尼僧の香りを探して《週刊READING LIFE Vol.295 〇〇のようになりたい》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/2/10/公開
記事:片山勢津子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「あれ? これ私なの?」と、思わず声を上げてしまった。
それは、兄と二人で母の遺品の整理をしていた時だ。古い写真の中から、すっかり忘れていた10歳くらいの時の写真を見つけたのだ。そこに映る姿は、いつもの写真と違う良い笑顔なのだけれど、一体どこで写したのだろう。そもそもなぜ和服姿なのか、気になった。
子供の私は、同い年の友達と二人で、どこかの庭に立っている。よく見たら、背景に当時の我が家が写っているではないか。つまり、お向かいの庭で写した写真だ。まだ腰上げした幼い着物姿なのを見て、10歳の時に、お向かいのおばさんの所でお茶を習い始めたことを思い出した。
嬉しそうな自分の顔を見て、憧れの女性に出会えた初釜を思い出した。そして、彼女の良い香りを思い出した。良い香りのその女性は、1年に1度、向かいの家の初釜に来られる女性だった。
お向かいのおばさんは、子供のない未亡人で、広い家で一人暮らしだった。だからだろう。私は幼い頃から可愛がられていた。そして、物心ついた頃には、玄関脇にある四畳半の茶室で、お茶とお菓子をいただくようになった。その非日常的な場所と雰囲気が大好きで、「茶道を習いたい」と両親に頼んだ。それはずっと反対されていたが、友達まで誘った私に根負けしたのだろう。小学5年生の夏から茶道を習い始めた。そして秋になるとお稽古用に着物を作ってもらった。写真に写っているのはその時の着物だ。
赤地に黒模様のウールの着物。私はその和服が気に入っていた。友達が友禅の振袖を着ていても、一向に気にしていなかったという。写真は、初めて経験した初釜の時に写したものだ。私はまるで、晴れ着姿の友達の横で、女中のような存在に見える。でも、私の方が嬉しそうな顔をしている。多分、憧れの女性に、出会って喜んでいるからだろう。思い出した! この写真は、その女性が帰り際に写してくれたものだ。その時、こう言われたのを覚えている。
「春になったら、お寺に遊びに来なさい」
そう。その女性は尼僧だった。だけど、私は会うなりすっかり憧れてしまったのだ。子供の反応は正直だ。私のその時の気持ちは周囲にも分かったようで、笑われたのを覚えている。でも、私はそれからずっと、大学生になるまで、その女性を慕っていた。
どこに惹かれたかというと、香りである。そんな良い香りの女性に出会ったことは、一度もなかったから驚いた。なぜ、香りにその時惹かれたのだろう?
香りの記憶というのは、鮮明なものだ。今も、しっかり覚えている。お香の香りではないかと言う人もいるだろうが、断じてそんな匂いではない。むしろ、匂いのしない香りとでも言えば良いだろうか。朝の空気の澄んだ香りのような清々しさがあった。尼僧だから、化粧もせず、粗食に耐え、仏に仕える生活をしていたから身についた香りなのだと、今は思う。と言っても、その後に知り合った他の尼僧とは違う香りだった。やはり彼女独特の良い香りに、私は惹かれたのだろう。良い香りは、純真さの証なのだろうか。徳を積んだ結果なのだろうか。
尼僧の香りは、それまで出会った大人の女性とは全く違うものだった。普通の女性は、化粧のせいなのか、人工的な匂いがする。ちょっと重いバラのような香りや、粉っぽい香りがする。小学校の参観日は、匂いとしては最悪だった。人工的な香りが混じって、学校中に充満していたからだ。今でも、参観日を思い出す時には、喉がイガイガする匂いも一緒に思い出してしまう。
石鹸のような良い香りがした母も、外に出かける時の匂いは違った。化粧品の人工的な香りが加わるのだ。お出かけなのにほんのり良い香りがしたのは、その尼僧だけだ。朝日が当たる障子のような、淡くて儚い香りがした。ただそこにいらっしゃるだけで、空気が凛と澄んでいくような気がした
10歳の私は、その香りにすっかり魅せられて、尼僧に会うなり好きになった。彼女は化粧をしていないのに顔にシミ一つなく、色白で美しかった。年齢不詳だったが、皺はなかったように思う。何度も見つめた。お茶を飲む所作も綺麗だったし、立ち振る舞いは品があった。そんな彼女の存在が、輝いて見えた。寡黙だが柔和で、こんな大人になりたいと心から思った。
その時、次に会えるのは来年の初釜だと聞いて、私はがっかりした。きっと、そんな私を気遣って、尼僧は声をかけてくれたのだろう。「春には会える」と思って、お寺に行くのを楽しみに私は春を待った。きっと、またしつこく母にねだったのだろう。春になると、母に連れられて尼寺に出かけた。
そのお寺は、奈良の二上山が見える、美しい景色の中にあった。人里離れたところにあり、静寂の中に風の音だけが聞こえた。桜が咲き、幻のような美しい風景だった。今、ネットで検索しても見つからないので、無くなってしまったのかもしれない。
尼僧は、近くで採れたという土筆を煮て待っていてくださった。ちょっと苦味のある土筆と持っていったおにぎりを食べ、しばらく話をした。尼僧の香りが好きだと話したような記憶がある。彼女から、こう教わったような気がする。
「美しい香りは、美しい心から生まれるのよ」
それから、寝室にも案内してもらった。そこは、和室なのに中央にベッドが置いてあるので驚いた。お寺にベッドというのが、とてもモダンに見えた。何人かの若い尼さんもいたと思う。だから、憧れの尼僧の姿が、まるでお寺に住むお姫様のような存在に、私には見えた。そうして、香りだけでなく彼女の生活にも憧れた。
