私が正しい道を行くのには理由がある《週刊READING LIFE Vol.324「容易き道か正しき道か」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/9/18/公開
記事:中川 百 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「バカにしないでよ!」
そう言い放って、私は携帯電話の通話終了ボタンを押した。
そもそも、私とは付き合う気なんかなかったじゃないか、この馬鹿男!
知らない女に「可哀想」と言われるほど、私は落ちぶれてなんかいない。
大学1年生の春、私は男に騙された。
可愛いねと、大学のキャンパス内で声をかけてきたのは、運動部に所属する大学3年生の先輩だった。顔もかっこよく、女子高出身の私には見慣れない鍛え上げられた体、そして、初めて聞く本物の関西弁。どこを取っても、世間知らずの私には、魅力的に映った。
大学生になって、初めて手にした携帯電話の、まだ使い慣れていないiモードメールで、一生懸命に先輩にメールを送った。彼の部活のことや、出身地のこと、趣味のことなどを聞くうちに、どんどんと好きになっていった。こうやって、好きな人ってできていくんだな、と実感し、毎日のメールのやり取りが楽しくて仕方なかった。彼は部活が忙しく、なかなか会えない。
「会いたい。今度、うちに来てよ」
と誘われるまでには、そんなに時間はかからなかった。
今思い返せば、映画やテーマパークに遊びに行くという定番のデートをぶっ飛ばして、最初から一人暮らしの家に誘うという発言自体、やりたいだけのクズ男の証拠なのだと思うわけだが、その当時の私は無知すぎた。一人暮らしの彼の家に誘われた喜びと、これが素敵な大学生活の始まりなのだという期待に心弾ませていたのだ。ドキドキしながら訪ねた、好きな人の一人暮らしの部屋。楽しいおしゃべりをして、キスをして、初めてのセックスをして……。幸せな思い出になるはずだったんだ。
それを、あの男が台無しにした。
程なくして、地元に一時帰省した彼から、陽気なテンションで電話がかかってきた。女友達が、私のことを「可哀想だ」と言っているという。どういうことかよく聞いてみると、地元に、よく遊ぶ女友達、所謂セフレなのか、それとも、そちらが本命の“彼女”なのかは分からないが、そういう存在の女がいるらしい。私のことを話したら、「初めての相手が俺なんかで可哀想だ」と言って笑っていた、という話を、楽しそうに私に報告したのだ。
どういう話の筋で、私のことをその女に話したのかは知らないが、私の知らない所で、私の知らない女に憐みの目を向けられる筋合いはない。
彼からの報告を聞きながら、ベッドに寝そべる彼と、その横で楽しそうに私を嘲笑う女を思い描き、私はプッツーンと切れてしまった。
「バカにしないでよ!」
そういうのが精一杯だった。
真っ当で純粋な恋愛をしたかっただけなのに、何故、遊び人だと気づけなかったんだろう。何故、ノコノコと家に行ってしまったんだろう。反省してもしきれない。よりによって、男が犯したのは、私が毛嫌いしていた「二股」とか「浮気」と言われる類の行為であった。
許せない!
彼の電話には、二度と出なかったし、大学で会っても、もちろんガン無視。
それからというもの、同年代の男性を見る時は、「全員がやりたいだけの狼である」ということを肝に銘じて行動することを心に誓ったのである。
しかし、私の中に、大きな傷は残り続けた。
男が犯した「二股」とか「浮気」を毛嫌いする理由は、私の生い立ちにある。
私が2歳の頃、母は私の実父と離婚をしている。その離婚原因が、実父の浮気であった。私は双子なのだが、母が懸命に双子の面倒をみている間に、実父は外に女を作り、通っていたという。母は、実父の行動を怪しんで、実父を尾行し浮気を突き止めたというから勇ましい。離婚を切り出した後に別居し、母と私たちは親類の家に身を寄せていたようなのだが、その場所へ実父が訪ねてきても、母は、私たち双子に会わせなかったという。
その後、離婚が正式に決まり、一時期、母と私と姉の3人は、山梨県富士吉田市の市営アパートに住んでいた。その時の記憶はうっすらとある。
近くのバイパスを走る大型トラックの排気ガスのにおい。
バイパス沿いの店で買ったソフトクリーム。
アパートの二階の窓から後ろのアパートを覗くと、手を振り返してくれる女の子。
寒い冬の朝、凍った水の中で動けなくなっているミドリガメ。
深夜、止まらなくなった鼻血と、泣く母の姿。
感情を伴わない断片的な視覚と嗅覚の思い出だけが残っている。
私が4歳になる時に、母が再婚し、3人で埼玉の父の元に嫁いでくるまでは、結構な貧乏暮らしだったと思う。母は、再婚を機に、一切の実父の写真を処分したため、私と姉は実父の顔を知らない。
埼玉に来てからは、幸せを感じる事が出来た。父が、私たちを本当の娘として育ててくれたことで、私は真っ当に育つ事が出来た。勉強も運動もすることができた。
しかしやはり、実父と母が離婚する原因となった「浮気」を許すことはできなかった。
