ギリギリ女は果たして今世のうちに生まれ変われるか《週刊READING LIFE Vol.300 いけないことだとわかっているけれど》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/3/17/公開
記事:パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
9月1日の朝、私は食卓で泣いていた。
たんまりとため込んだまま迎えた新学期、楽観的に考えていた夏休みの宿題はもちろんどうにもならず、姿形はそのままにでーんと鎮座していた。
昨夜「早起きすればまあどうにかなるっしょ!」と軽く考えていた大馬鹿野郎はどこのどいつだ。そうほざいていたアイツを今すぐぶん殴ってやりたい。
食卓でメソメソ「どうしよう」と青ざめる私を見て、母は呆れたように言う。
「まっっったく! なんでこうなるのがわからないのかね! 40日間もあったのに信じられない!!」
お母さん、私も自分が信じられません。
意気消沈する娘に向かって母は追い打ちをかけるように言った。
「ご飯だけは食べて行きなさい」
今、私はそれどころじゃないのだ。朝ごはんを食べるより計算ドリルを一問解きたい。
「食べないで行くのはダメ! 絶対食べてから行きなさい!!」
鬼! 悪魔! この、すっとこどっこい!!
母に向かって口汚く罵りたくなったが、倍返しが怖いのでやめた。
誰がどこから見たって悪いのは私なのだ。
出された食パンを左手でメソメソと齧りながら、右手ではドリルをたったの3問解いたところでタイムリミットとなった。もう出発しないと学校に遅刻する。
「いって……き……ます……」
蚊の鳴くような声で言うと、半泣きでトボトボと玄関を出た。
はぁぁぁぁぁぁ。気が重い。重すぎる。今日は地球の引力が働きすぎてないか? この重い体が今にも地球にめり込みそうだ。
先生には何て言い訳をすればいいのだろうか。
「やったけど、持ってくるのを忘れました」(大嘘)
「やったけど、ノートが川に落ちました」(大嘘)
「やったけど、ノートをお姉ちゃんに破られました」(大嘘)
何の足しにもならない言い訳だけを量産していると校門に着いてしまった。
これから本当の地獄が始まるのだ。
朝の会が始まると先生が満面の笑みで言った。
「みなさん夏休みは楽しく過ごせましたか? それでは持ってきた宿題を出してください」
私は机の下で小さく震えた。
クラスでもトップクラスの宿題忘れキングに躍り出た私は、先生の冷ややかな視線を浴びながら「明日は持ってきてくださいね」という一言にゼンマイ仕掛けのロボットみたいにカクカクと不自然なおじぎをするのが精いっぱいだった。
多分寿命が3年縮まった。
最悪な結果を引き起こすのがわかっているのに、なぜ私はこうなのか。
悪夢のような小学2年生の新学期から時が経つこと35年以上! 恐ろしいことに私はほとんど変わっていない。
どうにもこうにもギリギリの癖が治らないのだ。
かつて「ギリギリガールズ」というセクシーグループもいたが、セクシーでも何でもないギリギリ女はただの怠慢である。
期日が確実に決まっている〆切を抱えている時の心情は、だいたい次のような感じで変遷をたどる。
〆切まで3日もあろうもんなら「勝ったも同然!」みたいな楽勝ムードが漂う。私の場合、それは泥船に乗り込んだも同然なのだ。なぜ勝ちを確信しちゃうのか。しっかりしてほしい。
さっさと取り組めばいいのに、スマホをダラダラ観たりお菓子を食べたり、なかなか作業は進まない。
〆切当日になって火が点くが、そこからがおかしい。
「さあ~、いよいよ始まりました!」
なんだかレースでも開幕したかのような実況中継が脳内で繰り広げられる。もちろん誰も聞いてないのだが、間に合うか間に合わないかの瀬戸際を競うレースが心臓を必要以上にヒリヒリさせる。このドキドキ感がたまらなくて「私! 生きてる!!」という感じに陥る。完全にアホなのだと思う。
そして、最終的に滑り込みセーフで何とか〆切に間に合った時の快感ったら……ない。
薬師丸ひろこ状態で、まさに「カ・イ・カ・ン」である。
これは日常のさまざまな場面で、私が遭遇してしまう「快感」だ。
カフェでの待ち合わせで、子供たちの幼稚園や小学校への提出物で、飛び乗った電車で……。
ギリギリで行動した割に「間に合った!」となった時、必要以上に「よっしゃ!」とガッツポーズを取ってしまう自分がいるが、それはどうやら脳科学的にもれっきとしたワケがあるらしい。
脳には「報酬ループ」という仕組みがあり、「快感や達成感を得たときに、脳が活性化し、同じ行動を繰り返したくなる」のだそうだ。報酬を得た瞬間、ドーパミンという神経伝達物質が分泌されるらしい。
間違いない。
生粋のギリギリガールとして毎日を送る私も、ドバドバとドーパミンが分泌されているのを肌で感じる。それはもう分泌といった生半可なもんじゃなく「お客さん! 今日は特別に出血大サービス!!」といった具合なのである。先が心配だ。
「ギリギリだけど何とか間に合った!」という変な成功体験を積み上げたおかげで、私はきっと通常の生活が物足りなくなってしまったのかもしれない。ドーパミンとは恐ろしい物質である。
しかし、ここにきて新たな問題が浮上する。
それは、〆切に間に合うかどうかの瀬戸際を独走している時に邪魔者が入ることである。
