週刊READING LIFE vol.328

ノイラートの錨は下ろさない ≪週刊READING LIFE Vol.328「アンカー」≫

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/10/23公開

記事 : 茶谷 香音 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

舟を水上に止めておくためのものを、アンカーという。イカリ、と書いた方が分かりやすいかもしれない。

アンカーは安定装置である。海の中に下ろすことで、波に流されずに舟を固定できる。

 

しかし、それを下ろすというのは、つまり“死ぬ”ということだ。

 

 

 

就活生の皆さん、まだ将来やりたいことが決まっていなくても大丈夫!

インターンシップや企業説明会にたくさん応募して、やりたいことを見つけましょう!

 

パソコンの画面の奥で、茶色い髪を綺麗に巻いた女性がにこやかに言った。

画面越しで分かるぐらいメイクが濃いのに、だらしない感じが全くしない。私がイメージするままの、理想の社会人だった。

 

「出版系に興味があるのですが、英語資格は必要ですか?」

「今度インターンシップに参加します。服装のアドバイスください!」

zoomのコメント欄が学生からの質問でどんどん更新されていくのを、テレビを観ているかのように眺めた。

 

……20歳になれば、自然と大人になれると思っていた。

将来の夢があって、それに向かって必死に勉強する20歳の自分の姿を思い描いていた。早くそんな自分になりたかった。

 

ところが現実の20歳の私は、迷子の子どもである。

なにをやりたいのかが分からない。お金を稼ぎたいのか、自由に生きたいのかさえ分からない。キャリアウーマンになりたいと思っているのに、社会人として働いている自分の姿が全く想像できない。

 

インターンシップやら企業説明会やらに参加して、今更やりたいことが見つかるのだろうか。

これまでも、何かが変わるかもしれないと信じて挑戦してきたことはたくさんあった。環境を変えようと思って、中学、高校、大学受験を経験した。学生向けのイベントに参加したり、自己啓発の本を読んでみたりもした。

結局、将来の夢などというものは見つからなかったが。

 

今の私は、目的地が分からずに、だだっ広い海を進んでいる迷子の舟だ。暗闇を目の前にして足がすくむ。でも、もう20歳なんだから、自分で進まなければならない。

……ありきたりな表現だな、と、自分でツッコんで切なくなる。

 

「たくさんの質問を頂いていますが、ここで終了のお時間が来てしまいました」

茶髪の女性が、申し訳なさそうに、にこやかに言った。

私も数年後には彼女みたいになっているのだろうか。

 

小さなため息をついて、zoomを閉じた。

まあ、まだ2年生だし。就活は3年生になってからでも良いか。

先送りにしても、やりたいことが見つかるわけではないと十分に分かっている。それでも、未来への漠然とした不安や焦りに向き合う気力がない。まだまだ学生でいたい。

 

そんなことを考えながら、手元のメモに目を落とした。

「オンライン就活説明会」という文字と今日の日付が、左上に小さく書かれている。

その少し下に、緑色のペンで、「やりたいことを見つける方法」という文字が存在感を放っていた。

真面目が取り柄の私だ。せっかく説明会に参加したのだから、とりあえずやってみよう。

メモに書かれたとおりに、自分の好きなことを箇条書きにしていく。

 

・文章を書くこと

・歌を歌うこと

・本を読むこと

・花を生けること

・ウサギの動画をみること

 

なにかやりたい職業に繋がりそうだけれど、繋がらない。しっくりこない。知恵の輪みたいに、どこかが上手くかみ合わない。

ノートの上に並んだ「好きなこと」を眺めて苛立った自分が、悲しかった。

 

 

 

「文章書くのが好きなら、天狼院っていうとこ調べてみたら良いんじゃない?」

 

塾のアルバイトで社員さんに言われたのは、授業に向けて文章を書きながら、何気なく「文章が好き」という話をした後だった。

 

「テンロウインってなんですか?」

「いや、僕もね、詳しくはないんだけど。文章の講座とか色々やっている書店みたいで。プロのライターとかも受けているらしいよ」

「え、書店なんですか」

 

なんか怪しそう、と思った。書店が講座をやるなんて聞いたこともない。

 

ただ、検索ぐらいはしてみようと思って、バイトが終わってすぐに「天狼院 文章」とスマホに打ち込んだ。記事がたくさん出てきて、あ、本当にあるんだ、と思った。

 

ホームページは結構、ちゃんとしている。

オンライン受講もできるのか。

あ、課題の添削もしてくれるのね。楽しそうかも。

もしかしたら、「将来やりたいこと」に繋がるかもしれない。

 

「自己投資は出費ではなくむしろ収益!!!」という勢いで、ライティングゼミに申し込んだ。このイノシシみたいな性格は、就活で活かせるかもしれない笑。

 

