週刊READING LIFE vol.277

日常の気づきが育む、想像力という翼《週刊READING LIFE Vol.277 想像力の翼》

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2024/9/9/公開
記事:大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
鵠沼海岸の砂浜を歩いていると、波の音が耳に心地よく響く。潮の香りが鼻をくすぐり、肌に触れる海風が心地よい。
いつもの朝のウォーキングコースだ。毎日同じ道を歩いているはずなのに、今日は何か違う。
六月に入り、海の家の準備が始まっていた。早朝で犬の散歩をする人やサーフィンボードを横目に海を眺めている人がいる静けさの中、砂浜には海の家の土台になるであろう木の柱や棚板のようなものが積み上げられている。
「ああ、もうこんな季節なんだ」
毎年見ているはずの光景なのに、今年は特別新鮮に感じる。準備中の海の家を見ながら、ふと思った。
「想像力って、こういうものかもしれない」
理学療法士として20年以上働いてきた僕だが、最近になってようやく「想像力」の大切さに気づき始めた。それは、患者さんとの関わりの中で、そして自分自身の人生の中で、少しずつ芽生えてきたものだった。
振り返れば、僕の人生は想像力との出会いと別れの繰り返しだったのかもしれない。
小さい頃は、誰もが豊かな想像力を持っている。砂場で作った山は秘密基地になり、段ボール箱は宇宙船に変わる。しかし、大人になるにつれて、その力は薄れていく。現実的に、論理的に考えることを求められるようになるからだ。
僕もそんな大人の一人だった。理学療法士になってからは、特に「科学的」であることを重視していた。患者さんの症状を客観的に評価し、エビデンスに基づいた治療を行う。それが専門家としての正しい姿勢だと信じていた。
しかし、ある出来事をきっかけに、その考えは大きく揺らぐことになる。
「先生、私の体が元に戻るまで、どのくらいかかりますか?」
ある日、脳卒中で左半身に麻痺が残った60代の男性患者さんに聞かれた。病院のリハビリ室で、彼は不安そうな表情で僕を見つめていた。
「そうですね、個人差がありますから一概には言えませんが…」
僕は一般的な回答をしようとしたが、患者さんの表情が曇るのを見て言葉を飲み込んだ。科学的な説明をしても、彼の不安は解消されないだろう。そう直感した僕は、別のアプローチを試みることにした。
「これまではどんな生活を送られているんですか?」
その一言で、患者さんの表情が変わった。まるで堰を切ったように、彼は話し始めた。
「実は、毎週日曜日に孫と公園で野球をするのが楽しみだったんです。孫は小学校3年生で、野球チームに入ったばかりなんです。『おじいちゃん、もっと遠くに投げられるようになりたい』って言うから、一緒に練習していたんですよ」
その瞬間、僕の頭の中に一枚の絵が浮かんだ。青々とした芝生の上で、はしゃぐ孫と笑顔でキャッチボールをする患者さんの姿。汗ばんだ額を拭いながら、孫の成長を喜ぶ彼の姿が鮮明に見えた。
「そうだったんですね。では、まずは孫さんとキャッチボールができるようになることを目標にしましょう」
患者さんの目が輝いた。その瞬間、僕は「想像力」の力を痛感した。
それまでの僕は、「日常生活」と言えば、食事や入浴、排泄といった基本的な動作しか考えていなかった。しかし、患者さん一人一人の「日常」は全く違うものだった。キャッチボールをする喜び、孫の成長を見守る幸せ、家族との絆。それらすべてが、この患者さんにとっての「日常生活」だったのだ。
その日を境に、僕は患者さんの話をより深く聞くようになった。そして、その人の人生をイメージしながらリハビリのプランを立てるようになった。
 
80代の女性患者さんは、膝の痛みで長らく外出できずにいた。特に気がかりだったのは、亡き夫のお墓参りだった。
「主人が亡くなって5年になるんです。でも、この2年間はお墓参りに行けていないんですよ」と、彼女は寂しそうな表情で語った。「膝が痛くて、坂道や階段が怖くて…」
彼女の言葉に、私は亡き夫への思いと、お墓参りができない申し訳なさを感じ取った。リハビリの目標が明確になった瞬間だった。
私たちは、彼女の自宅からお墓までの道のりを想定したリハビリプランを立てた。彼女は「主人に会いに行ける」という目標に向かって、懸命にリハビリに取り組んだ。
そして3ヶ月後、彼女は涙ながらにこう報告してくれた。
「先生、行ってきましたよ。主人のお墓に」
その言葉に込められた喜びと達成感が、彼女の表情からあふれ出ていた。
「膝が楽になって、一人でお墓参りに行けるようになって本当に嬉しいんです。お線香をあげて、お花を供えて…久しぶりに主人と話してきました」
彼女の目に光る涙を見て、僕はリハビリの真の意味を再確認した。それは単に体の機能を回復させることではなく、その人の大切な思いを実現することなのだと。
このエピソードは、想像力を働かせて患者さんの人生に寄り添うことの大切さを、私に深く教えてくれた。
 
