手が覚えた暮らし《週刊READING LIFE Vol.307 そんなつもりじゃなかったのに。》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/5/5/公開
記事:大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「そんなつもりじゃなかったのに」
まさか、自分が味噌や梅干しを手づくりするような人間になるなんて、ほんの数年前までは思いもしなかった。 いわゆる“丁寧な暮らし”とやらをしているように見えるかもしれない。味噌を仕込み、筍を掘って煮物にし、塩麹を作って毎日かき混ぜてみる。季節が変わるたびに、台所の景色も少しずつ変わっていく。
だけど、正直に言えば、今でも僕はなるべく手間をかけたくないと思っている。できることなら、ぱぱっと済ませて、楽して美味しいものを食べたい。 妻の悦子も、もともとはそういうタイプだった。忙しい日々の中で「時間をかけない」が当たり前の選択肢だった僕たちが、なぜこんなふうになってしまったのか。
最初のきっかけは、とある先生の梅干し作り体験教室だった。ふとした興味で参加して、作った梅干しを初めて口にした瞬間、ふたりして「……なにこれ、うまっ」と顔を見合わせた。 一粒一粒が、塩の角が丸くなって、しっとりと舌に溶けていく。しょっぱいのに、なんだか優しい。それは味だけの話ではなくて、心にまで沁みてくるような、そんな味だった。
思えば、その梅干しを作るまでの過程も、やたらと手がかかっていた。 梅を拭き、塩をまぶして瓶に仕込み、2週間ほど経つとじわじわと梅酢が上がってくる。そこにあく抜きした赤しそを加え、さらに寝かせて、晴天が3日間続くタイミングでようやく天日干し。 途中、雨が降りそうになれば、大急ぎで取り込んだりもする。干し中に外出なんてしていたら、空模様ばかりが気になって、気もそぞろ。
面倒くさい。ほんとうに、面倒くさい。 でも、それでも—— ドアを開けたときにふわっと漂ってくる、あの梅の香りに、思わず足を止めてしまう。 「ああ、今年もこの香りがやってきたな」 気づけば、なんだか少しだけ嬉しい気持ちになっていたりする。
僕は今でも「やらなきゃ」と思ってやっているわけではない。 だけど気づけば、梅の収穫の時期には自然と台所の空き瓶を数えていたり、梅干しの赤しそが店頭に並び始める頃には、悦子と「今年も赤しそ畑でできそう?」なんて会話が生まれていたりする。
そんな悦子は、目の前の現状を素直に言葉にする人だ。「あ、いい匂いがしてきた」と小さく鼻を動かしたり、少し前かがみになって梅の実を覗き込み、眉をひそめて「ちょっと下の方が熟しすぎてきてるかも」と真剣な表情で言ったり。小さな気づきを言葉にしてくれる。そのひと言で、僕の目も手も自然とその場に向かっていく。彼女が口にする言葉は、どこか温度があって、こちらの感覚を呼び覚ましてくれる。
そんなふうにして、気づけば我が家では、梅干しや塩麹の瓶が、キッチンの棚にずらりと並ぶようになった。 そして最近のお気に入りは、うちで漬けた梅干しを使った「梅からあげ」だ。 つくり方は驚くほどシンプル。 鶏肉に、種を取ってたたいた梅干しの実を混ぜて、あとは粉をまぶして揚げるだけ。 それだけなのに、鶏肉のジューシーさに、きりりとした梅干しの塩気と酸味がふわっと広がってくる。まるで口の中に初夏の風が吹いたような、そんな清々しい一品だ。
うちで漬ける梅干しは、いわゆる昔ながらの「しょっぱくて酸っぱい」やつだ。 おにぎりに入れたら、食べるたびに顔がきゅっとすぼまるくらい。でも、このからあげにすると、その酸っぱさがなんとも言えないアクセントになる。 きっと、市販の甘くてまろやかな梅干しでは、こんな味にはならないだろう。 梅の強さが、揚げ物のコクとちょうどいい具合にせめぎ合って、最後にはすっと引いていく。あれは、我が家の梅干しだからこそ出せる味だと思う。
悦子も僕も、別に“料理好き”というわけじゃない。ただ、たぶん共通しているのは、「美味しいものを食べたい」という気持ち。 外食も好きだし、新しいお店に行くのも楽しい。でも、どこかの誰かがつくった料理を口にするのと、自分たちの手でつくった調味料で仕立てたごはんを食べるのとでは、やっぱりどこか、身体のなじみ方が違う気がする。
