父からの宿題 《 週刊READING LIFE Vol.337 「フリーテーマ」 》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/12/25 公開
記事 : ひーまま (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
6日28月025年
広島は原爆が投下されてから80年の年月がたった。
80年前の原子爆弾のきのこ雲の下で、いったいどんな事が起きていたのか? 私は被爆二世ではないが、広島に住んで63年。
あの日起きたことの上に広島はあるのだ。
そのことを一日も忘れることができないでいる。
「正樹、お父さんの背中に突き刺さっとるガラスを抜いてくれ」
80年前のあの日の夜、当時5歳10か月だった廣中正樹さんは、その時の話をまるで昨日の出来事のように語ってくれた。
「父ちゃん、なんぼ力を入れても僕にはとれんよ」
正樹君がそうお父さんに言うとお父さんは
「じゃあ正樹、ペンチを持ってこい」と言ったのだ。
正樹君は物置からペンチを持ってきて、お父さんの背中に刺さった無数のガラスを一つ一つ挟んでは何回も力を込めて引っ張った。
しかし5歳の正樹君の小さな手ではペンチは大きすぎて、いくら頑張って引っ張ってもたったの一つも抜けなかったのだ。
昭和20年8月6日の8時15分の事。
正樹君のお父さんは、その時間ちょうど現在の原爆ドームを過ぎたあたりの紙屋町という場所を通る市内電車の中にいた。
いきなりピカっとすごい閃光が光った後、どおおん!! と衝撃がきて、電車の窓ガラスは吹き飛び、一瞬でその電車に乗っていた人はほとんど即死したのだ。
意識を失っていた正樹君のお父さんは、しばらくして意識を取り戻し、たくさんの死んだ人をかき分け、シャツも焼け落ち、ボロボロになったズボンがかろうじて衣服として残っている姿で、爆心地から3キロ離れた己斐上町に帰って来たのだった。
背中には無数のガラスの破片が食い込んでいた。
お父さんは、何としてでも家族に会いたいと、力を振り絞ったのだろうか?
8時15分に被爆してから、自宅にたどり着いたのは夜の8時過ぎ。
正樹君は8月6日の朝、お父さんを自宅の玄関で見送り、近くを流れる小川に入り、魚を捕まえようと網を持って遊んでいた。
広島市内から西の山を上がったところが、己斐上(こいうえ)
川遊びをしていた正樹君は、すごい光を見た後、川下からすごいスピードで駆け上がってきた爆風に飛ばされ転んでしまった。
私が、廣中正樹さんの被爆の体験談を聞いたのが、ちょうど3年前。
私も知っている場所が、80年前、廣中さんが原子爆弾の爆風で飛ばされた小さな小川がある場所だった。
現地は広島市内から車で20分ほどの小高い山々の中にある団地の入り口だ。
小学校の平和学習で、そのすぐ近くの己斐小学校は原爆の直接の被害がなかったので、当日次々と運ばれてくる人々で、校庭がぎっしりだったと聞いたことがある。
それだから、まさかその小学校から15分も離れた山の中に、原子爆弾の爆風が届いていたことに心底驚いた。
この3年間、毎月一度のミーティングを重ね、80年前の8月6日にいったい何を5歳の正樹君が体験したのか?
その後の正樹君はどんな人生を送ってきたのか?
ゆっくりゆっくり話を聞いてきたのだった。
いま、私の孫がちょうど6歳になり、その日の正樹君と重なる。
6歳前の子供が、ペンチを握ることも難しいのがよくわかる。
お父さんは、それでも正樹君に「背中のガラスを抜いてくれ」と言ったのだ。
きっと自分の命の先がないことを悟っていたのだろう。
翌日お父さんは、37歳の短い生涯を閉じた。
正樹君は、翌日の8月8日。
お父さんの遺体を荼毘に付した。
焼き場には一列に20人くらい並べられるような穴が何列も掘られ、コモにまかれたお父さんに火をつけたと言う。
そんな体験を広島では、その年の暮れまでに14万人以上の人がしたのだ。
広島の人たちの祈りは、だから「二度と同じ体験を誰一人にもさせたくない」と言うのだ。
広島に来たことがある人は、平和公園の中に作られた「原爆死没者慰霊碑」に手を合わせたことがあるかもしれない。
慰霊碑には、原爆で亡くなられた人の名前が書かれた名簿が入れられている。
毎年、被爆手帳を持った人が亡くなるとそこに氏名が書き加えられるのだ。我が家の義理の父もその名簿に入っている。
慰霊碑に書かれている文面は、
「安らかに眠ってください過ちは繰り返しませぬから」
である。主語がないのがおかしい、とかいう意見もあるのだが、私はこの碑文は、人類すべての人が、原爆で犠牲になった人々に対しての決意表明だと感じている。
