もしもボックスを手放し、手に入れるべきアイテムは《週刊READING LIFE Vol.306 1%》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/4/28/公開
記事:吉田実香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
自分の足の短さを思い知った、ある日の雨上がり。
大きめの、とはいえそれほど大きくはない水たまりを跨ごうと右足を大きく踏み出したのに、足の長さがぜんぜん足りず、右足はあっけなくボチャン! と水たまりにはまった。
あちゃー……、この失敗、人生で何回繰り返してきただろう?
足が短いことなんて、ずっと前から、子どもの頃から思い知っているはずなのに、いまだに自分の足の長さがわからない。自分が思い描いているよりも、だいぶ短いらしい。
いつになったら自分の思い描く足の長さと現実の足の長さが一致するのだろう……と考えていたら、長いこと自分が思い描いているようにならない現実に苦しめられていたことを思い出した。
今でも、もちろん思い描いている通りの人生というわけではない。しかし、過去の私が「思い描いていること」は自分勝手でわがままで、すべて他人や環境のせいにしたものだったということは気づくことができた。
大学卒業後から30代に突入するまではサービス業に勤めていたが、31歳のときに転機があり、介護業界への転職を決意した。
きっかけは、祖父の死だった。社会人になってからは1年に1回くらいしか会いに行かなくなってしまい、20代後半は激務に追われ、数年会いに行けないこともあった。
でも、今思えば、頑張れば日帰りでも行ける距離だったため、もっと会いに行くべきだったのだが、今さら後悔しても遅い。30を過ぎるまで祖父が生きていたなんて、とてつもなく幸せなことだったのに、それには気づけなかった。
数年ぶりに会いに行った祖父の姿は変わり果てていた。介護ベッドに横たわり、もともと細かったけれどガリガリに痩せ細り、トイレに行く体力もないためおむつとポータブルトイレを使い、そして、私のことがもう分からなくなっていた。
あんなに可愛がってくれた祖父。それなのに、私は何もしてあげることができず、それどころか数年間も会いにも行かなかったにも関わらず、私のことがわからないことに大きなショックを受けて悲しくなった。
私のことが分からない祖父との会話は弾まず、といっても元々無口だった祖父だから、私のことがわかっても会話は弾まなかっただろうけれど、挨拶程度の会話しかしなかった。
そして、それが生きている祖父に会えた最後だった。
私が会いに行って1か月ほどたった日に、眠るように旅立った。昼寝をしている祖父を、夕方に祖母が見に行ったときには息をしていなかった。
祖父のお通夜、お葬式は、私にとっては自分と向き合う時間になった。
連休なんてもう何年も取っていなかったから、お通夜やお葬式に参列しながらも、ゆったり時間が流れる中にどこかふわふわした感じで身を置き、いろんな思考を巡らせていた。
そんな中、急に思い付いたことが「介護の仕事をしてみたい」だった。激務に疲れ切っていたことや転職を考えていたことなどいろんな要因が重なったけれど、祖父が導いてくれたと勝手に思っている。祖父にはなにもしてあげられなかったけれど、お年寄りの役に立てたら。そんな思いで思い切って介護業界へ転職した。
志を持って、やる気満々で転職したけれど、現実は甘くなかった。
特養で働き始めたのだが、仕事量の多さ、夜勤もある不規則な生活、常に死と隣り合わせの緊張感。いつも人手不足で人の入れ替わりが激しく、わりと早い段階で管理職となり、介護業務だけではなくマネジメントもしなければならなくなった。
ミーティングだったり直接指導したり、入居者さん一人ひとりのケアについてスタッフと話をしなければならなかったが、それがいつも苦痛だった。私が思いを伝えたりケアについて説明したりすると「私には無理です」、「そんな大変なことできません」とやってみてもいないのに否定したりやろうとしなかったり、勝手に違う方法でケアを行ったりしているスタッフが必ずいた。そういう人は常につきまとい、異動しても必ず遭遇するし、ひどいときは数人で結託して「リーダー側の考えだけを押しつけてきて横暴だ」と抗議されたこともあった。
いつもいつも、「どうしてわかってくれないんだろう」、「なんでできないんだろう」、「大変なのが嫌なら、介護士なんてやらなければいいのに」と相手の否ばかりを考えていた。分かってもらうための努力や相手と真剣に向き合うことは不十分だったのに、相手が変わってくれることをずっと期待していた。
もちろん、そんな私の姿勢では、相手がわかってくれることも変わってくれることもなかった。でも、ずっと「私は間違ったことを言っていないし、入居者さんのことを思ってケアの方針を決めているのだから、いつかわかってもらえるはず」と信じていた。
