週刊READING LIFE vol.333

給料が発生しない場所でビジネスの本質を学んだ《週刊READING LIFE Vol.333「ビジネス感覚」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/11/27 公開

記事 :塩田 健詞  (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

あんた達に決定的に欠けてて、客を獲ろうとするなら絶対に必要なものがある」

「民間感覚だ。あんた達、自分の都合しか見えてないんだよ」

 

有川浩の小説『県庁おもてなし課』を初めて読み、これらの一節を目にした時、胸の奥から冷たいものがじわりと上がってくるのを感じた。

物語の舞台は高知県庁に新設された「おもてなし課」。県の魅力を発信し、観光客を増やすという、いかにも華やかで、明るい仕事を掲げた部署だ。しかし、そこで描かれる職員たちは、どこかズレている。

熱意はある。やる気もある。だが、企画は空回りし、民間企業の目線から見れば「誰のためにもなっていない」施策ばかりが積み上がっていく。県の観光大使となった作家は、その姿に苛立ちを隠さない。そして、観光大使になってほしいとアプローチした作家に冒頭の言葉を言い放たれる。

まるで自分が叱責されたような気持ちになった。紙の向こう側から、作家の鋭い目がこちらを射抜いてくるようだった。

 

「民間感覚。なんて耳の痛い言葉だろう」

 

私は今、公務員として働いている。行政の仕組みの中で、制度に従って業務を進める世界に身を置いている。そこでは、市場競争も、顧客獲得も存在しない。業務量は多く、判断は難しいが、「数字で評価される」経験はほとんどない。

「制度で動く」という言葉は聞こえがいい。だが裏を返せば「制度があるから動けている」に過ぎない。もし制度という補助輪が外れたら──私は本当に、“誰かに選ばれる仕事”ができるのだろうか。『県庁おもてなし課』の職員たちが、無自覚に「自分たちの都合」で企画を作る姿を見て、私は自分にも同じ影が差しているのを感じた。もしかすると私も、自分の仕事が社会の役に立っていると信じたいだけで、本当の意味で「誰かのため」を考えられていないのではないか。そんな不安が、読書中の胸に居座り続けた。

その感覚は、転職サイトを開いたときにさらに強くなる。どこの求人にも、当然のようにこう書いてある。

「ビジネス感覚」

「顧客志向」

「市場価値」

 

これらの言葉を見た瞬間、胸の奥がざわつく。まるで、自分の知らない“別の言語”で話しかけられているようだ。私は本当に、“民間感覚”を理解できるのだろうか。ビジネスの世界で求められる思考や判断が、果たして自分の中にあるのだろうか。そう考えると、不安は静かに増幅していった。ページをスクロールする手が止まる。転職エージェントから届くメッセージを開く気にもなれない。

だが、その不安を避けてばかりいては、何も変わらない。

『県庁おもてなし課』の作家の言葉は、物語の一文ではなく、自分自身への問いかけになっていた。

 

「民間感覚がないままで、生きていくつもりなのか?」

 

その言葉が、今の私を静かに揺さぶり続けている。公務員として働いていると、気づけば「競争」や「評価」という感覚がゆっくりと薄れていく。毎日やるべき仕事はあるし、困っている区民は絶えない。だからこそ「選ばれる必要がない」。この構造そのものが、気づかないうちに自分を守ってくれていたのだと、最近ようやく理解した。

守られているということは、鍛えられていないということでもある。周囲を見渡してみても、同僚のほとんどは転職を考えていない。「安定している」という理由だけで、そのまま日々が流れていく。そのペースが悪いわけではない。真面目に働き、生活を守る人たちばかりだ。

だが私はどこかで息苦しさを覚えていた。その理由は、自分が「外の世界を知らない」ことを、うすうす感じ始めていたからだ。たとえば、何かの企画を考えるとき。私たちがまず意識するのは「制度に沿っているか」だ。逆にいえば、「住民がどう感じるか」「どれだけ価値があるか」といった視点は後ろに追いやられがちになる。

ある日ふと気づいた。もし私が会社員だったら、そんな発想の順番はありえないのではないか、と。

すると頭の中に、ある疑問が浮かんだ。

 

