週刊READING LIFE vol.233

1978年6月24日、銀座一丁目で体験した初めての星空《週刊READING LIFE Vol.233 フリーテーマ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/9/25/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
生まれも育ちも東京の私は、ゆっくり星空を眺めた記憶が殆ど無い。
星空が、無かったからだ。正確には、東京では殆ど星を観ることが出来なかった。
何故なら、半世紀前の東京の空は、現代よりずっと汚れていたからだ。工場や自動車から出る排煙が、スモッグとなって星からの光を遮っていたのだ。
その時代を知っている者にとっては、北京の大気汚染のニュースに共感することは有れ、笑う気持ちには為らないものだ。
 
 
そんな、実際の星空を眺めることが無かった(出来なかった)私には、一つ星を観る方法が有った。地方へ行って観たのではない。東京の、それも室内で観ることが出来たのだ。
 
小学校の高学年に為ると、理科の教科書や参考書に星の項目が出てくる。後の地学に通じるものだ。
小学生時代の私は、星や星座に関するストーリーに興味を持ち、本から知識を得ていたのだ。ただ、実際の星空を観るには、ほんの少しだけ遠出をしなければ為らなかったのが現実だった。
当時、東京・渋谷には、東急文化会館(現在のヒカリエの場所)という建物が在った。幾つもの映画館や演芸ホールを備えた、正に文化の塊のような建物だった。
東急文化会館の中に、“五島プラネタリウム”という施設が有った。冠が示す通り、東急グループの創始者・五島慶太氏が、星空を観ることが出来ない僕等東京の子供達に、満天の星を堪能させようとして造ったものだ。
入場料金も子供なら、遊園地や映画館よりも極端に安かった。
 
本から星に関する知識を得、東京では観ることが出来ない夜空に興味を持ち始めた私は、五島プラネタリウムに足繁く通った。そして、天体に関する知識を目の当たりにし実感していた。勿論、感動もしていた。
プラネタリウムの場内で、“シリウス(天狼星)が一番輝いている”とか、“夏の大三角形は、〈白鳥座のデネブ〉〈こと座のベガ〉〈わし座のアルタイル〉で構成されている”といった蘊蓄を頭に叩き込んだものだ。
 
プラネタリウムで得た知識に、星とは別に“光”に関するものが有った。特にその速度、“光速”についてだ。
場内の説明で、光は秒速約30万kmだと教わった。この速度だと、太陽と地球間が約8分程だそうだ。
また、光の速さを強調するものとして、光は1秒間で地球を7廻り半するとも教わった。
併せて、天体までの距離を『○○光年』と表現することも知った。その距離は、1秒で地球を7廻り半する光が何年も掛かってしまう程、途方もなく遠いことを強調していると感じたものだ。
 
しかし、映写された星が固定され動かなかった。もしくは、地球上の時間に合わせてゆっくりしか動かなかった。プラネタリウムでは、“光速”の実感を私は掴むことが出来なかったのだ。
 
私が、秒速30万kmを目の当たりにし実感するのは、さらに10年近い時間が必要だった。それでも、今から45年も前の話だが。
 
小学生だった私が大学に進学した時、秒速30万kmを体験することになった。
或る映画の出現によって。
 
 
その映画とは、ジョージ・ルーカス監督作品の『スターウォーズ』だ。
現代では、この作品のことを『スターウォーズ エピソード4/新たな希望』とフルネームで呼ぶ。スターウォーズ・シリーズ全体で、9作も作られてしまったので名前まで長ったらしく為っても仕方がないだろう。
しかし、第一作目の公開に立ち合った者にとっては、『スターウォーズ』といえば、今でもこの作品を指して仕舞うのだ。
 
実は、『スターウォーズ』の公開から、映画の入場料金が値上げされた。当時の映画ファンは、これを黙って見過ごした。背景には、現代では考えられない事情が有ったからだ。
 
現在では、洋画、特にアメリカ映画に関しては、日米同時公開や、やや間が開いても精々1か月程度が一般的だ。
45年前は、現代よりも日本公開が遅れるのが当たり前だった。それでも、3か月から半年待ちだった。
しかし、当時の映画ファンは、そのタイムラグを苦も無く過ごすことが出来た。何故なら、映画の公開情報が、現代よりも詳しくもなく、その数も少なかったからだ。情報が無ければ、待つ苦労なんて何ということはないのだ。
 