これでは、子どもの頃に「もしもボックスに何をお願いしようかな!」と考えているのと同じレベルだ。
「もしもあのスタッフがもっと理解のある人だったら」、「もしも同僚がもっと協力的だったら」、「もしも新人スタッフがもっと優秀だったら」と、「もしも」を願っているだけだ。そんな「もしも」は、もちろんあり得ない。
1%も起こりそうもない「もしも」を期待して、ただ相手が変わることを望んでいた。自分が変わる努力は棚に上げて。
今ならわかる。「他人は変えられない。変えられるのは自分自身」だということも、「相手を変えることはできないけれど、相手への関わり方はいくらでも変えることができる」ということも。
「できない」と頭ごなしに言うスタッフが考えていたことを知ろうともしなかったけれど、実はその言葉の背景には介護技術やコミュニケーション力に不安があったのかもしれないし、やり方が分からなかったのかもしれないし、できるようになる方法を一緒に考えればよかったのかもしれない。普段から相手をよく観察したりコミュニケーションの取り方を工夫したり、まずはスタッフとの信頼関係を築くことが重要だった。もしもボックスに願いを託している場合ではなく、私自身ができることはいくらでもあったのだ。
だから、もしもボックスを手放さなければならない。ドラえもんの道具は現実にはないのだ。
いつかAIで実現するかもしれないけれど。
「もしも」に願いをかけるよりも、自分ができることに目を向けるべきだ。自分がまず変わる、相手との関わり方を変える、自分の人間性を磨いていく。
1%もないようなもしもの可能性を考えるより、1%でもできる可能性を考えて行動していく。でも、自分次第でよい方向に向かう可能性は、1%どころではなく、もっとパーセンテージは高いはずだ。
しかし、1%もない可能性を考えたほうが遙かに簡単な場合もある。頑張ってできた成功体験よりも、頑張ってもできなかった失敗体験のほうが強く印象に残ってしまうし、自信がないときや不安が大きいときは、最初から諦めモードで「もしも」にかけてしまいたくなることもある。
そこで、やっぱり、もしもボックスが必要なアイテムではないか! と思った。
考えがぶれているわけでも二転三転しているわけでもなく、もしもボックスならぬ“進化版もしもボックス”が必要なのだ。
なぜなら、理想や目標を叶えた世界は、その夢を目指している間は「もしも」の世界だからだ。「もしも」を想像することなくして、目標を達成したり理想の未来を創造したりすることはできない。
だから、もしもボックスに「もしも○○だったら!」と願うように、自分の目標や夢、相手を変えたり環境のせいにしたりするのではなく自分自身を変えることを、進化版もしもボックスに願うのだ。
でも、その「もしも」を叶えるのはドラえもんの道具ではなく、私自身が叶えていく。私自身が進化版もしもボックスとなって私自身が変わり、行動し、自分の夢を、目標を叶えていく。
そうやって、起きた現象や相手との関係性の起点を自分自身にして、自分自身ができることを考えて必要な行動を起こしていくことで、理想や目標に近づいていくはずだ。
当時の私がこのことを理解していれば、もっとスタッフといい関係が築けて、もっといいケアができたはずだと思うと、当時関わった入居者さんたちに申し訳ない気持ちになる。
祖父の死がきっかけで志を持って、やる気に満ちあふれて介護の仕事を始めたのに、途中それどころではなくなってしまった時期もあったけれど、今でも介護業界で頑張れているのは、やはり祖父の導きなのかな、と思う。忘れがちだった祖父のお葬式での思いと、進化版もしもボックスを忘れないようにしたい。
先日、お洋服屋さんでパンツを買ったときに、もちろん私の足の長さには合わないから裾上げをしてもらった。いつも切り落としたズボンの裾を一緒に渡してくれるのだが、その布の多さを見る度に、なんだか損をした気分になってしまう。
「もしももっと足が長かったら!」、「もしも背が高かったら!」、「もしもとびきりの美人だったら!」と思わずにはいられない私は、もしもボックスを手放せていない可能性が1%、もしくはもっと高いのかもしれない……。
□ライターズプロフィール
吉田実香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福祉業界で働きつつ、「誰かを笑顔にする文章を書く」「誰かのなにかのきっかけになる文章を書く」ことを目標に、文章を書き続けていきたいです。
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院カフェSHIBUYA
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「湘南天狼院」
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00