彼氏なしアラサー女子が単独でウェディングドレスを着たら最強になった話《週刊READING LIFE Vol.283》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2024/10/28/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「お姫様は王子様と結婚して末長く幸せに暮らしましたとさ」
物語が好きで本ばかり読んでいた少女は、自分をお姫様に重ねてうっとりしていた。
いつか自分も真っ白なウェディングドレスを着るのだろうか、そのとき隣には誰がいるんだろうか……
そんな彼女は20年後、夢見たドレスを着ることになる。
まさかの単独で。
鈍く青い初秋の海に、こんもりと浮かぶ江ノ島。
微かにベタつく潮風に吹かれて、私は純白のドレスの裾を引いて微笑んでいた。
今この瞬間が、27年間生きてきた中でもいちばん美しいだろう。
でも、ちょっと前までずっと一緒にいるつもりだった男は隣にいない。
別れたのだ。
彼とは長く付き合っていたし結婚するだろうと思っていたけれど、どうしても私は踏ん切りがつかなかった。
確かに一緒にいて楽しいし居心地が良いけれど、何があっても相手を支えられるかと考えたときにどうしても自信が持てなかった。
そして自ら振ったにも関わらず、私は彼のことを長く引きずっていた。
例えば、楽しくない飲み会で中途半端に酔っ払って帰宅した時、週末に寝過ぎて変な時間に目覚めてしまった時。
ふとした時に電話をかけてしまいそうになる自分を、その都度がんばって取り押さえた。
一体私は何しているんだろうな……という虚しい思いを誤魔化すために、大量に本を読んだりふらりと旅に出たりしていた。
そんな時、湘南で開催される秘めフォトウェディングの案内をいただいた。
「ひとりでウェディングドレスを着たら、いったいどんな気持ちになるんだろう」
モヤモヤする自分自身にすっかり疲れていた私は、その気持ちを知りたくなった。
見知らぬ自分の感情と出会えば、心はきっと新しい方へ向かうはずだ。
そして、気づいた時には申し込んでいた。
まったく軽率である。
皮肉にも、秘めフォトウェディングの会場である湘南は別れた男との思い出の地だった。
6年ほど前、付き合ったばかりの私たちが初めての旅行先に選んだのは江ノ島だった。
魚の研究をしていた彼は水辺があるとすぐ覗き込むし、一緒に水族館に行って学芸員顔負けの解説を聴くのが好きだった。
ゴールデンウィークの江ノ島は、そんな私たちにとって最適なデートスポットであった。
何もしなくても一緒に砂浜を歩いているだけで楽しかったし、永遠の愛が叶うらしいと龍恋の鐘を訪れて南京錠をかけた。
その頃の私は、南京錠をかけたときの気持ちのままでいられたら結婚できる、なんて本気で信じていた。
ずっと一緒にいること、結婚することの意味がまだわかっていなかった……。
そんな私が現実を垣間見てしまったのは、ほんの些細な出来事がきっかけだった。
付き合って4年目にもなり、彼の実家に遊びにいく予定が決まった。
お気に入りの白いブラウスを着ていこうとしている私を母が見咎めて、こう言った。
「その服はちょっとおしゃれすぎる。彼のお母さんは不安になるでしょう」
「なんで……?」
「よくわからないブランドのとても凝った服をきていたら、ファッションにお金がかかると思われる。うちの息子のお給料で満足させてあげられるのかしらーって」
私は衝撃を受けた。
確かにそのブラウスはインド刺繍が全体に施された個性的なものだったが、生成りの色合いは上品で肌の露出も少なく、けっして華美ではない。
黒のパンツに合わせたらとても品がよく見えるから、場所を選ばずよく着ていた。
価格は2万円ほどと少し高く、社会人になってから自分のために思い切って購入したものだから着ると背筋がシャンとする一着だった。
勝負服とまではいかなくても、自分の印象を左右するのはこの服がいい、と思って大事な予定がある時に選ぶ服。
一着のブラウスと私との間には完全に信頼関係が成り立っていたから、このブラウスが否定されるなんて、私にとっては目から鱗だった。
