週刊READING LIFE vol.279

海辺のカフカと、BOOK遍路と、一生忘れられないクリームソーダ《週刊READING LIFE Vol.279》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2024/9/23/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「まだ俺も行ったことない秘密の古本空間があるんだ」
昨日の夕方に寄った古本屋の店主から、電話がかかってきた。
 
そしてこの電話をとったわずか30分後、山に登ることになった。
2泊3日の一人旅を終えて帰ろうかと思ったその矢先のことである。
 
もともと本が好きな私。
「秘密の古本空間」という言葉ほど、そそられるものはない。
その電話をとったとき、5分で合流できるところに偶然いた。
なんてタイミング、行くしかないだろう、と思ってしまった自分に呆れた。
完全に旅の高揚感にやられている。
でも、元来私はこういう行き当たりばったりが大好きなのだ。
 
 
 
そもそも一人旅に出ようと思ったきっかけは、数ヶ月前に遡る。
吉本ばななさんと宮崎智之さんが、それそれ自身の新刊をPRを兼ねて日記文学を語るトークイベントに参加した。
心酔してやまない小説家の吉本ばななさんを目当てに参加したのだが、対談相手の宮崎智之さんが話していた一言が思いがけず心に残ってしまった。
 
『夕凪の無風状態では猫の声やテレビの音、すべての音が聞こえる』
事件に満ちたドラマチックな状態では少しの印象的な出来事しか心に残っていない。
でも、何も起こっていない静かな日常こそ、たくさんの出来事が起こって記憶に残るのだという。
 
この言葉を聞いて以来、瀬戸内海の凪いだ海が見たいという感情がふとした時に胸に去来するようになってしまった。
しんどいときや悲しいとき、ある種の宗教のように「瀬戸内海にいきたい」が私の心を内側から支えてくれた。
瀬戸内海の凪のことを考えるだけで心が安らいだ。
 
高松に来たのは、大好きな『海辺のカフカ』の舞台だからだ。
とくに冒頭でカラスという少年が主人公に語りかける言葉が、たまらなく好きで何度も読み返している。
 
「運命は砂嵐に似ている」
「避けようとしても、砂嵐は足取りを変えてついてくる」
「それは自分の中から生まれたものだから」
運命について、ここまで詩的に無駄なく表現した文章を私は知らない。
 
ここ数年、仕事もプライベートも本当にいろんなことがあった。
何か起こるたびに感情をかき乱されて、心の中はいつも洗濯機の中のようだった。
でも、波乱の日々も、砂嵐のように私の中から生まれた何かの運命なんだろう。
そろそろ疲れてきて、私は旅を求めていた。
 
 
こんな感じで何も考えずに宿だけ予約して、高松にきた私は驚いた。
「古本屋や独立書店がたくさんある……!」
大好きな本屋巡りに最適な場所だったのだ。
 
古本の海に沈むのは、宝探しのようで楽しい。
世の中はたくさんの言葉で溢れていて、残りの人生をすべてかけても、私はそれを読み尽くすことはできない。
だからこそ、偶然手に取った心惹かれた本には、私という人間に対してなんらかのメッセージがあるのではないか、そんなふうに思うのだ。
どこから? 運命とか神様とか、よくわからない大いなる存在から。
 
頭の中でこねくり回した考えで行き詰まったとき、偶然手に取った一冊が不意に解決をくれたりする。
そんなときは必ず、カコン、と頭の中でだるま落としが落ちた音がするのだ。
だるまの視点が変わって、今まで見えていた景色がガラリと変わる。
こんな経験を重ねるうちに、本屋さんに行って「絶対にこれを読んだ方がいい気がする」という直感に基づいて本を手に取る瞬間が好きになった。
 
ネットで本を買うときは、こういう直感はうまく機能しない。
本棚の前にワクワクしながら立って、前情報なしに手に取ってパラパラ捲るのが大事なのだ。
本屋は本屋でも、大型書店では本がたくさんありすぎて戸惑うし、本たちも行儀良く本棚にびっちり整列してしまって、うまく出会えない。
それはマッチングアプリで大量に流れてくる男たちの画像を、無表情にスワイプする徒労感に似ている。
一方、独立書店や古本屋で、誰かが選書して店頭に並べられている本たちはなんだかくつろいでいて、声をかけやすいような気がする。
おしゃれなバーで隣に座った素敵な人、といったところだろうか。
「あ、いま目が合った」と思う本は、不思議と手にしっくり馴染んで離れない。
そして結局買っている。
 
