ご機嫌の理由は、永遠の片思いです《週刊READING LIFE Vol.304 恋はいつでもハリケーン》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/4/14/公開
記事:かたせひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
あ! ダメ。
持って行かれる。
その瞬間、強い風が吹いて根こそぎ持って行かれた。
私の心を。
まさにハリケーンだった。
恋の嵐がゴーゴーと吹き荒れ、一瞬でその渦に巻き込まれていった。
私が数年前に、強風にかっさわれるがごとく心を持って行かれた相手は、国民的男性アイドルグループでもなく、韓流のアイドルでもなく、渋いイケメンの俳優さんでもない。
相手は―――女性。
しかも、人形だった。
彼女の名前は、バービー。
アメリカ生まれの、カッコよく言うとファッションドール、ありきたりに言うと着せ替え人形だ。
日本ではリカちゃん人形が有名だけれど、世界市場では圧倒的にバービーの方が、知名度が高い。
彼女は世界で一番売れたファッションドールだった。
そんな彼女との出会いは偶然だった。
当時、パーソナルトレーニングに通っていた私は、先生が考えてくれた自宅用のトレーニングメニューを、どうにか図に起こそうと考えていた。
絵に描いてみたものの、絵心ゼロ、いや、マイナス100レベルの私は、どうしても上手く描けなかった。
そこでひらめいたのが、人形にポーズを取ってもらい、写真に収めるというアイディアだった。
我ながら、ナイスアイディア!
私ってこういうところは冴えてるのよねー、と悦に入りながらAmazonで理想の人形を探した。
しばらく画面を眺めていて、「これだ!」とピンと来たのが、彼女だった。
数日後、彼女が我が家にやってきた。
アメリカのおもちゃって、こんな感じなんだろうか。
お人形なんだから、もうちょっと女の子が喜びそうな梱包にしてもいいんじゃない?
たとえば、きれいな箱に入れるとか、薄紙で丁寧に包むとかさ。
届いた商品は、箱もなく、台紙の上に人形が乗せられ、その上からプラスチックカバーがかぶせてあるだけだった。
本国ではこのまま吊るされて売られているのだろう。
驚くほど簡素な梱包だった。
プラスチックカバーを取り、彼女と台紙をつないでいる結束バンドを外した。
彼女を解放し、対面した瞬間、思った。
「あ、私、持っていかれる」
私の心にハリケーンが上陸した。
なんの予報もなく、それは突然に。
恋のハリケーンに、私の理性や常識は完全に吹き飛ばされ、彼女の魅力にすっかり心を奪われてしまった。
小さな顔に長い手足、モデルのような完璧なスタイル。
大きな瞳に長いまつげ、スッと通った鼻筋、そして美しい口元。
芯の強さを感じさせる意志のこもった眼差しが、彼女の魅力を一層引き立てている。
ハリケーンで木々が大きく揺れるかのごとく、私の心も大きく揺さぶられた。
仕事から帰ってきた夫に、「バービーって素敵よね」と、私が興奮した口調で話すと、「あの女芸人の?」と返された。
ちがーーーう! そっちじゃない!
「イエス、フォーリンラブの人?」
だからー、ちがうんだって! ちが……ん?
