チェーンの飲食店にも一応プライドってあるんすよ《週刊READING LIFE Vol.331「仕事と私のプライド」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/11/13公開
記事 : パナ子 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「鍋に対して垂直に立つ! おたまを持つ位置はもっと下!!」
50代の女トレーナーに叱咤されて「はいッ!!」と元気よく返事はしたけれど(はて?)と思う自分がいるのも確かだった。
あの……ここって……お安く気軽に食べられるチェーン店……でしたよね??
第二子妊娠の後に、10年以上正社員として働いた会社を辞め、しばらく育児に専念していた私が社会復帰として選んだ場所は、歩いて5分のチェーンの定食屋だった。
理由は近いから!
入社当時、まだ幼稚園に通う次男のお迎えがあり、とにかく家や幼稚園から近い場所というのを求めていた。また、学生時代にしたバイトが二つとも飲食店ということもあり、なんとなくなじみがあったのだ。
ブランクがある(実際はありすぎるのだが)と言っても、経験者ですし、まあなんとかなるでしょう!!
高を括っていた私は、自分が足を踏み入れた場所が、まさかの職人ワールドだったことに気付くのにそう時間はかからなかった。
まずはひと通りレジ接客を覚えるのだが、四十を越えて半分溶けだした脳みそにはなかなかシビアな作業だった。その理由の一つにスピード勝負であることが挙げられる。飲食店のなかでも「定食屋」という部類の店は、お客様が素早く食べて素早く退店する。
特に私が働くランチタイムはだいたい12時を超えたあたりからワッと入客数が増え、その後ピークは大体13時半頃まで続く。
レジに立つ者は、まるで何かの暗号を解くかのように矢のようなスピードでご注文をレジスターに入力し、キッチンに向かって注文内容を伝えつつ、定食に必要なこまごましたセット内容を整えてお出しする。その間にも、ポイントカードの付与や精算など次々とやるべきことが目白押しである。これらの作業を速い時は1分以内で全てを終わらせる。
入社して一ヵ月くらいは、スピードに全然ついていけず、今自分が何をしているのかわからず錯乱状態に陥った。
えーと……えーと……と頭の中でハテナを量産し、優先順位の整理がつかず手足だけをバタつかせる。
「ボーっと立ってないで、みそ汁を出す!」
「ほら、サラダのドレッシング、出し忘れてる!!」
どんどん入店してくるお客様をさばけない私を見て、女トレーナーが檄を飛ばす。
ひぃぃ~、ちょっと待ってくださいって、今やりますからぁ~……
四十を過ぎて泣くわけにはいかないが、心の中は震えていた。
思ってたんと、全然違う。
募集要項のPRに「ママでも安心して働ける職場です」ってあったやんか。
あれ、嘘やったん?
いや、もちろん、制度が整っていて働きやすいという意味であり、仕事内容がユルいよという意味ではないのだ。当たり前か。
まあとにかくこの女トレーナーが厳しく(うっうっ……この人、私を辞めさせようとしているのかしら)と思う事も一度や二度ではなかった。
その証拠に入社後「正直、年齢がアウトに近かった」と女トレーナーに言われたことがあったからだ。とにかく覚える量やスピードに対応できず、入社しても辞めてしまうおばちゃんが多いのだそうだ。私はまだギリギリ辞めてない方のおばちゃんだが、その気持ちもわからなくはない。
入社当時のノリと勢いでやってますみたいな若い店長に「いいっすね! 一緒に頑張りましょう!」と何がいいのかわからないまま採用はされたのだが、店長は他の店舗との掛け持ちでほぼ店にはおらず、私はマンツーマンで女トレーナーの指導を受けることになったのだった。
最初のうちは(今日はどうか怒られませんように)と出勤前に神に祈りを捧げていたのだが、段々と気持ちに変化が生じるようになってきていた。
それは女トレーナーがただただ怖いというだけでなく、奥に「お客様をいかにお待たせしないか」「美味しい料理を提供するには」「店を円滑に回すにはどう動くべきか」といった彼女の哲学や美学というものがハッキリと理解できるようになってきたからだ。
トレーナーは叱ったり、注意したりする時は剛速球を投げてきてビビらせたが、その後必ず、なぜそうする必要があるのかを丁寧に紐解いた。
理由を聞けばなるほどと思う事ばかりで、少しのミスや「まあいいや」がのちのち大きなトラブルに発展することをトレーナー自身が危惧していた。そうやって店を切り盛りしてきたのだ。
トレーナーは、今成人している娘さんや息子さんが保育所に通っている時代からのパート社員で、もう20年以上、この店で働いている。
実はこのトレーナーの持つ称号がスゴい。