想像力を働かせることで、患者さんとの関係も変わっていった。以前は「なかなか良くならない」と不満を漏らす患者さんも、自分の生活に即したリハビリに取り組むことで、目に見えて意欲的になっていった。
 
「先生、こないだ旅行に行ってこれたんですよ! 意外と歩けました!」
「先生、昨日は孫と公園に行けたんですよ」
 
患者さんの嬉しそうな報告を聞くたびに、私も心から喜びを感じるようになった。それは単に症状が改善したという医学的な喜びだけでなく、その人の人生の一コマに立ち会えたという喜びだった。
 
しかし、想像力の大切さに気づくまでには、痛い経験もあった。
小学生の頃、親友だった優太くんとの出来事は今でも鮮明に覚えている。
ある雨の日のことだった。学校が終わり、優太くんと一緒に家路につく。傘をさしながら、水たまりを避けて歩く。そんな中、私たちは傘についた水滴を飛ばし合うちょっとした遊びを始めた。
「ほら、こうやって振るんだよ」
僕は傘を大きく振って、水滴を飛ばした。優太くんも負けじと傘を振る。お互いに笑いながら、どんどんエスカレートしていく。
そのとき、僕の傘から飛んだ水滴が、たまたま優太くんの顔にかかってしまった。
「あ、ごめん」
僕は軽く謝ったが、特に気にすることもなく、まだ笑顔を浮かべていた。しかし、優太くんの表情が一変した。
「大塚はいつもやりすぎなんだよ!!」
優太くんの怒鳴り声が、雨音を突き破って響いた。その表情は、これまで見たことのないほど怒りに満ちていた。
僕が何かを言う前に、優太くんは走って去っていった。雨の中、彼の背中が見えなくなるまで、僕はその場に立ちすくんでいた。
それきり、優太くんとは口を聞いていない。
当時の僕には、優太くんの気持ちを想像する力が足りなかった。自分が「面白い」と思ったことが、相手にとっては「不快」なことだったのだ。優太くんにとって、その「水滴」が持つ意味を、僕は想像もしていなかった。
もしかしたら、その日彼は何か嫌なことがあったのかもしれない。あるいは、ずっと僕の「やりすぎ」に我慢していたのかもしれない。でも当時の私には、そんなことを考える余裕もなかった。
この経験は、40歳になった今でも心に深く刻まれている。人の気持ちを想像することの大切さを、身をもって学んだ瞬間だった。
たった一つの不用意な行動が、長年の友情を壊してしまう。そして、一度失われた関係を取り戻すのがいかに難しいか。この出来事は、私に「想像力」の重要性を教えてくれた最初の、そして最も痛烈な教訓となった。
 
 
ある日、腰痛に悩む40代の女性患者さんから、こう言われた。
 
「先生、私の腰痛の原因を教えてください。いったい何が悪いんでしょうか?」
 
正直に答えれば、彼女の生活習慣や姿勢の悪さが原因だった。長時間のデスクワーク、運動不足、不規則な食生活。どれも腰痛の原因として指摘できる要素だった。でも、そのまま伝えれば、彼女を責めることになってしまう。
 
以前の僕なら、はっきりと「生活習慣が原因ですね、あなたの普段の生活が今の腰痛を招いています。原因はあなた自身です」と伝えていただろう。
 
しかし、今の僕は違った。
 
「そうですね。腰痛の原因はいろいろありますが、まずは一緒に、あなたの日常生活を振り返ってみましょう。どんな時に痛みを感じますか?」
 
彼女の表情が柔らかくなった。
 
「そうですね……朝起きた時が一番つらいです。それと、長時間座っていると痛くなります」
 
「なるほど。お仕事はデスクワークが多いんですか?」
 
「はい、そうなんです。最近は在宅勤務が増えて、もっと座っている時間が長くなりました」
 
こうして、彼女自身が自分の生活を振り返るプロセスを大切にした。そして、徐々に改善策を一緒に考えていった。
 
「では、長時間座らないように工夫してみましょう。1時間に1回は立ち上がって、少し体を動かすのはどうでしょうか?」
 
「そうですね。試してみます」
 
自分で気づくプロセスを大切にすることで、彼女は前向きに改善策を考え始めた。
 
正しいことでも、そのまま伝えるのは正しくない。相手の気持ちを想像しながら伝えることで、より効果的なコミュニケーションができるようになった。
 
この経験から、僕は「想像力」が単なる空想ではなく、現実を変える力を持っていることを学んだ。患者さんの人生を想像し、その人にとっての「よりよい未来」を一緒に描くことで、リハビリの効果も大きく変わってくるのだ。
 