そんなこんなで彼の古本屋さんに立ち寄ったのが、昨日のことだ。
まるでジャングルのような古本空間は、古今東西いろいろなジャンルの本で埋め尽くされていた。
手に取っては眺め……を繰り返すうちに、時間はアイスのようにみるみる溶けていく。
海にまつわる本が、置いてある場所にたどり着いた。
ふっと手に取ったのが、覚和歌子さんの詩集『海のような大人になる』。
値札を見て7000円という金額に逡巡したけれど、絶版になっていてなかなか買えないだろうし、目が合ってしまったこの本は手放せなかった。
1冊の詩集に7000円払った時、本好きレベルが一段階上がるのを感じた。
 
お会計のとき、「明日はどこに行くの?」と聞かれて、答えに詰まった。
何も考えていなかったから。
 
「明日もどこ行くか迷ったら連絡してきてよ」
そう言ってくれた優しさに感謝しながら、さらっと別れた。
向こうから連絡してくるなんて、まさか思ってもみなかった。
 
 
 
次の日の朝。
港で海を眺めながらのんびり昨日買った本でも読もう。そして適当な時間に帰ろう。
そう思ってゆるゆると朝を過ごしちょうど移動しようとしていたときに、その電話はかかってきた。
いつもはよくわからない電話は取らないことにしているのに、なぜか電話にでてしまった。
 
話を聞くと秘密の古本空間はどうやら山の上にあるらしい。
山登りなんて、これまできちんとしたことがない。
でも、魅惑の古本空間のためなら登ってやろうじゃないの。
軽率にそう思った。
 
彼は、高松の街の中をどんどん歩いて行く。
「今どれくらいですか?」と問う。
「富士山に登るとしたら、静岡駅から登山口に向かっているところだな」
全然まだまだじゃん……。
ジリジリ照りつける日差しの中、私の体力大丈夫かしら、という不安が胸を掠めた。
 
話しながら歩くこと20分。
気づくと道はどんどん勾配を増していき、山麓を緩やかに回り込むようにして頂に向かっていた。
脇を車がビュンビュン通りすぎ、やはり歩いて行くような場所ではないのではないかという思いが一層強まる。
いったい、何をしているんだろう。
旅の街歩きもここまでくると流石に番外編だ。
 
困惑と裏腹に、ラフなサンダルでスタスタ歩いて行く彼の後ろ姿を不思議に追いかけたくなる。
この安心感、ついていきたい気持ちは一体どこから生まれるのだろう。
昨日初めて会った変な人と知らない土地で急に山登りをするという、どう考えても不安でしかない状況のなか、すっかり安心しきっている自分の心に驚いた。
 
いつも安心するのが苦手で、基本的に人を警戒してしまう。
「緊張している?」と聞かれることは日常茶飯事だ。
どうしたら人に対して安心できるのかは、私の一つの課題だった。
 
ところがこんなにもわけのわからない状況で、あっさり安心してしまえる自分に驚いた。
自分の知っている自分ではなかった。
私の体を纏った知らない女が、山を登っていた。
 
気づけば高松の街はミニチュアのように小さくなっていた。
遠くには屋島と男木島、女木島が重なり合うようにして望めた。
瀬戸内海に浮かぶ島々は夏らしい入道雲を纏い、そのくっきりした青と緑と白は彩度そのままで心にプリントアウトされる。
 
 
 
登山開始から一時間後、ダラダラに汗を流しながら、ついに山頂に着いた。
公園を回りこむと、突如としてグレーの石畳の洋館が現れた。
「ここは、どこ」
あまりにも風情のある佇まいに素敵、感動を通り越して呆れた。
 
どうやら、2Fが古本空間らしい。
トントンと階段を登ると、あまりにもオシャレすぎる空間が登場した。
波のような流線を描く棚が作りつけられていて、絵本からSFまで様々なジャンルの本が選書されて並んでいた。
御伽話のようなブルーグリーンの出窓にも本がディスプレイされている。
シックな濃い色の木目が綺麗な机と椅子。
床近くまで天井から垂れたランプは棚の下方の本を魅力的に照し、思わずしゃがんで手に取りたくなってしまった。
「良いブックスタンドを使っている」と彼は言った。
 
「あのー、ここは注文とかできるのですか?」
入り口に座っているクールなショートカット美女に話しかけた。
あまりにもオシャレすぎるからブックカフェだと思ったのだ。
 
「いえ、ここは図書館なので基本的には飲食はご遠慮いただいています」
まさかの私設図書館らしい。
 
「海辺のカフカ」では15歳の少年が、旅に出て私設図書館で過ごす。
小説に出てくる私設図書館は行ってみたくなるほどたまらなく魅力的だが、実在しない。
地元の有名な醤油屋さんの建物から村上春樹氏がイメージした空想上の図書館だ。
 
まさか高松で、ほんものの私設図書館に巡り合うなんて。
行き当たりばったりの旅のくせに、テーマが一貫していて驚いた。
 
 
 