ところが、『スターウォーズ』は話題の大作だったので、情報は1年以上前から結構詳しくアメリカから押し寄せて来ていた。
ネットが無い時代では、雑誌が主たる情報源だった。特に当時は、『Popeye(ポパイ)』や『Hotdog Press(ホットドッグプレス)』の、アメリカン・カルチャーを紹介する雑誌が全盛だった時代だ。
両誌はこぞって、アメリカの情報を私達若者に浴びせかけて来た。
 
『スターウォーズ』の情報、特に、史上初のアクション系SF映画だということが伝わって来た。しかも、観たことが無い映像で、ストーリーもヒーローズ・ジャーニーで感動的とも伝えられた。
しかし、一つだけだが重大な問題が在った。
それは、1977年夏に本国・アメリカで公開され大評判と為った『スターウォーズ』だったが、日本での公開は一年後の1978年夏だったことだ。
そこには、後に映画料金の値上げと為る事情もあった。それは、作品の製作費が史上最高額と為って仕舞ったことに始まる。空前のスケールだったので、当然と言えば当然の話だが。
 
高額の製作費は、映画の輸入額に反映された。高騰した輸入額は、映画料金と為って我々に課せられた。
しかも、映画の興行成績は“入場料金X入場者数”であることから、大きな箱(映画館)を、数多く抑える必要にも配給会社は迫られた。そこで、数多くの箱を抑える為に、やむを得ず一年後の公開と為って仕舞ったのだ。
既に大学生だった私(しかも、商学部でマーケティングを学んでいた)は、こうした配給側の事情を理解していた。
 
しかし、‘理解する’と‘同意する’とでは、意味は近くとも私の心情は大きく違っていた。
更に、『Popeye』や『Hotdog Press』は、『スターウォーズ』の情報で我々を煽り立てた。ラジオでは、先行で公開が許された、今ではスタンダード・ナンバーに為っている、ジョン・ウィリアムス作曲のメインテーマが連日流されていた。
ただでさえ、トランペットの勇壮なファンファーレで始まるテーマだ。『スターウォーズ』のメインテーマは、私の耳から離れなく為っていた。
当然、『スターウォーズ』を観たい思いは募る一方だった。
 
その上、両誌に至っては、“『スターウォーズ』をいち早く観る方法”等という、最早、悪巧みとしか云い様のない特集迄組んでいた。
その方法たるや、散々なものだった。
先ず簡単なのは、アメリカへ行って観ることだった。しかし、当時の円ドル為替レートは、1ドル=300円弱だった。学生が、そう簡単に渡米出来る時代では無かったのだ。
確か、最も近いアメリカのグアムへ行くにも、30万円程度掛かっていたと記憶している。
この時ばかりは、沖縄の返還(1972年)がもう少し遅ければ良かったのに等と、罰当たりな考えが頭をよぎっていた。返還前なら、沖縄で一年前から『スターウォーズ』を観ることが出来たからだ。
それ程までに私は、『スターウォーズ』を一日でも早く観たかったのだ。観たくなっていたのだ。
結局私は、アメリカへ行くことを早々に諦めねば為らなかった。もし仮に、渡米資金を貯めるとしても、一年は掛かると思われたからだ。
その頃には、日本でも『スターウォーズ』が公開されてしまうのだ。
 
 
大騒ぎをしている間に、『スターウォーズ』日本公開の日程が決まった。
初日は、1978年6月30日の金曜日と定められた。暦廻りは、今年と同じだ。
そこには、これまでの慣例とは違いが有った。
 
それは、ロードショー初日は土曜日が通常だった。封切早々の、客入りを見込んでのことだ。
しかも、7月の土曜日に始まる映画は、俗に‘夏休み映画’と呼ばれる大作が揃うものだった。
『スターウォーズ』は、大作には違いない。しかし6月公開、しかも金曜日に始まる作品を‘夏休み映画’に入れて良いものかと、重箱の角を突く様な異論も挟まれた。
 
そして、『スターウォーズ』を皮切りに‘先行ロードショー’が、行われるように為ったのだ。通常封切りの一週間前、特別にレイト興業することだ。
当然の様に、先行ロードショーは特別料金と為る。夜間興業の為、子供料金は無かったし、学生割引も無かった。
『スターウォーズ』の先行料金は、何と2,000円(通常、1,200円)に跳ね上がっていた。
 
 
情報に煽られ続けた私は、料金が上がったにも拘らず1978年6月24日土曜日に、デートを断りバイトも入れず、当時東京で最大級の映画館であった“テアトル東京”の入り口に並び始めた。勿論、チケットは既に前売りで入手済みだった。
21時開始に対し、19時には並び始めていた。
そこには、この映画館ならではの事情が有ったのだ。
 