想像力を磨くには、日常の中に「気づき」を見つける習慣が大切だ。
 
僕は毎日1万歩以上歩くことを心がけている。最初は健康のためだったが、今では想像力を育てる大切な時間になっている。
 
普段は車で通り過ぎてしまうような道も、歩いてみると新しい発見がある。角を曲がったところにできた小さなカフェ、道端に咲く名前も知らない花、古い看板の裏に隠れた猫の親子。
 
先日は、いつも通る商店街の八百屋さんの前で足を止めた。店先に並ぶ野菜たちが、いつもより生き生きと見えた。
 
「今日のナス、艶がいいね」
 
八百屋のおじさんが、常連らしきおばあさんに話しかけている。
 
「あら、本当ね。煮びたしにしようかしら」
 
その会話を聞いているだけで、夕食の食卓が想像できた。ナスの煮びたしと、冷や奴、焼き魚。ビールを片手に「ただいま」と帰ってくる旦那さん。「おかえりなさい」と迎える奥さん。
 
たった数秒の会話から、知らない人の人生の一コマが浮かび上がる。これも想像力のおかげだろう。
 
「あったはずなのに気づいていなかったもの」に出会うたび、日常の風景がより鮮やかに、より立体的に見えてくる。
 
そして、この「気づき」の習慣は、人との関わりにも影響を与えている。
 
患者さんの表情の微妙な変化、言葉の裏に隠れた本当の気持ち。以前は見過ごしていたものが、今では大切なメッセージとして受け取れるようになった。
 
想像力は、決して特別な才能ではない。日々の小さな気づきの積み重ねが、やがて大きな翼となる。
 
そして、その翼は私たちを思いもよらない場所へと連れて行ってくれる。
 
患者さんとの関係がより深まり、家族との時間がより豊かになり、自分自身の人生がより彩り豊かになっていく。
 
今日も、僕は鵠沼海岸の砂浜を歩く。波の音を聞きながら、海の家の準備を眺める。七月の海開きが近づくにつれ、この景色はどんどん変わっていくだろう。そして、その変化の中に、僕は患者さんたちの希望や喜びを重ね合わせる。
公園でキャッチボールをする親子の姿に、あの60代の患者さんと孫の未来を見る。浜辺を歩くお年寄りの姿に、お墓参りを果たした80代の女性患者さんの喜びを感じる。
そして、心の中でつぶやく。
「さあ、今日はどんな発見があるだろう」
想像力という翼を広げ、新しい一日へと飛び立つ準備は整った。
この翼が、僕たちをどこへ連れて行ってくれるのか。それを想像するだけで、胸が高鳴る。
きっと、まだ見ぬ素晴らしい景色が、僕たちを待っているはずだ。そして、その景色を一人で楽しむのではなく、患者さんや家族、そして多くの人々と共有したい。なぜなら、想像力の真の力は、それを他者と分かち合うときに最大限に発揮されるからだ。
僕たち一人一人が想像力の翼を広げ、互いの思いを感じ取り、共に未来を創造していく。そんな世界を夢見ながら、僕は今日も一歩を踏み出す。
朝日が昇り、新しい一日が始まる。今日もまた、想像力という翼を広げ、未知なる世界へと飛び立とう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県藤沢市出身。理学療法士。2002年に理学療法士免許を取得後、一般病院に3年、整形外科クリニックに7年勤務する。その傍ら、介護保険施設、デイサービス、訪問看護ステーションなどのリハビリに従事。下は3歳から上は107歳まで、のべ40,000人のリハビリを担当する。その後2015年に起業し、整体、パーソナルトレーニング、ワークショップ、ウォーキングレッスンを提供。1日平均10,000歩以上歩くことを継続し、リハビリで得た知識と、実際に自分が歩いて得た実践を融合して、「100歳まで歩けるカラダ習慣」をコンセプトに「歩くことで人生が変わるクリエイティブウォーキング」を提供している。

 
 

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2024-09-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.277

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