未熟な知識《週間READING LIFE Vol.326「ドキッとする話」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/10/9 公開
記事 : 茶谷 香音 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「本読んでるの? 偉いね」
声が聞こえて顔をあげたら、目の前に友人の顔があった。
ふっと意識が現実に戻される。
よく知る定食の匂いがして、やっと今自分のいる場所が、大学の食堂であると気づいた。お昼前の授業が終わったらしい。さっきよりも随分賑やかだった。
そういえば、と思ってコーヒーを手に取ったら、すっかり冷めきっていた。
「なに読んでたの?」
「小説」
友人が一瞬戸惑ったように見えた。
あっ、と思って慌てて付け足す。
「あ、いや、『小説』っていう小説。野崎まどの」
「ああ、そういうことね。本当、偉いよね。私には読書する時間ないなぁ」
偉い。
最近、本を読んでいると、嫌というほど言われる言葉だ。
本を読むのって、偉いことなのだろうか。
面倒くさがってサークルを1か月で辞めた私が偉くなれるほど、本って素晴らしいものなのだろうか。
友人が「じゃあね」と言って立ち去ったあと、再び『小説』を開く。
物語中盤。ある一文が目に入った。
『小説を沢山読んでも、虚構をどれほど溜め込んでも、それだけでは何の価値も認められはしないのだ』
本が返事をしてくれた、気がした。
私は、なんのために本を読んでいるのだろう。
大学に入学したばかりの頃の私は、別に本は好きではなかった。幼い頃こそ本好きだったものの、高校生にもなると、趣味で読書をすることはなくなった。
読書は勉強のため。別に面白くない。
大学受験に向けて小難しい本はたくさん読んだけれど、どれも「ふーん」といった感じで、教科書を読んでいるような感覚だった。
インターネットが発達した現代。なにかを知りたければ、検索すればなんでも分かってしまう時代。
読書なんて時代遅れだ、と思っていた。
しかし、本をたくさん読むようになって気づいたのは、読書は単に新しい知識を身につけられるだけではないことだ。
本を読むというのは、散らかった箱を整理していくような営みである。
大学1年の春。
まだ高校生気分が抜けきっていない頃、ある講義がきっかけで、私は本の魅力に取り憑かれることになる。
朝一番の授業で、教室中が眠たい雰囲気に包まれたまま、講義が始まった。
教授が言った。
「今から、クイズを出します。なんとなくでも良いから、これかなと思う選択肢に手を挙げてください。いきますよ」
スクリーン上に問題文が映し出された。
質問1。現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?
A、20パーセント
B、40パーセント
C、60パーセント
質問2。世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?
A、約2倍になった
B、あまり変わっていない
C、半分になった
似たような問題が、次々と10問ほど出題された。
質問1は、20パーセントは低すぎるし、60パーセントは高すぎる気がする。ちょうど、他の授業でアフリカの女子教育が上手くいかない理由を学んだばかりだった。学校が遠すぎる、女子が教育を受けるべきという考えが浸透していない……。
間をとって、Bに手を挙げた。教室にいるほとんどの学生が、私と同じようにBに手を挙げていた。
質問2は、全く想像もつかない。さすがに減っている気がする。ただ、たった20年で「半分になった」は大げさな気がするし、貧困によって苦しんでいる人が大勢いるのは間違いない。
そう思って、またBに手を挙げた。他の学生たちもほとんどがBだった。
どの問題も、答えは知らないので、なんとなくの推測をして手を挙げた。それでもなぜか、結構自信があった。
全10問が終わり、教授は満足そうな顔をして、「では、答えを発表します」と言った。全10問分の答えが、スクリーン上に並んだ。
答え。
質問1 C、60パーセント
質問2 C、半分になった
教室中が一瞬、しんとした。全10問のうち、私が正解したのはたった1問だった。
低所得国に暮らす女子の60%は、初等教育を修了している。
世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、たった20年で半分にまで減っている。
教授が言った。
「想像していたよりも、世界は悪くないということに驚いたでしょう。
これは、『FUCTFULNESS』っていう本から引用した問題の一部です。私たちは、バイアスや思い込みによって、実際よりも世界を悪く見すぎているのではないでしょうか。飛行機が墜落したらみんな悲しむのに、極度の貧困にある人の割合が半分に減っても誰も何も言わない。それどころか、誰もそのことを知らない。そんなことを教えてくれる本です」
ドキッとした。
世界が想像よりも悪くない、という事実に驚いた。世界を悪く見てしまうという思い込みの存在も衝撃的だった。
ただ、それ以上に、自分の知識の未熟さを、突き付けられた気がしたのだ。
世の中に生活が困窮して苦しんでいる人がいることや、女子の教育が進んでいない国があることを、知識として知っていた。
一方で、そういう人たちのためにたくさんの取り組みや寄付がなされていることも、当たり前のように知っていた。
私はそれらの“知識”を、「世界には貧困や差別に苦しんでいる人がいる」というなんとも簡単な見出しをつけた箱の中に押し込めていた。知識を単純化し、その箱が揺るぎない確立された知識であるかのように、棚に収納していた。
本来、箱の中身は定期的に整理しなければならない。
過去に身に着けた知識が間違っているかもしれないし、偏っているかもしれない。時代の変化に伴ったアップデートの必要があるかもしれない。国語辞典が何度も編纂されていくように、私たちも自分の知識を更新していく必要がある。そうでなければ、「思い込み」、「時代遅れ」、「勘違い」が発生してしまう。
しかし、一度知識として箱の中に閉じ込めて棚に収納してしまうと、自ら進んでその箱を開け、中身を整理するには労力がいる。箱は一見、綺麗で正しい知識に見えるからだ。
