「それ、職業病だよね?」がちょっと誇らしい話《週刊READING LIFE Vol.313》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/7/3/公開
記事:内山遼太(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
「あ、この選手、左足をかばってるな」
日曜日の夕方、リビングでサッカー中継を見ていた私は、思わずつぶやいた。画面に映るフォワードの選手が、ドリブルの際に微妙に右足重心になっているのが気になったのだ。シュートのフォームも、いつもより体の軸がぶれている。
「またやってる」と、隣でお茶を飲んでいた妻が苦笑いを浮かべた。
僕は作業療法士——病気や障害を抱える人の生活動作を支援する専門職として、患者さんの動作を観察し、分析することが日常だ。歩行パターン、立ち上がり動作、物の持ち方——それらすべてに、その人の身体機能や心理状態が表れる。職業上、人の動きを見る目は自然と鍛えられてきた。
しかし、それが休日のサッカー観戦にまで影響するとは思わなかった。選手の走り方、ジャンプの仕方、ボールを蹴る瞬間の体の傾き。無意識のうちに、私は「評価」の目で画面を見つめていた。
そこでハッとした。これは、職業病だ。
作業療法士としての視点は、仕事を離れても簡単にはオフにならない。友人と街を歩いていると、すれ違う人の歩行パターンが気になってしまう。カフェで隣に座った人がカップを持つ手の動きに目がいく。家族が階段を上る姿を見て、「もう少し手すりを使った方がいいのに」などと心配になる。
先日も、会社の同僚と食事をしていた際、その人が箸を持つ手に違和感を覚えた。微妙に手首の角度が不自然で、「腱鞘炎の兆候があるかも」などと勝手に心配している自分がいた。手首の炎症は、こうした小さな動作の変化から始まることが多いからだ。
もちろん、これらの観察が役に立つこともある。友人の母親が「最近、歩くのがつらそう」と相談してきた時、具体的なアドバイスができた。家族の体調の変化にも早めに気づける。しかし、常に「分析モード」でいるのは、正直なところ疲れることもある。
純粋に楽しみたい時でさえ、職業的な視点が割り込んでくる。それでも、この「職業病」を止めることはできない。まるで、一度身についた癖のように、自然と発動してしまうのだ。
この「職業病」は、医療職に限った話ではないだろう。世の中には、様々な職業特有の「見る目」があるはずだ。
校正者の友人は、電車内の中吊り広告を見るたびに誤字脱字を探してしまうと言っていた。「『必ず』の『ず』ではなく、『づ』になっている」「この敬語の使い方、間違ってる」——休憩時間のはずなのに、職業的な目が勝手に働いてしまう。
長年接客業をしている知人は、レストランやショップでの店員の対応が気になって仕方がないという。「この声のトーンだと、お客さんに威圧感を与えるかも」「もう少し相手の目を見て話した方がいい」——客として楽しく過ごしたいのに、つい「指導」の目線になってしまう。
あなたにも、きっと何かしらの「職業の眼差し」があるのではないだろうか。
営業職の先輩は、日常会話でも無意識に相手の「YES」を引き出そうとしてしまうと苦笑いしていた。「今日は天気がいいですね」という何気ない会話でさえ、相手が同意しやすいように話を組み立ててしまう。家族からは「営業トークはやめて」と言われることもあるそうだ。
建築士の同級生は、街を歩くたびに建物の構造や設計に目がいく。「この柱の配置、もう少し工夫できたのに」「この階段の幅、建築基準法的にはOKだけど、高齢者には使いにくそう」——観光地を訪れても、景色よりも建物に注目してしまう。
料理人の義兄は、他人が作った料理を食べる時、材料や調理法を推測してしまう。「この肉の焼き加減、もう30秒長くても良かったかな」「隠し味に何を使ってるんだろう」——グルメとして楽しむはずの食事が、いつの間にか研究対象になってしまう。
私たちは皆、どこかで仕事のフィルターを通して世界を見ている。長年続けてきた職業の視点は、もはや自分の一部となり、オンとオフを切り替えることなど不可能なのかもしれない。それは時として煩わしく感じられるが、同時に、その人の専門性を物語る証でもある。
「職業病」と聞くと、どこか「悪いクセ」のように捉えられがちだ。しかし、考えてみれば、それは単なるクセではなく、その人が長年培ってきた専門的な「眼差し」の表れなのではないだろうか。