建物の老朽化で、その3年後の1981年に閉館してしまったテアトル東京は、映画全盛期によく製作された“70mm映画”を上映出来る、シネラマ方式の映画館だった。この方式の映画館は、日本に二館しかなく、同館はその一館だ。
通常の映写フイルムは、35mmの幅だ。それが倍の70mmのフイルムを上映出来るのだから、それなりの映写設備とスクリーンが必要だった。最盛期には、2,000近い席数を誇ったテアトル東京には、当時でも珍しく、三階席迄在った。
特に、シネラマ方式だった同館は、スクリーンと客席に段差が無かった。客席の床が、前に行くに従って迫上がり、そのままスクリーンの下端に為っていたのだ。前方の席は、完全に爪先上がりに設置されていた。しかもそのスクリーンは、大きく湾曲していた。
最前列の迫力は、それこそ桁違いだった。しかし、相当の体力と気力も必要としていた。
 
ただ、体力が有り余っていた若き私は、折角テアトル東京で観るなら最前列でと考えていた。確かに、眼と体力には辛いものが有るが、その、スクリーン(映像)に包まれるような感覚で、是非共『スターウォーズ』を体験したかったのだ。
 
2時間前から並んだ私は、最前列中央の特等席を確保した。
 
 
1978年6月24日21時、スルスルと緞帳が横に引かれると、CMやトレーラー無しで20世紀FOX(『スターウォーズ』の製作配給会社)のファンファーレと御馴染みの映像が流れた。
一年待たされた満員の観客は、誰からともなく一斉に拍手した。
既に聴き慣れていたテーマが掛かると、『スターウォーズ』のロゴが宇宙空間の遥か彼方に飛んで行った。
私に期待は、益々膨らんだ。
 
映し出される映像は、どれもこれもが初めての体験だった。
東京で初めて観る、星空の映像だった。
 
 
『スターウォーズ』が中盤に差し掛かると、ハン・ソロ船長(ハリソン・フォード演)が登場し、愛機の“ミレニアム・ファルコン号”も登場した。
それ迄に観慣れた宇宙船と少しイメージが異なる形のファルコン号は、宇宙最速との紹介がされた。
そして、ハン・ソロ船長とファルコン号は、私が想像だに出来ない映像を観せ付けた。
 
それは、ファルコン号がワープ(超光速航法)に突入した瞬間だった。
私を包み込んでいる映像一杯に、星が尾を引く様に、しかも一斉に流れたのだ。
 
驚くべき、映像だった。
私はただただ、口をあんぐりと開けていた。
 
しかし、冷静に考えてみれば、1秒で地球を7廻り半する光速を超えるのだから、星(の光)が置いて行かれる様に見えるのは当然なのだ。
これ迄は、ワープの語彙を知ってはいたものの、私は映像として想像したことが無かったのだ。
多分、多くの人が私と同じだったことだろう。
ファルコン号がワープした瞬間、テアトル東京の場内は、一瞬の“アッ!”という声以外、全員が息を吞んでいた。
 
 
私達映画ファンは、ジョージ・ルーカス監督の映像表現に感嘆し、心から敬服した。
 
そして、初めて超光速を映像化してくれたことに感謝した。
何といっても、星、正確には光の動きを具体化してくれたのだから。
 
この映像に、満足しない、出来ない理由等、有ろう筈も無かった。
 
私達『スターウォーズ』リアルタイム世代が、この作品を特別視する理由は、ここに在るのだ。
そして当時、私と同じく秒速30万km の世界に引き込まれた者は、その後に発展する“3D映像”(立体映像)に、興味を持つ事は無かった。“3D映画”が不要だったからだ。
 
何故なら、光速を動きによって表現した映像に引き込まれたのだから。
これ以上の立体感は、もう要らないと感じるのが本音なのだ。
ファルコン号が、ワープした瞬間の感覚は、既に3次元と何ら変わらなく感じられたのだ。
 
 
初めての星空を、『スターウォーズ』で堪能した私は、テアトル東京の外に出た。
同館が在る銀座一丁目の夜空は、星を見ることが出来ない雨だった。
 
それでも私は、初めて体験した超光速の星空に満足一杯だった。
 
そしてその夏中、私の頭の中では『スターウォーズ』のテーマが鳴り続けていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2023-09-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.233

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