クイズの答えを知った時、収納されていた箱が棚から落ちて、中身が散らばったような感覚を抱いた。箱が開いたのだ。
世の中には貧困で苦しんでいる人がたくさんいる。しかし、そうした問題に取り組む人たちがいて、少しずつ改善されている。授業の後で『FUCTFULNESS』を実際に読んでみたが、本によれば、「悪い」と「良くなっている」は両立するという。
私は、現状も知らず、自分で行動もしないくせに、ただ格差の大きな世の中に対して不満を抱いていた。自分カッコ悪かったな、と思った。
この日から、私は本に熱中していった。
人間である限り、世界の全てを知り尽くすことはできないし、思い込みを完全になくすこともできない。
ただ、本は、自分の知識をアップデートする機会をくれる。
本は、あらゆる出来事や視点を、充分に吟味された言葉で、しかも思いもよらない形で私に突き付ける。その度に私はドキッとして、未熟な箱の存在に気づくことができる。その箱に入った知識は本当に正しいのか、その箱についたラベルは適切なのかを、考えられる。
『FUCTFULNESS』は私の読書観を語る上で欠かせない、衝撃作であった。
しかし、私をドキッとさせるのは、必ずしもノンフィクションの本だけではない。むしろ小説のようなフィクションこそ、当たり前と信じて疑わなかったものの未熟さ突き付けて、私を驚かせてくる。
もっと言うならば、私たちが知識を更新し、未熟さから脱するためには、フィクションが不可欠である。
大学で本を読んでいると、友人に「好きな本は?」とか、「好きな作家は?」と聞かれることがある。本当に難しい質問だ。好きな本も好きな作家さんも多すぎる。
ただ、小説にハマったきっかけになったのは、町田そのこさんの『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』だった。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』。
様々な家庭環境やバックグラウンドをもつ登場人物たちが、生きづらさを抱えながらも、懸命に生きていく物語である。
ある登場人物は、幼いころに親を亡くし、親戚に育てられた。そんな彼女のセリフが、深く印象に残っている。
『自分がどこのどんな人間から生まれたか分からないって、寂しいのよ。帰りたいのに、帰る家が分からない感じ。どうやって歩いて来たんだっけって後ろを見ても、その道が見当たらない感じ』
ドキッとした。
私は、「孤独」という言葉をあまり考えずに使っていたのかもしれない。
私は今、大学で心理学を学び、子どもや親が抱える「孤独」を少しでも解消することを目指している。しかし、孤独感を抱いている子どもや親がいる、というテレビやネットの言葉をそのまま知識として取り入れただけで、その意味を理解しようとしてこなかった。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』の登場人物のセリフを目にした時、想像した。
自分が社会に出て、一人暮らしを始めたとき、家族のいる実家がなくなったらどう感じるだろう。逃げ場がないような感覚に陥るかもしれない。助けを求めたくても、どうやって助けを求めたら良いのか分からなくなるかもしれない。
生まれてからずっと実家暮らしで経験の浅い私が、「孤独」というものが指す意味を、実感を伴って理解できたように感じたのだ。
小説のなかで表現されていた「孤独」は、科学的に正確な知識ではない。共感できない人もたくさんいるはずだ。
しかし、フィクションのなかでの「孤独」の表現や、そこから自分で想像を膨らませた「孤独」のイメージこそ、知識を成熟させるために必要ではないだろうか。
箱の中に、客観的に正しい事実ばかりを詰め込む必要はないはずだ。
なぜなら人間は、AIやロボットではないからだ。主観的な想像、経験、感情やフィクションが伴ってこそ、初めて人間の知識として成熟する。
知識に人間らしさは欠かせない。例えば、裁判官、アナウンサー、教師やジャーナリストなどの、客観性や事実性が求められる職業にも、人間らしい想像力や感情が求められる。
フィクションは、私たちの知識に、主観的な想像や思考、感情を付随させる。それによって、私たち人間の知識は、AIやロボットと差別化されていくのではないか。
ノンフィクションとフィクション、両方読むべきだと思う。
『小説』の一文を覚えているだろうか。
『小説を沢山読んでも、虚構をどれほど溜め込んでも、それだけでは何の価値も認められはしないのだ』
この一文の次は、こう続く。
『現実で何かを為さない限り』
その通りだ、と思う。
フィクションだけをかき集めても、何の価値もない。一方で、客観的事実だけを集めても、その知識は未熟だ。
現実と創造を融合してこそ、やっと人間の知識としての価値が生まれるのではないか。
(ただし、私の読書観は『小説』の内容とは無関係である。全く違った観点で面白いので、『小説』をぜひ読んでほしい)
本はただ単に、新しい知識を身に着けるためのものではない。
当たり前だと思い込んでいたものが、未熟な知識であったと自覚させてくれる。そしてその知識を整理したり、自分の思考や想像を付随させたりしながら、知識をアップデートする機会をくれる。
依然として、未熟な知識のまま、再び収納されることになるだろう。だからこそ本を読み続け、更新し続けなければならない。
本を読んでいる私は、別に偉くない。
私は本に頼らなければ、自ら進んで物事の本質を理解しようとしないからだ。本当に偉い人はきっと、本に頼らずとも、自分の中に蓄積された当たり前や常識を懐疑的に見られるし、想像力も働く。
本は私をドキッとさせてくれる。だから、私は本が好きだ。
ドキッ。
突然、自分の未熟さを突き付けられる音。
何かが崩れ、同時に満たされていく音。
より良い自分になるための、チャンスを知らせるための音。
茶谷香音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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