週刊READING LIFE vol.306

心の鍵を開ける日は―1%から始まる野心《週刊READING LIFE Vol.306 1%》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/4/28/公開
記事:マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
午前0時。曇った鏡を手で拭い、私はいつものように風呂上がりの裸を鏡に映した。
(だいぶ太ってしまったな……。ダイエットしないと……)
腕を上げて両の乳房を触ってみる。これもいつもの習慣だ。
10年前に胸に小さなシコリを発見した。
それは幸い良性の腫瘍だったが、医師の勧めで乳がん治療の専門医に通い定期的な検診を受けてきた。
5年が過ぎ医師は言った。
「もう大丈夫でしょう。あとは1年に1度、市の検診を受けてください」
あれからもう5年が経つ。
(私、心配し過ぎかな……)と思ったその時、指先にほんのかすかな異変を感じた。
左脇の下の5センチほど下から少し内側。
滑らかな皮膚の下で確かに小さく触れるものがある。
(何、これ……)
見た目には何もわからない、乳房の中の小さな違和感。
(どうしよう……)
にわかに空がかき曇るように胸がさわぐ。
だが迷っている場合ではない。
私はすぐさま、かつて受診した乳がん治療専門医の予約を入れた。
 
3月の花冷えする午後だった。
すべての検査を終え、私は診察室に入った。
黙ってX線フィルムを眺め電子カルテに向かう医師の沈黙がたまらなく苦しい。
「あの、先生、私は……」
医師はゆっくり振り返ると微笑んだ。
「たぶん大丈夫でしょう。ただ、念のため経過観察していきましょうか」
「先生、たぶんって……」
「悪性腫瘍になる可能性としては1%です。ごく稀に変化することもあるのでね」
1%……。
「1%」が引っかかる。0%ではないのだ。
たったそれだけの数字が、残りの99%をざわつかせて止まない。
すっきりしない気持ちで私は病院をあとにした。
 
私は67歳。
母が膵臓ガンで亡くなったのが63歳だからもう母より4年も長く生きていることになる。
でも、母の頃の60代と今の60代では若さが違う。
肩が凝る、腰が痛いとボヤキながらも働けるし、あと3年くらいは働きたい。
まだまだ行きたい場所があるし、やりたいこともたくさんある。
私はもう一度「1%」の意味を考えてみた。
悪性腫瘍になる確率が1%ということは99%の確率で良性だということだ。
いやたとえ悪性になるとしても、その1%を恐れて塞ぎ込んでいても仕方ないじゃないか。
悪性になった時点で対処すればいいのだから。
 
私は『最高の人生の見つけ方』(原題: The Bucket List)という映画を思い出した。
余命6か月を宣告された2人の男が、死ぬ前にやり残したことを実現するために共に冒険に出る話で、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの演技が素晴らしかった。
2人は「死ぬほど笑う」、「スカイダイビングをする」、「世界一の美女にキスをする」などの「死ぬ前にやりたいことリスト(The Bucket List)」を作り実行していく。
私は映画のように空を飛んだりはしない。
でも、私にも「やり残していること」は確かにあった。
それは空や海ではなく、自分の心の奥にある場所を訪ねる旅なのかもしれない。
 
日本女性の健康寿命は75.5歳だという。健康寿命とは「介護や日常生活に制限のない期間」のこと。ということは、たとえ乳がんにならなくてもあと8年しか無い。
これは平均だから何ともいえないが、元気に動き回れるのはあとたった8年なのか……。
でもそれくらいの覚悟をもって生きるほうが日々は充実するに違いない。
そう思うとスマホをダラダラと見ている時間が急に勿体なく感じる。
「やり残していること」―それは心の奥底で眠る、忘れかけた古い小箱のようなものだ。
もう一度、その小箱を開けてみようと思った。
 
もう10年以上前になるが、私は50代の時に2週間オーストラリアのケアンズで短期留学をした。
それまで海外ひとり旅の経験は無かったので不安は大きかったが、成田空港で出発ゲートに入ったその時これまで感じたことのない高揚感を感じたことを覚えている。
それは不安を凌駕する「私は自由」という開放感でもあったと思う。
現地では平日毎日英会話スクールに通い、各国から集まった若い人たちと共に授業を受けどっさり宿題を持ち帰る生活を続けた。
たった2週間だが中国、韓国、フィリピン、インド、ネパールなど行ったことがなければ話したこともない国の人たちとクラスメートとなり、授業を受けカフェテリアでワイワイと話す時間は、とても楽しく刺激的だった。
そしてイタリア系移民の家庭がホストファミリーとなり私を温かく迎えてくれた。
聞けば彼らは各国からの短期留学生を何度も無償で受け入れているという。
ホストマザーは海外はおろか国内のシドニーもゴールドコーストも行ったことがないと嘆いたが「こうして海外からの学生を迎えることが私の国際交流なの」と笑う顔は晴れやかだった。
もう一度あのファミリーに逢ってお礼が言いたい。
そしてまたあの日々のように若い人たちに混じって勉強がしたい。
齢を重ねるほどに知らないことが多すぎる現実に愕然として、もっと学びたい自分に気づいたのだ。
学生時代は居眠りばかりで決して優等生ではなかった私なのに……。
いっぽうで「今さらそんなことをしてどうするの」ともう一人の私の声がする。
でも1度きりの人生だ。子育ても卒業、夫も家事を覚えてくれたのだから、もう自分のためだけに時間を使ってもいいだろう。
「いつかまた行きたい」と言っているうちは「いつか」は永遠にやってこないと聞く。
70歳まであと3年。それまでに少しでもお金を貯めて計画を練ろう。
そう思うだけでなんだかワクワクして眠れない。
ああ、私はまだやりたいことだらけじゃないか。
小箱を開けてみたら、とんでもなく欲張りな自分に気がついた。
 