彼のお母さんを不安にさせるという発想は、私の頭の中をひっくり返して大捜索しても絶対に出てこない。
『自分のお給料で買ったお気に入りの服が、他人を不安な気持ちにさせることってあるの?』
『どうして彼のお給料で生きていく前提なんだろう?』
『結婚したら好きな服さえ着られなくなるの?』
頭の中は疑問符で埋め尽くされてはち切れそうだった。
混乱する私の目の目に、胸元に控えめな細いリボンの結ばれたポリエステルのツルッとしたブラウスと、ふんわりとしたグレーのミモレ丈のスカートが差し出された。
母は一体、いつこれを買ったのだろうか。どんな気持ちで……。
大好きな彼の家族と会うことにワクワクしていたはずの私の心が、一気に萎んだ。
ブラウスを着替えただけで、こんなに自分自身を否定されたような気持ちになるなんて。
どこか知らない部屋の中に連れて行かれて、閉じ込められていくようだった。
母は神殿の巫女のように落ち着き払った顔で私の手を取り、しずしずと部屋へ案内していく。
当日、母は出かけようとする私の顔からラメのアイシャドウをテッシュで剥ぎ取っていった。「キラキラしすぎているわね」と言って。
瞼の輝きをなくした私はスン、とした顔で電車に揺られていた。
『お母さんってこんな発想が出てくるくらい窮屈な思いをして生きてきたの……?
結婚したら私も当たり前のように窮屈な思いをするの?』
私はすっかり悲しくなった。
そしてその1年後、母の還暦祝いの席で私はその答え合わせをすることとなる。
年齢を気にする女性にとって、還暦の赤いちゃんちゃんこなんて着せられても嬉しくないし気恥ずかしいだけだろう。
そう考えた私たち兄弟は、赤っぽい花束と一緒に父からの感謝の手紙を読んでもらおうと企画した。
父はしっかり準備をしてきたものの、照れて手紙を読もうとしないため、私が読み上げることになった。
どんな感動的な手紙かしらとワクワクしながら読み始めたその手紙は、こう始まる。
『名プレーヤー必ずしも名監督にあらず』
……え、野球の話!?
プレーヤーとして有能な選手が監督として有能とは限らないという、スポーツ界で有名な名言である。
『あなたは名プレーヤーではありませんでしたが、名監督です』
『二人の子どもを立派に育て上げました』
いつの間にか、読み上げる私の顔はスン、としていた。
一見、良い手紙だ。
野球の好きな父らしい例えで、うまく感謝の気持ちを綴っていた。
でも、この手紙を読んで私はとてもモヤモヤした気持ちになったのである。
母はプレーヤーとしては無能だったから監督が向いていたのだろうか? 本当に?
父のためにプレーヤーを諦めたのではないのだろうか?
母はここ30年、子どもと義理の母、入退院を繰り返す自分の両親をワンオペレーションで世話しながら、専門職の父の仕事のサポートもしてきた。
プレーヤーとして生きることを諦めなければ到底こなせなかったような生活だったはずだ。
『母がプレーヤーじゃなくて監督だったのは、あくまでジェンダーロールに従ったからだろう。それを「プレーヤーは向いてないけど監督業は向いている」と、まるで個人の資質や適性のように語るのは論点がズレているのではないだろうか』
モヤモヤをゆっくり言語化していくと、この考えに行き着いた。
30年の間に、父の中ではジェンダーロールが侵食して母の人格と切り離せなくなってしまっている。
このことに母自身でさえもどうして気がつかないんだろう。
あまりの恐ろしさに震えると同時に、お気に入りのブラウスを私から脱がせた母の姿が蘇った。
母もきっと大昔にお気に入りの服を脱いで、没個性な“良妻賢母”の服に着替えたんだろう。
このとき私は気づいてしまった。
『私はどうやらプレーヤーを退きたくないみたい』
母への手紙への違和感を突き詰めたら、ふっと自分の本心が浮き彫りになった。
彼と結婚することをためらったのも、きっとこれが原因だ。
『もし私が全面的に支える側に回ることになったとき、どうやって気持ちに折り合いをつけたらいいんだろう』
何かあったときにプレーヤーを退く覚悟が私にはなかった。
そもそも退くことを考える以前に、私はプレーヤーとしての自分すら確立できていない。
