週刊READING LIFE vol.311

“聞く”仕事、“話せなかった”後悔《週刊READING LIFE Vol.311 あの日の沈黙》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2025/6/19/公開
記事:内山遼太(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
「Sさんが亡くなりました」
 
ナースからの報告は、あまりにも唐突だった。前日、いつも通りリハビリを終えたばかりの患者だった。特に大きな異常があったわけでもない。でも思い返すと、ほんの少し、違和感があった。その違和感に気づいていながら、私は何も言わずに沈黙した。そして、それが最後になってしまった。
 
「沈黙」という言葉が、こんなにも重く感じられるとは思わなかった。
 
 
 
Sさんは70代後半の元大工だった。長年現場で培った職人肌の手は、病気で思うように動かなくなっても、まだ力強さを残していた。
 
初対面の時、私が作業療法士として自己紹介すると、「どうせリハビリしても治らんよ」と小さくぼやいた。その言葉に諦めと現実を受け入れる潔さが混在していて、私は何と返していいかわからなかった。
 
でも不思議なことに、Sさんは作業療法の時間になると必ず現れた。木工作業では慣れた手つきでノミを握り、折り紙では意外に器用に鶴を折っていた。
 
私が話しかけても「うん」や「そうだね」程度の返事しかしないが、嫌がっている様子はなかった。むしろ、無理に会話を続けようとする私の方が空回りしているようだった。
 
ある時、私は話しかけることをやめて、ただ静かに寄り添うことにした。Sさんの手元を見守り、必要な時だけ声をかける。すると不思議なことに、時折彼の方から話しかけてくるようになった。
 
「昔はこんなもん、朝飯前だったんだがなあ」
 
木片を削りながら、ぽつりと呟く。その声には懐かしさと寂しさが入り混じっていた。
 
「孫が小学校に上がったって聞いてな。ランドセル、俺が作ってやりたかったよ」
 
時には家族の話もしてくれた。息子や嫁との関係、まだ小さな孫のこと。多くを語らない彼だったが、その短い言葉の中に長い人生が込められていることを、私は次第に理解するようになった。
 
「まあ、若いのにようやっとるよ」
 
ある日、作業を終えた後で彼が言った。それは数少ない、私への褒め言葉だった。無愛想に見えて、実は周りのことをよく見ている人なのだと思った。私たちの間には、言葉では表現しきれない信頼関係が静かに築かれていた。
 
 
 
その日は、いつもと少し違っていた。
 
Sさんが作業療法室に現れた時、なんとなく足取りが重く見えた。いつものように木工作業台に座っても、なかなか手を動かそうとしない。普段なら迷いなく道具を手に取るのに、その日は何度も手を止めては考え込んでいた。
 
「今日は調子悪いですか?」
 
そう聞きかけて、私は言葉を飲み込んだ。病院には他にも多くの患者さんがいて、午後からは別の業務も控えていた。それに、単に疲れているだけかもしれない。年配の方なら、体調に波があるのは当然のことだ。そんな風に自分に言い聞かせて、私は様子を見ることにした。
 
作業中、Sさんは何度か私の方を見た。まるで何か言いたそうな表情をしていたが、私は忙しさにかまけて、その視線に気づかないふりをしていた。というより、気づいてはいたが、どう対応していいかわからなかった。
 
リハビリの時間が終わりに近づくと、Sさんは普段よりも早く道具を片付け始めた。いつもなら最後まで粘り強く作業を続けるのに、その日は明らかに集中力を欠いていた。
 
「それじゃあ、また明日」
 
私がいつものように声をかけると、Sさんは小さく頷いた。でも立ち上がりかけて、振り返った。その目は真っ直ぐに私を見つめていて、何か伝えたいことがあるような、でも言葉にできないような、複雑な表情をしていた。
 
私はその視線から目を逸らした。
 
理由はわからない。忙しさもあったし、何を言われるかわからない不安もあった。もしかしたら、体調の不安を訴えられて、自分では対応しきれないことを相談されるかもしれない。そんな責任を負いたくない気持ちもあったのかもしれない。
 
結局、私たちは何も言葉を交わすことなく別れた。
 
Sさんは最後にもう一度私を見てから、静かに作業療法室を出て行った。その後ろ姿が、いつもより小さく見えたのは気のせいだったのだろうか。
 
 
 
翌朝、病院に着くとすぐにナースステーションに呼ばれた。
 
「Sさん、昨夜お亡くなりになりました」
 
看護師長の言葉が、頭の中で何度も反響した。夜中に容体が急変し、家族が駆けつける前に息を引き取ったという。
 
病室に向かった。もうそこにSさんはいなかった。
 
きれいに整えられたベッドが、彼がいた証拠を全て消し去っているようだった。昨日まで確かにそこにいた人が、もうこの世界にいない。そんな当たり前のことが、どうしても実感できなかった。
 
