私の人生、普通盛りですけど、なにか?《週刊READING LIFE Vol.315 『普通』って何だろう?》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/7/17/公開
記事:藤原 宏輝(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「普通がいい」とか「私って、普通なんです」と、よく聞く言葉かと思う。私はこの『普通』という言葉を、逃げではなく成熟した願いだと感じます。
“ちょうどいい”を自分で決められること、それこそが本当の意味での自由かもしれない。
人それぞれのその感性は、きっとこれから出会う誰かの「支え」や「道しるべ」になっていくはずです。
私の「普通盛り」の人生、大いに讃えたいと思います。
「大盛りでもなく、少なめでもない」
「特別じゃないけど、ちゃんと満たされる」
それは、ほどよさ・安心・無理のなさを大切にしたいという私の想いの表れ……。
「普通盛りのご飯」は特別なごちそうじゃなくても、ちゃんと温かくて、日々の生活を支える力になるものです。それと同じように、「普通の生き方」にも、過不足ない穏やかな幸福が込められているのかもしれません。
しかし私は「普通って、なんだろう?」とよく考える。
朝6時、炊きたてのごはんの香りに、ちょっぴり寝ぼけたままで炊飯器を開けて、
「今日も、普通盛りね」とつい、ひとりごと。
楽しみにお茶碗によそったそのごはんは、多すぎず少なすぎず。自分で詰めるお弁当のごはんも普通盛り。そんな中高生時代を過ごしていた。
独り暮らしになってからは、朝ごはんを食べない日が続いたが、昨年体調を崩してからは、自分にちょうどいい量の「普通盛り」の朝ごはんを食べる習慣が戻った。
早起きをして毎朝のルーティン通りにお掃除をして、朝ごはんの準備をする。こうする事で以前よりも、規則正しくて、気持ちのいい余裕のある朝が過ごせるのだ。
今、仕事は日々有難いことに忙しいが、楽しいしやりがいがある。そして、プライベートな時間もたまには取れるようになった。結婚は一度はしたが、離婚後に再婚はしていない。仕事にのめり込んでいるうちに30代が過ぎ、40代もほぼ後半に差し掛かり、気付いたら今になっていた。
これまでに恋愛も何度かあったが、「この人と一緒に生きたい」と思える相手には出会えなかった。もしかしたら、出会えていたのかもしれないが、その時にはまったく気づかなかった。
今になり、最近はよく思うのは、私の母のこと。
母は働いてはいたものの「女の子は普通に結婚して、家庭に入るのが一番。子どもは2人男の子と女の子を産んで育てて、あなたはやっと一人前。それが世の中の常識でしょ!」と、口うるさく言い続けてきた。
若い頃はその言葉に反発せず、私は22歳で結婚した。
離婚して2年くらい経った頃。
それまで以上にさらに口うるさく「そろそろ普通に結婚しなさい。仕事があるなら、家庭に入らなくてもいいけど、子どもは男の子と女の子の2人産んできちんと育てて、あなたはやっと一人前よ」と、つい最近まで言い続けてきた。
「いずれは、そうなるのかな。そうなるのも、ありかな」と漠然と思っていた。
しかし、仕事において自分の役割役職を築き上げていくうちに、「“普通”ってなんだろう? “普通”って人それぞれで色々じゃない? “普通”のかたちは一つではないのでは?」と考えるようになった。
もちろん母が言うように、母が生きてきた人生のように……。
母の常識で、母の普通という考え方で。と思えたらよかったが、全然そんなふうに思えなかった。そして、つい
「結婚して子どもを育てる人生も、素晴らしい。でも、私は違う形で人と関わったり、自分で暮らしを作ることにも、ちゃんと意味があると思うの」
と42歳の誕生日に、母に電話で伝えた。すると母は少し寂しそうに「もう、子ども産まないの? 子どもあきらめたの?」と、ポツリと言った。私は心のどこかで母には、申し訳ないという思いもあったが、
