この夏一番の挑戦は、“今日も来たよ”を言葉にすることだった――作業療法士が見つめた“再起動”という名の希望《週刊READING LIFE Vol,320「この夏一番の〇〇」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/8/21/公開
記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)
「作業療法士って何をする仕事?」
先日、タクシーに乗った時のことだ。運転手さんから職業を聞かれ、「作業療法士です」と答えた瞬間、車内に微妙な沈黙が流れた。バックミラー越しに見える運転手さんの表情が、困惑に変わったのがわかった。「リハビリテーションの専門職で……」と続けても、やはり伝わらない。そんな時、私はいつも思う。この仕事の本質は、言葉にするにはあまりにも深すぎるのではないか、と。
現在、私はデイサービスで働いている。毎日、様々な方々が施設に足を運ぶ。車椅子の方、杖をついて歩く方、認知症の症状を抱える方。一見すると、それぞれが異なる困難を抱えているように見える。しかし、現場で日々起こる小さな変化を見ていると、そこには共通する何かがあることに気づく。
それは、「回復」という言葉では表現しきれない、もっと根源的な変化だった。機能が向上することとも、症状が改善することとも少し違う。私がこの夏、どうしても誰かに伝えたくて「書く」という挑戦を始めた理由は、そこにあった。
以前、私は病院で働いていた。そこでは、患者さんの状態は数値で測られることが多かった。関節可動域が何度改善したか、歩行距離がどれだけ伸びたか。それらは確かに大切な指標だった。しかし、デイサービスに移って気づいたのは、数値では測れない変化の存在だった。
ある日、いつものように利用者の方々をお迎えしていた時のことだ。半年間、ほとんど無反応だった田中さん(仮名)が、突然「今日も来たよ」と小さくつぶやいた。その声は、まるで長い眠りから覚めたばかりのように、少しかすれていた。
スタッフ一同が驚いた。なぜなら、田中さんがまとまった言葉を発したのは、これが初めてだったからだ。機能的には特別な変化はなかった。歩行能力も、認知機能の検査結果も、前日と変わらなかった。しかし、確実に何かが変わっていた。
その瞬間、私の中で何かが「カチッ」と音を立てた。これは単なる機能回復ではない。もっと根本的な、人としての何かが動き出したのだ。それを私は「再起動」と名づけた。コンピューターが電源を入れ直すように、人の中にある「生きる意志」が、もう一度動き始める瞬間。それが再起動だった。
田中さんの変化は、その日から始まった。「今日も来たよ」から数日後、今度は「おはよう」と言った。一週間後には、「今日は暖かいね」と天気の話をした。
興味深いことに、田中さんの変化は言葉だけにとどまらなかった。以前は座っているだけだった手工芸の時間に、手を動かし始めた。最初は紙をちぎるだけだったが、次第に形を作るようになった。そして、ある日、小さな紙の花を作って、隣に座っていた佐藤さん(仮名)に「どうぞ」と手渡した。
佐藤さんは、その花を受け取って涙を流した。「ありがとう」と言う佐藤さんの声も、久しぶりに聞く言葉だった。
私は、この連鎖反応を目の当たりにして、再起動というものの本質を理解した。それは、一人の人が生き直そうとする意志を取り戻すとき、その波紋が周囲にも広がっていくということだった。
田中さんに何が起きたのか、医学的に説明するのは難しい。しかし、確かに私にはそれが「始まり」だとわかった。田中さんの中で、長い間止まっていた何かが再び動き始めたのだ。それは、「今日も来よう」「誰かに何かをしてあげよう」という、生きることへの積極的な意志の復活だった。
もう一つ、忘れられない出来事がある。
山田さん(仮名)は、脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺があった。デイサービスに通い始めて半年が経っても、ほとんど反応を示さなかった。家族が面会に来ても、視線を合わせることすらなかった。
スタッフの間では「難しいケースだね」という声が聞かれた。しかし、私は諦めていなかった。山田さんの目の奥に、時々、何かが光るのを見ていたからだ。
転機は、山田さんの孫娘が訪問した日だった。5歳の女の子が、山田さんの前で踊りを披露した。その瞬間、山田さんの顔がほころんだ。そして、動かないはずの右手が、小刻みに動いた。孫娘に拍手を送ろうとしていたのだ。
その日を境に、山田さんは変わった。表情が豊かになり、訓練にも積極的に参加するようになった。言葉は出なくても、目で追いかけるようになり、頷きで意思を示すようになった。
