週刊READING LIFE vol.275

箱入り娘が、親に無断で一人で引越しした話《週刊READING LIFE Vol.275 人生のターニングポイント》

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2024/8/26/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……
呼吸がコントロールできず、どんどんスピードが上がっていく。
気づいたら歩けずにしゃがみ込んでいた。
 
「ハァハァ……大丈夫です……過呼吸です……ハァハァ…」
駆け寄ってきた女の子は、私がそう伝えると心配そうに何度も振り返りながら去っていった。
 
秋の夜長、京都の繁華街。世界中の人が憧れる素敵なシチュエーションだ。
さらさらと鴨川の水の音が爽やかな橋の上で、涙を流しながら過呼吸でしゃがみ込む女が一人。
 
あの日、三条大橋の上で、私は人生に絶望していた。
でも、いま思い返せば、それは自分の人生において起こるべくして起きたことのような気がするのだ。
 
 
 
いわゆる、毒親という言葉が世の中に出回り始めたのは、いつのことだろうか。
 
Twitterやブログなど、ネット上には壮絶な毒親エピソードがいくらでも転がっていたし、それらをみるたびに、あぁ私は恵まれているなと思う。
 
頭の回転が早く会話が面白い父と、女性らしい外見で良妻賢母を形にしたみたいな母。
何かのきっかけで私の親と接した大人は、素敵なご両親ですね、と口を揃えて言う。
庭付きの一軒家に住んで、私たち兄弟は二人とも県内随一の進学校に通っていた。
人格的にも経済的にも教育的にも、世間的にどうみても「親ガチャ」に成功している。
 
でもどうしてか、親といるとずっと苦しかった。
 
優秀で可愛らしいお嬢さんの名札を下げて、ご近所の方に笑顔でご挨拶をする。
「素敵なご家庭」のパーツとして、自分を機能させてきた。
一生懸命働いて私たちを育ててくれている両親に報いるためにも、自分の求められている役割を果たすことは一つの使命だと思っていた。
両親が私の人生に良いと思ってするアドバイスには一生懸命耳を傾けたし、その通りに行動して実現させる力も持ち合わせていた。
 
そんな中で、親といるとうっすら苦しい、違和感を覚える気持ちは無視してきた。
それでも間違えずに綺麗に人生を歩めてきたし、これといって大きな問題は起こらなかった。
それなりに親とうまくやってきたし、これからもうまくやっていけると思っていた。
 
 
しかし、自分の気持ちを無視するとしっぺ返しがくるのは世の常で、ついにXデーはやってきた。
その日は、社内の福利厚生の食事会だった。
二親等までなら家族を招待してもいいとのことだった。
 
祇園の料亭で両親にご飯を食べさせてあげられるなんて、良いことだ。
両親は楽しいことが好きだからきっと喜んでくれるだろう。
そういう純粋な気持ちで、両親を招待した。
……この食事会で、20数年間築いてきた「素敵なご家庭」にヒビが入るなんて誰が予想できただろうか。
 
駅で両親と待ち合わせをして会場についた。
会場はいくつかの個室に分かれ、家族ごとのまとまりで席が用意されている。
着席して、近くの席の方に両親を紹介して軽く挨拶をする。
ここまでは良かった。
 
かなり大人数の食事会だから、料理が出されるまでにかなり間があった。
そんな時、あろうことか、父はイヤホンをつけて野球観戦を始めた。
その日は、父が応援する阪神タイガースが何年かぶりに優勝するかもしれない、歴史的な試合の日だった。
 
父は昔から阪神の大ファンだった。
子どもの頃に連れて行ってもらった名古屋球場で、中日戦を応援しに行ったのに相手チームである阪神のダイナミックな野球に魅了されてしまった話は何度も聞いた。
家に帰ると阪神の応援歌が流れていて、父が喜んだり悲しんだりしているのは、小さい頃からの家庭の風景だった。
50年以上阪神を応援し続けている父にとっては、どうしても観たい伝説の試合だったのだ。
 
……いや、でも懐石料理が出される料亭で、そんなことをする?
いい大人が?
娘に招待してもらった食事会で?
 
信じられなかった。
やめて欲しい旨を何度も伝えたし、母からも言ってもらったけれど、父は無視をした。
 
宴会が始まると、同じ席の社員の方に馴染みのある管理職の方が、私たちの個室にやってきた。
父がイヤホンで野球を見ている姿を、会社の偉い人に見られるのが心底嫌だった。
同じ席に座った社員の奥様や幹事の方に、父が行儀悪くてすみません……と頭を下げた。
ただでさえ会社の宴会は気を使うのに、私はどうしてこんなことで謝っているんだろう。
 
娘に招待してもらった食事会で、会話もせずスマホに没頭している父の姿を見て、何かが私の中でプチンと弾けた。
「堪忍袋の尾が切れる音」を実際に頭の中で聞いたのは、前にも後にもあの時だけだ。
 
食事会の後で、私たちは家族で京都に宿泊して翌日は京都観光をする予定だった。
しかし、堪忍袋の尾が切れた以上、親たちと過ごすのは無理だと確信した。
私は静かに冷たく怒るタイプだ。
会食が終わった後、私は両親に今日は帰ると静かに伝えた。
 
母が見るからに動揺したので、ちょっと話そうか、と両親を三条大橋のスターバックスに連れて行った。
 
私から、父に話をしようと思っていた矢先、なぜか母がキレた。
「急に帰るなんて私のやり口は意地が悪い」と怒鳴られ、「怒っているなら怒りをぶつけてきなさいよ」と言われた。
父の無作法を止めることができず私がへそを曲げ、「素敵なご家庭」が乱れたことに母は完全に動揺しきっていた。
「もう結構です」
この期に及んで怒られたことに対して怒りは完全に沸点を超え、カフェに両親を残して席をたった。
 
