週間READING LIFE vol.339

外国語でぼくらは少しだけやさしくなれる 


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2026/1/15 公開

記事:Yasu(2026年1月開講・渋谷/通信・4ヶ月コース)

 

「this, hair, short, less, different……」

赤く染めた髪に、ハッキリしたメイク。
ドイツ人にしてはめずらしく、最初からずっとニコニコしているKristinaが、たどたどしい英語でそう言った。

 

ぼくはいま、近所のヘアサロンにいる。
窓の外には、数日前の雪がまだ残っている。ガラス越しの光が差し込んで、店内は明るい。街の中でも、ちょっとおしゃれな方の店だと思う。

と言っても、ここはドイツの地方都市だ。彼女たちの母国語はドイツ語。
この街では、英語をそこそこ話せる人が三割くらい、流暢な人が二割くらい。
Kristinaは、きっと全体の中間くらいだろう。

知っている単語と単語をつなげて、「伝えたい」という気持ちだけでしゃべってくる。まるで、5歳児が全力で背伸びして話しているみたいだ。

一方、こちらは必死だ。

そもそも、散髪というイベントは、日本でも「思ってたのと違う」が頻発する場所だ。
「爽やかにしてください」とだけ伝えて、典型的なスポーツ刈りになった経験がある人は、多いはずだ。
そのたびに、鏡越しに美容師さんの顔色をうかがって、「まあ、これもアリか」と自分を納得させる時もあれば、ここをもっとこう切れないか?と調整を持ち掛けることも多い。

それが外国で、しかも外国語での散髪となると、難度は一気に上がる。
「ショートと言ったら坊主、ロングと言ったら変化なし」くらいのギャップが待っている。

ここはドイツ、当然、ドイツ語を話せない自分が悪い。

だから、準備もしてきた。

日本で散髪してもらったときの写真をスマホに入れ、サイドはこれくらい短く、上は少し長め、全体は丸いシルエットで……と、英語で説明できる文章を頭の中でリハーサルしてから店に来た。

Kristinaは、そんなぼくの決意をよそに、作業をしながら要望を聞いて、写真を一瞬だけ見ると、

「ノープロブレム!」

と、勢いよく言い切った。

即バリカンを取り出し、即スイッチオン。
そのまま、ぼくの髪を迷いなく削り始める。

この瞬間が、一番不安だ。

ぼくは、失敗させないためにか、全身を硬直させる。
刈られた髪の毛は戻らない。

心配をやめても不安は残る。

やがて、カット中の雑談が始まる。

定番の「Where are you from?」からきた。
「From Japan」と答えた瞬間、なぜかスペイン語で話しかけられた。
どこかの地方都市の名前と勘違いしたらしい。

不安が、ほんの少しだけ増える。

それでも会話は続いた。

ぼくは、なるべく簡単な単語だけ組み合わせて、ゆっくり話す。
Kristinaは、それを必死に理解しようとしてくれる。
彼女も、言いたいことを知っている言い回しの範囲でどうにか表現しようとする。

足りないところは文脈で補い合いながら、なんとかキャッチボールを続けていく。

全体の長さを一度整えたところで、Kristinaが鏡越しに聞いてくる。

「OK?」

お、意外と丁寧じゃん。
少しだけ、信頼が増した。

 

考えてみると、ドイツ人との仕事も、こういうやり取りの連続だ。

幸い、ビジネスパートナーたちは英語をそれなりに話せる。
とはいえ、お互い英語は外国語だ。

例えばAIを使った効率化サービスの話やその実装方法など、抽象的でややこしい話になると、一気に言葉が足りなくなる。

「This と言われても、その this がどの this なのか、よくわからない」

そんな場面が、会議中に何度もやってくる。
そのたびに、ぼくたちは会議の速度をいったん落とし、一つ一つ確かめ合いながら進めていく。

相手は、頭の中で使えそうな単語を必死に探しながら、途切れ途切れの英語で説明してくれる。
ぼくは、図を描いたり、別の単語で聞き返したりして、意味を少しずつ削り出す。

ミーティングが終わったあと、よく思う。

日本語だったら、ここまで聞かなかったな、と。

「このへんの“それ”とか“あれ”は、きっとこういう意味だろう」と、なんとなく流してしまっていたはずの部分を、今はいちいち止めて確認している。

英語で話すときのぼくは、たぶん、日本語で話すときの自分よりも慎重だ。
誤解がないか。
相手がこちらの意図を本当に理解してくれているか。
言葉だけじゃなく、表情や間合いまで、これまで以上に気にするようになった。

言葉が不確かな分だけ、「わからない」という前提で相手に向き合う。
だからこそ、相手の言葉を減点法ではなく、「ここまで伝えようとしてくれている」と加点法で受けとれる。

AIに「優しさって何?」と聞いたことがある。

返ってきた答えは、ざっくり言えばこうだ。

他者への思いやりや配慮を持ち、相手の立場に立って理解しようとする心。
ただ親切な行動をするだけでなく、ときには突き放す厳しさも含んだ、しなやかに形を変える水のようなもの――。

まさに、今ぼくたちがやっていることじゃないか。

うまく言えているかもわからない。
伝わっているかもわからない。

その不安を、お互いが抱えたまま、時間をかけて言葉を選ぶ。
相手の事情をくみ取り、譲れるところを探しながら、なんとか同じ絵を思い浮かべようとする。

それって、すごくやさしいことじゃないだろうか。

……そんなことを考えているうちに、どうやら髪の毛は仕上がったらしい。

Kristinaが、何かをぼくの髪に塗るしぐさをする。
きっとワックスだろう。

「Yes」

そう答えると、彼女はテキパキと、しかしどこか雑そうな手つきで髪をセットし、満足そうな表情で一歩下がった。

そして、あの一言である。

「this, hair, short, less, different……」

それから、聞いてきた。

「この写真は、いつ?」

「数年前のやつだよ」と答えると、Kristinaはぼくの生え際を指さして、こう言った。

「No hair」

「そういうことか!」

ここの、髪、短い部分、減ってて、写真と同じにできない……。

言い訳がストレートすぎるだろ、と思いながら、四角く整えられた頭でおとなしく店を出た。

生え際の後退を、真正面から指摘された午後。
雪の残る歩道を歩きながら、ぼくは思う。

言葉の不自由さは、ときどき不便で、ときどき残酷で、それでも、ぼくらを少しだけやさしくしてくれる。

〈終わり〉

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2026-01-22 | Posted in 週間READING LIFE vol.339

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