私は、この出来事から学んだ。再起動は、必ずしも内発的に起こるものではない。外からの刺激、特に愛情や関心を向けられることで、人の中に眠っていた意志が呼び覚まされることもある。
山田さんの場合、孫娘の存在が触媒となった。その小さな手が、山田さんの心の扉を開いたのだ。そして、一度扉が開かれると、そこから生きる意志が溢れ出すように復活した。
この夏、私は「再起動」という現象を言葉にしようと決めた。それは、私自身にとっても一つの挑戦だった。
なぜなら、私は文章を書くことが得意ではなかったからだ。学生時代のレポートも、業務報告書も、いつも必要最低限の内容で済ませていた。しかし、現場で起こる小さな奇跡を、どうしても誰かに伝えたかった。
書き始めてみると、不思議なことが起こった。言葉をたぐり寄せながら、私自身の中にも変化が起きていることに気づいたのだ。
毎日の業務に追われる中で、いつの間にか忘れていたことがあった。なぜ私はこの仕事を選んだのか。何を大切にしたいと思っていたのか。それらが、文章を書くことで蘇ってきた。
そして、気づいたのは、自分が「ただの職務遂行者」になりかけていたということだった。利用者の方々の再起動を支えているつもりで、実は自分自身の情熱が静かに冷めていっていたのだ。
特に印象深かったのは、最初に作業療法士を目指そうと思った瞬間を思い出したことだった。高校生の時、祖母が脳梗塞で倒れ、リハビリテーションを受けている姿を見た。その時、祖母に寄り添うセラピストの姿が、私の心に深く刻まれた。「人の可能性を信じる」という、この職業の根幹にある精神を、私は思い出した。
書くことで、私自身も再起動したのだ。忙しい日々の中で薄れていた職業への情熱が、再び点火された。それは、利用者の方々の再起動を支えるだけでなく、私自身も常に再起動し続ける存在でありたいという願いへと変わった。
では、「再起動」とは何なのか。
私なりに定義するなら、それは「もう一度、自分の人生を自分のものとして歩み始める」ことだ。諦めかけていた何かに、再び手を伸ばそうとする意志の芽生え。それは、人生をもう一度肯定する小さな決意でもある。
再起動は、劇的な変化である必要はない。田中さんの「今日も来たよ」も、山田さんの拍手も、外から見れば些細な出来事だ。しかし、その人にとっては、世界が変わるほどの大きな一歩だった。
私たち作業療法士は、この再起動を支える役割を担っている。しかし、支えるといっても、何かを強制したり、無理に動かそうとしたりするわけではない。むしろ、その人の中にある再起動の可能性を信じ、そのタイミングを待つことの方が多い。
そして、再起動が起こったとき、それを見逃さずに受け止め、さらなる歩みを支えていく。それが、私たちの仕事の本質なのだと、この夏の体験を通じて理解した。
この夏一番の挑戦は、「人の再起動」を言葉にすることだった。
書き始めた時は、うまく表現できるかどうか不安だった。しかし、言葉にしていく過程で、私自身の理解も深まった。そして、何より、この仕事への愛情が再び燃え上がった。
人の再起動は、これからも何度でも起こるだろう。私が出会う方々の中で、そして私自身の中でも。それは、時には静かに、時には劇的に起こる。しかし、どんな形であれ、それは人が生きることを諦めない限り、必ず訪れる希望の瞬間だ。
明日もまた、「来たよ」という声に出会えるように。私はまた今日も、迎えに行く。
そして、いつか誰かに「作業療法士って何をする仕事?」と聞かれたとき、こう答えよう。「人の再起動を支える仕事です」と。きっと、その答えの中に、この職業の本当の意味が込められているはずだ。
人は何度でも再起動できる。その可能性を信じ続けることが、私たちにできる最も大切なことなのかもしれない。
❏ライタープロフィール
内山遼太(READING LIFE公認ライター)
千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。
作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に
寄り添う支援を続けている。
終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。
現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。
2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。
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