 
三条大橋のスターバックスを飛び出した私は、怒りすぎて溢れた涙もぬぐわず歩いた。
そして、過呼吸になった。
 
「どうしてこんな思いをしているのだろう。
優秀でいい会社に勤めて親孝行もして、頑張っているのになぜ。
私が何を間違えたというの」
心の奥底で叫んでいた。
 
 
 
帰りの電車の中で、車窓をぼんやり眺めていると、泣いた後の気だるい甘さが体に広がる。
雲から隠れていた月が顔を出したとき、そのアイデアは私の心にふと降りてきた。
「引越しをしようかな」
 
会社の寮をずっと出たいと思っていた。
ど田舎にある会社の敷地内の寮に住んでいると、ずっと会社にいるような気持ちがして落ち着かなかった。
カフェに行って気持ちを整えようと思っても、歩いていける範囲にカフェはない。
しかも、プライベートの動向が寮の人に筒抜けで、読書や物書きが好きな私は引きこもりと揶揄されていた。
寮の人と日々集まって飲み会をするのが好きな人は楽しく過ごしているようだったが、あいにく私はプライベートゾーンが広く、一人の時間をたくさん要していた。
つまり、完全に向いていなかったのである。
生活を変えないと、そのうちメンタルにくるかもしれない。
そんな気持ちがうっすらとあった。
 
しかし、寮を出たいと話すと、父はひどく反対した。
「賃料も安く、身元のわかる人しか住んでいない安全な環境だから、会社の寮にいた方がいいに決まっている」
そう言って頑と譲らなかった。
母も、「あなたは初めて賃貸を借りるんだから、お父さんに相談しないといけない」と取り合ってくれなかった。
二人とも、私が寮を出たい理由には、耳を傾けなかった。
 
親の意見は正しい。
ずっとそう思ってきた私は、寮にいるべきだと考えて、その通りにしてきた。
でも、自分の気持ちを押し殺しているうちに、どんどんメンタルは落ちていった。
 
頭の中は次第にグルグルにこんがらがり、「結婚したら親は寮を出ることに反対しない」という理由から、当時付き合っていた彼と結婚しようとした。
 
彼とは話し合いがうまくできず、冷静に考えたら結婚相手としては完全に微妙であった。
でも私は、私は親子という呪縛から出るためにどうしても結婚したかった。
「独身の娘だから親は心配するんだ。結婚してしまえば、もう口を出されないだろう」
この仮説が私の脳内を支配し、完全に暴走していた。
 
彼と結婚する許可をもらおうと親に必死に説明した。
私は、親に認めてもらえるような人生の最終ステップとして、結婚を捉えていた。
そこには明るい前向きな姿勢はどこにもなかった。
 
完全に冷静さを欠いて自分を見失っていた私に、親は結婚の許可をおろさず結局彼とは別れることになった。
今となってはそれで良かったと思っているが、めちゃくちゃに辛い時間を過ごした。
 
 
そんな中、会食の事件が起こったのだった。
もう私の頭の中はぐちゃぐちゃで、正真正銘のどん底だった。
 
思えば、父の行動に腹が立ったのは、「やめてほしい」という私の言葉を無視したからだ。
父はとても心配性で、子どもにとって良いと思うことを強く主張し、私たちの意見には取り合ってくれないことが多かった。
ご飯を食べに行くところも進学先もバイト先も、なんでも口を出した。
日々の会話も自分の考えを話すばかりで、私の話を聞いてくれたことなんてなかった。
頭の良い父を論破できる力を子どもの頃は持ち合わせておらず、完全に父の言うことは正しいから従わざるを得なかった。
母も父の意見に従うばかりで、何も状況は変わらなかった。
 
「親は私の話を聞いてくれない。
子どもとして守ろうとしてくれるけれど、他者として尊重してくれない」
 
そんな気持ちが、会食事件で爆発したのだと思う。
ずっと押し殺してきた子どもの頃からの怒りは凄まじかった。
 
強い怒りを行動力に変えて、私は親に無断で住所も伝えずに引越しを進めた。
よく考えたら、引越しできるようなお金は十分私の手元にある。
どうして親の許可を得ないと、引っ越してはいけないなんて思っていたのだろう。
親子の呪縛で自分を縛っていたのは、紛れもない自分自身だった。
 
賃貸を選んだり、引越し業者を手配したり、住民票を移したり、何もかも初めてで戸惑った。
「初めてなんだからお父さんに相談しないと」、と母は言ったが、たくさん調べて一人でやり切った。
達成感と共に羽が生えたかのような自由を感じた。
 
自分のために、自分自身で決めて行動する。
シンプルなたったこれだけのことを、今までいかにおろそかにしていたか思い知った。
 
「そんなところ危ないから」
「お金は貯めておけ」
そんな親の言葉に縛られなくて良かった。
引っ越してから、私のメンタルはどんどん改善して、生きやすくなった。
 
 
この経験を通して、私は心の中の子どもの自分を癒して、好きに生きていいんだよ、と解放してあげた。
絶望して過呼吸になっていた時は、こんなに穏やかな日々が待っているなんて思わなかった。
自分の人生を自分で生きられるようになったターニングポイントは、紛れもなくあの三条大橋の上でしゃがみ込んだあの時だ。
今となっては、あの苦しみは私の人生にとって必要なものだったと言える。
 
私のように、親に恵まれているのになんとなく生きづらい人は、きっと世の中にたくさんいるはずだ。
そんな人はぜひ、些細なことでいいから自分で決めて環境を変えてみる、というのを試してみてほしい。
きっと自分の人生をもっと好きになれるから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール

愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。お風呂で本を読むのが好き。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

 
 

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2024-08-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.275

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