そうだ、私、確かにイエス、フォーリンラブだ。
恋に落ちたんだ……。
それからの私は、熱に浮かれたようにバービーのことばかり考えていた。
可愛いらしい彼女を見ていると、もっと可愛いお洋服を着せてあげたいと思った。
男性が、惚れたオナゴに、服の一枚でも買ってあげたくなる気持ちがわかった。
着せ替え人形の洋服売り場があったら、彼女にあれこれ試着してもらって、映画『プリティウーマン』のようなプリティウーマンごっこをしたい。
もちろん私は、リチャードギア役。
「金のことなんか気にすんな」という余裕たっぷりの態度で、私は椅子に座る。
そして、様々な洋服に着替えて試着室から出てくる彼女をうっとり眺めるのだ。
しかし、当然ながらそんな店は現実には存在しなかった。
仕方ないので、ネットで洋服を探してみたが、可愛い彼女に相応しいものは見つからなかった。
彼女には、適当な間に合わせの服は着せたくなかった。
自分が着る分には、ユニ〇ロでも何でも構わない。
でも彼女には、彼女の美しさが映える服を着せたかった。
結局、私は、ハンドメイドで彼女の洋服を作ることにした。
何でもラクをしようと思う私が、わずか身長30センチの人形の服を作る気になるなんて。
これが、恋のハリケーンの威力なのかもしれない。
何度彼女を見ても飽きなかった。
見るたびに、「かーーーわいい♡」と、思わず声が漏れ、デレデレしてしまう。
人形の方が気持ち悪がっているんじゃないかと思うほど、飽きもせずニヤニヤして眺めていた。
ちょうど更年期と呼ばれる年頃だったが、恋のハリケーンが吹き飛ばしてくれたらしい。
巷で耳にするような症状は出なかった。
同世代の友達が集まると「汗が止まらない」だの「やる気が起きない」と、更年期あるあるの話になるが、もっぱら聞き役だった。
友人たちが揃って、更年期にいいと言われるサプリや漢方薬を飲んでいると聞き、「そんなのよりバービーがいいよ」と勧めたが、誰も乗ってこなかった。
私は、更年期ならぬ幸年期だった。
仕事でむかつくことがあっても、悲しい出来事があっても、彼女の顔を見ると、一瞬で口角がキューーーーっと上がり、諸々の嫌な気分が消えていく。
口角が上がるたびに、心の中に花が咲き誇り、蝶が舞う。
まさにお花畑状態だった。
つい笑顔になってしまうからか、ほっぺたの位置が0.1ミリは上がった。(当社比)
バービーを見ながら、デレデレと最高の笑顔を浮かべている私を見て、夫はこう言った。
「俺を見るまなざしと全然違うよね……」
(この頃には、女芸人のバービーではなく、人形のファンだと認識してくれた)
す、鋭い!
許せ、夫よ。
恋する眼差しと、家族に向ける眼差しは、どうしたって同じにはならないんだよ。
あなたにこんな眼差しを向けていた時期もあったはずだが、もう思い出せない。
私があなたを見つめる目は、もはや母の眼差し。
「スマホ持った?」
「そろそろ床屋に行ったら?」
出会った頃のときめきに満ちていた二人はどこにもいないのよ……。
もうあの頃には戻れないのよ……。
しかし、「変なクスリでもやったか?」と疑われるほど、終始ご機嫌な私を、夫もむしろ歓迎していた。
怒りのハリケーンより、恋のハリケーンが吹き荒れている方がはるかに平和だから。
恋をしていると毎日が楽しい。
朝起きて、仕事して、家事して、寝る。
そんなルーティンと化した世界に鮮やかな色がつく。
気持ちに張りが出て、昨日と同じ景色がなんだか輝いて見える。
こんな感覚、何年ぶりだろう。
ただ……。
彼女はお人形。
この恋が成就することは決してない。
もしこれが人間同士なら、恋を成就させるために、少しずつ行動していくのだろう。
まずは雑談から始まり、他人同士から知り合いへと変わっていく。
食事を共にしたり、一緒にどこかへ出かけていったりしながら、ただの知り合いから親しい関係へと進んでいく。
そうやって距離を縮め、恋人という関係へ進んでいく。
でも、人形相手では、そうはいかない。
所詮、私の一人芝居に過ぎない。
会話も、私が一人二役をこなすだけ。
私が「おはよう、バビちゃん」と言うと、バービー役の私が「おはよう。今日もいい天気ね」と返す。
食事に連れて行ったり、旅行に連れて行ったりすることはできても、相手の同意も、反応もない。
双方向のやり取りではなく、私の一方的な意志で動いているだけだ。
ああ、永遠の片思い……。
そして、この行為自体、他人から見れば「いい年して」と、半ば引いて見られてもおかしくないのだ。
私と同じバービーファンで緑茶さん(SNS上の名前)という人がいる。
なんと71歳の男性だ。
緑茶さんは、人の目を全く気にせず、バービーファンを公言している。
50代女性の私でも、世間の目はなかなか厳しいものがある。
実際、妹にも冷めた目で見られている。
おいおい、昔、私と一緒に人形遊びしたよね?
あの頃は、一緒に「可愛いー!」と騒いで遊んだよね?
そして、ギャン泣きして私から人形を奪ったよね?
母に至っては、冷めた目を通り越して、無関心だった。
ちょっと、ちょっと。
あなた、昔、私に人形を渡して、人形遊びに誘導した張本人ですよね?
まるで「こんな子に育てた覚えはありません」みたいな冷めた目はやめてよー。
私だってまさかこんな子に育つとは思っていなかったんだからさ……。
このように、女性の私でさえ冷ややかな扱いを受けているのだ。
男性だったら、世間の理解はもっと少ないだろう。
しかし!