家族の方々にお悔やみを申し上げた時、息子さんが言った。
 
「父は先生のことを、よく話していたんです。『あの若い先生は、俺の気持ちをわかってくれる』って」
 
その言葉が胸に突き刺さった。私は彼の気持ちをわかっていただろうか。昨日、最後に彼が私を見つめた時、何を伝えようとしていたのだろうか。
 
「ありがとうございました」という家族の言葉が、どれほど重いものなのか、その時初めて理解した。私は感謝されるようなことを、本当にしてきただろうか。
 
ナースステーションに戻ると、夜勤の看護師がSさんの最期について教えてくれた。
 
「最期まで意識ははっきりしていました。『明日、先生に会えるかな』って呟いていましたよ」
 
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で静かに何かが崩れ落ちる音がした。背筋を伝うような冷たい震えとともに、後悔だけが確かにそこにあった。
 
あの時、声をかけていたら何か変わっただろうか。
 
体調の変化に気づいて、適切な対応ができていたら、もう少し時間を作ることができただろうか。
 
「話す」ことを職業にしていながら、なぜ最も大切な時に声をかけることができなかったのだろうか。
 
頭の中で、「あの沈黙」が何度も繰り返される。Sさんの視線、言いたそうな表情、私が目を逸らした瞬間。全てが鮮明に蘇ってくる。映画のワンシーンのように、あの瞬間だけが止まったまま、私の記憶に焼き付いている。
 
私は作業療法士として、多くの患者さんと関わってきた。でも、こんなにも後悔したことはなかった。
 
技術的な失敗なら改善することができる。でも、その時しかない瞬間、二度と戻らない時間を無駄にしてしまった後悔は、どうやって償えばいいのだろうか。
 
 
 
それから数日間、私は仕事に集中できなかった。他の患者さんと接していても、Sさんのことが頭から離れない。
 
特に、無口な患者さんと向き合う時、あの日の記憶がフラッシュバックのようによみがえった。
 
でも、少しずつ気づいたことがある。それ以来、私はどんなに些細な変化にも声をかけるようになった。患者さんの表情が少しでも違って見えたら、必ず話しかける。忙しいことを理由に、その場を素通りすることはしなくなった。
 
「今日はどうですか?」「何か気になることはありませんか?」「話したいことがあったら、いつでも声をかけてくださいね」
 
最初はぎこちなかった。相手にとって迷惑かもしれないと思うこともあった。
 
でも、患者さんたちの反応は予想以上に温かかった。
 
「先生、実は昨日から少し痛みがあって」「家族のことで心配なことがあるんです」「今日は朝から気分が沈んでいて」
 
多くの患者さんが、実は何かを抱えていることがわかった。そして、誰かに話を聞いてもらいたいと思っていることも。
 
ある日、新しく入院してきた患者さんが言った。
 
「先生は話しやすいですね。何でも聞いてくれそうで」
 
その言葉を聞いて、私はSさんのことを思い出した。もしかしたら、彼も誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。体の不調のことか、家族への思いか、それとも死への不安だったのか。答えは永遠にわからないが、少なくとも私に何かを伝えようとしていたことは確かだった。
 
「うまく言えないこと」も、「何も言わないこと」も、人にはそれぞれ意味がある。でも、それを受け取る側が気づかなければ、その意味は失われてしまう。Sさんは最後に、私に「沈黙の重み」を教えてくれたのかもしれない。
 
沈黙には、様々な種類がある。安らかな沈黙、緊張した沈黙、悲しい沈黙、そして何かを伝えたい沈黙。作業療法士として、患者さんの言葉だけでなく、沈黙にも耳を傾ける必要があることを、私はSさんから学んだ。
 
だから私は、今日も誰かに声をかける。小さな変化を見逃さないように、沈黙の意味を読み取れるように。あの日の沈黙を、無駄にしないために。
 
Sさんとの最後の沈黙は、確かに辛い記憶だ。でも、その記憶があるからこそ、今の私がある。彼が教えてくれた「沈黙の重み」を胸に、これからも多くの患者さんと向き合っていきたい。
 
声をかけるということは、相手の存在を認めるということ。そして、一人ひとりの人生に敬意を払うということ。Sさんは静かに、でも確実に、私にその大切さを教えてくれた。
 
あの日の沈黙は、もう取り戻すことはできない。でも、その沈黙から学んだことを、これからの出会いに活かしていくことはできる。それが、Sさんへの一番の供養になるのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
内山遼太(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
小学生時代、鹿島アントラーズで不屈のプレイをする選手たちに見せられて、自分もそんな人間になりたいと思いながら、少年時代を過ごす。高校生になり、選手たちのような不屈の精神を持った人たちを裏から支える仕事をしたいと考え、作業療法士の道を志すようになる。大学卒業後は、終末期の病院で神経難病の患者さんを中心にリハビリの経験を積み、現在はデイサービスで生活期の高齢者を中心に、予防医学のリハビリを提供している。また、その傍らで新人療法士向けのセミナースタッフや講師も行なっている。

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2025-06-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.311

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