悲劇を乗り越えて、世界の恒久平和を祈り続けているのが、この碑文なのだ。
私の父は、この碑文を毎日のように見ながら仕事をしていた。
平和公園の原爆資料館の前にあった「新広島ホテル」に昭和36年から勤務していたホテルマンだったのだ。
当時大阪から引っ越ししてきた私は2歳半、妹はまだ8か月の幼さだった。当時広島では唯一の社交場として建てられたこのホテルでは、広島市を訪れる賓客をもてなす大切なホテルだった。
有名な人としては「マリリンモンロー」「チェゲバラ」らがこのホテルを利用したと聞いたことがある。
父は当時まだ28歳。大阪中之島にあった現在のロイヤルホテルの前身「新大阪ホテル」のベルボーイからのたたき上げで、「新広島ホテル」では宴会担当をしていたらしい。
そこで聞いた広島復興の話に痛く感銘を受けて以来、父はホテルマンの傍ら、平和活動を熱心に行うようになる。
幼稚園児の私は、夜な夜な父の平和節を聞かされていた。
「二度と原爆を使っちゃならん」
「戦争は絶対にしてはならん」
「広島は悲劇を乗り越えて世界の恒久平和の発信基地になるんだ」
子供心にその平和節が、とことんしみ込んでいる。
世界平和の実現を夢みて、その後父はホテルマンをしながら、夜のお店を経営するようになり、母はその店のママさんになったのだ。
8歳の私はヤングケアラーになった。
2歳下の妹と二人、夕方からお留守番だ。
10歳になったころには弟が生まれて、小学校5年、6年の記憶は子育てのしんどさしかない。
家を守りながら、妹と幼い弟の世話をする毎日は大変だったが、私は、幼いながらも父が世界平和の実現のために頑張っているのだと信じていたのだろう。今思い返すと泣けてくるような毎日だった。
父はその後、とある宗教に出家してしまうのだが、本気で世界平和の実現を夢見ていたのは確かなことだった。
父はその後、齢58歳で亡くなった。
父が私に残した「原爆を二度と使用してはいけない」「世界の恒久平和を実現する手段を考えるんだ」という二つの宿題を、私に残していった。
私は結婚して3人の子供を育て、今では3人の孫に恵まれている。
60歳の還暦を超えたころから、この父の「平和の宿題」が私の中にしっかりと根を張っていることを感じるようになった。
一個人の私にできることは何だろう?
子供のころの平和学習が怖すぎた私は、広島の平和の祈りを胸に抱きながらも、積極的に平和記念資料館を訪れたり、被爆者の話を聞きに行ったりすることができなくなっていた。
それでも何かできないのか?と胸の中で思っていたのだ。
そんななか、3年前の2022年たまたま目にした「被爆体験証言者等養成研修」があることを知ったのだ。
広島市の平和推進課が実施するもので、2年間の研修を経て「被爆体験伝承者」になるという企画だった。
今年被爆者の平均年齢は86歳になった。
実際の被爆体験を証言している人の数は、2024年時点で32人。
今年、またその人数は減っている。
直接話を聞けるうちにしっかりとその人の体験を伝承しようというものだ。
冒頭の被爆体験証言者の「廣中正樹さん」との出逢いがこの被爆体験伝承研修だった。
3年かかったが、正樹君が体験した昭和20年8月6日を私はやっと、自分の住む広島で実際に何が起きたのか、その日の広島がどんな惨状だったのか、しっかりと見ることができた。
怖い話じゃすまされない。
聞きたくない。じゃすまされない事実があった。
(今までしっかり聞くことができなくてごめんなさい)
今の私の気持ちである。
今年、2025年11月1日付で、私は廣中正樹さんの被爆体験伝承者の認定をもらった。
あの日の正樹君の見たこと聞いたこと体験したことを、そのままをしっかりと次の世代に伝えていきたい。
父が「やっとわしの宿題一つ果たしてくれたな」と天から応援してくれているのを感じている。
父からの「平和の宿題」やっと少しできたかな。
そんな風に思っている今日この頃だ。
そうして、私の被爆体験伝承講話のデビューがついにきまった。
12月23日午前11半から12時半。
平和記念資料館東館、地下一階にて。
奇しくも28歳の父が働いていたあの「新広島ホテル」のあった場所だ。
「世界の恒久平和」が実現しますように。
祈りつつ講話に臨む覚悟である。
□ライタープロフィール
大阪生まれ。2歳半から広島育ちの現在広島在住の66歳。2023年6月開講のライティングゼミを受講。10月開講のライターズ倶楽部に参加。2025年9月からの新ライターズ倶楽部を受講中。様々な活動を通して世界平和の実現を願っている。趣味は読書。書道では篆書、盆石は細川流を研鑽している。
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