週刊READING LIFE vol.304

恋はいつでもハリケーン《週刊READING LIFE Vol.304 恋はいつでもハリケーン》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2025/4/14/公開
記事:マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
(これはフィクションです)
 
フェイスブックのタイムラインを何気なく眺めていたある晩、友人の真紀が旅先でシェアした一枚の風景写真に目が止まった。
モンサンミッシェル―ここはかつて家族で訪れた場所だ。
まだ娘が小学生だった頃三人で過ごしたフランス旅行。
あのときの海風の匂い、石畳を踏む足音、優しく手を取ってくれた夫の笑顔がふいに胸によみがえった。
私は「いいね」のボタンとともに真紀にメッセージを送った。
「素敵! 懐かしいわ。私も夫が元気だった頃そこへ家族で行ったのよ……」
「美佐子、そうだったわね。また帰ったらご飯行こうね!」
優しい真紀の言葉が嬉しかった。
 
数時間後、フェイスブックに見知らぬ男からメッセージが届いた。
「こんにちは。あなたもモンサンミッシェルにいらしたんですね。嬉しいなあ。
おっと失礼。私はジャン=リュック・モローというフランス人です。
モンサンミッシェルは僕の故郷なんです」
少し驚いた。
私はフェイスブック初心者だが、夫との思い出の地で生まれたフランス人とこうして繋がることができるなんて、やっぱり始めて良かったと思った。
新しいことには臆病な私だけれど、いつまでも悲しみの中にいてもしかたないのだ。
 
私が62歳の時、4つ年上の夫が肝臓ガンで亡くなった。
あれから3年、娘も独立し私は独りで暮らしている。
薬剤師として忙しく働いているが、家に帰るとふとした時にいまだに涙が溢れてくる。
夫の背広、使っていたコーヒーカップや茶碗、雑然としたデスク周り、何ひとつ片付けることができない。
優しかった夫はなぜあんなに早く逝ってしまったのだろう。
もうすぐ夜が明ける。また今夜も眠れなかった……。
 
着信音がして開いたフェイスブックに新しいメッセージが届いていた。
「オハヨウゴジャイマス。ジャン=リュック・モローデス」
思わず笑った。なんだ、この片言は……。
「それを言うなら『おはようございます』ですよ」と返信する。
「オオ、マチガエマシタ。アリガトウ。ヤハリ グーグルホンヤク、ツカイマス」
「そうね、その方がいいかも」
「失礼しました。初めまして。僕はジャン=リュック・モロー、52歳のフランス人です。少しだけ日本語勉強しています。今は中東の戦地で国際医療支援チームの医者として働いています。」
(やだ? これって詐欺)
つい最近、こういう手口で近づくロマンス詐欺が横行しているとニュースで見たばかりだ。
「そうなの。大変ですね」
私は当たり障りのない返信をした。
「まさかあなたは僕を詐欺師と疑っていませんか? それはとても悲しいことです。では、さようなら」
あっけない別れの言葉に私は慌てた。
もしかしたら、これは本当のことなのかもしれない。
たとえ詐欺だとしても、お金を取られないよう注意すればいいのだ。少しだけ繋がって話をしてみるのも楽しいかも……。
私はメッセージを送った。
「ごめんなさい。あなたを疑うつもりはなかったのですが、最近ロマンス詐欺というのが流行っているので」
返信は無かった。
ちいさな後悔が胸に残った。
 
翌朝、フェイスブックを開くとメッセージがあった。
「昨日は返信できずにごめんなさい。実は僕が診ていた重傷の子どもが息をひきとったんだ……」
「そうだったんですね。大変なお仕事、お疲れさまでした」
「でもあなたのような方に優しい言葉をかけてもらえるだけで、少し気持ちが楽になります。だが僕は無力だ。医師として何もできなかった……」
「そんなことは無いと思います。その子も最後に診てもらえてよかったのでは?」
私はついそんな言葉を送った。
メッセージを送り合うことで夫を亡くした寂しさを紛らわしたかったのかもしれない。
「ご紹介遅れました。私は美佐子といいます。歳はあなたより年上よ」
そう言って私は自分の写真を添えて送った。
「ミサコ。ありがとう。あなたは優しい目をしていますね」
いつも「お前の目にオレは弱いんだ。本当に優しい目をしてるよな」と言って私の顔を覗き込んだ夫を思い出す。
「これが僕です」
そう言って送られた写真には、荒廃した瓦礫の町で痩せた子どもたちに囲まれ笑顔を見せている男の姿があった。
ウェーブのかかったグレイヘアに陽に焼けた彫りの深い顔、眩しそうなブルーの瞳が美しかった。
「あなたのことをもう少し教えてもらえますか?」私は尋ねた。
私は彼の、ひとりでも多く傷ついた子どもを救いたいという熱い想いに心を打たれ、いつしか疑う気持ちを忘れていった。
それから私たちは何通もメッセージをやり取りした。
そうして私はいつのまにか夫を亡くした喪失感と引き換えに彼の連絡を心待ちにしている自分に気がついた。
 
