベタして、足をとられた。
外の世界から植物の種子などを持ち込まないように靴底の泥を落とすのだ。
ここはガラパゴス。
日本を出て35時間、飛行機を3度乗り継ぎ、手荷物検査を何度も通過してやっと到着した。
すぐそこにダーウィンフィンチがいた。
ガラパゴス諸島にしかいない小さな鳥だ。くちばしの形が生息環境や食べるものによって少しずつ違うことが知られている。
私のような生物の教員には、ガラパゴスはダーウィンが『種の起源』の着想を得た場所として有名で、ダーウィンフィンチも名前だけ知っていた。実物を見るのはもちろん初めてだった。
まさか空港の庭先で、いきなりガラパゴスの代表選手のようなフィンチに会えるなんて!
長旅の疲れが一気に吹き飛んだ。
ツアー仲間と一緒に夢中で写真を撮り続けていると、後ろから声がした。
 
「みなさん、それ以上近づかないで! 『動物の2メートル以内に近づかない』ガラパゴスルールをお忘れなく!」
 
波形さんだった。2019年8月のこの旅が、ガラパゴス訪問49回目になるベテラン添乗員さんだ。180センチを超える長身なので、どこにいるのかすぐわかる。天職のような添乗をしながら、ガラパゴスの自然を記録し続けるカメラマンでもあった。
 
「さあ、もう行きましょう。フィンチはどこでも見られますよ」
 
本当だった。
フィンチはガラパゴス諸島のどこにでもいた。
最初に訪れたサン・クリストバル島は、空港から車で10分行けば海辺に小さなホテルが立ち並ぶ港町だった。ホテルの庭先や道路で、放っておいてもフィンチを何種も見ることができた。
憧れのフィンチが日本のスズメのようにありふれた存在で、人を恐れない。人の食事を近くの手すりに止まって見守り、終わったとみるとお皿の上に舞い降りてくる。残飯をつつく姿はスズメよりはるかにフレンドリーだった。いくらでも写真が撮れた。
 

 
フィンチだけではない。
ホテル周辺をちょっと散策しただけで、ウミイグアナ、ヨウガントカゲ、ベニイワガニ、グンカンドリなど、世界中でガラパゴス諸島にしかいない動物たちにあっけなく出会ってしまった。
ディズニーランドでミッキーやプーさんに出くわすよりも簡単だ。
 
中でも野生のガラパゴスアシカたちには驚いた。
海から上がってくると、海岸だけでなく好き勝手に道路やベンチで寝ころんでいた。野生とは思えない無防備さだ。
 

 
ベンチで大あくびをしているアシカは、仕事をさぼって公園でくつろぐサラリーマンのようだった。
 
「街中で、こんなにたくさんの動物に会えるとは思いませんでした。フィンチはスズメ、アシカはイヌ並みに街中にいるんですね」
 
感心していると、今回のツアーを主催した、日本ガラパゴスの会(略称JAGA)の事務局長奥野玉紀さんが教えてくれた。
 
「アシカにとって陸にいるのは休憩ですからね。ゴロゴロした姿ばかりが目につきますけど、海の中では時速30~40キロのスピードで泳げるんですよ。好奇心も強くて、シュノーケリングをしていると、向こうから近づいてきて人と一緒に泳いだりします。ヒトデやウニをくわえて遊んだりもするんですよ」
 
すらすらと解説してくれる奥野さんは、ガラパゴスの歩く百科事典だった。テレビでガラパゴスが特集されるときは監修を、政府の要人がガラパゴスを視察するときは通訳をしている。ガラパゴスが属するエクアドル共和国の大使館にもよく呼ばれる。日本を代表するガラパゴスの専門家だ。
 
「動物たちの警戒心のなさ、驚きましたか?」
「観光客には最高ですね。無防備なのは天敵の肉食獣がいないからだと聞いたことありますが」
「ノスリなどガラパゴスにもいる猛禽類のことはちゃんと警戒しますよ。警戒心がどのように遺伝するのかは議論があるところで、なぜ警戒心が少ないかを証明する術は今のところありません。人間に対してだけなのか、種によって異なるのかなど興味深いのですが、科学者はまだ手を付けていないのか、納得できる論文を読んだことはありません」
「それは知りませんでした」
「鳥の警戒心について、ダーウィンが『ビーグル号航海記』に書いていましたね。そういえば、ガラパゴスに来たダーウィンが最初に上陸したのは、この島ですよ」
 
ダーウィンも、ここサン・クリストバル島からガラパゴスの旅を始めたのか!
もっとも、ダーウィンが乗ったビーグル号はイギリス海軍の測量船だから、南米を調査してから太平洋へ出るなら、大陸に一番近いこの島に初上陸するのは当然かも知れない。ガラパゴス諸島は、南米大陸から1,000km離れている。ちょうど、東京から小笠原諸島くらいの距離だ。
 
「たしか、ダーウィンがガラパゴスに着いたのは、5年におよぶ調査が終わる、1年前でしたよね」
「1831年に出航して、ガラパゴス諸島に来たのは1835年9月でしたからね。南米の動物をたくさん見た後だったから、ガラパゴスの動物たちの特異な姿に驚きながらも、大筋では南米大陸の動物たちと似ていることにすぐ気づいたのでしょう。『ビーグル号航海記』を読むと、『種の起源』の結論がすでに見えていたのではないかと思えてきます。ダーウィンの洞察力は本当にすごいと思います」
 