今、考えれば、彼女はもう高齢で、ベッドで寝起きしないといけないような状態だったのだと思う。でも、身体が悪いという仕草は一切見せなかったとはずだ。周りが彼女の身体を気遣っていたので、それが私にはお姫様のように見えたのだろう。私が憧れを強めているのに気付いた母は、きっと呆れていたことだろうと思う。
お寺への訪問以降、私は彼女の姿をますます真似た。茶道をする時は所作に注意しながらお手前をしたし、普段の生活でも、背筋を伸ばして、大きな目をちょっと細めて笑うようにした。当時の写真の私が、姿勢良く、少し目を細めて笑っているのが、その証拠だ。子供心は単純だが、尊いと思う。
そんな私だったが、大学に入学してからは生活がすっかり変わり、当時のことはすっかり忘れていた。
だが、香りについては、もう一つ、忘れられない出来事がある。
それは、大学に入ってすぐ、京都から名古屋まで、初めて新幹線のグリーン車に乗った時の出来事だった。私の席は、通路側。窓際には、香水をつけた男性が座っていた。それは、きつい香りで、私は頭が痛くなった。「日本人ではなくて、アメリカから来た日系人だろう」と想像しながら座った。しばらくして、私は膝の上に置いていた小さなボストンバッグを網棚に載せようと立ち上がって、ポンと置いた。
それは迂闊だった。男性が慌てて網棚に置いていたヴァイオリンを降ろして、膝の上に乗せたからだ。大切なヴァイオリンだったのだろう。私が謝ろうと思ったその時だった。彼は、ヴァイオリンケースをおもむろに開けた。真紅の布に包まれたヴァイオリンが現れた。ケースの蓋側には弓が2本あり、金の文字でこう書かれていた。
<STRADIVARIUS>
あの名器、『ストラディヴァリウス』だ! そして気付いた。横に座っていたのは、東京芸術大学教授のヴァイオリニスト、U先生だった。私はどうしようかと、焦った。大切なヴァイオリンの横に、無造作に荷物を置いてしまったことを、詫びないといけない。まずは、お辞儀をして謝る姿勢を示した。私は子供の頃、ヴァイオリンを習っていたので、彼のことは知っていた。彼の演奏も頭に浮かんだ。普通なら、そんな話しでもして、サインをもらったのだろう。
だけど、私にはそれができなかった。なぜか抵抗があったのだ。彼のきつい香水の匂いが気になったのだと思う。そして、その後の態度も、何だか気に食わなかった。裏若き乙女が横に座ったので、ヴァイオリンを見せつけたような、そんな気がしたからだ。そして、『ストラディヴァリウス』を知っているか、試されているような気がした。テレビで見ていたヴァイオリニストのU氏が、実はこんなきつい香水をつけて弾いているのかと思ったら、ちょっと残念な気持ちさえした。彼の香水の香りが、芸術の純粋さとは逆のものを感じさせた。結局、私は一言も話さず、名古屋で降りた。
それからすぐのことだった。テレビニュースで、彼が関わった『芸大事件』が報じられた。それは、楽器購入の斡旋をめぐるU氏の疑惑だった。私は、「ああ、やっぱり」と、列車であった彼を思い出して、妙に納得した。彼の香りは美しくなかったからだ。あの強すぎる香りは、どこか隠し事をしている人の香りだったと思った。
芸術家ならやはり、もっと美しくあってほしい。行動はともかく、良い香りでいてほしい。ひょっとしたら、あの時に見た弓は、斡旋の見返りにもらったという問題の弓かもしれない、と疑惑すら感じた。
香りは、人を表す。香りを通じて人間を信頼できるかどうかが分かる。つくづくと、そう思った。
自分の周囲を思い出すと、色んな匂いが記憶に蘇る。興味深いのは、親しい人の中には嫌な匂いの人がいないことだ。恐らく、今の時代でも、香りが人を判断する手段になっているのだろう。
同僚の中に一人、香りのきつい人がいた。どうしてもその香りが好きになれず、距離を置いて接していた。彼女は少々、自慢する性癖があった。ある時、その香水が『シャネルの5番』だと気づいて、それをきっかけに香水に対する考え方が、変わった。香水は何かを隠すためのものなのか、あるいは何かを主張するためのものなのか、それを考えるようになった。
『シャネルの5番』は、マリリン・モンローが寝る時に身につけていた有名な香水だ。彼女は、自然体でいることができなくて、あの香水を纏っていたのだろう、と私は思う。というのは、あの香りは、ちょっと人工的で、特別だと思うからだ。何かから自分を守るためにつけるような、そんな香りだと思うのだ。
香水は良い香りだが、それに頼ってはいけない。香水がなくても、自分に自信を持って生きていかなければならない。モンローにとってシャネルの5番は自信を持つための武器だったのだろう。香りを武器にするのではなく、香りのない美しさが重要だ。
10歳の頃の写真を見て思い出した、尼僧の香り。改めて、香りというものが、単に匂いだけでなく、その人そのものを表すということが、腑に落ちた。私たちは、動物のように、本能的に相手の本質を嗅ぎ分けているのかもしれない。
尼僧が美しかったのは私利私欲のない悟りを開いた方だったからだろう。子供の時にその尼僧に惹かれた私は、幸福だったと思う。彼女の美しい香りを記憶しているからだ。
今、彼女の落ち着いた佇まいを思い出し、再び、彼女のようになりたいと、熟年になった今、強く思う。
香りは目に見えない。けれど、心に残る。あの春の日、彼女がくれた香りのように。
彼女の香りを思い出すと、私は背筋を伸ばし、深呼吸する。そして、自分の香りを確かめる。
私は美しい香りでありたい。
□ライターズプロフィール
片山勢津子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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