愛犬と鏡が教えてくれる自分を認識する能力《週刊READING LIFE Vol.297》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/2/24/公開
記事:吉田実香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
犬は、鏡に映った自分を、自分だと認識できないという。
鏡に映った自分を認識するには、複雑で高い知能が必要で、残念ながら犬にはその能力がないのだとか。
我が家の愛犬は、鏡には無反応だ。目線は鏡にいっているように見えるが、特に反応がないため、認識していないのだろう。
そして、私も、愛犬と同じように、鏡に映った自分を自分だと認識できない時期があった。
愛犬と出会うよりもずっと前、20代後半頃から30代に突入した頃の数年が、そんな状態だったと思う。
就職氷河期に就職活動をした私は、就職先がなかなか決まらず苦労した。
一流大学でもなく、ほかの学生よりも秀でた能力やエピソードもない私は、書類選考で落とされまくり、面接に進めても一次面接であっさり落とされることが多く、運良く二次、三次と進めても、最終面接まで進めることはほとんどなかった。
最初はもちろん希望の業界の会社を受けていたけれど、そんなことも言っていられず、新卒採用をしている会社ならどこでもよいと、手当たり次第に応募書類を送っていた。
そして、なんとか内定をもらった会社は、教育関係の会社の営業職だった。
まったく営業なんてやりたくない。しかし、就職活動に疲れ切っていた私は、目標の業界を諦めてその会社に就職することを決めた。
やりたくない仕事ではあったけれど、やるしかない。そう決意して入社したけれど、すぐに心は折れた。
ノルマを達成できない私は、毎日残業は当たり前、休日も返上して働いた。でも、ノルマは達成できなかった。
ノルマを達成できない期間が規定の日数を超えると、強制的に別の部署、しかも首都圏ではなく東北や中国地方などに異動になるシステムだった。異動先は営業職ではないのだけれど、営業に挫折してとばされた社員の末路の噂をいろいろ聞いていた私は、もうこの会社で頑張る意欲は残っていなかった。
やっと手にした職だったのに、一年も持たずにドロップアウトしてしまったのだ。
さて、就職氷河期に、一年も会社勤めができなかった人間を受け入れてくれる会社なんて、そうそうない。
それはわかっていたし、当時の彼氏と来年には結婚しようと話していて、結婚したら引っ越すことが決まっていたから、結婚まではアルバイトでつなげばいいや、と安易な道を選択してしまった。
が、結婚は幻だった。
後悔と不安で自分で自分を呪い始める。モヤモヤと苛々と焦燥感を抱えた日々を送っていた。
結婚までのつなぎにと選んだ職は、デパートや駅ビルに出店している食品会社の販売員だった。大学時代は4年間ずっとファミリーレストランでアルバイトをしていたこともあり、接客業は楽しかったしやりがいもあった。
が、いつまでもフリーターでいるわけにはいかない。
真剣に就職活動をしなくてはと思い始めた矢先に、店長とスーパーバイザーから「社員にならないか」と声をかけられた。アルバイトから社員への登用制度があり、それに推薦するから試験を受けてみないか、と。
これには悩んだ。仕事は楽しかったし魅力的な話だったけれど、アルバイトから社員になるのも、今まで自分が選択してきた「安易な道」なのではないか? 販売員の仕事は楽しいけれど、社員になるということはまずは店長を目指さなくてはならず、店長なんて私に務まるのだろうか? 大学受験や就職活動、新卒で入った会社を辞めてしまったことなど、今までと同じ後悔をしないためにも、真剣に就職活動をもう一度するべきではないのか?