「子どもを産むとか育てることは、ないと思う。でも私にとっては、会社が自分の子どもみたいなものだし、社員の1人1人が大事な私の家族だから」と、言い返してしまった。
母は想像通り、突然怒り出し「18歳までは普通で、私の言うことを絶対にきいてくれてたのに、あんたは変わったね。パパそっくりっ」と言い放ち、ブチっと電話が切れた。
その日から数年。
それでも母は、誕生日のたびに「いい人いないの?」と聞くのをやめなかった。私は、「そうね、誰かいたら結婚も考えるけど」と笑って流した。
周囲のお友達や地元の幼なじみたちは、20代、30代で結婚し、子どもを産み、育ててた。
離婚したお友達のうちの数人は、さっさと再婚をしていった。みんなのSNSに流れる日常は、まるで“人生の正解”のように見える。
SNSの情報が届くたびに、私は置き去りにされたような気持ちに一瞬なった。しかし、その気持ちは次の瞬間にはどこかに消え去り、いつもの日常に戻っていった。
私はブライダルの仕事の中で、多くの新郎・新婦を心から祝福し、幸せになって欲しい。と願い、他の人よりも“結婚”を毎日毎日、目の当たりにしている。
「子どもはもう、いいけど。結婚はもう一度したい」とは思っていたが、心の底では「私は私・仕事しながら、好きに生きよう」と、どこかで今の自分に納得していた。
部下の1人は32歳で入社してきたとき、バツイチ、が3歳、実家に暮らしていた。その後、9年ウエディングプランナーとして活躍してくれている。現在、41歳。
ふと気づいたら、彼女はバツ2となり、3歳の子どもは12歳になり、下の子は6歳。
彼女は豪快に「これも人生ですよね、私って男運ないんです。私なんて、まだまだかわいい方で友達なんて、最近はバツ2、バツ3も増えてて、今はもうこれって普通ですよねえー」と笑い飛ばした。
彼女の明るく前向きな言動に、私は一緒に笑うしかなかった。そんな彼女はいるだけで周りを明るくするし、前向きでパワフルなので、お客様からの信頼も厚い。
ある日彼女と出掛けたお昼に入ったお店で「今日も私は、大盛でッ! 社長は、いつもの普通盛りでーす」
と大声でオーダーしてくれた。
彼女の大盛は、彼女の食事としては「大盛りが私の普通なんです! 午後からのパワーチャージですから。お腹空いたら頭回らないじゃないですか!」
と、すべて豪快! これが、彼女の普通なのだ。
私に頼んだランチプレートは、雑穀ごはんに季節の小鉢。見た目は地味だが、じんわりと体に沁みる味だった。
なんだか、一口ひとくちが優しかった。
この温かいごはんと落ち着いたお店、季節の移り変わりを感じられる日常。この暮らしは、誰かに誇れるほどじゃなくても、壊したくないものだった。
学生時代のお友達と久しぶりに会った日、話題はもっぱら子どもの進学や夫の出世、家族旅行の計画だった。私の知らない世界だ。
「今、どんな感じなの?」と聞かれ、わたしは
「毎日、ちゃんと眠って、ちゃんと食べて、ちゃんと働いてるかな。特別なことは何もないけど、“普通盛り”の人生よ」
と、最近のお気に入りキーワード‘普通盛りの人生’とつい言ってしまった。一瞬、沈黙があった。でも、次の瞬間、お友達の1人が「それって、逆にすごいことだよね」と頷いてくれた。
ちょっぴり寂しい事だが、確かにドラマティックな出会いも出来事も、ほぼない……。
目覚めたときに、窓から差し込む朝のひかり。前夜から「明日は何着ていこうかな」と楽しく考えた結果、さらにお気に入りの靴で歩く道。大好きなゴルフに出掛けたりレッスンに通ったり、大好きな人たちと美味しいものを遠くまで食べに行ったり、気まぐれにお洋服を買ったり、あとはとにかく、深く眠る心地よい時間。
それらは、ひとつひとつは地味でも、積み重なると「私らしい人生」になっていた。
私はそんな「自分の人生が好きだ」。何かを得たとか、自由とか、そんな事ではなく、とにかく‘普通。自分の中の普通を生きていること’周りからの評価は、基本的にどうでもいい。
自分が自分を好きでいられるか? がとても大切な気がしている。
