メディアグランプリ

髪をとりもどせ!!


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたもので

 

記事:まるこめ(ライティング・ゼミ11月コース)

 

「ああ、待って……いやだ、行かないで。お願いだから、私を置いていかないで!」

 

髪を洗うたび、排水溝に滑り落ちる髪の毛。彼らの背中はマッドマックスのような世紀末の荒野で、命からがら逃げ惑う亡命者みたいだ。

 

ゴシゴシ、ゴシゴシ……

 

シャンプーの泡が、土煙のように頭皮に立ち込める。泡に乗じて無数の髪の毛たちは、蜘蛛の糸にぶら下がる亡者のように、私の指へと絡みつく。そして、シャワーが豪雨のように髪の毛と、頭皮の汚れを排水溝の濁流へと飲み込んでいった。

 

「ああ、またこんなにたくさん……」

 

引き止めようとする私の悲痛な叫びも虚しく、先ほどまで共に過ごしてきたはずの髪の毛たちは、こちらを振り返る事もなく、我先にと、排水溝へと消えていった。

 

「覚悟はしてたけど、まさかこんなになぁ」

 

思わずこぼれるため息は、ドライヤーの音にかき消された。

風呂場でたくさん逃げていった、私の髪の毛。もう、これ以上はないだろうと思いたかった。

 

しかし、なんてこの世は無情なんだろう!

 

温かい風に吹かれながら私の髪の毛は、はらり、はらりと舞い落ちていった。ほんの数分で、洗面所の床は、まるでイチョウの並木道のように、あちこち抜け落ちていった毛でいっぱいになっていた。私は、ふと目の前の鏡に目をやった。生え際は荒廃し、砂嵐のような潤いのないバサバサとした髪……鏡の中には「荒野で戦う戦士」のような私が立っていた。

 

娘が産まれる前までの私の髪は、定期的にすきバサミを使わないといけないくらいの量があった。特に、妊娠中の髪の毛たちは、エストロゲンというホルモンの王政による豊穣の時代だった。フサフサでツヤツヤの髪の毛たちが、私の頭皮の世界で平和に暮らしていた。

けれども、そんな平穏な時代は、出産を機にガラガラと音を立てて崩れ去っていった。

 

出産に伴う、ホルモンバランスの変化……エストロゲンの失脚だ。そこに、さらに追い打ちをかけるように、取れない疲労、授乳による栄養不足、ストレスや、睡眠不足が、頭皮の治安の悪化を一気に加速させていった。そんな世界の崩壊に抗うべく、バランス良くご飯を食べたし、トリートメントだって念入りに塗り込んだ。けれどもそんな努力も虚しく、頭皮の治安は日に日に悪化していった。気づけば、櫛を通すだけで、それに抗う事もできずに落ちていく髪の毛もいた。

 

これが、産後だ。

 

わかる、そりゃわかる。「産後だ」の一言で片付けられれば、どんなに楽だろうか。

出産の大仕事を終えたガタガタの肉体。風船が萎んだような、だらしないお腹。睡眠不足でできた、目の下のクマ。妊娠中まで確かにあったはずの「女性らしさ」は「産後のホルモンバランスの変化」に奪われてしまった。それだけでは飽き足らず、奴ら「女の命」である髪の毛まで、容赦なく奪おうとしている。

この数ヶ月、私は共に生き延びてくれている髪の毛の同士たちと、いつまた「ホルモンバランスの変化」に日常を奪われてしまうかどうか、綱渡りのようなギリギリの生活を強いられていた。

 

ところが、ここ最近になってようやく一筋の光が見えてきた。

 

「おぉ、これは……!」

 

産毛だ……産毛が生えてきた!

かつて、最初の頃に抜け落ちていった荒野の生え際に、新しい命が少しずつ芽吹き始めていた。まだ、ちっぽけで頼りない産毛。風が吹いたら倒れてしまいそうな、産毛。荒れ果てた私の頭皮には、確かに「生命」が戻ってきているようだ。

 

産後の髪は、まるでマッドマックスの世界だ。かつての常識も、秩序も「ホルモンバランス」の前ではなんの役にも立たない。全ては壊れ、そしてその荒れ果てた荒野で、ゼロから生まれ変わるのだ。

産後5ヶ月を目前にして、ようやく私の頭皮の地平線には、産毛たちが立ちあがろうとしている。そうだ、諦めるのはまだ早い。これから、どれだけの時間がかかるかはわからない。わからないけれど、私は、まだやるべきことがある。どうにか苦節を共に生き延びてくれた髪の毛たちと、この荒れ果てた頭皮の大地で、必死に立ちあがろうとしてくれた若い産毛たちと、手を取り合っていかなければならない。絶望している暇なんて、全くない。私たちは産後の日々を、強く、たくましく生きていくんだ。時に「ホルモンバランス」にやられようとも、何度だって立ち上がってやる。諦めない限り、私たちは何度でも立ち上がれることを知っているのだ。「ホルモンバランス」め、見てろよ。お前たちの悪政はそこまでだ。

 

髪を取り戻す戦いは、始まったばかりだ。

 

《終わり》

 

 

 

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