申し込んだのは、ライティングゼミの、夏休みの集中コースだった。フリーテーマで2000字の課題を毎日提出する。

他の受講生が社会経験や壮絶な体験について書いているのをみるたびに、人生の経験値が違うなぁとぼんやり思った。社会人ってすごいなぁ。大人だなぁ。

 

私も負けていられないと思って、毎日必死で課題をこなした。

大学で専攻している心理学は鉄板ネタだった。心理学実験の話。あとは、詐欺かと思ったらそうじゃなかった話。好きな和歌の話。他愛もない、ごくごく平凡な私の話。

 

3回目ぐらいで早々にネタ切れになった。

過去の日記や読書ノートからネタを引っ張ってきて、それを思考しなおして文章にするようになった。

 

添削が返ってくるとはいえ、今自分の書いている文章が、本当に良いものなのかは分からない。自分がなんのために書いているのか、将来なにに役立つのかも分からない。

それでも、自分の中に「何気ない出来事」としてストックされていたものが、誰かに伝えるために思考し洗練された文章として、置き換わっていくのを感じた。

夢中だった。社会人の兄が久々に帰ってきて家族で焼き肉を食べに行ったときに、良いネタが思いついて、先に一人で帰宅したほどだった。

1週間のありったけの時間と気概を、ライティングに捧げた。とにかく、それが楽しかったのだ。

 

9日間の課題提出を完走したときには、「私、意外とやるじゃん」と思った。それに、ちょっとだけ自分の書く文章を好きになれた気がする。

 

 

 

結局、将来やりたいことはまだ見つかっていない。

ライティングゼミで身に着けたものが、これから先の未来で役立つかもしれないし、役立たないかもしれない。それでも毎日楽しく課題をこなしながら、自分がどこかに向かって進んでいるような気がした。

 

「どこかに向かって進んでいる」

それで充分なのだ、と今は思う。

 

実は、ライティングゼミの課題のネタを探すために過去の日記を漁っていたとき、こんな言葉を見つけていた。

 

ノイラートの舟。

 

大学1年の春に受講した、哲学の授業で知った言葉。オットー・ノイラートが提唱した言葉。

私たちは航海中の舟に乗っている。海の上で舟を解体して、ゼロから作り直すことはできない。だから、航海を続けながら、舟の壊れた部分を交換したり補強したりしながら、少しずつ修正して進んでいくしかない。

科学者や哲学者は常に、既存の理論の上に新しい考えを加え、部分的に修正しながら、全体の体系をつくっていく。つまり、知識という舟も、常に航海の途中にあるということだ。

 

この言葉を見つけたとき、なにかが分かったような気がしたのに、上手く言葉にできなかった。ノイラートのこの美しい哲学的な比喩を、扱いきれる自信がなかったのだ。そういうわけで、ライティングゼミ時代は「ノイラートの舟」をネタとしてボツにしていた。

でも今なら、自分の気づきを言語化できる気がする。

 

私の人生は、ノイラートの舟と同じだ。一気に大人になることはできない。今ある自分を少しずつ修正しながら、ひたすら進むしかない。

 

将来の夢はのんびり探そう、と今は楽観的に考えている。

そもそも就職は目的地じゃない。きっと就職した後も、私はどこかを目指してずっと迷い続ける。

仕事というのは舟の部品に過ぎない。最初は上手くいかなくても、舟全体が壊れるわけではないし、また修正すれば良い。だから、未来を案じすぎずに、今できることをやっていきたい。

 

大学で学び、「心理学」という知識をつくっていく。

天狼院に参加して、自分の何気ない経験を言葉にする「ライティング」を改良する。

「学生」から「社会人」にアップデートするために、修正の方法を考える。

 

迷いながらも、立ち止まらない。舟を修正していく。一気に全部は無理だから、ひとつずつ。

 

生きることとは、ノイラートの舟に乗ることだと思う。迷うことこそ人生である。

舟が不完全であると自覚し、それを修正することこそ、航海の醍醐味だ。

進みながら、ものすごい絶景が見られたらいいなとか、宝の島にたどり着けたらいいな、などと祈る。そんな空想の目的地を目指して、さらに前に進む。

 

アンカーを下ろして安定を手に入れてしまうのは、目的地に到達することであり、それはすなわち人生に幕を下ろすことである。

人間は絶えず成長を求める生き物だ。舟を修正する必要が無くなれば、生きる人間として存在し続ける意味を失う。

 

目的地を目指すのではなく、迷いながら自分を修正していく。

行く先がわからないのも、迷ってしまうのも、ごくごく普通のことだ。

 

20年の重荷を載せた舟は、今日も修正を重ねながら、大海原を進んでいく。

目的地が分からないというのも、案外楽しいものだ。

 

 

 

茶谷香音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

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2025-10-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.328

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