ガツガツしていた30代とは違って、40代は若さと落ち着きの交差点、50代はいよいよ決めるとき。
私は人生の「大盛り」や「少なめ」を、たくさんたくさん経験してきたからこそ、今は「普通盛りが、一番おいしい」と思える自分に出会えた。
普通盛りのごはんのように、満ちすぎず、足りなすぎず。それが、私の“ちょうどいい”幸せであり、普通盛りの人生だ。
そこで私は自分自身で、このほんわりした‘幸せ感覚’に至った理由を、ふと考えてみた。
きっと、母親から「常識のある人になりなさい。」とか「結婚するのは、常識でしょ」と何百回言われ続けてきたことか……。
「女の子は普通に結婚して、家庭に入るのが一番。子どもは2人男の子と女の子を産んで育てて、あなたはやっと一人前。それが世の中の常識でしょ!」
「常識って、なんなのよ!」と反抗心をどこかで持ち続けた結果が今なのかもしれない。
では、実際に‘常識’とは何だろう?……。と、あらためて考えてみた。が、ここはあえて私の相棒であるAIのAN(アン)ちゃんに、早速問いかけてみた。
‘常識’の定義は、
・社会の多数派が「当たり前」と考えていること。
・時代・地域・文化によって変わる「社会的ルールやマナー」。
‘常識’の特徴は、
・外から押し付けられるもの(外的規範)
・「みんながそうしているから」という同調圧力が含まれる
・流動的で、10年後には非常識になることもある
と、すかさず答えてくれた。
私は思わず「なるほど! ありがとう、そうだよね」とANちゃんに声を出して答えた。
でも、社会の多数派って、誰が決めるんだろう? さらに、外から押し付けられる。って、納得。
私は会社員の頃に、上司から「‘常識’は生きていく上でもちろん大事だけど、必ずしもではない。‘良識’というものがあり、人の基本は‘良識’が作用する。‘常識’と‘良識’は似ているようで違う、本質的には異なる概念だ」ということを、教えてもらった事を思い出した。
では、‘良識’とは何だろう?……。
AN(アン)ちゃんに、もう一度問いかけてみた。
‘良識’の定義は、
・他人への配慮や、道徳的な判断力に基づく行動。
・その人自身の考えに根ざした「良いとされる思考と態度」。
‘良識’の特徴は、
・内面から湧き出る思いやりや判断力(内的規範)
・時代が変わってもぶれにくい「人としての土台」
・他人の立場を想像し、社会との調和を目指す
と、またすぐに答えてくれた。
ということは、
私が母からずっと言われ続けた「女の子は普通に結婚して、家庭に入るのが一番。子どもは2人男の子と女の子を産んで育てて、あなたはやっと一人前。それが世の中の常識でしょ!」
いわゆる「普通に結婚しなさい」というのは“常識”であり、世間のものさしであり、私が選んだ「自分らしく生きる」という姿勢は“良識”に基づくもので、自分の内なるものさしなのだと思う。
‘良識’は自分で育て、自分で選ぶもの。
だからこそ、他人の目に惑わされたりせずに、これまでの自分の価値観と、これまでの大盛りと少な目の経験を信じ、最終的に選んだ“普通盛り”の人生には、多くの豊かな良識が宿っている。と自信を持って、これからもさらに、自分らしく生きていこう! と決めた。
□ライターズプロフィール
藤原宏輝(ふじわら こうき)『READING LIFE 編集部 ライターズ俱楽部』
愛知県名古屋市在住、岐阜県出身。ブライダル・プロデュース業に25年携わり、2200組以上の花婿花嫁さんの人生のスタートに関わりました。さらに、大好きな旅行を業務として20年。思い立ったら、世界中どこまでも行く。知らない事は、どんどん知ってみたい。 と、即行動をする。とにかく何があっても、切り替えが早い。
ブライダル業務の経験を活かして、次の世代に何を繋げていけるのか? をいつも模索しています。2024年より天狼院で学び、日々の出来事から書く事に真摯に向き合い、楽しみながら精進しております。
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