悩みに悩んだ末、社員になることを決意し、試験を受けて無事に合格した。
店舗運営は、規模にもよるが、社員は1〜2名、残りはアルバイトスタッフだった。何店舗か経験し、20代半ばには店長になった。
社員になってからは、文字通り朝から晩まで働いた。デパートの開店の1~2時間前から開店準備を行い、10時に開店、20時か21時の閉店までお店に立ち、閉店後1時間ほどかけて掃除、掃除が終わってスタッフたちが帰ったあとに発注業務や報告書の作成をしていた。たまに早番や遅番もあったけれど、スタッフの欠勤があれば自分が出るしかなく、休日にも呼び出されることもあった。
週に1回休めれば、「ちゃんと休んでいる」という感覚だった。店長同士で「もう○日連続勤務!」という昭和的な自慢をすることもあった。しかし、会社から「自分の休みを確保できない店長は能力がない」と言われ続けていたため、人手不足や突発的な原因があったとしても、休めないのは自分の能力がないからだと思って疑わなかった。
当時のサービス業としては当たり前だった。令和の世ではありえないけれど。
デパートのほかの会社が出店している店舗の店長たちはもっと過酷な労働条件で働いている人も多かったから、私はまだ恵まれているとさえ思っていた。
なにより、社会人一年生をやり遂げられず、夢や目標もない私が働ける環境に、依存していたと思う。
そして、だんだんと任される店舗の規模も大きくなっていったが、私はプレッシャーとストレスで自分を見失い始めていた。
でも、当時の私は、自分を見失っている感覚などなく、とにかく必死だった。
もっと頑張らなければ、もっと売り上げを上げなくては、もっとスタッフを育てなければ、もっともっともっと……。辛くて苦しかったけれど、周りの店長たちはもっと頑張っていて成果を出しているのに、負けるわけにはいかない。新卒で入った会社の営業だって、もっと私が頑張っていればノルマを達成できたはずなのだから!
そうして、プレッシャーとストレスを紛らわせるために、お酒と買い物に走った。
もともとお酒は好きだったし、店長仲間と飲みに行く機会が多かったけれど、その量がどんどん増えていった。
どんなに寝る時間が少なくても、休みがなくても、飲まない日はなかった。
そして、どんどん太っていった。当たり前なのだけれど。
社員になってすぐに、過酷な勤務やストレスでやせてしまった。一気に5㎏近くやせてしまって、でも、もともとぽっちゃり体型だったからやせたことが嬉しかった。
そこから今度は太っていき、10㎏近く増えてしまったのではないかと思う。体重をちゃんと測っていなかったので、何㎏まで増えていたのかは定かではないけれど。
20代の数年間に5㎏やせ、そこからまた10㎏近く太ってしまったことになる。
それなのに、驚くことに、当時の私は自分が太っている感覚がまったくなかったのだ。
我が家の愛犬同様、鏡に映った自分を自分だと認識できなかったのだ。
いや、認識はできていたけれど、「正しく」認識する能力がなかった。
それに、これだけ働いていて、一日中立ち仕事をしていて、休憩も取れずお昼ごはんも食べられない日だってたくさんあって、太るわけがないという思い込みもあった。
もちろん鏡を見て「あれ、顔が丸くなったかな?」とか、お風呂に入ったときに「あれ、お肉が増えたかな?」とは思った。でもそれは、「ちょっと太った」程度で、「前にやせた分が戻っちゃったかな?」としか思っていなかった。
だから、たまに写真に写った自分を見ると、「随分太って見える角度で写ってしまった。次に写真を撮るときには、写り方に気をつけなくては」と本気で思っていた。
いやいやいや、本当に太っているんです。でも、気づけなかった。
太った人に対して「太ったね」と言う人はなかなかいないし、仲のいい人が「ちょっと太った?」とオブラートに包んでくれている表現を、そのまま素直に「ちょっとだけね」と受け取っていた。
そして、お酒とともにはまった買い物。もともと、おしゃれではないけれど、洋服を見るのも買うのも好きだったから、洋服を買いまくるようになった。
お気に入りのお洋服屋さんがいくつかあって、時間ができるとよくそのお店を順番にのぞいていた。