つい先日のことだ。
ようやく母なしでも眠れるようになってきた兄弟に私は言った。
「お母さん、今夜宿題の提出があるんだ。悪いけど、二人で寝といてくれる?」
私が今、唯一継続的に抱えている〆切として、この5,000字前後の文章の課題がある。毎週土曜日の23時59分。1秒でも過ぎたら受け付けてもらえないこの課題を出すために私は必死だ。
「うん、わかった。お母さんがんばって」
もう閉じそうな瞼で兄弟が言ったあと、私はシメシメと寝室を出た。
よーし、ここからが、ギリギリガールの本領発揮だぜ。
とはいえ、〆切までは残り三時間もない。はやる気持ちにドウドウと手綱を引きながらなんとか今夜書く内容の構想をメモにまとめていく。
大丈夫、大丈夫、間に合う間に合う。
呪文のように唱えながら、私はいよいよパソコンに向かった。
これでいいのか一瞬立ち止まったり、調べ直したりしながら、なんとかキーボードに置いた手を動かし続ける。いいぞ、この調子だ。
その時、玄関のドアが半分気遣うようにしながらギィー……と開いた。夫だった。土曜日も漏れなく働いている彼が遅い時間に帰宅したのだ。
リビングのこちら側で私は手を動かし続ける。急げ急げ、〆切までもう少し。
手洗いなどを済ませて夫が静かに部屋に入ってきた時、少しだけ振り向き「おかえり」と言った。
「ただいま~」と言った夫がこちらに近づいてきて言った。
「ねえ、ちょっと、聞いてぇ~」
え!! いまですか!?!?
普段だったら私がテレビを観たりYouTubeを観たりしていると「ごゆっくり~」と言ってすぐさま寝室に消えていく「君は君、僕は僕」みたいな距離感の夫が、なんだか今日は超絶に語りたい雰囲気を醸し出してきている。
ねえ、お願い、今夜はやめて。
私、いつも以上にギリギリガールなの。
そんな訴えが届かないのか、夫は次に行くことが決まっているキャンプ場の話やなんやらを持ちかけてきた。その話は今夜じゃなくてもよくない!?!?
ごめん、うっすら殺意湧きそう!!
あなたのおかげで何自由ない暮らしをさせてもらっているのに!!
しっかりと働いて家計を支えてくれていることも忘れて一瞬夫を呪いそうになった。
しかも、私にはもう一つ負い目があるというのに。
以前、あまりにも〆切ギリギリになったおかげで家事もほったらかしてパソコンに向かったことがあった。それを見兼ねた夫に言われたのだ。
「他にまずやる事があるんじゃないのかな?」
アッ……、この人は静かにキレている……。
こういう人は怒らせたらダメだ。本当にこわいんだから。
それからというもの、私は一応「主婦」の肩書きを持つ者として、その名にギリギリ(ここでも!)恥じない程度に家事育児を担ってきたつもりだ。
しかし、彼があのことを綺麗さっぱり忘れたともわからない。
だから言えないのだ。
「ねえ! 今ちょっと〆切前だから後にして!!」とは……。
というか、そもそもこんな事態に陥るまで課題に着手しない自分を反省するべきなのである。私は反省を胸に秘めつつ、夫の本来なら楽しそうなレジャーなどの話題に「うん……うん……」と生返事をする羽目になった。
外で頑張って仕事をしてきて、家族のために楽しいレジャーの計画まで立てている神のような夫をぞんざいに扱ったら罰が当たりそうだ。
ひとしきり喋ったあと、夫が寝室に「じゃあね」と消えていくのをブンブンと手を振りながら見送ったあと、なんとか速攻で書き終わった課題を投稿ボックスに送信する。
時は23時58分!! 間に合ったー!!
これでドーパミンがまたもやドバァ~である。
しかも! 数日後、講師よりこの時の課題の合格が知らされた!
大将! ドーパミン追加でお願い! 状態である。
まったくもって毎回ギリギリにならないと始動しないことに呆れるが、そんな自分に朗報である。
なんと、脳の報酬ループは、正しく活用すれば、ポジティブな習慣を形成し、モチベーションを高めることができるらしい! そして「ひらめき」も生まれやすくなるという!
……うん、いや、正しく活用すればの話ですよ?
一方では、悪習慣や依存症につながるリスクがあるので気を付けましょう、とGoogle先生で見つけたメンタルコーチが言っていた。
ふふふ、なんとなく気づいてましたけど、私きっと後者ですねぇ。
たぶんもう報酬の依存症になってますよねぇ。
ギリギリでお送りしている日常のなかで「次はもっと早く取り掛かろう」と誓うのだが、それが現実になったためしがほとんどない。
他人は変わらない、変われるのは自分だけ。なんてよく聞くけど、私はまず自分を変えるのが難しい。
しかし! 人さまにご迷惑をかけてまで気持ちよくなるドーパミンをドバァと受け取るのは違うだろ! と声を大にして私に言いたい。
夫のように「計画性の塊!」となるのは、今世の私ではきっと無理だ。
だけど、せめて家族やまわりの人達に迷惑をかけずにもう少しゆとりをもって生きていこうと誓いながら私はこの文章を書いている。
え? 今ですか? 23時50分です。ハハハハハ。
□ライターズプロフィール
パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます!押忍!
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