「私は、誰かに“選ばれる側”としての感覚を本当に持っているのだろうか?」

 

この問いは、思っていた以上に重かった。業務の中には確かに難しい判断もある。住民の人生に深く関わる局面だって経験してきた。しかし、それらは「行政という枠のなかでの難しさ」であって、「市場で戦う難しさ」とはまた別のものだ。

では、自分は市場で戦えるのか。誰かに価値を届けられる人間なのか。そう自問すると、どうしても胸が詰まる。転職を意識すると、さらにその感覚は強まった。求人サイトに登録してみたものの、職務経歴書を開くたびに、手が止まってしまう。「書けることが何もない」と思ってしまうのだ。現職で築いてきた経験が、急に色を失っていく。

本当は挑戦したい。何か新しいことに飛び込んでみたい。今の自分を変えてみたい。その願いは確かにあるのに、履歴書の“未入力”の画面が、まるで底なし沼のように見えてしまう。変わりたいのに、足がすくむ。動きたいのに、怖さが勝つ。この両方の感情に押しつぶされそうになりながら、私は「自分に何が欠けているのか」を考え続けた。

 

 

「民間感覚って、結局どうやって身につくんだろう」

 

その答えが見えないまま、時間だけが過ぎていく日々。そんな私を変えたのは、意外にも「無報酬の世界」との出会いだった。

 

 

 最初の変化が訪れたのは、ほんの小さな地域活動がきっかけだった。北千住で開いた、地域団体同士をつなぐイベント。あの頃の私は「何となく地域に関わりたい」というぼんやりした動機しか持っていなかったが、準備を進めるうちに、自分が想像していた以上に“行政の外側で人が動く仕組み”が厳しいことを知ることになった。

行政の世界では、窓口に人が来る。相談者は絶えず、業務も埋まり続ける。つまり、「選ばれなくても仕事が発生する」。その前提に私自身が甘えてきたことを、その小さなイベントがあっさり突きつけてきた。SNSで告知しても反応は数件。グループ内での周知をしてみても反応がない。無料なのに申し込みがゼロの日もあった。「無料なのに来ない」という現実は、公務員になって4年、私が一度も経験してこなかった種類の冷たさだった。市場の無関心とは、こんなにも静かで、残酷なのかと思った。

そこから私は、無報酬の活動にのめり込んでいった。地域の参加者が集まる飲み会、まち歩きのイベント、シェアハウスの交流会、伝統芸能のイベント、地域カードゲーム制作──どれも仕事ではないし、誰かに頼まれたわけでもない。報酬が発生することもない。それでも動き続けたのは、そこに“人が動く瞬間”があるからだった。

たとえば、まち歩き企画では、「どうやったら参加者が楽しいと思ってくれるのか」を延々と考え続けた。普段見る事が出来ない光景を見る事が出来る好奇心なのか、人との出会いなのか、意外性なのか。行政の世界で「制度に沿っていれば正しい」とされる論理がまったく通用しないことを知った。価値提案とは何かを、初めて身体感覚として学んだ瞬間だった。

シェアハウスの交流会でも、参加者の心理を読む必要があった。人見知りの人が入りやすい座席、場を温める人、沈黙が続いたときの立て直し。こうした判断は、研修で学ぶものではなく、現場で空気を読み、参加者の表情から瞬間的に決めていくしかなかった。これがいわゆる“サービスデザイン”というものなのだと、あとから気づいた。

地域カードゲーム制作に携わったときには、さらに学びが深くなった。企画の進行管理、関係者との調整、役割分担、リスク管理、広報戦略、品質管理──このすべてを、たった1円の報酬もない状態で担わなければならなかった。そのくせ関係者の期待は非常に高く、こちらが段取りを誤れば時間を無駄にしてしまい、説明を怠れば信頼そのものが揺らぐ。報酬がないからこそ、“相手の期待”がむき出しで伝わってくる場所だった。

同時に私は、そこで大きな衝突も経験した。進め方のまずさから信頼を損ね、深く反省することになった。職場なら、組織の仕組みがある程度守ってくれる。しかし地域活動では、失敗の責任はすべて本人に返ってくる。痛みを避けることができない。だが、その痛みこそが、職場では得られなかった学びの源になった。

