「夫育て」の正体は、家事スキルの伝承ではなかった。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: :村井 ゆきこ(ライティング・ゼミ25年11月開講コース)
私は、“夫育て”をした。
…と書くと、なんだか上から目線の妻の話に聞こえるかもしれない。でも、ここから先はそういう話ではない。
「夫育てって、要は家事スキルの話でしょ? それって本来、義母が教えることだったんじゃないの?」
そんな声を、よく耳にする。
もちろん、その側面もある。
ある日私が入院するかもしれない。事情があってしばらく家を離れるかもしれない。
そのときに、基本的な「人としての生活」を、一人でも営める状態でいたほうがいい。だから2人の幸せのためにも、家事はお互い一通り回せるようになった方がいい、と新婚の時から話していた。
しかし、私の言う“夫育て”は、掃除の仕方や料理の手順を教えることだけではなく、
一緒に生活を営むチームメンバーとして、“お互いにとって”心地よい暮らしが回る状態をつくっていくことだったと思う。
だから、スキルの話だけではない。
家事スキルそのものは、教えればある程度は身につく。
でも、難しいのは「自ら気づいて動く」こと。相手の状況を想像して、今、自分にできることを選ぶ。その感覚には、やっぱり愛情や思いやりが必要になる。私は結婚生活の中ではむしろ、そこを大事にしてきた。
夫婦は、OSとハードウェアのような関係だと思っている。
考え方や価値観という「OS」と、日々の行動や生活という「ハード」。 どちらかが不具合を起こさないために必要なのが、アップデートとメンテナンス。 つまり、夫婦の対話だ。
ではその対話の時間を、日々の生活の中でどうやって捻出しているのか。 もちろん「さぁ、お話ししましょう!」と身構えているわけではない。
時には食後に少しお酒を飲みながら。時には夜、洗濯物を一緒に干しながら。 そんな生活の延長線上にある時間が、私たちのアップデートの時間だ。
そこで話すのは、結論や正解ではない。
今、頭の中で考えていること。ふと気づいたこと。「こうしたら楽かも」という提案。子どもの情報の共有など。
不思議と、喧嘩になることはほとんどない。
結婚して19年になるけれど、大きな喧嘩を思い出しても、片手で数えられるくらいだ。対話を“会議”にしないことが、関係を心地よくさせる秘訣なのかもしれない。
ここまで「夫育て」の話をしてきたけれど、実はもう一つ、私にとって大切な視点がある。それは、私自身も“妻育て”をしてもらったことだ。
新婚当時の私は、「完璧でいたい」「ちゃんとしなきゃ」「妻というものはこうあるべき」と、かなり“べき・ねば”でガチガチだった。長女として生まれて、誰にも頼まれていないのに「私がちゃんとしなきゃ」と生きてきたことも関係してると思う。
そんな私に対して、夫はよくこう言ってくれた。
「そんなこと、俺がやるから大丈夫だよ!」
「一緒にやればいいよ」と。
その言葉に、何度も肩の力を抜いてもらった。
「全部を一人で背負わなくていい」
「お互いにちゃんとできなくても、生活は回る」
そう思わせてもらえたことは、私にとって確かに“妻育て”だったと思っている。
それも、夫婦の対話があったからこそだ。
では、私たち夫婦は、お互いの“夫育て”“妻育て”によって、どう変わったのか。
と聞かれたら、私は「劇的に変わった」というより、「自然に育っていった」と答えると思う。
私が専業主婦だった頃も、仕事で忙しく動き回っている今も、彼のスタンスは変わらない。自分で気づき、必要だと思えば動く。それは「手伝う」という感覚ではなく、チームとして当たり前に暮らしを回す動きになっている。
夫が仕事で忙しいときには、「こっちは大丈夫だから、早く寝てね」と声をかける。
逆に、私が体調を崩したときや、夜家にいないときも、「ご飯は作らなくて大丈夫だよ。自分たちでできるから」と言ってもらえる。子どもたちも、いつの間にか立派な戦力だ。
私は今、無理なく安心して任せることができている。お互いに、やりたいことや叶えたいことがあれば、「じゃあ、どう回そうか」と自然に話せる関係になった。
それは誰か一人が頑張った結果ではなく、夫婦で対話を重ねてきた、その積み重ねなのだと思っている。
だから結局、どちらかが完成していればいいわけでも、正解を知っていればいいわけでもない。
結婚は、敵でもなければ、役割分担の契約でもない。
ましてや、「私の人生を邪魔しない人」を探すことでもないのだと思う。
“夫育て”、“妻育て”という言葉は、誤解されやすい。
けれど本当は、「相手を変える」ことではなく、その時々の状況に合わせて、どうしたら2人の生活が無理なく回るかを話し合い続けることなのだと思う。
完璧な夫も、理想的な妻もいない。うまくやろうとするより、立て直し続けているだけなのかもしれない。ただ、対話を通して、その都度アップデートし、メンテナンスしていくチームがあるだけだ。
夫婦は、暮らしながら、何度でも育て直していける関係であること。
私はそう信じて、これからも夫と対話を重ねていきたいと思っている。