正しき道を行くために、正しき行いをする。
このことに私が異様に固執してきたのは、その所為であるだろう。
そういう私にとって、真っ当な恋愛のできないクズ男は、最低な人間なのであった。
正しい道を行きたい私は、テレビ番組の制作会社に就職してからも、そのスタンスを崩すことはなかった。私は、当時、フロアディレクターとして働いていた。フロアディレクターというのは、ディレクターが書いた構成通りに、現場を動かす仕事を全て担う人のことだ。構成内容をカメラさんや音声さん、照明さんなどの技術スタッフに説明したり、出演者に段取りを説明したり、スケジュール管理やカンペ作成、リハーサルや本番の進行などをする。
私の勤めていた会社は、“プロ”のフロアディレクターを売りにしていた。私も当時は、大小含め、年間200本以上の番組を世に出しており、プロ意識を持って働いていた。
しかし、就職して4、5年が経った頃に、お得意様のディレクターからクレームを受けてしまったのである。
就職して4、5年が経った頃と言えば、仕事も板についてきて、ある程度、自信も出てきたころだと思う。実際、毎年、年間200本以上の番組を世に出した経験則により、ディレクターが書いた台本がうまくいくか行かないか、読んだだけで大体分かるようになっていた。うまくいかないだろう部分は、より安全な方法に修正するということも、時には必要だった。
効率よく、無駄のないスケジュールで本番を成功に導くという方法は、大体の現場では好評だった。
しかし、である。
東大出身で、中年の女性ディレクターは、私の仕事が気に入らなかったという。
大規模な生中継の現場を、綿密なタイムキープと現場オペレーションで成功に導いたというのに、何が不満だというのだろうか。
理由は、「相談に乗ってくれなかったから」だった。
何それ? 弱者の戯言じゃないか。
ディレクターがモタモタしていると、現場が滞るし、生放送の時間が迫れば迫るほど、決断を迫る必要がある。時には、ディレクターに代わって、フロアディレクターが技術陣と共に決断していく場面も必要なのだ。今回の件は、まさにそれに当たり、女性ディレクターが、疎外感を感じてしまったのであろう。まったく……。
仕事ができない人は自分の力が発揮できなかった時、すぐ人の所為にする。
気にしなくていい。私は正しい仕事をしているんだ
そう思うことにした。
しかし、数年後に、自分がディレクターの立場に身を置くことになったとき、気づいてしまったのである。本番ギリギリまで悩みたい気持ちに。
ディレクターは、生放送や収録の日だけでなく、そこに向けて長い時間をかけて入念に取材や準備を進めている。だから、番組への思い入れというのは、もちろん誰よりも持っている。ただ、自分で書いた構成や台本が、本当に面白いのかどうかは、ずっと不安なままである。
ここの部分は、イラストがあった方が分かりやすいだろうか。
ここは、地元の出演者に説明してもらった方が良いだろうか。
ここで、視聴者は笑ってくれるだろうか。
ギリギリまで不安で、ギリギリまで考えて、今までで一番いい状態の放送を出したい。
だから、一番近くにいるフロアディレクターの意見を聞きたいのである。
うわっ。これか、あのディレクターが不満だったこと。
私は、ただ効率よく仕事をする正しさばかりを追い求めていたが、そうじゃなかった。
結論を急がず、ディレクターに伴走する、一緒に悩むことを楽しむゆとりが必要だったんだ。
その後の私は、ディレクターに寄り添うフロアディレクターへと変貌を遂げた。
構成の中に失敗しそうだと分かる演出が含まれていても、リハーサルでは極限まで工夫しやってみるようにした。ディレクターが納得して構成から外せるなら、その手間を厭わなくなった。話し合いにもできる限り参加した。現場を仕切る私が、番組の一番の理解者となるようにという努力を惜しまなくなった。
この方法は、正しき道ではない。
なぜなら、無駄な時間や労力を使うし、そこに関わるスタッフの拘束時間を考えると、本当はそのような寄り道は無い方が良い。しかし、正しいだけでは、人の気持ちはついてこないことも、また然りである。時に、緩さも必要なのである。
さて、月日が経ち、私は45歳。毛嫌いしていた浮気を許せるだろうか。
若い時の様に、正しさだけで物を判断しなくなり、自分の気持ちに正直に生きることへの理解は出てきたように思う。一度しかない人生だから、悔いが無いように生き抜くべきだ。
でも、やっぱり、許せないことに入るだろうな。
正しい道を行きたがる性格は、やはり根強いのである。
□ライターズプロフィール
中川 百(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
山梨生まれ埼玉育ち。専修大学法学部法律学科卒。大学卒業後、テレビの番組制作会社に就職。12年間をテレビ業界に捧げる。子育てとの両立を図るべく、大学事務職に転職。現在、埼玉県狭山市にある西武文理大学の入試広報課で大学の魅力を伝えるべく奮闘中。
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