こうした活動を積み重ねるうちに、「無報酬の世界」は実は非常に厳しい市場だということが分かってきた。人は無料でも動かない。相手の時間をもらうということは、価値を提供するということだ。こちらの都合だけで組んだ企画は必ず失敗する。信頼はお金より重い通貨である。どれも、本や研修で学ぶ概念ではなく、地域の現場で身をもって知った感覚だった。

私はそこで、結果的に「民間感覚」を育ててもらっていた。人は何に価値を感じて動くのか。どの言葉なら届くのか。場をどう設計すれば満足度が高まるのか。どこでつまずき、どこを改善するべきか。ビジネス書の項目に出てくるような内容を、私は報酬ゼロの現場で自然と身につけていた。

そして気づいた。「民間感覚」とは特別な才能ではない。資格や職歴でもない。“誰かのために工夫し続けること”の延長線上にあるものだ。あの作家から投げかけられた「自分の都合しか見えてない」という言葉が胸に刺さったのは、当時の自分が、誰の顔も思い浮かべずに仕事をしていたからだ。無報酬の活動は、その「顔」を私に与えた。誰のためにやるのか。誰に届けたいのか。その輪郭が、ようやくはっきり見えるようになったのだ。

 

こうして振り返ってみると、私が「民間感覚」という言葉への恐怖を少しずつ乗り越えられたのは、仕事ではなく、むしろ“無報酬の現場”に身を置いた経験のおかげである。外の世界に出ることは怖かったが、それでも小さな地域活動に参加してみると、自分が思っていたよりもたくさんの学びや気づきがあった。そこでは肩書きも経歴も関係なく、人としての姿勢や工夫の量がそのまま場の空気に反映される。誰かの期待に応える行動には即座に反応が返ってきて、逆にこちらの都合だけで動けば、簡単に距離を置かれてしまう。そこには、市場の厳しさと、人の温かさが共存していた。

不思議なことに、その環境は私にとって居心地がよかった。行政の仕事ではなかなか味わえなかった「選ばれる側の緊張感」は、恐怖よりもむしろ“張り”として働き、自分の思考を研ぎ澄ませてくれた。「どうすれば来てもらえるか」「どう伝えれば届くか」と悩む時間は、これまでの仕事では使ってこなかった種類の筋肉を動かす感覚に近かった。こうした経験は、民間感覚という大げさな言葉ではなく、「誰かの立場に立って考える」という本質的な態度を身に付けるきっかけになったのである。

そして気づいた。民間感覚の入り口は、転職や独立といった大きな決断の中にはなく、もっと身近なところにあるのではないか、と。たとえば、週末の数時間だけ参加するボランティアでも、仲間同士で手分けするプロボノでもよい。特別なスキルがなくても参加できる取り組みは数多くある。そうした場は、私たち公務員の世界とはまた違うルールで動いており、「小さな責任」をどう引き受けるかが試される。しかも、その責任は自分の力量の範囲で調整ができるため、過剰なプレッシャーを感じる必要もない。

だからこそ、転職を迷う人にこそ、まずは“無報酬の世界”に触れてみることを勧めたい。そこでは、自分でも知らなかった得意なことや、誰かに喜ばれる瞬間が案外簡単に見つかる。ちょっとした役割を任されるだけで、「あ、自分は外の世界でも通用するかもしれない」という小さな自信が芽生える。その自信は、今いる職場の外へ一歩踏み出すための確かな力になるはずである。

ボランティアやプロボノは、転職に直結する“実績づくり”ではない。むしろ「自分の輪郭を外の世界で確かめる場所」である。報酬がなくとも、そこで得られる経験は、何よりも“自分の市場価値”を確かめるヒントになるはずだ。自分が何を大切にし、どんな場で力を発揮できるのか。その感覚は、机の前で悩み続けても見えてこない。

民間感覚は、本の中にも研修の中にもない。誰かのために、小さく動いてみること。その積み重ねの中にしか、存在しないのである。

 

❏ライタープロフィール

塩田健詞(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

 

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



2025-11-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.333

関連記事