それなのに退きたくないという感情だけは一丁前にあるから、厄介である。
まだまだ結婚を考えるには半人前だったんだな、と苦く思うのであった。
振ってしまった彼のことと未熟な自分を思ってはため息をつく、そんな日々はそろそろやめにしたいなぁと思っていた頃。
いよいよひとりでウェディングドレスを着る日がやってきた。
万が一悲しくなったらどうしよう、と自分の感情に怯えながら会場に向かっていた。
ところがそんな心配はご無用で、ウェディングドレスは思いのほか私の心をときめかせた。
胸元で艶やかに光るビジュー、腰から裾への滑らかな曲線、たっぷりと豊かに広がる裾。
背中の紐をギュッと縛ってもらうとワクワクして鼓動が速くなった。
あのお気に入りのブラウスと同じ……いや、それ以上に「着るとワクワクするもの」であった。
瞼に輝く大粒のアイシャドウは、私の表情に合わせていろんな角度で煌めいた。
私はもう、控えめに取り澄ましたスンとした顔をしなくてもよかった。
パートナーがいないという点では確かにひとりで着たウェディングドレスだったが、私はけっして孤独ではない。
世間の相対評価ではなくて私の“絶対的な”美しさを、そして私の幸せな未来を絶対的に信じてくれるカメラマンがいる。
このカメラを前にして、私はスンとした顔が作れない。
世間の目に合わせて自分の魅力をトリミングしなくてもよかった。
取り澄ました仮面が剥がれ落ちて、中から出てきた本当の私が写真に写っている。
その自信たっぷりの姿は、私を心から勇気づけてくれた。
私はこんなに魅力的なんだから、結婚を焦らずに自分のプレーに集中しよう、そんな気持ちすら湧いた。
母にお気に入りのブラウスを脱がされたとき、よくわからない場所に閉じ込められて私が私でなくなるのが怖かった。私が好きな私でいられなくなることが。
でも、今は違う。
『私は“絶対的に”美しい本当の私を知っている』
それだけで十分だった。
どんな環境にいても周りの人にどんな対応をされても、たとえジェンダーロールの洋服に着替えさせられても、私の魅力は消せない。
例え30年後にみんなに忘れ去られていようとも、私は覚えているし写真に残っている。
屋上で潮風に吹かれながら、私はドレス姿でカメラに向かって微笑む。
ふと、砂浜を歩いている幼い自分の姿が蘇る。
彼の隣で無邪気にそして不安げに笑っていた幼い自分が。
私はウェディングドレスを着て、屋上から彼女に手を振る。
おーい、ここからみる景色は綺麗だよ、と。
撮影ついでに江ノ島神社に立ち寄って、たっぷり幸せを祈ってきた。
私の? いいえ、別れた男の幸せを。
だって私は絶対に幸せになるから。
神頼みなんて必要ないくらい、それはきっぱりと明確だった。
なぜかわからないけれど、私は絶対に幸せになると強烈に確信していた。
「ひとりでウェディングドレスを着たら、いったいどんな気持ちになるんだろう」
その答えは、圧倒的な幸せの確信だった。
今のところ全く保証もビジョンもないけれど、私は幸せな未来を信じている。意味不明なほど強く。
その未来では、ひょっとしたら世間の目に監視されて閉じ込められているかもしれないけれど、替えの効かない“絶対的な”魅力のある私を自分の中にいつでも感じることができる。
それって最高に自由だ。
プリプリした頬っぺたで幼い私が彼の隣で笑っている写真は、お気にいりフォルダから外した。
今は代わりに、美しい横顔で未来を見つめる私の写真が入っている。
これからも人生に迷った時にはこの写真を見返すのだろう。
私はもうじき、結婚した時の母の年齢を超す。
でも、最強のお守りを手に入れてしまった私はもう怖いものなしだ。
煙っていた目の前がパカンとひらけて、『私の人生は多分ここからが始まりだ』という思いが強く胸に渦巻いた。
□ライターズプロフィール
Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。お風呂で本を読むのが好き。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。
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