「ジャン、あなたパートナーはいないの?」ある時私は聞いてみた。
「美佐子、僕は妻を2年前に亡くしたんだ。彼女は一緒に活動していた仲間だったけど
感染症で亡くなった」
「そうだったの。それは辛いわね」
彼も妻を亡くしていたのか……。
彼と私がこうして心が通じ合うのも、何か因縁めいたものを感じずにいられなかった。
 
「美佐子、今日もひとり子どもを看取った。
薬も医療器具も圧倒的に足りない。でもやるしかない」
そんな言葉がくることもあったが、ジャンは決して「援助してほしい」などとは言わない。
だから尚のこと、彼の力になれるなら何かしたいと私は思った。
「ねえ、ジャン。私があなたの力になれることってあるかしら」
「美佐子。優しい言葉をありがとう。もうその言葉だけで充分だよ。
毎日戦場にいると つい忘れそうだが人を愛する気持ちだけは忘れたくない」
「ジャン……」
「あなたとの会話だけが、僕を人間に戻してくれる。また明日も頑張ろうって思えるんだ。それが何よりの支援だよ」
その言葉に涙が溢れた。
私は平和なこの国でこのひとの無事を祈るしかないのか。
 
それからしばらくジャンからの連絡が途絶えた
私は心配で堪らなかった。
何度メッセージを送っても何も返ってこない日が2週間続いた。
 
私はしばらくぶりに友人の真紀とランチをした。
「久しぶりね、美佐子。元気そうでよかった。ていうか綺麗になったみたい」
「やだ! 真紀も変わらず元気そうね」
「まあね、忙しくってフランスはもう遠い思い出よ」
そう言いながら、真紀はフランスで撮りためた写真をスマホで見せてくれた。
モンサンミッシェルで風に吹かれて微笑む真紀の姿が、昔の自分と重なった。
あの頃は夫がいた。でも今は……。
私はジャンの事を真紀に告げるか迷ったが、思い切って告白した。
「実はね、真紀……」
私はジャンとフェイスブックで繋がってやりとりをしていることを話した。心を通わせていることも。
「それで……。それであなた綺麗になったのね」
60歳を超えても恋は女を綺麗にしてくれるのか。
そうこれはもう紛れもない「恋」なのだ。
「でもね、美佐子。友だちだから忠告しとく。あなた、危険よ」
「え? だってジャンは違うのよ。お金の話なんて一切しないし。私、ジャンとならいいお付き合いができる気がするの」
「お金の無心をしない、ってのも手口のひとつかもしれないわ。
悪いこと言わないから、もう止めたほうがいいわ!」
真紀は私のスマホを取り上げるとフェイスブックを開いた。
「何するの? 真紀。やめて! 私のスマホに触らないで!」
大声を出した私をレストランの客たちがいっせいに振り返った。
真紀はしかたなくスマホを返した。
「とにかくね、今この手の詐欺はゴマンといるのよ。ひとがいいあなたを騙すなんてきっと朝飯前よ。早く手を切ることね」
「真紀、ひどい……」
私はランチの皿を残したまま、席を立った。
「ごめん、今日は帰る」
せっかく誘ってくれたランチだったが、私はジャンを詐欺師と決めつける真紀が許せなかった。
私はジャンを信じたかった。
いやもう一度だけ誰かを愛し、愛される幸せに酔いたかったのかもしれない。
 
「私の友人ったらあなたの事を詐欺師だと決めつけているのよ。もう嫌になるわ」
翌日、やっと連絡が取れたジャンに私はそんな愚痴もこぼした。
「僕たちのような心の繋がりはたぶん誰からも理解はしてもらえないよ。
ところでミサコ、今日はビッグニュースがあるんだ」
「何?」
「今度2週間の休暇を貰えることになった。僕は日本へ行って君と逢いたい」
「ホントなの? ジャン。嬉しい……」
それから私は1ヶ月後のジャンの来日を首を長くして待った。
ジャンに会ったらどこへ行こうか。年老いた私を見たらジャンはガッカリするかもしれな
い。私はいつもより熱心にスキンケアをして髪を染め、久しぶりに明るい色のワンピースを買って準備した。
 
約束の日。
私は着陸時刻の1時間も前に羽田空港に着いた。
こんなに胸が高鳴るのは何十年ぶりだろう。
何度も化粧を直し、覚えたてのフランス語の挨拶を呟いてみる。
「ボンジュール、ようこそ日本へ。逢いたかったわ、ジャン!!」そうフランス語で言ったなら彼はどんな顔をするだろう。抱きしめてくれるかもしれない。
 