奥野さんの言う通りだ。
イギリスを出たとき、ダーウィンはまだ22歳だった。今の大学院生くらいの年齢で、初めての旅で得た知識と経験に独自の推論を加えた記録を残しているのだ。動植物はもちろん、地質や気候、諸民族の風習まで多岐に渡る。それらを自由な日記形式でまとめたのが『ビーグル号航海記』だ。
日本語訳は、2013年に荒俣宏が新訳を出してくれたので、ずいぶん読みやすくなった。それでも、上下2巻合わせて1000ページを超える。とにかく分厚い。行く先々でダーウィンが書き残したくなる体験や気づきが、たくさんあったということだ。
 

 
「『ビーグル号航海記』でダーウィンは、ゾウガメの甲羅にとまったマネシツグミを、もう少しで捕まえられそうだったと書いていましたね。以前ならガラパゴスバトも帽子や腕にとまるくらい人馴れしていたのが、発砲に驚いて少し臆病になり、腕にはとまらなくなった。でもそれ以上警戒心をもたないから、散歩しながらゲーム感覚で7ダースも鳥を殺した人のことも紹介していましたね。地元の子どもが、水を飲みにくるハトやフィンチを鞭で叩き殺して山積みにして、夕食用にしていたとか」
「よく覚えていらっしゃいますね」
「ガラパゴスの章だけ、何度も読み返しましたから。ダーウィンの著作の原点として、歴史的にとても興味深い本の一つだと思うのです。ダーウィンは、ガラパゴスの固有種が、人間をもっと警戒するようになる前に、とんでもない被害にあうことを心配していました。ガラパゴスの鳥は、イギリスのカササギが草を食べているウシや馬を気にとめないのと同じように人間を気にしない。人間に危害を加えられても人への恐怖心をなかなか持とうとしないから心配だって」
 
ダーウィン恐るべし。
『ビーグル号航海記』は1839年に出版された。日本はまだ江戸時代、明治維新の30年ほど前だ。ダーウィンはそんな昔から、遠い異国の島の動物たちの行く末を心配していたのか。
いや、ダーウィンだけではない。
後に続く人々の中にも、ガラパゴスの動植物の未来を守りたいと思った人たちが確かにいた。そんな、ダーウィン・チルドレンの力が集まって、20世紀後半、ガラパゴスの自然保護を目的とした国際的な研究機関が設立された。その名も、チャールズ・ダーウィン財団。本部はベルギーにある。今回のツアー中に、財団が運営するチャールズ・ダーウィン研究所を訪問することになっている。奥野さんは所長と仲がいいらしい。二人とも博識で、立派なダーウィン・チルドレンだから気が合うのも当然だ。
 
動物が人を恐れないのは、観光客には最高だ。
その最高の状態を保つためには努力がいる。今の世でダーウィンフィンチの取り放題を許したら、あっという間に絶滅してしまうだろう。
だから、ガラパゴスルールなのだ。
ガラパゴス諸島の陸地の97%を占める国立公園内では、観光客は全員、島民出身のナチュラリストガイドの引率が必要だ。その上で、ガラパゴスルールを守らなければいけない。生き物にエサを与えない、撮影にフラッシュを使わない、動植物を持ち出さないなど10個以上あるルールの中で、生き物から2メートル以上離れて触らないというのは特に重要だ。誰も手を出さなければ動物たちは安全で、人間に警戒心をもつ必要もないだろう。
 
アシカがベンチで大あくびするような街は世界中でここしかない。ガラパゴスルールによって人間が動物に近づかなければ、少なくとも人に対する動物たちの警戒心のなさは続いていくだろう。天国のダーウィンに、心配ご無用と言ってあげたい。
 

 
奥野さんが言った。
 
「ガラパゴスを守っていくには、多くの人にガラパゴスのことを知ってもらい、好きになってもらうことが大切です。ここへ来てくれさえすれば、みんなガラパゴスを好きになるんですよ。来たことのない人たちにも、魅力を伝えたいんですけどね」
 
奥野さんの言葉は私の胸を打った。
その通りだ。
生物の教員として、ガラパゴスの珍しい動植物にずっと興味を持っていた。
テレビを通じて、この島のことを少しは知っている気になっていた。でも、テレビや図鑑ではわからない強烈な魅力を今、感じている。
レストランのメニューを写真で眺めて美味しそうだと思っても、それはあくまで想像の世界。私は今までガラパゴスのメニューしか見ていなかった。今日、初めてそれをリアルに口にできたのだ。ここへ来て、この場所に立つことでしか味わえない空気がある。
来てよかった!
 
そういえば、今回、この自然体験学習ツアーに仕事がらみでなく参加したのは、一人できた私以外、リピーターとその家族や友人ばかりだった。ユネスコが1978年に、世界自然遺産第1号に認定したのもうなずける。本当にみんな、あっという間にこの島のファンになってしまうのだ。
まだ到着したばかりなのに。
気づいたら、もう今度来るときは誰を誘おうかと考えていた。上質な映画を観たときのように、家族や友人など親しい人たちと一緒に感動を分かち合いたくなるような場所、それがガラパゴスだった。
 

 
これから6日間をここガラパゴスで過ごす。
どんな出会いが待っているのだろう。
期待で胸がいっぱいだ。
奥野さんと波形さんという最強のガラパゴスオタクとの旅は、きっと素晴らしいものになるに違いない。
 
 
 
 
写真提供
Katsunori Namikata
Sachiko Oka
協力JAGA

□ライターズプロフィール 岡 幸子
(READING LIFE編集部公認ライター)

 
東京都出身。高校生物教師。平成4年度~29年度まで、育休をはさんでNHK「高校講座生物」の講師を担当。2019年8月、ガラパゴス自然体験ツアーに参加し、現地で得難い体験をする。帰国後、日本ガラパゴスの会(JAGA)に入会。ガラパゴス諸島の魅力と現実を、多くの人に知ってもらうことを願っている。

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