週刊READING LIFE vol.330

戦争とコロナ―雨の国立競技場で《週刊READING LIFE Vol.330「笑ってサヨナラ」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/11/6公開

記事 : 茶谷 香音 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

その日、国立競技場には雨が降っていた。

皇居も、明治神宮も、都心を全て吞み込んでしまうような大雨で、人々の賑やかな声がいつもよりもぼんやりと聞こえた。

 

競技場全体が静まり返った。

誰かの合図で、雨音を突き抜けるような勇ましい音楽が鳴り始めた。

 

 

 

高校2年生の時、私は国立競技場で歌った。

全国から1600人の学生が集まって、雨に負けないように、未知のウイルスに負けないように、お腹の底から強く歌った。

 

新型コロナウイルスが全国で広まったのは、私が中学生のときだった。

オンライン授業や分散登校。イベント、行事の中止。昼食は前を向いて、黙々と食べる。

コロナ禍に出会った高校の同級生の顔は、マスクをつけた姿しか思い出せない。その向こうにある笑顔を、私はあまり知らない。

 

高校で合唱部に所属しても、相変わらず規制ばかりの活動だった。

この頃には合唱祭や校内イベントが中止になっても、「まぁ、だよね」とすんなり受け入れられるようになっていた。

お世話になった先輩の引退イベントまで中止になったのは、さすがにちょっと悲しかったけど。

 

マスクをしながら、披露できるか分からない曲を歌う。

みんなで歌えることが本当に楽しかったけれど、同時に、悔しい思いや物足りない思いをずっと抱いていた。

コロナで多くの人が亡くなるニュースを目にするたびに、「歌いたい」なんて贅沢だと思う気持ちもあった。

 

ある日、顧問の先生に言われた。

 

「テレビ局から、国立競技場での大合唱に参加してほしいと依頼が来ました。引退した3年生にも声をかけようと思っています」

 

部員からワッと歓声が上がった。

国立競技場で合唱できるなんてすごい経験だ。

それに、また先輩たちと一緒に歌えるなんて。

マスク越しでも分かるほどの満面の笑みを浮かべて、私たちはさっそく練習に取り掛かった。

 

歌える、歌える。みんなで歌える!!

 

大合唱当日は、大雨だった。

新しくなったばかりの競技場に足を踏み入れて、隣の人と距離を開けて座った。

落ち着かなくてキョロキョロとしたら、他の部員たちも同じように辺りを見渡していた。そのなかに先輩たちの顔があるのを見つけて、さらに口角が上がる。

 

しばらくして、ザワザワしていた声が、波が引いていくみたいに静かになった。

遠くで誰かがマイクを使って話していたけれど、雨でかき消されて何を言っているのか聞こえなかった。

周りの学生たちが立ち上がってマスクを外し始めたので、私たちも真似をした。

マスクを外したとき、雨の匂いがした。ひんやりと湿った空気を吸ったときの感覚は、今でも忘れられない。

 

ギターの音が、雨音を切り裂くように聞こえてきた。

始まる。

お腹と頬にグッと力をいれて、息を吸った。

 

コロナが落ち着いて、日本の未来が明るいものでありますように。

そう願いながら、私たちは全力で歌った。

 

 

 

今から80年ほど前にも、私たちが歌ったあの場所に、学生たちが集まっていた。

 

1943年10月21日。その日は大雨だった。

明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場)で、「出陣学徒壮行会」が行われた。

この頃、太平洋戦争の戦況が悪化し、多くの学生たちが戦場に送り出されることになった。

そして戦場に送り出される2万5千人の学徒たちが、三八色歩兵銃を担いで、競技場で行進した。

学徒たちは戦死する可能性の高い任務に就くことが決まっていたという。当時の首相、東条英機は、学生を戦地に送ることへの国民感情を懸念し、学徒や国民を精神的に一体化させるために出陣学徒壮行会を行った。

 

NHKスペシャルで当時の映像を見たときのことを、今でも鮮明に覚えている。

大雨の中を、目をしっかりと見開いて行進する学徒たち。

そんな学徒たちを見送るために集まった、今にも泣きだしそうな女子学生たち。

音楽隊が分列式行進曲を演奏し、それが大雨のなかを突き抜けるように響いているのが印象的だった。

進め、進め。誇りをもって死にに行け。行進曲がそう叫んでいるように、私には聞こえた。

 

NHKスペシャルには、当時女子学生として競技場で学徒たちを見送り、今では80歳をこえた女性へのインタビューも収録されていた。

 

「見送った兄が戦死することは100%と思っていた。もしも兄が生きて帰ってきたら、怪我をしていても、私が一生世話してもいい。そんな気持ちだった。でも、そんな希望が持てる時代ではなかった」

 

「競技場を行進している学徒をみて、観客席にいた私たちは雪崩のように、泣きながら学徒のもとに駆け寄った。当時は学徒に女たちが近づくなんて不謹慎だったけど、そんなことは吹き飛んでいた」

 

女子学生たちが学徒に近づいて泣きながら声をかけても、学徒たちは前を向いたまま、行進を続けたという。

女子学生たちはきっと、心の内では「行ってほしくない」と思っていたのだろう。だから、サヨナラとは言えなくて、でも「生きて帰ってきて」なんて口にできるはずもなく、学徒を見送っていたに違いない。

 

泣きながら、いってらっしゃい。いってらっしゃい。お国のために、頑張ってきてね。

 

そんな女子学生たちの言葉や涙をかき消すように、行進曲が鳴り続けていた。

学徒たちは進み、進み、そして多くが死んでいった。

 

 

 

2025年現在、私は大学生になった。

アルバイトに行く途中、JR中央線の電車の窓からは国立競技場が見える。その度に、大合唱をしたことや、出陣学徒壮行会の映像を観たことを思い出す。

 

競技場で大合唱をしたあの日、私たちは改めて3年生の先輩に感謝の言葉を告げた。

 

「またみんなで、思いっきり歌おうね」

 

先輩がそう言っていたのを、今でも覚えている。そして「お疲れ~。またね!」と言いあって、解散したことも。ソーシャルディスタンスを保って、マスクをつけながらであったけれど、そのとき私たちは笑っていた。

 

車窓から、太陽の光が反射してキラッと輝く国立競技場を見るたびに、思う。

戦争で多くの人の未来が失われたこと。

コロナのパンデミックでたくさんの人が亡くなり、世界中の人々が悔しい思いをしたこと。

忘れちゃいけない。

 

私は今、幸せに生きている。

コロナのパンデミックが落ち着き、友人たちと笑顔を交わしながら「またね」と言える時代を生きている。

 

サヨナラを、笑って言える時代を守らなければならない。

 

国立競技場には、明るい未来を願う、時代を超えた学生たちの思いが詰まっている。

 

 

 

茶谷香音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

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2025-11-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.330

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