すらっとしているマネキンが着ている洋服が気に入って、試着する。もちろん、体型が違い過ぎてぜんぜん似合っていない。でも、私の中では、マネキンと同じように着こなしているように見え、そのお洋服をルンルンで買う。そして、着る。まったく似合っていない。でも、自分ではそれに気づかない。そんなことを繰り返していた。
ひどいときは、気に入った洋服のサイズが合わなくても、「ちょっとやせたら着られるな。ちょっと最近飲み過ぎてしまったから、少しお酒を控えればすぐにやせられるし」と買って、そのまま一回も着なかった洋服もたくさんある。
そもそも、休みがなくて、出かけることもほとんどなくて、洋服がたくさんあっても着る機会もなかったのに、買い続けていた。
今、冷静に振り返ってみると、このときは病んでいたのだと分かる。
精神的にも不安定でいつも苛々と焦燥感に取り憑かれていて、店舗のスタッフとのコミュニケーションがうまくいかないことも多かった。店長同士で飲みに行くときは明るく楽しく飲んでも、一人で家で飲んでいるときには涙が止まらなかったり、異常な量のお酒を飲んだり食べたりしたかと思えば一日何も口にしない日もあったり。常に頭や胃が痛むなど、何かしらの不調を抱えていた。
「ちょっとおかしいのかな」と思ったことはある。しかし、うつ病などで精神を病むと「眠れなくなる」とよく聞くため、ちゃんと眠れているからまだ大丈夫だと思っていた。ちゃんと眠れて、ちゃんと起きてお店に行けるのだから大丈夫だと。そもそもこれだけ疲れていて、慢性的な寝不足で気絶するように眠っていただけなのだけれど、それを「ちゃんと眠れている」と思っていた。
こうして20代後半から30代に突入する頃まで病んでいたわけだけれど、結局、当時は自分が病んでいることには気づけなかった。
そして、30歳を過ぎて、急に燃え尽き症候群のようになった。目標としていた年商のお店の店長になって、その先の目標がなくなった。今では当たり前に大型店の店長もスーパーバイザーも女性がやっているけれど、当時はモデルとなる人もいなかったし、自分に務まるとはとうてい思えなかった。体力的にも精神的にも限界だった。
そんなタイミングで、さまざまなきっかけや要因が重なって、現在の仕事につながる介護業界へ転職することとなった。
今、当時のことを振り返ると辛く苦々しい思いになる。もし、当時の私に会いに行って話ができるならば、「辛いなら辞めていい」とか「立ち止まってよく考えてみて」、「自分をもっと大切にして」などと声をかけるだろうか。
しかし反対に、あれだけ頑張った経験は貴重だったとも思う。当時は、頑張りが足りないとしか思えず、辞めるときにも「もっと頑張れたはず」と悔しい思いがあったけれど、今の私はあんなに頑張れないと思う。自分の経歴へのコンプレックスや会社への依存に追い立てられた、マイナス要素が多い頑張りだったけれど、若いうちに経験できてよかったのではないか、とも思う。
後悔や迷惑をかけた方々への懺悔の気持ちなどがたくさんあるけれど、過去は変えられないのだから、まずは頑張った自分を認めて、同じ後悔や過ちを繰り返さないように努力していきたい。
それにしても、ほかの犬が大嫌いな愛犬が、自分と認識できない鏡の中の犬を見て怖がったり吠えたりしないなんて、もしかしたら愛犬には、ほかの犬にはない自分を認識する能力があるのではないだろうか? などと、親バカならぬ飼い主バカなことを考えてしまう。
そして、私自身は、鏡の中の自分を正しく認識できる能力をなくさないように、自分を見失わずにありのままの自分を見つめられる私でいたいと思う。
今のところ、鏡を見ても無反応な愛犬を見るたびに思い出すため、鏡と現実の自分を見つめる習慣を継続したい。
そして、せっかく標準体重に戻れたので、その体重を維持できるように、食べ過ぎ飲み過ぎには注意して、中年太りに抗っていこうと思う。
□ライターズプロフィール
吉田実香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福祉業界で働きつつ、「誰かを笑顔にする文章を書く」「誰かのなにかのきっかけになる文章を書く」ことを目標に、文章を書き続けていきたいです。
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