週刊READING LIFE vol.270

夏祭りでいつも見かける白い装束の男の人《週刊READING LIFE 祭り》


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2024/7/22/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「早く用意しなさい! 行くわよ」
 
あれは昭和の時代のこと。
私がまだ幼稚園くらいの頃だから、昭和40年代くらいのことだと記憶している。
あの頃、夏休みになると、近所の氏神様では毎年お祭りが開かれていた。
当時、今のようにたくさんの娯楽はまだなくて、夏になるとこのお祭りを子どもたちはみんな楽しみに待っていたものだ。
その日は、夕方になると母がかわいい浴衣を着せてくれた。
たしか、金魚が泳いでいるような柄で、帯は鮮やかなピンク色だった。
兄と妹も楽しみにしている、夏の風物詩だった。
 
夕方、母に連れられて通い慣れた神社へと歩いて行く道すがら、私だけはちょっとブルーになっていった。
兄も妹も、夜店の金魚すくいやベビーカステラ、りんご飴をこの日ばかりは買ってもらえることが嬉しくて、二人とも神社が近づくにつれ弾んでいるのがわかった。
でも、私は、私だけが、本当は、お祭りが嫌いだった。
夏の夕方、暑さも和らいで来て涼しさも加わって、とても気持ちの良い時間だった。
近所のお友だちとも必ず会えて、一緒に夜店を楽しめることもわかっていたのに。
 
私は、昭和40年代当時、お祭りになると現れる、大人の男の人たちが怖かったのだ。
白い装束に身を包み、何かしらの楽器を手に持って、演奏をしている人たち。
その男の人たちは、一瞬たりとも笑うことなく、ただひたすら楽器を演奏していたのだ。
それも、とても悲しい音色だった。
歌っている歌詞は聴きとれず、意味もわからなかったが、何かしら自分たちはお国のために頑張った、とか何かを言っていた。
その独特の風貌と、醸し出す雰囲気が、まだ幼稚園くらいだったが、幼い頃からカンが鋭い私は、とても怖く感じたのだ。
 
そして、その男の人たちは、どこか身体の一部分を失っていた。
片脚がなくて、地面に座り込んでいる人。
腕がなくて、楽器が持てない人。
目が見えないのか、黒いメガネをかけている人。
そして、その男の人たちの前には、缶かカゴのようなものが置いてあって、行き交う人がお金を入れてゆく。
幼稚園時代の私には、その人たちが誰で、どうしてここでこんなことをしているのかがわからなかった。
しかも、みんなからお金をもらっているのだ。
私は、楽しいお祭りの賑やかな時間の中で、その一部だけが違う空気を放っていたことにとても違和感を抱き、そして怖いと感じていたのだ。
そのことを、母に聞いて確かめることもできないくらい、私の心には重く、強く印象付けられる光景だった。
 
それから私が小学生になり、中学生となってゆくと、あの白い装束の男の人たちを見かけることはなくなっていった。
ずっと、長い間忘れていたのだが、ふとある夏祭りに行った時に当時のことを思い出したのだ。
そこで、当時のことを調べてみると、その男の人たちのことを「傷痍軍人」と説明されていた。
徴兵されて、戦地で戦った際に傷を負った人たちということだった。
私が幼稚園の頃、夏祭りで見かけた人たちは、第二次世界大戦の戦地で戦った人たちだったのだろう。
戦争中は、傷痍軍人の人たちのことを「名誉の負傷」などと言われ、援助も手厚かったようだが、戦争が終わると熱が冷めてゆき、傷痍軍人に対する社会的援助や支援も衰える傾向にあったようだ。
身体に障害を受けた傷痍軍人の人たちが、当時、定職に就くことも難しかったと言われている。
そうなると、傷を負った軍人さんとそのご家族は、とてつもなく過酷な人生を送ることになったはずだ。
困窮した生活を何とかしようと、お祭りの縁日などで募金活動などをしていたということだったのだ。
私は、この事実を知った時、幼い頃、傷痍軍人さんたちを見て、怖いと思ったことを反省した。
心より申し訳なく思ったのだ。
 
私は戦争をもちろん知らないが、祖父が徴兵されて、戦地で戦っていた時の話は、幼い頃よく聞かされた。
祖父は、元気な身体で日本に戻ってくることが出来て、その後、何の問題もなく人生を送ることが出来た。
でも、中には戦地で傷つき、その人生を狂わせられた人たちがたくさんいたという事実を知って、私は愕然とした。
 
私が生まれたのは、1963年。
終戦が1945年なので、戦後18年目に生まれたのだ。
ちょうど、戦後の混乱も落ち着き、高度成長期にさしかかるところで、日本が栄えてゆく頃だった。
戦争の影は周りから感じることなどなく、ただ祖父の話から知ることだけであった。
まだまだ、モノをたくさん買い与えてもらったり、今のように娯楽がたくさんあったり、外食をするようなことも滅多には無かった時代だった。
それでも、命が奪われる、傷つけられるというような心配をしながら生きて来た、祖父や両親の時代とはくらべものにならないくらい、平和で幸せだった。
そんな環境を、ずっと当たり前のように思っていた。
 
でも、あの幼い夏の日。
子どもたちがはしゃぎ、大喜びをしている神社の縁日の一角で見かけた、その人生を狂わされ、心も身体も傷ついた傷痍軍人の人たちのことを思い出すと、胸が詰まる思いになる。
 
幼稚園に通いながら、子どもながらにもお友だちの持っているモノや着ているお洋服を羨ましく思ったりしたこともあった。
当時の子どもだった自分は、致し方ないとは思っても、今、この時代をおかげさまで健康で幸せに生きていることについて、あらためて感謝の気持ちが湧いてくるのだ。
今、当たり前に出来ていること、まかり通っていることが、戦争中には全く出来なかったのだ。
自分の人生、命すら、国のために捧げるような時代があったのだ。
 
戦後79年を迎える今年、
もう、かつて私が夏祭りで見かけた、傷痍軍人さんたちは皆さん亡くなられたはずだ。
それでも、この記憶を、当時はただ怖いとしか感じられなかったが、今、ここで何不自由なく生きていられることに、あらためて感謝の気持ちを持つことに変えてゆきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

 
 

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2024-07-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.270

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