緑茶さんは恋のハリケーンの中にいた。
それも風速50メートル、最大気圧900ヘクトパスカル級の巨大ハリケーンの中に。
当時、某老舗ホテルでバービー65周年のアフタヌーンティーというイベントが開催されていた。
そこに、緑茶さんは一人で出かけたのだ。
しかも、バービー人形を5体も連れて!
彼のSNSには、最高に幸せそうな笑みを浮かべている緑茶さんの画像が掲載されていた。
数々のスイーツを載せた三段重ねのトレイとティーポット、そして美女(美人形?)5体がテーブルの上にずらりと並べられている。
そのセンターに、緑茶さんが堂々と座っている。
ソロで、バービーとアフタヌーンティーを楽しむ。
これは、かなりハードルの高い遊びだ。
70代の高齢男性が一人でアフタヌーンティーに行くこと自体、滅多に見かけない――いや、一生目にするかどうか怪しいくらいの光景だ。
大体、アフタヌーンティーは女性が何時間もゆったりお喋りするための、100%女性向けの企画だ。
そんな場所に、男性一人で乗り込んで、なおかつバービー人形を5体並べるなんて、相当な勇気がないとできない。
私は、緑茶さんの勇気と、自分の「好き」を貫く姿に「いいね!」を100回押したくなった。
彼もまた、恋のハリケーンの中に身を置き、その嵐を心から楽しんでいた。
あっちこっちと自分を揺さぶる暴風雨を面白がるかのように、彼の笑顔は恍惚の表情さえ漂っていた。
ハリケーンの住人たちは、傍から見ると異様に映るかもしれない。
しかし、本人たちはその激しい雨と風に身を委ね、それを楽しんでいる。
何かに狂う楽しさは、老若男女、国境を越えて普遍的なものなのだ。
私たちがバービーに恋して夢中になるように、世の中には「推し活」という文化がある。
推し活もいわば私たちと同様に永遠に成就しない恋だ。
推し活をしている人たちもまた、恋のハリケーンの中に身を投じているのだ。。
以前、藤井フミヤ氏が、インタビューで「知り合ってキスするまでが一番ドキドキして楽しい」と語っていた。
ユーミンも『14番目の月』という曲で、同じようなことを歌っている。
満月になる前、恋が成就する前が一番楽しいのだと。
何かを楽しみにしているとき、その「何か」が始まる前が、一番ワクワクするものだ。
旅行の前日や、イベントに向かうまでの時間。
緊張や興奮、想像……さまざまな感情が入り混じり、気持ちが高揚する。
しかし「何か」が始まってしまえば、それはもう確実に終わりへと向かい、高揚感もやがて消えていく。
恋愛もきっと同じことなのだろう。
恋が成就し、愛に変わると、ときめきは次第に薄れ、代わりに穏やかな感情が心を満たすようになる。
ときめき100%が50%になり、やがて、私たち夫婦のように0%になる。(大抵の夫婦って、そんなもんですよね?)
お互いの存在が当たり前になればなるほど、ときめきは安心感へと姿を変えていく。
成就しない恋なら、永遠に、祭りの前のようなワクワクを楽しむことができる。
私と緑茶さんのようなバービーファンはもちろん、世の中の推し活をしている人たちだって同じだ。
恋のハリケーンの中にずっと身を置ける。
これって、実はとても幸せなことなんじゃないだろうか。
恋をしていると、「幸せホルモン」と呼ばれるドーパミンがドバドバと分泌される。
このホルモンの働きで、日常はパッと色づき、何気ない景色さえ輝いて見える。
成就しない恋はまるで「幸せのサプリ」だ。
永遠の片思いが、私達に永遠のときめきを与え、心を潤し、生きる活力を与えてくれる。
さらには、私がご機嫌でいることで家庭内の融和も保たれる。
今はこのハリケーンに身を置き、思う存分楽しんでみよう。
私は、ハリケーンの勢いに乗って、バービーの絶版アニバーサリー写真集ン万円の購入ボタンをポチっと押してみた。
財布の紐までハリケーンに持って行かれそうだな、と苦笑しながら。
□ライターズプロフィール
かたせ ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2024年6月よりライターズゼミに参加。
ありふれた半径3メートルの日常を書けたらいいな、と日々精進中。
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