僕がサッカー観戦で選手の動作を分析してしまうのは、確かに職業病かもしれない。しかし、その目は患者さんの小さな変化を見逃さないために鍛えられたものだ。歩行パターンのわずかな変化から、転倒リスクを予測する。手の動きの微細な変化から、回復の兆しを読み取る。この「見る力」があるからこそ、患者さんの支援ができる。
校正者の友人が広告の誤字を見つけてしまうのも、読者に正確な情報を届けるために培われた能力だ。接客業の知人が他の店員の対応を評価してしまうのも、お客様に最高のサービスを提供するための感性が磨かれた結果だ。
営業職の先輩の「YES」を引き出す会話術も、顧客との信頼関係を築くスキル。建築士の同級生の建物への着眼点も、安全で快適な空間を設計する専門性。料理人の義兄の味覚分析も、美味しい料理を作り出すための探究心。
これらの「職業病」は、その人がプロフェッショナルである証拠でもある。専門性が高ければ高いほど、その視点は日常生活にも浸透していく。それは避けられないことであり、むしろ誇るべきことなのかもしれない。
実際、僕の「職業病」が功を奏することもある。先日のサッカー観戦では、僕が「調子が悪そう」と感じていた選手が、後半開始早々に交代した。スタジアムにどよめきが起こり、解説者が「どうやら左足首に違和感があったようです」と言及した瞬間、「やっぱり」という小さな達成感があった。職業的な目が、純粋なサッカー観戦をより深い体験にしてくれたのだ。
もちろん、時には意識的にその視点を手放すことも必要だろう。完全にオフにはできなくても、「今は仕事を忘れて楽しもう」と自分に言い聞かせることはできる。しかし、完全に消し去る必要はないのではないか。その「職業の眼差し」こそが、私たちのアイデンティティの一部なのだから。
振り返ってみると、人生の多くの時間を捧げてきた仕事は、僕たちの見方、考え方、感じ方のすべてに影響を与えている。作業療法士である僕は、人の動作に着目する。それは単なる職業病ではなく、僕という人間の一部だ。
同様に、校正者の友人は文字に敏感で、接客業の知人は人の感情に敏感で、営業職の先輩はコミュニケーションに長けている。それぞれが、職業を通じて独特の「色」を身につけているのだ。
この「職業の色」は、時として僕たちを疲れさせることもある。しかし、それがあるからこそ、世の中は多様な専門性によって支えられている。医療、教育、建築、料理、芸術——あらゆる分野で、プロフェッショナルたちがそれぞれの「眼差し」を持って社会に貢献している。
僕がサッカー観戦で選手の動作を分析してしまうのも、その延長線上にある。もしかすると、それは職業病というよりも、「職業への愛」の表れなのかもしれない。自分の専門分野に対する深い関心と愛情があるからこそ、オフの時間でも無意識にその視点が働いてしまうのではないだろうか。
僕は今日も、画面の向こうの選手をそっと「観察」してしまうだろう。彼らの走り方、跳び方、ボールを扱う時の体の使い方——それらすべてが、僕にとっては興味深い研究対象だ。
この「職業病」が治ることはないだろう。そして、それで良いのだと思う。なぜなら、この視点があるからこそ、僕は作業療法士として患者さんの支援ができるからだ。専門性を磨き続けてきた証として、この「見る目」は僕の宝物でもある。
職業病は、決して恥ずかしいものではない。それは、その人が真摯に仕事と向き合ってきた証拠だ。長年の経験によって培われた専門的な視点は、社会にとって貴重な財産でもある。
僕たちは皆、何らかの「職業病」を抱えている。それを「悪いクセ」として隠すのではなく、「専門性の表れ」として受け入れることができれば、もう少し自分に優しくなれるのではないだろうか。
——あなたの「職業病」は、何ですか? それは、あなたが日々、真剣に働いているという、ささやかな証かもしれません。
□ライターズプロフィール
内山遼太(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
小学生時代、鹿島アントラーズで不屈のプレイをする選手たちに見せられて、自分もそんな人間になりたいと思いながら、少年時代を過ごす。高校生になり、選手たちのような不屈の精神を持った人たちを裏から支える仕事をしたいと考え、作業療法士の道を志すようになる。大学卒業後は、終末期の病院で神経難病の患者さんを中心にリハビリの経験を積み、現在はデイサービスで生活期の高齢者を中心に、予防医学のリハビリを提供している。また、その傍らで新人療法士向けのセミナースタッフや講師も行なっている。
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