到着時刻が過ぎ、ぞろぞろと彼の乗った便の搭乗客が降りてくる。
私は出国ゲートでグレイヘアの外国人男性を必死に探した。
ジャンには空港で待つと伝えたが、もしかしたら私がわからないかもしれない。
私は彼のフルネームを大きく書いた紙を持ち、ゲートで待ち続けた。
いったい何人の人を見送っただろう。
ジャンは現れなかった。
もしかしたら、急な用事ができて来日できなくなってしまったのだろうか?
それとも次の便に変更になったのだろうか?
何かメッセージが届いているかも。私はスマホをチェックした。
 
その時ゲート前で待つ私に、痩せて貧相な外国人が話しかけてきた。
70代だろうか、薄汚れたブルゾンから写真のような紙を取り出してゲート越しに私に話しかけるが、何と言っているのかさっぱりわからない。
「もしかしてあなたはジャンのお知り合い?」
英語でそう問うと、男はうんうんと頷き手に持っていた写真を見せた。
それは私がここで逢うはずだったジャンの写真だった。
「あなた、ジャンのお友達ですか? ジャンはどこにいるの?」
 
その答えを待つまでもなく私たちはあっという間に数人の男たちに取り囲まれた。
物々しい雰囲気で無線機を手にした警察官だった。
「失礼ですが、お二人に少しお話を伺いたいのですが」
一人が私に向かって日本語で、もう一人はその男に英語で声をかけた。
私は何が起きているのかわからず、ジャンの名前を口にした。
「ジャン=リュック・モロー……。こちらの男性がその名前で入国しようとした人物です」警察官のひとりが男を指さした。
「え? でもこの人、ジャンじゃないわ。写真と全然違う……!」
ジャンはブルーの瞳が綺麗な、逞しい身体つきの50代だ。
警察官が私の手から写真を受け取ると、頷いて言った。
「この写真は偽造の可能性があります。この男性は複数の偽名を使って空港に出入りしようとした疑いがあり、私たちも情報を掴んでいました」
「でも……彼がジャンじゃないなら……?」
「ジャン=リュック・モローという人物は、実在しない可能性があります。彼はSNSを通じて複数の女性と接触し、金銭や情報を騙し取っていた疑いがあるんです」
「でも、私お金は何も……」
「それが新しい手口なんですよ。金は実際に会ってからだまし取る。たぶんあの男はジャンの兄だとかなんとか言ってあなたに近づいたはずです」
 
私は膝から崩れ落ちそうになった。
背後ではさっきの男が何か叫んでいる。
「I don’t know any woman!  I didn’t promise anything! (俺は女なんて知らない! 何の約束もしてない!)」
空港内にしゃがれた声が響く。
警察官のひとりが冷静に答えた。
「We’ve already confirmed your online communications. Please cooperate.(我々はすでにオンラインでの通信記録を確認しています。ご協力ください)」
男は観念したように無言のまま手錠をかけられた。
私は何も言えず、ただ立ち尽くした。
この三ヶ月、私が愛した“ジャン”は、最初から存在しなかったのだ。
ハリケーンのように過ぎた恋が、あっけなく終わった瞬間だった。
 
「ねえ美佐子、美佐子ったら」
ぼんやり考えこんでいる私を真紀が揺すった。
あれから3ヶ月、まだ起きたことが信じられない私だったが、真紀にはすべてを打ち明けて謝りたかった。
「大丈夫? それにしても、ご主人を亡くして落ち込んでいるあなたを騙すなんて本当に許せないわ。でもあなたが無事で本当に良かった……」
「真紀、あの時はごめんね」
「何言ってるの。あれくらいで壊れるほどのつき合いじゃないでしょ! 何年あなたと付き合ってきたと思ってるの」
「ありがとう、真紀」
「そうだ、今度私の推しのライブ行かない? 楽しいよ~」
わざとはしゃいでみせる真紀がありがたい。
私はライブの約束をして真紀と別れた。
 
翌年の夏。
ジャンに会うはずだった羽田空港を、私は1年ぶりに訪れた。
今度はひとりで、チケットを手にしている。行き先はフランス。
「ジャンを探しに」ではない。自分の足で、自分の人生を歩き直すための旅だ。
海外のひとり旅は初めてだから少し不安だが、それ以上にワクワクしている。
久しぶりに国際線ターミナルの案内板を見上げた。
「パリ/シャルル・ド・ゴール空港」
あのハリケーンのことを、完全に忘れたわけじゃない。
でも、今はそれすらも旅の始まりに思える。
ほどけかかったスニーカーの紐を結び直し、私はカウンターへと向かった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
本と書店が好きすぎて、とあるブックカフェで働く。
マダム・ジュバンの由来は夫からの「肉襦袢着てるから寒くないよね」というディスリから命名。春になってもジュバンが脱げない60代。

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2025-04-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.304

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