もし、あと何年もないとしたら、ほかに私は何をしたいだろう。
そんなことを考えながらこれを書いていると、洗濯物をたたみながら突然夫が言った。
「なあせっかくここまで書いてきたんだから、本を出してみたら? お前の書く文章、オレは好きだよ」
天狼院書店でライティング・ゼミを学び始めてから約4年が過ぎた。
今回のゼミでは毎週約5,000字の文章を書き提出するというチャレンジをしているが、
夫にはいつも提出する前の原稿を読んでもらっている。
「オレは一番のファンだからさ、本になったら嬉しいなと思ってさ……」
照れくさそうに言う夫。
時には手厳しい批評もする彼がそんな事を思っていたとは、驚くと同時に嬉しかった。
理解ある夫にあらためて感謝しながら、「本を出す」という新しい目標も悪くないと思った。
それがエッセイなのかフィクションなのか、紙の本かKindle出版か自費出版か……何もかも漠然としているが、たとえひとりでも私の声が届けられたらそれでいいのではと思えた。
書くことは、誰かのためでもあるけれど、たぶん一番は自分のためだ。
書くことで私は、自分の人生を自分の言葉で確かめたいのだと思う。
 
小学校以来作文なんて書いたこともなかった私が、面白くて実践的なゼミのお蔭でどうにかこうにか書けるようになった。
毎週課題を提出するためのヒントを得るため、本を読んだり時には映画を観たりする。
ただ漠然と読んだり観ていた頃と違って、深く味わえるようになった気がする。
そして書くことは時々苦しくて放り出したくなる日もあるが、やはり書かずにはいられない。書くことがすっかり生活の一部となっている。
「本を出す」。
この目標を掲げただけで、毎週の課題提出も夢に向けての小さな一歩だと思えてきた。
 
そして先日私はとてもエネルギッシュな80代の女性、RuRuさんと知り合うことができた。
彼女は現役帽子デザイナーで過去には忌野清志郎の衣装も手がけていたという。
カーリーヘアに極彩色の毛糸で編んだベレー帽をかぶり、大きなトンボメガネの彼女は
とても自由で優しさに溢れていて、いっぺんでファンになった。
彼女を見ていたら、私の中でムクムクと忘れていたファッション好きの血が騒ぎ出した。
実は幼い時から「服」が大好きでいつかその世界へと思っていたが、ついぞ夢と終わりそうだと諦めていたのだ。
そんな時Instagramで週末だけ自宅ガレージで「ワンピース屋」を開く女性を知った。
色とりどりの古着のワンピースが並ぶショップ。
娘に連れられゆっくりと歩いてきた80代の女性がピンク色のワンピースを試着して「私ピンクが好きだったの」とフワリと回ってみせたのには感動した。
女性にとってファッションは元気をくれる魔法の杖。
歳をとったって明るい色を着て笑って過ごす方がきっと健康にもいいに違いない。
たとえば週末だけ知人のレンタルスペースを借り、ワンピース屋を開くのならできるかも。
古着のワンピースを集めて、手作りの値札をつけて……。
スタッフは私ひとり。儲けようとか、これで成功しようとかではない。
RuRuさんのような自由さで気儘に店を開く。
そんな店はこの湘南にとても似合う気がする。
 
今日たまたま電車内の中吊り広告に素敵な言葉を見つけた。
「自分らしさに縛られるな いつでもなりたい自分を目指せばいい」とあった。
生きていると時々これは私に向けて言っているんじゃないか、という言葉に出くわすことがある。セレンディピティとでも言うのだろうか。
タイミングがずれていたなら何も心に残らないであろう言葉が、突然ピカッと目に飛び込んでくる。これはまさに、そんな言葉だ。
自分が求めているからその言葉に引き寄せられるのかもしれないが、神の啓示のようにも感じてしまう。
女らしく、主婦らしく、母親らしく、60代らしく、自分らしく……。
もうそんな足かせは取り払って、私はなりたい自分を目指したい。
あの夜から1%の不安が私を揺らしたけれど、それは心の奥にある引き出しを開けるための鍵だったのかもしれない。
 
今日、去年の暮れに買った手帳をあらためて眺めてみた。
「週末野心手帳」このタイトルに惹かれて買ったのにまだスケジュールしか記入していなかった。
自己分析マップ、1年後の目標、やりたいことリスト100……。
まずはこれを埋めることから始めてみようか。
遅すぎる私の“週末野心”さて、どこから始めよう?
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
本と書店が好きすぎて、とあるブックカフェで働く。
マダム・ジュバンの由来は夫からの「肉襦袢着てるから寒くないよね」というディスリから命名。春になってもジュバンが脱げない60代。

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2025-04-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.306

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