味噌もそうだ。 塩麹をつくったとき、余った麹をなんとか使いきれないかと、軽い気持ちで始めた味噌づくり。……それが思った以上に、面倒くさかった。 大豆を一晩水につけて、柔らかくなるまで炊いて、すりつぶして、麹と混ぜて、空気を抜いて、寝かせて……。 「これ、ほんとに食べられるの?」と不安になりながら正月に仕込んだ味噌は、春夏を越して次の正月を迎えるころには、すっかり味噌の香りをまとい、立派に“味噌汁の主役”になっていた。
食べてみたら驚くほど美味しくて、しかも一年分くらいの味噌がどっさりできた。 もう市販の味噌には戻れない——なんて言ったら、大げさに聞こえるかもしれない。でもそれは、時間が、手が、想いが、味に宿っているからなんだと思う。
実際、僕たちは“ていねいな暮らし”をしようとして始めたわけじゃない。 やめようと思えば、いつでもやめられる。でも、なぜかやめるきっかけがない。
今年もまた、梅の季節がやってきて、瓶を煮沸して、手を動かしている。 「やらなきゃ」と思っているわけではないのに、気づけばまた手が動いている。
毎年同じような手順なのに、まったく同じにはならない。 梅の出来具合、気温、雨の降り方、僕たちの体調。ひとつとして同じ年はない。
2023年は梅がたくさん採れて、しかも粒が大きかった。肉厚で、漬け上がりもふっくらしていて、本当に贅沢な味になった。 でも、2024年は不作だった。去年の豊作が嘘みたいに、なかなか梅が実らなかった。 それでも、少ない収穫を大事に手をかけて作ったぶん、愛着もひとしおだった。 出来上がった梅干しは小ぶりだけれど、噛みしめるたびに「今年の味だね」と悦子と顔を見合わせた。
そんなふうにして、季節ごとに、僕たちの手と会話はまた台所に戻ってくる。 先日も、ふたりで夕飯のあとに茶碗を片付けながら、ふとこんな会話になった。
「なんでこんなことやってるんだろうね」と悦子が言った。 「なかなか丁寧な暮らしだよね」と僕。 悦子は笑いながら、「一人だったら絶対やってないよ」と答えた。 「だね、俺も一人だったら絶対やらない。でも、二人だから続けられるって、不思議だよね」 そう言ったら、悦子はまたくすっと笑った。
そう、これは“誰かと一緒に暮らしているから続けられる暮らし”なのだ。 季節に合わせて、香りと手触りを確かめながら、台所に立ち、味噌を仕込み、梅を干し、塩麹の瓶をのぞく。 面倒だとぼやきながら、でも、どこかで楽しんでいる自分たちがいる。
「そんなつもりじゃなかったのに」と笑いながら、 気づけば、僕たちの手はこの暮らしをすっかり覚えてしまっている。
きっとこの先、ライフスタイルが変わったり、忙しくて仕込めない年があったりするかもしれない。 それでもまた、梅の香りが漂ってきたとき、ふと「ああ、あの味が恋しいな」と思うのだろう。 手間をかけた時間ごと、あの味は僕たちの中に残っていく。 季節が巡るたび、また手が思い出す。 僕たちがふたりで築いてきた、このちょっと不器用で、でもあたたかな手仕事の記憶を。
□ライターズプロフィール
大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
神奈川県藤沢市出身。理学療法士。RYT200ヨガインストラクター。2002年に理学療法士免許を取得後、一般病院に3年、整形外科クリニックに7年勤務する。その傍ら、介護保険施設、デイサービス、訪問看護ステーションなどのリハビリに従事。下は3歳から上は107歳まで、のべ40,000人のリハビリを担当する。その後2015年に起業し、整体、パーソナルトレーニング、ワークショップ、ウォーキングレッスンを提供。1日平均10,000歩以上歩くことを継続し、リハビリで得た知識と、実際に自分が歩いて得た実践を融合して、「100歳まで歩けるカラダ習慣」をコンセプトに「歩くことで人生が変わるクリエイティブウォーキング」を提供している。
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