メディアグランプリ

 “ちゃんと”と、ほどよく仲良く生きる。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

記事:村井ゆきこ(ライティング・ゼミ25年11月開講コース)

 今、この文章をPCに向かって書き始めたこの瞬間でさえ、私は
「ちゃんと伝わるだろうか」
「ちゃんと書き切るには今日のうちに……」
と、無意識の「ちゃんと」が静かに動いている。

 いつからだろう。私の中に“ちゃんと”の呪いがかかったのは。

 思えばその呪いは、物心ついた頃にはすでに芽生えていたのだろう。親から頼まれたわけでもないのに、弟の世話を「姉としてちゃんとしなくては」と思っていたし、小学生の頃お友達の家に行くと、自然と「ちゃんとしなきゃ」を発動していた。
 マナー、振る舞い、言葉づかい、挨拶——。自分でも気づかないうちに、“よそ行きの私”をオンにしていた。

 

“ちゃんとしなきゃ”という気持ちは、人感センサーのようだ。ふと場に近づくだけで、ぱっと反応してONになってしまう。

 結婚して子どもが生まれてからも、その感覚はしばらく続いた。
 スーパーで息子が泣いた時、児童館でぐずった時。本当はそんなにイライラしてないのに、「私はちゃんと気づいていますよ」「ちゃんと見ていますよ」とアピールしていた気がする。
 家ではゆるく過ごせていても、外ではつい“ちゃんとした母親”を演じてしまう。そうしていたほうが、日本で子育てをするうえで楽だったからだ。

 振り返ると、“ちゃんとセンサー”が作動しやすいのは、頭で考えるより先に、ちょっとした緊張が走る場面だ。

 改札でsuicaをタッチする瞬間でさえ、東京駅などの人が多い駅では「ちゃんとタッチしなきゃ、後ろの人に迷惑がかかる」と無意識に肩に力が入る。
 仕事でも同じだ。主催する側はもちろんだが、参加する側でも「ちゃんとしている私」を自然に出そうとしてしまう。

 一方で、家にいる日はそのセンサーが自然とオフになる。母だから、妻だから“ちゃんとしなきゃ”ではなく、「やってあげたい」で動けている。

 この“自然体”でいられる時間が増えたことで、子どもにイライラすることもほとんどなくなった。外で「ちゃんとしなくても大丈夫」という現実が、私にとって一番の安心材料になったのだ。夫に対してイライラすることも、ほぼない。

 そんな私が“ちゃんと”に揺さぶられなくなった背景には、インドでの暮らしが大きい。長男が1歳の時から4年半暮らしたインドでは、「ちゃんと」という概念そのものが機能しなかった。

 子どもが騒いでも誰も気にしない。むしろ店員さんが一緒に遊んでくれる。細かいマナーよりも、“今日をどう生きるか”がずっと大事な世界。
 「あ、ここでは“ちゃんと”なんて誰も気にしてないんだ」と衝撃を受けた。

 日本人は、もともと“ちゃんと”を察する力が強いと言われる。そこに長女気質の共感性や繊細さが重なれば、空気を読むことは呼吸のようになる。
 良く働けば「助かった」「ありがとう」と感謝につながるし、働きすぎれば生きづらさになる。

 そして気づいたのは、“ちゃんと”には2種類あるということだ。

 ひとつは、自分のための、ちゃんと。「もっと上手になりたい」「もっと良くしたい」という、前向きな向上心。
 もうひとつは、人のためのちゃんと。「迷惑をかけたくない」「ガッカリされたくない」という、不安ベースのもの。
 どちらも悪くはない。ただ、苦しくなるのはたいてい“人のためのちゃんと”が強くなりすぎた時だ。

 余談だが、インドでは「ちゃんと」が通用しないと知っていたのに、唯一“ご迷惑をかけないように”と意識していた相手がいる。
 それは——まさかのインド象だ。
 誕生日などのお祝いで家に象を呼ぶ文化があり、象に乗る際に「象が痛くないように、ちゃんとスムーズに乗らないと」と、象にまで気を遣っていた。

 いや、象にまで気を遣うなんて何なんだ。
 今思うと、そんな自分につい笑ってしまう。

 “ちゃんと”は、私の人生のあちこちに顔を出す。おもしろい部分もあるし、少し苦しい部分もある。消したいと思った時期もあったけれど、このクセはおそらく完全には消えない。でも、それでいい。

 苦しくなるのは、「ちゃんとしなきゃ」と強制されている時。今の私は、「ちゃんとしててもいいし、ちゃんとしなくてもいい」と思っている。

 “ちゃんとを手放す”のではなく、
 「ちゃんとしててもいいじゃない」
 「ちゃんとじゃなくてもいい」
 どっちでもいい、と思えた瞬間に、ふっと肩の力が抜けた。距離をとったり、おもしろがったりしながら付き合っていけばいいのだ。

……と書きながら、実は今も「ちゃんと書けてる? 伝わる?」という無意識の“ちゃんと”が静かに発動している。

  ほんと、私の中の“ちゃんとセンサー”はよく反応している。


<終わり>

 

 

 

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