定期的に行われているという実技大会(定食屋の実技大会ぃ~!?)で九州ブロックのチャンピオンに輝いた事があるのだ。
実技大会は、定食の盛り付けの素早さや美しさ、また規定量の正確さなどを審査員チェックしていく。トレーナーが店で出す定食は、本当に美しい。
また、トレーナーは店長が不在にする時間をほぼ取り仕切っており、店内の衛生や食材の管理、新人の教育、全パート、アルバイトのシフト調整……などなど、店長の代行としてすべての業務を行っている。胸に光るゴールドのバッジが眩しい。
入社して3か月程が経って、レジ操作にもトレーナーの投げてくる剛速球にも慣れてきた頃、改まった感じでトレーナーが私に言った。
「そろそろ、バックの仕事を教えようと思う」
これは、調理場についてのアレコレを伝授するという意味である。
余談だが、学生時代の飲食店アルバイトでは、ホールしかやったことがなく、2店ともきっちりその職域は別れていたのだが、今勤めている定食屋ではその区別がまったくない。
だから、新人はみな、レジに始まり調理に続くのである。
なんとか歯を食いしばってレジをやっとこさ覚えた者としては、一生レジだけやっていきたい所存であったが、そうは問屋が卸さない。
諦めて調理についてのイロハを教えていただくことにした。
肉の入った鍋をかき回し、おたまに乗せて、皿に綺麗に着地させる。
一見なんてことない一連の流れが、やってみると肉がおたまからはみ出たり、汁気が多過ぎたり少なすぎたり、なかなか難しい。
トレーナーが手本を見せるのだが、その無駄のない所作はまるで職人のようで惚れ惚れする。しかも同じ肉を扱っているはずなのに、皿に盛りつけられたバランスで見た目まで変わってしまう。
冒頭の「鍋に対して垂直に……!」の他にも、「皿の持ち方が違う!」だの「指のこの部分に力を入れる!」だの(そんなところまで見てるのぉおお~??)と驚愕しながらもとりあえずトレーナーの指示に従う。頭で理解できたとして、それが自然な動きとして身につくまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
修行並みのおたま訓練を受けつつ、レジをしたり洗い物をしたりと忙しく働いていたら、ある日、トレーナーが小皿を持って私に近づいてきた。
「ちょっと、これ味見してみて」
差し出されたのは、仕込んだ肉の煮汁だった。
「どう?」
トレーナーに聞かれたがまったく何もわからない。
「今日は、ほんのちょっと酸味が強いね」
トレーナーが軽く顔をしかめながらそう言うので、雰囲気に圧されて
「そっ……すね……」と絞り出すしかなかった。
ごめんなさい、まじで今日の味が昨日のそれと何が違うのか私には全然わかりませんでした。
いうてチェーン店でしょ? 味なんて変わらんでしょ。
と思っていた私には知らない世界だったのだが、チェーンといえども味は多少変わるということだ。
マニュアル通りの工程で調理していくのだが、生の肉や野菜を1から調理しているとあって火入れやアクの取り方、また鍋のかき回し方一つとってもうま味をどれだけ残せるか違ってくるのだ。
本来チェーン店ならば、どこに行っても同じ味の提供があるべきなのだろうが、そこは生の食材を生の人間が取り扱うのでまったく同じとは難しいのだそうだ。
他の店舗の応援に駆り出された事があるが、以前、食べ残しが多い店があって驚いたことがある。立地や客層の違いもあるのかもしれないが、食器を洗いながら、自分がいつも働いている店はなんて食べ残しが少なかったのだろうと改めて気づかされたのだ。
店に戻ってトレーナーに報告すると「まあ、店舗によって多少味が違うからね」と言った。
その瞳には正しく光るプライドが宿っていた。私は(実はこの店でたまたま働けることになったのってとってもラッキーなんじゃ……)と思ったのだ。
あぁはいはい、チェーン店ね。
客としての私がそう思ったとして、働く側の人間はそうは思っていない。
今日この店にやってきたお客様に「はー食った食った、美味かった!」と思われるように出来る全てのことを尽くす。それがチェーン店といえど、飲食店で働く者としてのプライドなのだ。
私はまだ駆け出しの白バッジの人間だ。
でも、私の上にはお客様の満足度向上を肝に銘じて恐ろしいほどにそのプライドを発光している女トレーナーがいる。人はよい目標を見つけた時、私もいずれあのようにと少なからず胸に秘めるものだ。
ゴールドのバッジが胸に輝く日は来るのか。
誰も知る由もないが、私の中に芽生え始めた飲食店パートとしてのプライドを静かに育てていこうと思う。
❑ライターズプロフィール
パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます! 押忍!!
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