「せっかく来たし、1Fのレストランでお茶でも飲んで帰ろう」
そのレストランはカレー屋を営んでいる若い女性が最近開いたお店で、軽井沢のようなオシャレな雰囲気だった。
メニューもいちいち洒落ていて、私たちは「雨晴れのクリームソーダ」を注文した。
 
運ばれてきたグラスには、透明なソーダに黄色いシロップが沈んでいる。
黄色いクリームソーダなんて初めて。
雨が降って晴れたとき、木々を濡らした雨粒に光が反射して森の中がキラキラ輝く。
そういう光のような暖かな黄色い色だった。
 
ストローでクルンとかき混ぜて吸うと、花の香りがふんわり広がる。
こんな幸せな気持ちになる飲み物を私は知らなかった。
ソーダの泡はシュワシュワと、「なんて素敵、なんて素敵……」と呟いているようだった。
 
オーナーの女性はくっきりした笑顔の明るい人で、今日は忙しすぎたといながらも終始ニコニコしていた。
彼女のお店を手伝っている友人の女性も混ざって話す。
オーナーの友人は、シングルマザーで二人の子どもを育てている。
そんな彼女は、お祭りが好きで他県のお祭りにパートナーと子どもと参加しているそう。
お祭りに参加する人たちの、開けっぴろげでどんな人も受け止めるようなスタンスがたまらなく好きで、そういう場所を作りたいと語っていた。
 
生き生きと語る彼女の姿に圧倒された。
オーナーの女性もその友人も、おそらく私と数個しか年が変わらない。
自分と同年代の女性の、あまりにも生き生きと楽しそうな姿が心に焼きついた。
 
 
レストランの閉店も近づき、私たちも日が暮れないうちに下山し始めた。
「なんか足取りが軽いなぁ」
言われて気づいたけれど、私の足取りはいつになく軽かった。
羽が生えたようだった。
 
「みんな、ものすごく楽しそうでした」
「悲壮感のある人が誰もいなかったなぁ」
「自分が如何に日々、無駄に悲壮感を出して生きているかを思い知りました」
気づけば私は、自分の足取りの軽さの原因をさらりと言葉にしていた。
 
 
「帰りは別の道を通ろう」
どの道を行っても下山はできるはずだと言いながら、野良猫のように路地をスタスタ歩いて行く。
 
不意に安心感のわけがわかった。
この人、私に何も求めていない。
ただ一緒にいてくれる。
猫の心地よさだ。
 
生きていく中で、相手が何を期待しているか汲み取って応えるようにつとめるようにしてきた。
期待に応えることでチャンスや成長の機会を与えてもらえたし、成長もしてきた。
でも、相手は何を期待しているんだろう、私にどうして欲しいんだろう、とだんだん勘ぐるクセがどんどん強くなった。
必要以上に。
 
そんなことを繰り返しているうちに、自分の気持ちがわからなくなった。
何をしていると楽しいのかよくわからなくなった。
自分で作った枠の外に出られず、窮屈な思いをした。
気づいたら、いつも肩肘張っていた。
 
思えば、この旅で出会う人はみんな自然体だった。
肩に力が入っていない。
ナチュラルに楽しそうで狂っている。
 
そんな人々と出会ううち、「私、このままだと本当に楽しいことは知らずに生きていきそう」という予感が、なんとなく沸々と湧いてきた。
めちゃくちゃな旅をしないと飲めなかった夢のようなクリームソーダのように、道を外れたところにしかない楽しさがあるのかもしれない。
旅は人生の縮図だとしたら、あのクリームソーダは私にとってどんなメタファーだったのだろう。
神様は私にどんなヒントを出してくれた……?
 
締めに冷たいビールを飲んで、長いようであっという間の一日が終わった。
夏をやり切ったという余韻が、胸にほんのり残った。
それはなんとなく誇らしくて少し切なかった。
 
 
もとはと言えば、吉本ばななさんのトークイベントに始まり、大好きな本に導かれて、それはそれは訳のわからない旅になってしまった。
 
とにもかくにも、怪しい本屋さんには本当に気をつけた方が良い。
本はともかく、どんな体験が待っているかわからないから。
でも本屋さんとの刺激的な出会いに中毒した私は、もう引き返せない。
私のBOOK遍路は、高松にとどまらず全国各地でまだまだ続くだろう。
これからどんな人と、どんな本に出会うのだろう。
雨晴れクリームソーダのような、驚く出会いはあるのだろうか。
 
蝉の音もボリュームダウンして、夕方は少し涼しくなってきた。
夏の終わりは少し寂しいけれど、私はすでに秋の一人旅の計画を立てている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。 食べることと、読書が大好き。 料理をするときは、レシピの配合を条件検討してアレンジするのが好きな理系女子。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

 
 

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2024-09-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.279

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